どうやら、見られていたようなのである。

私の家の近所のスーパーでは、キャベツや玉ねぎなど、外側の捨てる部分が多い野菜の売場の横には、大きめのゴミ箱が設置されている。レジに持っていく前に、いらない部分はここで捨てて行って良いですよ、というものである。特に玉ねぎの皮なんかは、気づくとポロポロとはがれ落ちてきて、エコバッグの中を汚すこともしばしばなので、このゴミ箱にはかなり助けられている。

そして私は、この大きめのゴミ箱を目の前に、無心で玉ねぎの皮をむくのが大好きなのである。

店のテーマソングや子供達の声、特売のアナウンスや試食の呼びかけなど、スーパーの中では意外とたくさんの音が飛び交っている。ハーモニーという言葉とはほど遠い、豪速球でそれぞれの音が混じり合うというかぶつかり合うその感じが、案外心地よかったりする。そして、こういった状況の中で何かに夢中になれると、時にトランス状態になれる。クラブで、酒を飲みながら爆音で音楽を聴くとトランス状態になれると聞いたことがあるが、そんなことよりも低予算、低エネルギーでできる方法があるので、是非お勧めしたい。

やり方は簡単である。ただひたすら……玉ねぎの皮をむく。

考え事や悩み事、あらゆることを忘れて、視線と指先と全神経を集中させて……そう、玉ねぎの皮をむく。

たまにふと目を閉じてみる。はじめてレゴブロックを手にした時のことを思い出す。完成形はたしかに描けているのだが、実際にできあがるまではわからない。拭いきれない不安と、予想外の展開への淡い期待を抱きながら……そう、玉ねぎの皮をむく。

そして、その美しい葱肌(なにそれ)に巡り会えたその時、私は心の中でこう呟くのである。



嗚呼……


自由だ……



と。(なにそれ)



皮が綺麗にむけ、濁りのない光をたたえた玉ねぎの姿は実に神々しい。あの絶妙な丸みからは、母性さえも感じる。すべてを肯定し、どうしようもない私の明日を照らしてくれている気さえしてくる。すると心が叫び出す。嗚呼、自由だ……自由だ……!!!(なにそれ)(思想)



とまあさすがに話を盛りすぎたが、何にせよ、スーパーというひらけた場所にいながら孤独になれる、無心になれるあの場所と時間がたまらなく好きなのである。(ちなみに同じような理論でスクランブル交差点を渡るのも結構好き)

しかし問題はそう、この「ひらけた場所」という点である。

外界をシャットアウトして玉ねぎと向き合っていると、周りに人がいるということをつい忘れてしまう。そしてもしかしたら、その中に、自分のことを知ってくれている人がいるかもしれないということも。

少し前、最寄駅で声をかけてくれた人がいた。よく私の曲を聴いてくれているのだそうだ。仕事でつらいとき、元気をもらいましたと言ってくれた。涙が出そうになった。

しかしそんな良い話のあとに、気になっていることがあるのですが、とこんなことを切り出された。


「関取さんよく、スーパーでものすごい顔しながら玉ねぎの皮むいてますよね」


はずかしい


「あんなに必死で玉ねぎの皮むいてる人はじめて見て」


やめて


「とても話しかけられるような雰囲気じゃなかったんで」



わかったから


「ずっと遠くから見てました」


それ以上言わないで


「なんていうか」


なんや


「がんばってください」





"がんばってください"(エコー)




はずかしい


つらい









でも、ありがとうございます!


がんばります。



そうなんです、私が無心になれるのは、玉ねぎの皮をむいている時と、音楽をやっている時くらいなんです。

ということで、


6月13日にアルバムが出ます。



ぜひ聴いてやってください。



あと、もし私が玉ねぎの皮をむいているところを見かけたら、どうか思い切って話しかけてやってください。