私は今、東京へ向かう新幹線の中にいる。

昨日、今日は東北キャンペーンだった。わずか二日間しか滞在できなかったが、東北の空気はとても澄んでいる気がした。キャンペーン中に出会った方々の素晴らしい人柄のイメージが重なったせいもあるかもしれないが、確かにそう感じたのだった。そして、あれ、東京はどんな空気だったかなと考えた。漠然と頭の中にはあるのだが、それを表す良い言葉がすぐに思い浮かばない。人が多いとか、うるさいとか、そういったことは言えるのだが、「空気」となると、少し難しいのだ。皆さんなら何を思い浮かべるだろうか。

私はすぐに、渋谷のハチ公前が思い浮かんだ。更に言うと、ハチ公横の喫煙所の前を通り過ぎた時の空気である。

ハチ公横の喫煙所には、いつもたくさんの人がいる。一人でタバコを吸っている人もいれば、複数人で談笑しながら吸っている人もいる。喫煙所の前を通り過ぎると、タバコの匂いがもわっと漂ってくる。しかし、それも人混みに紛れてすぐに消えてしまう。タバコの匂いと濁った雑踏の匂いが混ざったあの空気こそ、私の思い浮かべる東京の空気なのである。

先日、ハチ公横の喫煙所で、ヤンチャそうなお兄さんが電子タバコを吸っているところを見かけた。男は黙ってタバコだろ、と言わんばかりの、いかにもイカツイタバコを好みそうなルックスなのに、きちんと喫煙所で、しかも電子タバコを吸っているその姿には、違和感を感じた。健康上の理由なのかもしれないが、なんとなくそのお兄さんには、タバコを吸っていて欲しかった。

私は、タバコを吸ったことがない。くわえたことさえない。歌を歌っていく限り、今のところはこの先も吸うつもりはない。だから、タバコのことは本当に何も知らない。でも、だからこそタバコには興味がある。というか、少し幻想を抱いている部分さえある。

学生の頃仲の良かった女の子の友達は、タバコを吸っていた。田舎から出てきたちょっとギャルっぽい子で、下ネタしか話さないし、危なっかしいことするしで最後の最後までよくわからないところもたくさんあったが、それでも私は彼女がとても好きだった。

彼女の家には何度か遊びに行ったことがある。ハート型の、安っぽい無駄にでかい灰皿がベランダにあったのを今でも覚えている。彼女は綺麗好きだったので、部屋の中ではタバコは吸わなかった。吸う時は、窓を半分だけ開けて、身体を半分だけ外に出して吸うのだった。どこともつかないどこかをぼんやり見ながら、フーッと煙を吐き出すその姿が、私は好きだった。

大人に言わせれば、ただ粋がっているだけなのかもしれないが、タバコを吸う時の彼女の横顔は、なんだか寂しそうで、虚しそうで、からっぽで、ちょっと色っぽかった。喫茶店や外で吸うところは何度も見ているはずなのに、部屋で吸う時の彼女は、やっぱり少し特別だった。
 
窓の外、ベランダの宙に浮くタバコの先は、蛍みたいだった。窓の外の真っ暗闇の中で、そいつは赤く光る。少しずつ弱々しくなって、小さくなって、そして灰になる。それがなんだか、普段は強がっている彼女の見せる弱さと重なる気がした。強がりなんて、長くは続かないものなのだ。少しずつ疲れて、いつかは誰かに弱さを晒して、きっといつか消えてしまうのだ。でも、それはなんとも言えず美しかったりもするのだ。今思えば、強がりの彼女が、自分を強く見せるために吸っているタバコの中に、私は彼女の弱さを見つけたような気がして、なんだか勝手に安心していたのかもしれない。

彼女は私と同い年なので、もうすっかり社会人である。社会人になってからは会っていないが、SNSで見る限り元気そうだ。パーティをしたり、美味しいものを食べたり、好きな服を買ったりして、どうやら充実した毎日を送っているようである。写真の中の彼女は、いつだって満たされた顔で笑っている。表情も、柔らかくなった。そんな彼女の写真を見ながら、私はたまに考える。

彼女、今でもタバコを吸っているのだろうか。ひとりぼっちの夜には蛍を宙に浮かべたりするのだろうか。

私はやっぱり何も知らない。タバコのことも、彼女のことも。

ちょっと飲みに行こうぜ、と言ってサクッと会えばそんなことすぐにわかることなのだが、なんだか知らないままでいたい自分もいる。本当に勝手な話なのだが、今でもやっぱり強がっていて欲しいのだ。強がっている姿の中に、弱さを見つけたいのだ。勝手に安心したいだけなのかもしれない。でも、東京の街の入り組んだ空気は、そうやって出来ていると思うのだ。それが東京の空気の嫌いなところで、好きなところなのだ。

新幹線は間も無く大宮に到着する。一眠りして、眼が覚める頃には、東京だ。 

東京は、今日もたくさんの人だろう。私はあいにく荷物も多い。それでも、電車に乗ったら、ゆっくり窓の外を眺めて帰ろうと思う。あの子がどこかで蛍を浮かべているかもしれない。