ここまでのお話
続・東京美容院ライフ①
続・東京美容院ライフ②
 
美容院へ行く当日、私は少し寝坊をした。と言っても予約には間に合う時間だったのだが、あれこれ気合いを入れて準備をするには時間が足りず、特に何も考えずいつも通りの感じのメイクと服装で向かうこととなった。変に気合いを入れ過ぎるとバレるので、今思うと逆にこれでよかったなと思う。
 
電車で明治神宮前駅に着いたあと、地図通りに美容院を目指し歩いていたのだが、全然目的の場所が見つからなかった。Googleマップではもう到着したことになっていたので、矢印も動かなくなっていた。どうしたものかと思いながらあらためて住所を読み返すと、建物名が書かれていることに今更ながら気づいた。まさかと思いふと顔を上げると、目の前の小さなマンションの入り口にその建物名が書かれているではないか。昔ながらのいいフォントである。商業ビルというより、本当にただのマンションといった感じで、おそらく築何十年、入り口にはそこそこ年季の入った部屋ごとの銀色のポストがあった。看板などは外に一切出ていなかった。
 
建物の中に入ると、マンションのようではあるが、それぞれの一室が何かしらの小さなお店になっているようだった。そのため全体的に清潔感があり、なんだか心地いい小ぢんまりさもあって、これはいいぞと思った。
 
階段を上がり、目的の階に着いた。すると、ガラス張りの扉の向こうでお客さんにドライヤーをしている店長さんらしき男性の後ろ姿が見えた。白を基調とした実にシンプルな店内に、あとは見える限りはもう1席だけだった。2席しかないサロンなんて最高じゃないか。この手前の空いている席でやってもらうのかななどと思いながら、一呼吸を置き、私はいよいよ店内に入ることを決めた。手櫛で髪を軽く整え、シャツをピッと伸ばし、いざ美容院へ。その時である。
 


バンッ!!

 
ド派手な音と共に、先ほどまで背中をむけていた店長らしき男性がびっくりした様子でこちらを振り返った。

私はというと、額に走る鈍痛。そして込み上げる羞恥心。誤魔化すように咄嗟に笑顔を作るべく、顔じゅうの筋肉が動き出した。
 
そう、緊張のあまり扉を開けることを忘れ、そのままガラスに突撃してしまったのである。

鳩かよ。
 
せっかく素晴らしい場所に出会えたと思ったのに、ここなら私でも温かく出迎えてくれる気がするとさっきまでルンルンだったのに、まさかの自分からそれを崩しに行ってしまったのである。登場からこんな恥ずかしいことあるか。ああ、笑われる。絶対にまた笑われる。また「緊張してます?(笑)」って言われるんだ。私の東京美容院ライフは、結局いつだってそうなんだ。
 
と、自暴自棄になりかけていたのだが、そのお店は違った。「大丈夫ですか?」とまず真剣な眼差しで心配してくれただけでなく、それに対して「いやあ、ぼーっとしてたら、ぶつかっちゃって……ダハーッ!」と必死に照れ笑いする私を見ても、変に一緒に盛り上がって笑いすぎることもなく、「ありますよね〜」くらいの感じで、「お待ちしておりました」とスムーズにすぐに次の話題に持っていってくれたのである。もう、一番こちらが救われる対応である。もう本当にありがとう、ありがとう。大好き。愛してる。
 
そんな感じで席に通してもらい、担当してくださる女性の美容師さんと色々話しながら髪型を決めた。全体的なシルエットは変えず、重さだけ少し軽くして、前髪は目と眉毛の間くらいで。髪色はアッシュ系で明る過ぎず暗過ぎず……画像も準備していなければこんなにラフな注文の仕方だったにも関わらず、ファッションやメイクなど全体的な雰囲気から、なんとなくニュアンスを汲み取ってくださったようだった。笑顔の素敵な可愛らしい方だった。
 
ケープに腕を通すと、小さなテーブルの上にあるタブレットを指して、「それで雑誌なんでも読めるので、もしお好きなのとか気になるのあったら、読んでくださいね」と美容師さんが言ってくれた。なんということだ。ただの神か?
 
というのも、私は美容院で出される雑誌にもトラウマがあるのである。(「どすこいな日々」というエッセイ集の「東京美容院ライフ」という話にたっぷり書いてあるのは、まさにこのことである。簡単に言うと、周りの人はファッション誌だったのに、私だけなぜかメシの雑誌ばかり出されたことがあるという話だ)
 
美容院で出される雑誌というのは、その美容師さんが自分をどう見ているかというジャッジの目そのものでもある。なんの雑誌を出されるかによって、「ちょっと違うな」「わかってくれているな」「なんだと思っているんだ」など、こちらの感情も逐一変わってくる。しかしこの美容院においては、自分で選択するタイプだからその心配がいらない。しかもファッション誌だけでなく生活誌や趣味系の雑誌など様々なものが読み放題だった。私は迷わず寺島進さんが表紙の「散歩の達人」を選択した。数日後に深川の方へ行く予定があったのだが、ちょうどそのエリアの特集だったのである。こんな最高のタイミングで読めるなんて。やはりなんだ、ただの神か? 美容院だけに髪ってか。やかましいわ。
 
そんな感じで「散歩の達人」を読みながら、施術はどんどん進んで行った。ちょこちょこ美容師さんとお話もさせていただいたのだが、気張らず自然と話がどんどん進んで行く感じで、なんの緊張もせずにただただ楽しい時間を過ごすことができた。東京03さんは今でもデニーズでネタ作りしているらしいですよねとか、そんな話をした。
 
この人ならばとすっかり安心しきった私は、施術中ほとんど鏡を見なかった。大丈夫、大丈夫。こういう場合は大抵満足行く仕上がりになるのだ。もしそうじゃなかったとしても、この時間にありがとうのお金を払う意味がある。そう思った。
 
間もなく、「こんな感じでどうでしょう」と美容師さんが合図をくれた。鏡を見ると、まさにこんな感じにしたかったという髪色と、思っていた以上にいいシルエットのショートヘアの自分がそこにいた。「もう、まさにです。バッチリです!」私は脳を介さず反射的にそう返事をしていた。
 
お会計を済まし、普段は基本的にどんなお店でも滅多にしないのだが、きっとまた来るだろうと思い会員登録もしておいた。トラウマと赤っ恥だらけの東京美容院ライフだったが、私はこうして新たな居場所を無事見つけたのである。
 
帰り道、というか次の仕事場であるレコード会社へ向かいながら、私はある曲が無性に聴きたくなった。表参道と原宿の間を歩きながらそっと再生ボタンを押すと、優しいアコースティックギターの音色が耳に流れ込んできた。それではお聴きください。

福山雅治さんで、『東京にもあったんだ』

(完)