今日は成人の日である。毎年この時期、街中で素敵な振袖姿のお嬢さんたちや初々しいスーツ姿の青年たちを見かけると、自分が二十歳だった頃を思い出す。 

私は当時大学生で、特にまだ将来やりたいことが決まっているわけでもなく、とりたてて熱心に勉強に励むわけでもなく、かといって他に打ち込むものがあるわけでもなく、なんとなくで毎日を過ごしていた。(音楽の方も、主にサークルでコピバンをワイワイやるくらいだった)

そのせいか、二十歳の頃にあった出来事は、そんなに細かく覚えていない。というか、具体的なことなんてほとんど覚えていない。ただ流れに身を任せて、今日が楽しければ良いや、という感じで日々を過ごしていたんだと思う。でも、毎日楽しかった。

友達がいて、好きな人がいて、欲しい服があって、したいメイクがあった。将来それが役に立つのかとか、自分の人生にとって果たしてそんなに重要なものなのかとか、何も考えずにいられた。だから、毎日楽しかった。

その反面、私は家では反抗期をまだまだ爆発させていた。両親、特に母に対しては、何を言われても「私のことなんて何も知らないくせに」と思ってしまっていた。おはよう、いってらっしゃい、おかえり、おやすみ、そんな言葉に対してでさえもだ。ごめんなさいとありがとうなんて「言ったら負け」くらいにどこかで思っていた。ちっぽけなプライドを、自分でもよくわからないうちにナイフのように振り回していた。別に誰かを傷つけたいわけでも、守りたいものがあるわけでもないのに。

そんな中迎えた成人式の日、私も振袖を着た。たしか私は、前撮りとか成人式とか、めんどくさいしお金かかるし、着物なんて準備しなくて良いよ、と言った。すると母が、「あなたのために着てほしいとかは言わないけど、私のために着てほしい」と珍しく真剣な目をして言ったので、私は渋々着ることにした。でも、その着物を母が見せてくれた瞬間、「わあ、綺麗」と思わず声が出た。

決して奇抜じゃないけれど誰とも似ていない、何十年も前のものだけれどまったく古くない、心から素敵だと思えるものだった。可愛くて、でもたしかに凛とした強さみたいなものも感じた。それは、かつて祖母が母に買ってあげたものだった。母が自分の成人式の時に着たものだった。

着付け会場に着物を持って行くと、スタッフのお姉さんがすごく褒めてくれた。本当に素敵なお着物ですね、と。もしかしたら優しさでみんなに言っていたのかもしれないが、それでも嬉しかった。自分を褒められたからというより、自分の母や祖母が褒められているような気分になって、嬉しかったのだ。でもそんなことを素直に母に報告できるわけないので、私はお姉さんに「ありがとうございます」と言うことしかできなかった。なんでお姉さんには言えるのに母には言えないんだろう、と思った。

そんなことを考えているうちに、されるがままにしていたら、着付けが完了していた。はじめて着た振袖は、想像よりもはるかにずっしりしていた。深呼吸をしたら、これまでの色んなことが頭の中を駆け巡った。

一人の人間をここまで育てるって、どれほどのことだったのだろうか。一緒に笑って、泣いて、怒って、ひどいことも言われて、都合の良い時だけ甘えて来たりもして、それでも投げ出さないで育ててくれた、親の二十年。自分のことをたくさん犠牲にしてきたであろう二十年。振袖を着てはじめてわかった、たしかな重みだった。

あの時の感覚は、それからもいろんな節目で思い出した。大学を卒業する時、音楽の道に行くと決めた時、一人暮らしをはじめた時。そしてきっとこれからも、度々思い出すのだろう。

あれから八年が過ぎた昨日、私は両親とごはんを食べに行った。真面目な話も少ししたが、基本的にはどうでもいい話をたくさんした。別れ際に、当たり前のように「ありがとね、またね!」と言った。二十八歳になった今、何の恥ずかしげもなくその言葉が言えるようになったのは、ひょっとしたらあの時の振袖のおかげかもしれない。


新成人の皆様、ご成人おめでとうございます!これからの日々が、皆様にとってより素晴らしいものになりますように。

最後に、私からは偉そうなことは何も言えないので、身をもって感じていることをひとつだけ。


_var_mobile_Media_DCIM_127APPLE_IMG_7609.JPG


これマジだから。

八年経ってもあんまり生えてないから。