「大人の紅茶」という商品をご存知だろうか。

コンビニなどで売っている、1リットルの紙パックの紅茶である。普段家では基本的に水しか飲まない私だが、あれが無性に飲みたくなる時があるのだ。

私の家の近くには数軒コンビニがあるのだが、この「大人の紅茶」を扱っているところは一軒だけである。家からは徒歩15分ほどかかり、決して近いとは言えない距離だが、これが飲みたい時に限っては、出不精の私も何かに取り憑かれたかのような大股で、思わず早歩きをしてそのコンビニへ向かってしまう。

遡ること約一年前、その日はスタジオで個人練習をし、なんだかたくさん歌って気分が良かったので、重いギターを背負ったまま私はそのコンビニに向かった。目的は勿論「大人の紅茶」である。

自動ドアが開くと同時に、私は一目散に紙パックの並ぶ冷蔵棚へと向かった。なんの迷いもなく大好きなアップル味を手にし、レジに並んだ。実に無駄のない動きだ。家に帰ったら、お笑いのDVDを見ながらこいつをストローでチューチューするのだ。ちょうどDVD一枚が見終わるくらいのタイミングで飲み干せるはずだ。そのあとは、心地の良いお腹のチャプチャプ感と共に、そのままベッドにごろ寝でもしようか。

そんなことを考えているうちに、レジは私の番になった。

「いらっしゃいませぇ。」

と、白髪混じりの店長さんが言う。商品を差し出す私。しかし、一向にピッとやってくれる気配がない。店長さんは、紙パックをじっと見つめている。

「…大人の、紅茶。大人の、ね。」

そう呟くと、私の顔を見て、店長さんはこう続けた。

「君にはまだ、大人の紅茶は早い!」

一瞬何が起きたかよくわからなかったのだが、店長さんが満面の笑みでそう言ってきたので、私も思わず、

「やっぱり?そうですよねぇ!」

と答えてしまった。

「まぁ、今日は良いだろう、部活?楽器頑張ってるんだねぇ。」

なるほど、確かに私は身長も低いし、そう思われても仕方がない。しかし、嘘はいけない。

「あ、いや、もう学生ではないんです。意外と、大人なんですよ。」

一応弁明してみたが、

「嘘だね!!」

と自信満々に返されてしまった。

正直もうどうしていいかわからないのと、後ろに他のお客さんが並んでいるのもあって、

「嘘です!学生です!でも大人になりたいからこれ下さい!」

と咄嗟に嘘をついて、急いでお会計をしてもらった。

なんだったんだろう……と思いながら、その日は家に帰った。とりあえず、悪気があるとかそういう感じではなかったし、単純に冗談が好きなおじさんなんだろうと思うことにした。

そして数ヶ月後、また無性に「大人の紅茶」を飲みたくなってしまったので、私はそのコンビニに向かった。店長さんは私のことをなんとなく覚えてくれていたらしく、また声をかけてくれた。

「だから、君にはまだ早いよ、部活は順調?それより、今日は平日の昼間なのに学校サボってるだろ!」

正直、ちょっとめんどくさいなあと思ってしまった。とにかく早く帰りたい。早く「大人の紅茶」が飲みたい。

「はい、おかげさまで順調です!今日はテスト休みなんです!」

私はまた、小さな嘘をついてしまった。べつに誰に迷惑をかけるわけでもないし、これくらい良いだろう、と。

そんなことが、数ヶ月おきに、何度か続いた。
自分ではない自分を作り上げて話をするのは、正直楽しかった。学生時代に戻ったような気分になったし、少しずつ店長さんとも距離が縮まっているような気がして、嬉しかった。どのタイミングで本当のことを言おうか。いつか、この店長さんがうっかりテレビなんかつけた時に、私が歌っているのを見かけてびっくりしてくれたらいいなぁ、そんなことを考えたりもした。そしていつか、「そういえば君、学生じゃなかったんだな!テレビで見たぞ!」なんて言ってくれたりしたら、なんだか嬉しいなぁと想像してみたりもした。

先日、どうしようもなく「大人の紅茶」が飲みたくなったので、かなり久々にそのコンビニへ行った。自動ドアが開くと同時に、私は無意識に店長さんを探していた。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。よく見ると、ところどころ店内のレイアウトも変わっているではないか。それまではなかった手書きポップなんかもあったりして、なんだか少し印象が変わった感じがした。

レジに並ぶと、ずっと変わらずそこで働いているお兄さんが接客をしてくれた。 

「少し、お店の印象変わりましたね。」

と言うと、

「あぁ、実は店長が変わったんスよ!」

とのことだった。

「あぁ、なるほど……」

とぼんやり呟きながら、私は「大人の紅茶」を難なく購入した。

その帰り道、私はモヤモヤしていた。あの店長さんがいなくなって寂しいというのはもちろん、結局わたしは嘘をついたままだったなあと思ったのだ。いつか本当のことを言えばいいじゃないか、そう思っていたのだが、それももう叶わない。どんなに小さなことだったとしても、嘘が嘘で終わってしまったことに変わりはないのだ。そして、きっとこれだけに限らず、いつか、いつか、と思っているうちに、結局小さな嘘をついたままやり過ごしてしまっていることがたくさんあるんだなあ、と思った。

もちろん、大それた嘘をついたりはしていないし、ごく個人的な範囲ではある。元気じゃないのに元気なフリをしたり、気にしているのに気にしていないフリをしたり、自我よりも今自分に求められていることは何なのかということばかりを気にしてしまったり。たしかに全部必要なことだし、一つ一つは小さなことだし、ちゃんと頑張っていればいつかわかってもらえるとか、いつか笑い話にして話してやる、と思ってのことだが、それでもやっぱり、日に日に、少し息苦しいな、と思うことが増えているのも事実である。

そんなことを考えているうちに家に着き、私はいつものように「大人の紅茶」を飲みながらお笑いのDVDを見ることにした。もう何回も見たコントだ、次にどんなセリフが来るのかも、どんなオチなのかもわかっている。でも、だから良いのだ。脳を介さないで、酒の力を借りないで、ただカラカラと笑いたい時があるのだ。そんな時は、これが一番良いのだ。

そうこうしている間に、あっという間にDVDも「大人の紅茶」も終わってしまった。真っ暗な部屋で、煌々と灯るパソコンの画面をぼーっと眺めていたら、無理矢理に満たしたお腹が、不気味にチャプチャプと音を立てた。いつかこの虚しいチャプチャプに溺れてしまうんじゃないか、と思うと、なんだか少し怖くなった。 

26歳、「大人」に溺れないで、きちんと大人になって行かねばならない。そんなことを思う、今日この頃である。