私は今日、赤坂でランチをした。
野暮用があり、ちょうど青山~赤坂エリアにいた私は、せっかくだから「昼飯」ではなく、「ランチ」がしたい、そう思ったのである。

赤坂と言えば、TBSや赤坂BLITSは勿論のこと、イケイケな有名起業のオフィスが連なる、高級ビジネス街である。ちょうど私がランチを食べようと思ってぷらぷらしていたお昼の13時頃は、会社の昼休みと時間が重なってしまったらしく、道行く人はネームプレ―トを首からぶら下げた小綺麗な方々ばかりだった。信号を待っていると、ふんわりとしたブラウスにタイトな膝丈スカートのお姉さんと、パリッとしたシャツにピカピカの革靴のお兄さんが、コーヒーを片手にお仕事の話をしていた。

「クライアントの都合で、フィックスし直さなきゃいけなくなっちゃって…」
「それ、ちゃんと上には伝えたの?」

私が普段聞きもしないような言葉達を、二人は変幻自在に操っていた。なんだかとても格好良かった。日差しが二人の白いブラウスとシャツを照らしていたこともあってか、神々しくさえ見えた。

その横にいる私はと言えば、赤と白のボーダーTシャツに(もう三年以上着ている)、ダボっとした黒いパンツ(自分で裾上げしたのでだいぶ縫い目が荒い)、足下は白いスニーカー(古着)、かばんは例に寄ってペラッペラのエコバッグ(どっかのお店のノベルティ)という姿であった。周りを見渡すと明らかに自分だけこの街から浮いているのがわかった。次第に、妙な情けなさと恥ずかしさに襲われた私は、青信号になると同時に、逃げるように歩道を渡った。
ほんの数分前まで、「今日は天気も良いし、テラス席で一人ゆっくりランチなんてのもいいわね…」などと、幸せなランチタイムを想像し、うきうきしていたというのに。歩道を渡りきる頃には、「とにかく自分がいても浮かない店はないか」、そのことばかり考えていた。



少し歩いていると、見慣れた看板が現れた。実にシンプルなデザインだが、そのオレンジ色はとてもフレンドリーな雰囲気を醸し出していた。「うちはいつだって誰でもウェルカムっすよ」そう言ってくれている気がした。
やっと見つけた安息の地。




そう、はなまるうどんである。




店内に入ると、やはりそれなりに混んでいた。
しかし、先ほどの信号のところにいた二人組のような客は一人もいなかった。そこのはなまるうどんは全席カウンター形式のため、皆壁か仕切りに向かって座っている一人客ばかりだった。店内には、店員さんの威勢の良い声と、うどんをすする音だけが響き渡っていた。ここなら何も気にせずランチを楽しめる。もはや当初想像していたランチとは違うかもしれないが、これでいいのだ。チェーンだろうがうどんだろうがランチはランチである。だってここ赤坂だし。


久しぶりのはなまるうどんにはテンションが上がった。高校生の頃、放課後によく友達と行ったものである。何を注文しようか迷ったが、もう24歳になったし、少し贅沢してもいいだろうということで、温たまぶっかけに鶏天というチョイスに落ち着いた。ご自由にどうぞの揚げ玉としょうがもたっぷり乗せれば、見た目にも鮮やかな、あの頃よりちょっと贅沢なはなまるうどんになった。久しぶりに食べるはなまるうどんはもちろん美味しかった。私は黙々とうどんをすすった。器はあっという間に空になった。


食後に水を飲みながら、ふとまわりを見渡してみた。すると、皆、うどんをすすっている最中は下を向いているが、そのすすったうどんをもぐもぐしている間は、どこでもないどこかをぼんやり見ている人が多いことに気がついた。もちろん、中にはスマホをいじりながらうどんを食べている人もいる。しかし、ほとんどの人が、目の前の壁や仕切りをぼんやり見つめながら、うどんをもぐもぐしていた。いや、よくある光景なのである。何もおかしなことはない。一人でご飯を食べに行くということは、そういうことなのだ。

今でこそ、その光景を当たり前だと思うことができるが、ほんの一年前まで、私はこの光景に違和感を覚えていた。一年前まで実家で暮らしていた私は、基本的には家に帰ってご飯を食べていた。家では家族の誰かがそこにいたし、もしいなくてもテレビがあった。たまに外で食べるときには、必ず友達などと一緒だったので、目の前には必ず誰かの姿があった。その頃、どうしてもお腹が空いて、一人で店に寄ってご飯を食べた時、非常に困惑したのをよく覚えている。




「どこを見て食べれば良いのだろう」




実にちっぽけでくだらないことだし、食事中なんだから何も考えないで、ご飯のことだけ考えればいいんじゃないかと思われるかもしれないが、果たして本当にそうだろうか。片手にどんぶりを持って、片手にお箸を持って、もぐもぐしているときは、当然ながら両手は塞がっていて、本も読めないし、スマホもいじれない。テレビもないし、会話をする人もいない。誰かを観察する?いやいや、そんなのただの変なやつじゃないか。いやはやどうすれば良いのか、全くもってわからなかった。結局いてもたってもいられなくなって、ひたすら下を向いてご飯を食べた。ゆっくりと一人で外食をして帰るつもりが、そわそわして、結果いつもより急いで食べて帰るはめになった。
しかし今日の私は違った。当たり前のようにぼんやりと、目の前の仕切りを見つめたり、どことも言えない店の空間を眺めたりしながら、うどんを食べ終えていた。そして食後、あらためて色んなことを考えた。

一人暮らしをはじめてから、そろそろ一年が経つ。きっと、知らない間に、一人でいることに慣れてきているのだと思った。私の部屋にはテレビがないし、ご飯を食べながら音楽をかけたりもしない。両手がふさがっているので、勿論本も読めないし、スマホもいじれない。だけど毎日、何の違和感もなく、ぼんやりしながらご飯を食べている。特につまらないと感じたこともなければ、むなしいと思ったことも、今のところはない。
しかし、これからそういう時期がくるのかもしれない。家の中でご飯を食べながら、どこを見ていいかわからなくなって、むなしくなる時期も、いつかくるのだと思う。

大学生の頃、一人暮らしをしているある友人の家に、よく泊まりに行っていた。その子は一度アメリカの大学を卒業してから日本の大学に入学してきていたので、親元を離れてから随分と経っていた。頭も良くてアクティブで、楽器も上手だった。ちなみに声の低さや顔立ちがMEGUMIによく似ていた。
特に大学一年生の夏休みは、ほとんどその子の家に泊まっていた。今考えると、一日中ごろごろして、何をするでもなくそこに居座っていた私は、本当にただのしゃべるぬいぐるみみたいなものだったと思う。だけど、その子はいつも「別に全然ええよ」と言ってくれていた。絶対に迷惑なことだってあったはずなのに。

一度、その子に聞いたことがある。
「自分で居座っといてあれなんだけど、どうして毎日他人が家にいて平気なの?」と。(今考えると非常に非常識な自己中そのものである)

その時彼女は、
「え、だって一人でご飯食べたりするのむなしいやん」と答えたのだった。

私は「そっかぁ」とは言ったものの、その意味がよくわかっていなかった。ずっと誰かがいるより、一人の方が気楽でうらやましいのになぁ、と思っていた。今ならほんのちょっとだけ、その言葉の意味がわかるような気がする。



そんな彼女は、年内に結婚するという。
これからは、一人でご飯を食べてむなしいと思うことなんてなくなるのだろう。

こんな言方をしたら大変失礼だが、そこそこの友人というか、同級生が結婚するということは今まであっても、本当の本当の友達が結婚するというのは、彼女がはじめてである。正直、花嫁姿を想像しただけで涙が出そうになる。心の底からめでたいと思う。

今日の私は、彼女の着るであろうしなやかな純白ドレスと、真っ白く伸びるうどんを、知らず知らずのうちに重ね合わせていたのかもしれない。…いや、それは真っ赤な嘘で、今こじつけただけである。しかも全然うまいこと言えていない。失敬。




そして私は、ゆっくり時間をかけて食後の水を飲み終え、はなまるうどんを後にした。
店の外に出ると、お昼休みから会社に戻る人達が早歩きで歩いていた。真っ昼間の日差しは、5月とはいえ熱く、とても眩しかった。良い天気だなぁ、と思った。彼女のことを考えて、柄にもなく空を見上げて歩いてみた。早歩きの人々を横目に、ゆっくりと、一歩一歩、踏みしめるように。





踏みしめるように。




踏みしめるように。










踏み…





あ…







気づくと、踏みしめていた。













…犬の糞である。










なぜ高級ビジネス街に犬の糞が落ちていたのか。そしてなぜ私はそれを引き当てたのか。もうわけがわからない。しかも冒頭の方で述べた今日の私のファッションを思い出して欲しい。白いスニーカーである。白だぞ、白。









「それまで、はなまるな一日だったのに!!」

















ほんの一瞬、うまいこと言えたかな、と思ったんですけどね、全然でしたね。
今日はもうおとなしく寝ます。