「痩せたい」そう切に願って幾日かが過ぎた。きちんと自炊をし、炭水化物や間食を減らしたりしているおかげか、少し身体が軽くなったような気がする。しかしそうは言っても理想にはまだほど遠く、手が届きそうにない。年内に木村カエラさんみたいに細くなると誓った私は、10月になった今でも何も変わらず安定のレゴ体型である。しかし今は、とにかく焦らず根気よく続けることが大切だ。継続は力なり、それを身をもって証明してくれた人物が、私の家族にいる。そう、兄である。

ラジオやライブのMCで頻繁にネタとして登場する母とは違い、私は兄の話はほとんどしたことがない。本当にクソがつくほど真面目で、話のネタにするような人物ではないからである。まぁだいぶ変わった人ではあるが、私にはないものを沢山持っている、良い兄である。

兄は毎日筋トレをしている。腹筋、スクワット、腕立て伏せなど、無理のない範囲で、私の見た限りでは毎日欠かすこと無く続けている。記憶を辿ればドイツに住んでいる頃からやっているはずだから、なんだかんだ、20年間続けていることになる。よく噛んで食べるし、間食もほとんどしない。酒も飲まないし、夜22時以降は食事を控える。見た目は全身を無印良品とユニクロでかためた、いわゆるよくいる眼鏡の青年であるが、多分意外と細マッチョだと思う。

兄は頭が良い。昔から真面目で、勉強もよくできた。でも、決してガリ勉ではなかった。受験の時も、試験の時も、徹夜をして勉強したりするところはあまり見たことがない。かと言って毎日予習復習をするようなタイプでもないので、多分授業を真面目に受けていただけだと思う。早弁、昼休みのアイス、先生にバレずに寝る方法、それから男子のアキレス腱についてしか考えていなかった私とは大違いである。
私はいつも、勉強でわからないことがあると兄に質問しに行った。学校の先生よりも、塾の先生よりも、父よりも、兄が教えてくれるのがダントツでわかりやすかった。嫌な顔も特にせず、サラッと教えてくれた。教えるというより、伝えるという感じだった。

そういえば、兄は文章を書くのも上手かった。そのことで少し思い出すことがある。というか異常に鮮明に覚えていることがある。

私が小学校一年生、兄が小学校三年生くらいの夏休み、私たち家族は母の実家に帰省していた。その頃まわりのみんなはたまごっちやゲームボーイに興じていたが、うちの兄妹は非常にアナログな遊び方をしていた。広告の裏に絵を描いたり、瓶の蓋でてんとうむしのバッジを作ったり、家中の洗濯バサミをつなげて襟足につけて「ロン毛だ!!」とか言ってみたり、テーブルの上をステージに見立てて森高千里を熱唱したり。それから、小説も書いた。祖父の書斎から引っ張り出して来た古びた原稿用紙に、それぞれ小説を書いた。その時兄が書いた話は、今でも覚えている。タイトルは、「泣いたライオン」だ。

見た目が怖いというだけで皆に嫌われているライオンと、そのたった一匹の親友のうさぎの話だったと思う。最後はうさぎが病気で死んでしまって、ライオンも悲しみに暮れて泣きながら死んでしまう。その姿を見て、皆はやっとライオンの優しさに気付くのだった、という流れである。今の年齢で考えれば少しありきたりな話なのかもしれないが、当時まだ8、9歳の子どもが書くにしてはできすぎているほどしっかりした小説だった。

ちなみに私が書いた小説のタイトルは、


「死んだウサギ」



であった。そう、

ただのパクリである。



小説の審査員は母だった。母は絵本や児童書が大好きなので、ニコニコしながら私たちの小説も読んでいた。兄の書いた「泣いたライオン」には、はなまるをつけていた。次に私の小説を読んだ母はこう言った。「花には花しか書けないものがあると思うから、お兄ちゃんの感じとは全く違うのを書いてみたらいいんじゃない?」と。

そして書いた小説のタイトルが、







「幸瀬 幸」




である。そう、人名である。なんて読むかおわかりだろうか?





「しあわせ はっぴ」





もう一度言おう。


「シアワセ ハッピ」






である。マジやばい。
しかも書き出しも一字一句逃さず覚えている。





「ヤッホー☆私の名前は幸瀬 幸(シアワセ ハッピ)!髪の毛がブロッコリーみたいで困っちゃう!」




完全にキマっているとしか思えない。たしかイメージは長靴下のピッピだった。ちなみにこれ以降の文章はまったく覚えていないが、母に「花らしい」と絶賛されたことはたしかである。恐らくこうやって、良くも悪くも今の私の雑な感じが形成されて行ったであろうことは言うまでもない。

それにしたってここまで鮮明に覚えているものか、どうせ今考えたんだろ! と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもどうか信じて欲しい。異常に鮮明に覚えているのには理由があるのだ。

他の人はどうか知らないが、私は、自分の中ではじめてわき上がる感情を味わった時のことはどれも異常に鮮明に覚えている。初めて感動して泣いた時のこと、はじめて恥ずかしいと思った時のこと、はじめて罪悪感を感じた時のこと。その日自分が着ていた服や、自分がいた空間の物の配置など、事細かに思い出すことができる。

小説を書いて遊んでいたこの日のことに関して言うと、はじめて「この人にはかなわない、負けた」と思ったのである。それは悔しさともまた違う感情で、幼心に、ちょっとした挫折を味わった瞬間だった。なんでもかんでも兄の真似をして、兄の後ろをひょこひょこついてきていたつもりだったのが、急に遠い存在になったような気がしたのだ。その後私は荒れに荒れた思春期があったりして、兄にも大層迷惑をかけた。少しずつ距離は離れて行ったが、今は今なりの距離感で、上手くやっているつもりだ。

普段、兄とはそんなに話さない。仲が悪いわけではない。ただ、ほどよい緊張感がある。
私は兄を尊敬している。何がかはわからないが、自分にはないものを持っている、一生叶わない相手だと思っている。だからこそ、何か納得のいくことができたときしか自分のことについては話さない。兄もきっと、私のことを尊敬しているかどうかはわからないが、多分そんな感じなのだと思う。

そんな私たちだが、一年に一度か二度、8時間くらいずっと二人で喋り続けることがある。タイミングは謎だし、酒が入っているわけでもない。ただ、こんなに気の合う友人はいないというくらい、楽しい。大体はじめはなんてことない話。デジモンが復活するらしいとか、コロコロコミックを読むとなぜか食欲がなくなるとか、おっぱいプリンがマジで許せないとか、そんなとこだ。だけど気付けば自分のこれからのことや不安なことを話している。たまに意見も食い違うが、お互い少しずつ大人になったのか、最後はまぁお互い頑張りましょうぜってことになって、気付けば大体日が昇っている。

そういえば、実は今回はじめて、自分のアルバムを兄に渡した。聴いてくれたかどうかはわからないが、渡せたことに意味があるし、兄が受け取ってくれたことに意味があるのだと思う。

いつか兄と仕事をするのが私の夢だ。どんな形でも良いのだが、なんとなく同じ現場に居合わせてみたい。そしてその時の話をネタに、また日が昇るまであーでもないこーでもないと話すのだ。