電車の吊り広告を見るのが好きなのである。

天気の良い日に電車に乗っていると、窓から差し込む光に思わずうっとりしてしまうことがある。ああ、なんだか爽やかなCMのワンシーンにありそうだな、と思ったりする。アイロンがビシッとかかったシャツを着たサラリーマンの方を見かけては、しっかりした奥様がいらっしゃるんだろうな、とその家庭を想像し、窓の外を覗き込む小学生を見ては、その子の明るい未来を勝手に思い描いてみたりする。

そんな時に、吊り広告がふと目に入ると、途端に現実に引き戻される。先ほどまで何事に対しても優しくなりかけていた自分の思想や視点が、ぐるりと元に戻って行く。

女性誌やゴシップ系の週刊誌(文字多めのもの、週刊文春など)も好きなのだが、私が愛してやまないのは、グラビア系の週刊誌の吊り広告である。

なぜかというと、グラビア系の週刊誌は、普段絶対に読まないからである。さすがにコンビニで一人、プレイボーイのグラビアをガン見しながら立ち読みする勇気はないし、かといって買うのもな、と思う。やはりなんだかんだ言っても私はただの女子なので、わざわざ買って、自宅で美しい女体の写真を眺めても、なんというか、何もスッキリはしない。

だから、吊り広告がちょうど良いのである。おっ、あのアイドルの子って水着になると意外とグラマラスなのね、とか、あら、この子最近ドラマでよく見るけど、本業はグラビアアイドルだったのね、とか、それくらいの感じで見るのが良いのである。限られた電車の乗車時間との相性も、抜群である。

そんな感じなので、決してグラビアに詳しいわけでもなんでもないのだが、なんとなく、そうやって吊り広告なんかでたまに見ていると、やはり最近のグラビアのトレンドは、清純そうな色の白い女の子なのかな、と思ったりする。胸がバーン!という感じではなく、本当に、浅瀬で麦わら帽子をかぶりながら、キャッキャとはしゃいでいそうな感じとでも言おうか。風に吹かれながら振り向きざまに見せるキュートな笑顔、みたいな写真をよく見かける。

しかし個人的には、そういった小動物系の女の子の可愛いグラビアよりも、挑発的なエロいお姉さんのグラビアが好きなのである。

小学生の頃、電車に乗っていた時に、プレイボーイか何かの吊り広告を見た。その当時は、井上和香さんとか、小池栄子さんとか、佐藤江梨子さんとか、MEGUMIさんとか、いわゆるイエローキャブ系のお姉様たちが、グラビア界の先頭を走っていた時期だった。そういったお姉様たちのグラビアは決まって、笑顔というよりは、常に「かかってきなさいよ」とでも言ってきそうな目つきをしていた。シンプルな単色の水着なのに、鎧のように見えた。一筋縄では行かない、たくましく、肝の座った女戦士のように見えた。なんだかかっこいいな、と純粋に思ったのを、今でも覚えている。

いろいろと表現の仕方はあると思うのだが、幼心に、これはエロい、と思った。辞書的な意味は置いといて、あくまでも私の中の勝手なイメージだが、性的な意味というよりかは、生き様から来る色気、みたいなものを物凄く感じたのだ。

あの当時、電車に乗っていた小学生男子たちは、こぞってそんなグラビアの吊り広告を見上げていた。その表情に台詞をつけるとしたら、間違いなく「スゲェ」だっただろう。その「スゲェ」には男子としていろんな意味が込められていたとは思うが、でも、やはり何か圧倒されるものがあったのは間違いないはずである。

もし今の時代に、あのお姉様たちのグラビアが載った吊り広告がぶら下がっていたら、どうなんだろうか。今は、何かにつけてウルサイことを言う人がいるだろうから、「子供も乗る電車に、こんな広告いけません!」とか苦情が来たりするんだろうか。というか、そんな時代になってしまったから、グラビアの流行も、エロいお姉様たちからキュートなアイドル系の女の子にシフトして行ったのだろうか。だとしたら、なんだか寂しいなあ。

当たり障りのない柔らかい雰囲気も大切だとは思うが、攻撃的で挑発的な雰囲気も、絶対に忘れてはならないな、と思う。それはグラビアに限らず、全てにおいて言えるだろう。「優しくなりすぎない」という美学は、何事に対しても、忘れずに持っていたい。

なんだかそれっぽい感じでまとめてみたが、これはただの吊り広告の話で、さらに、要約すると、私はエロいお姉さんのグラビアが好きだというだけの話である。それをよくもまあこんなに長々と。自分で自分にいささか呆れる。


……いや、今すごく暇なんですよ。新幹線って乗っている時間も長いし、 あとほら、吊り広告もないし。