散歩の途中なんとなく入ったスーパーで、長芋が山積みになっていた。どうやら期間限定で青森物産展をやっていたらしい。
 
私は普段そんなに家で長芋は食べない。実家で頻繁に出てくる食べ物ではなかったからだ。自炊をするようになって気付いたのだが、私がスーパーで自然と手に取る野菜は、主に実家の野菜室のレギュラーメンバーたちだ。人参、玉ねぎ、キャベツ、白菜、しめじ、エノキ、レタス、水菜。この子たちさえいれば、あとは肉や魚や卵、調味料との組み合わせ次第で結構なレパートリーになる。和、洋、中、なんでもこいだ。
 
でもここ最近になって、もう少し冒険してみたい欲が出てきた。料理から季節や土地の風を感じたいと思うようになったからである。
 
我々ミュージシャンは、地方遠征が頻繁にある職業だ。その土地に行って、その土地の旬のものを食べる。それがどんなに素晴らしいことか、口の中に美味しさとともにどれだけの幸福が広がっていたか。ツアーやライブができなかったこの一年であらためて気付かされた。
 
今はまだ遠征や飲みに行ったりが自由にできない状況が続いているが、それを嘆き続けても仕方がない。だったら自分の生活の範囲内でできる楽しみを見つければいいじゃないか。そう思うようになってから、私は馴染みのない野菜なども手に取るようになった。
 
長芋というと、とろろのイメージが強い。スーパーで長芋の山を見かけた時も、これだけの量をぜんぶすりおろしたら野球のマウンドくらいは作れるんじゃないかと想像した。そんな感じでぼんやり長芋の前にぼーっと突っ立っていたら、物産展のおばちゃんが話しかけてくれた。
 
「長芋はね、すりおろすだけじゃないのよ。焼いても美味しいの。オリーブオイル薄くひいてね、8ミリくらいの厚さに切った長芋を並べて、焼き目がついてきたら醤油かけて、最後にバターひとかけ入れるの。お皿に盛ったら胡椒ふってもいいわね。これが私の好きな食べ方」
 
もう、そんなの聞いているだけで美味しいじゃないか。これをつまみにビールでも飲んでみろ。そこはもう居酒屋だ。このおばちゃんの家の食卓だ。
 
ありがたいことに値段もかなり手頃だったので、私は長芋を買って帰ることに決めた。おばちゃんがソテーにするならこれくらいのサイズのこれくらいの形のやつがいいよと選んでくれたので、それにした。
 
皮はどうするのかと聞くと、「皮はむいちゃダメよ、みんなむいちゃうけど、長芋は皮が美味しいの。食感もいいわよ。切る前に皮を洗う時は、小学生のズック洗う時のブラシあるでしょ。ああいうのとかでゴシゴシするの。そしたらちゃんときれいになるから」とのことだった。
 
すりおろしのイメージが強かったので、長芋=皮をむくものというイメージを勝手に持っていたが、むかなくても食べられるとは。手間もかからないし最高じゃないか。ズックを洗うブラシはキッチンにないなあとは思いつつ、どう洗うべきなのかはなんとなくわかったので、家に帰ったらやってみます、ありがとうございますと伝えて私はおばちゃんにバイバイをした。
 
夜、早速私は長芋のソテーを作った。おばちゃんに言われたとおりに作ったら、感動するほど美味しかった。バター醤油の香りが広がる長芋を噛むと、サクッとした表面と皮の食感がまず伝わってきて、中心の方に行くとホクッとしていて、また違う食感に出会えた。噛めば噛むほど口の中ではほどよい粘り気が出て、甘みもどんどん広がった。スッと鼻から抜ける胡椒の香りも最高だ。もうこれはとんでもないスーパールーキーがうちの冷蔵庫にやってきたな、と思った。この子ならレギュラーメンバーの野菜たちとも仲良くやっていけるだろう。
 
食べ終わったあと長芋のことについて軽く調べてみると、今はちょうど長芋の旬の時期ということだった。なんとなく芋の旬は秋だと思っていたが、長芋には春掘りと秋堀りがあるらしい。今が旬の春掘りの長芋は、冬を越しているので粘り気も強くコクがあり、より甘みもあるらしい。私の食べた長芋は、青森の長く寒い冬を越え、今日の日の美味しさを届けてくれたのだ。そう思うとなんだかとても愛しい気持ちになった。
 
旬のものはやはり美味しい。その背景を知るとなおのことだ。そしてさらに、その日おばちゃんに聞いた食べ方でその日のうちに食べたからこそより美味しく感じられたのだろう。長芋について熱弁するおばちゃんから受け取った熱量と愛情も旬のうちに、その気持ちも一緒に調理して、いただき、噛み締める。食べ方にも旬があるのだ。そんなことを思った4月の終わり。

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あと長芋の皮の黒い点からぴょろっと生えてるあのヒゲ、予想外にほくろから生えてきちゃった謎の毛みたいでなんかいいっすよね。生命力感じる。