小学校三年生の時、同じクラスに柴田くんという男の子がいた。柴田くんは、見た目も普通、テストの点数も普通、運動神経も普通の、何というか、ただの柴田くんだった。そんな「ただの柴田くん」が、突然「ガノフ柴田」になったのは、ある秋の日のことであった。


 私の通っていた小学校では、毎年紅葉が始まる頃に、校外学習の授業があった。時間割通りの毎日を送っていることに、特別退屈していたわけでもなかったが、やはり教室の外にクラス全員で出かけるというのは、浮き足立つものがあった。


 いつもはランドセルを背負っているそれぞれの背中に、様々な色のリュックサックが背負われている。私はそれを眺めるのが好きだった。普段はあまり喋らないあの子、意外とがっつりキャラクターものを選ぶんだなとか、クラスでサッカーが一番上手くていつもキラキラしているあいつ、ジャイアンツのキーホルダーをたくさんぶら下げているけど、本当は野球がやりたいのかなとか。みんなの持ち物から勝手にいろんなことを想像しては、ニヤニヤしていた。


 三年生の校外学習は、科学館だった。いくつかの班に分かれて見学を終えたあと、そのメンバーで、外の広場でピクニックのようにしてお弁当を食べるという決まりであった。班のメンバーは、先週のホームルームで、くじ引きで決めた。私のところは、学級委員の明子ちゃんと、後出しジャンケンが異常に上手いことで有名な中嶋くんと、ただの柴田くんとの四人だった。何をしたわけでもないのにお腹がペコペコだった私たちは、芝生の上に座ると、誰からともなくリュックサックからお弁当を取り出した。  


 明子ちゃんは、リュックサックもお弁当包みも、上品なチェック柄のもので揃えていた。真っ赤の小さな二段弁当の中身は、いわゆる理想のお弁当というものだった。白いご飯、たらこのふりかけ、タコさんウィンナー、ハート形の卵焼き、ブロッコリーの上には星型に切り抜かれたチーズ、そしてウサギのりんご。大事に大事にきちんと育てられているのが伝わってくる、ザ・優等生という感じだった。


 中嶋くんは、お兄さんからのおさがりだというプーマのリュックサックと、これまたおさがりだという、なんとかレンジャーのお弁当箱だった。よく見るとすべてのものに名前が書かれていて、どれもお兄さんの名前の上に大きくバッテンがしてあった。そしてその隣に、絶対にマッキーの「太」で書いたであろう、中嶋くんの名前があった。力を入れすぎてインクが滲んじゃっている感じが、負けず嫌いな中嶋くんらしいなあ、と思った。もしかして、後出しジャンケンが異常に上手いのも、お家でお兄さんとお菓子の奪い合いとかになった時に、なんとか勝つためにいろいろと研究した努力の結晶なのかもしれない。そう思うと、私は急に中嶋くんを応援したくなった。おう、たんと食え、たんと食え。今日はお兄さんに奪われることもないから、ゆっくり食べても大丈夫だぞ。そんなことを思いながら、シンプルな焼きそば弁当にがっつく中嶋くんを見ていた。でもよく見ていると、ちゃっかりしっかり、キャベツの芯だけは避けて食べていた。ガサツで何も考えていないように見えて、意外とそうでもない。おい中嶋、そういうとこだぞ。


 ちなみに私は、リュックサックもお弁当箱も、クマのプーさんだった。小学校一年生の時に、遠足セットとしイオンで売っていたものである。いつもはキャラクターものなんてどうせ飽きるからダメという母が、「プーさんならいいよ、プーさんは別腹」と言う謎の理論で買ってくれたのだった。お弁当箱を開けると、中身は予想通りの茶色いものたちだった。昨日の残り物の炊き込みご飯、ぶり大根にきんぴらごぼう、インゲンのゴマみそあえ。見事なアースカラーである。なのに、端っこにはパイナップルと苺が入っていた。理由は聞いていないが、母のことだから大体想像はできる。「なんかほら、プーさんぽいでしょ」絶対これである。ありがたいのだが、その日はぶり大根の汁がプーさんのところまで流れてきていたので、結構キツかった。食べたけど。


 柴田くんはというと、GAPの普通のリュックサックの中から、なんかまあとにかく普通の巾着袋を取り出して、サランラップで包まれたおにぎりを食べていた。やはり柴田くんは柴田くんだ。持ち物も、お弁当も、紛れもなくただの柴田くんなのである。でもそれには、不思議な安心感があった。今回の班のメンバーが決まった時も、柴田くんがいると知って私はとても安心した。明子ちゃんと中嶋くんのような水と油みたいな二人が揃っても、柴田くんさえいればなんとかなる、そんな気がしたのだ。そして実際、今日もそうなっている。


 みんなで科学館の感想を話しながらお弁当を食べていると、おにぎりを食べ終わった柴田くんが、おかずが入っていると思われるウルトラマンのタッパーを開けて、「またか」とため息交じりに呟いた。柴田くんがほんのちょっとでも感情を表に出すなんて、中嶋くんがまともにじゃんけんをするくらい珍しいことである。一体何が入っているというのだろうか、私と明子ちゃんと中嶋くんは、ウルトラマンのタッパーを覗き込んだ。するとそこには、ホワイトシチューのようなハッシュドビーフのような、見たことあるようなないような、でも確実に美味しそうな肉料理が入っていた。


 「柴田くん、これ何?」


と私たちが聞くと、そのよくわからないものを食べながら、柴田くんは普通の顔で、

 

……ガノフだよ」

 

と言った。はて、ガノフとは。聞いたこともない名前に、私と中嶋くん、そしてあの明子ちゃんまでもが、頭の上にはてなを浮かべていた。それでもなお柴田くんは普通の顔で、


 「ビーフストロガノフ。ロシア料理かな。なんでか知らないけど、お母さんが好きみたいなんだよね」


と続けた。ビーフはわかった。ストロガノフとは何なのか。とりあえず強そうだ。恐らく料理の名前なのだろうが、人の名前っぽくもあるし、地名っぽくもる。あるいは、ストロング・ガノフという必殺技を省略したようにも聞こえる。しかもロシアとは何事か。何回考えても、あの柴田くんの口から、そのガノフとやらが普通に発せられたことへの衝撃と違和感が強すぎて、私たちは何も言えなくなってしまった。なんなんだ、その余裕は。なんなんだ、「またか」って。


「ゆで卵。卵をゆでたものかな。なんでか知らないけど、板東英二が好きみたいなんだよね」


くらい当たり前の感じで、ガノフを語った柴田くん。心なしか、ものすごいオーラがあるように見えた。もはやそこにいるのは、今までのただの柴田くんではなかった。そう、ガノフ柴田だった。


 その翌日から、柴田くんはクラスのみんなから尊敬の眼差しを注がれると共に、「ガノフ柴田」と呼ばれるようになった。柴田くんはストロガノフ家の末裔であることを隠すために、あえて普通の「ただの柴田くん」を演じて、みんなに気を使ってくれていたなどという噂話も広まった。そのたびにガノフ柴田は、「そんなわけないよ、俺ただの柴田だよ」と、決していい気になるでもなく、ムッとすることもなく、これまでと何も変わることなく受け流していた。その感じがなんだか逆に神々しく見えたのか、数ヶ月後のバレンタインデーの日、学年でチョコレートを女子に一番たくさんもらったのは、ガノフ柴田だったらしい。


 あの時は、「ガノフ」の衝撃と、その後についた「ガノフ柴田」というニックネーム、みんなの空気に私も飲み込まれ、わけもわからずなんとなく、あいつはすごいやつだと言っていた。でも、今ならわかる。柴田くんは、すごいやつだ。


 大人になった今でも、たった一つの些細な出来事や、環境や状況の変化によって、周りの人の態度が急に変わることはたくさんある。そのたびに、なんとか自分は自分のままでいようとするのだが、たまについ流されてしまいそうになる。そんな時私は、いつも柴田くんのことを思い出す。


 「ただの」の時も、「ガノフ」の時も、柴田くんは「普通に柴田くん」だった。常に「普通に自分」でいることは、意外と大変で、難しいことだ。それを小学校三年生で普通にやっていた柴田くんは、やっぱりすごいやつだ。


 彼が今どこで何をしているのかは、風の噂でも聞いたことがない。でもきっと、柴田くんは普通に柴田くんなんだと思う。きっと今日もどこかで、ゆで卵でも食べるような顔をしながら、例のガノフでも食べているのだろう。


 ちなみに私は、まだガノフを食べたことがない。普通に生きているけど、食べる機会がないのだ。それを小学校三年生で飽きるほど食べていた柴田くん、やはりただ者ではない。ガノフ柴田、おそるべし。

 







……。





すみません!笑



ブログのネタがいまいち思いつかなかったので、気分転換にお話を書いてみました。完全にフィクションです。昨晩急に思い立って書いたのですが、なんでこんな話を思いついたのか、自分でもよくわかりません。ただ、頭にポッと「ガノフ柴田」っていう言葉が浮かんだから、せっかくなんで笑


でも、いやあこれはこれで、楽しいね。またブログのネタが切れたらこういうこともあるかもしれません!それでは〜〜