月別アーカイブ / 2022年01月

昨日、ポルボロンという焼き菓子を買った。なんでもスペインの伝統菓子らしく、口の中に入れてから崩さず「ポルボロン」と3回唱えることができれば、幸せが訪れたり願いが叶ったりするという。こういう遊び心があるのは大好物なので、買わずにはいられない。
 
一日経って今日のおやつ時、小腹が空いたのでコーヒーと一緒にいただくことにした。手触りも色味も少し平たいスノーボールクッキーといったところか。なるほど少し噛んだだけでサクッとほろっといきそうな感じである。崩れやすいからこそそんな遊びができたのだろう、ここは慎重にいかねばならない。口に放り込んだら最後、願いを思い浮かべる暇もないかもしれない。流れ星だってせっかく見かけても唱えることが思いつかずに通り過ぎるのが常である。せっかくなので先に考えておこう。
 
しかしいざこういう時になると何も思いつかない。もちろん細かく言えばたくさんあるのだろうけれど、昔みたいにポンポン出てこない。それほど欲しいものなんてそんなにないのかもしれない。ひねり出してやっと出てくるような願いなんて、大したことではないのかもしれない。ええいもうどうでもいい、出たとこ勝負だ。それが本当の願いだろう。私はポルボロンを口に放り込んだ。
 

ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン……


健康、健康、健康……



一人暮らしを始めたのは23歳、はじめて住んだのは6畳ほぼワンルームの1Kだった。今よりもっとお金がなかったので選べる部屋なんて限られていたが、先輩などから窓の向きは重要だからそこだけは考えたほうがいいと言われ、少しだけこだわった。といっても、東向き。南向きの部屋は家賃が5000円高かったからやめた。

 

大きな窓の向こうには車一台ぶんくらいの幅の道があり、その向こうには低層の建物があった。私のところは2階だったが、視界を遮られるものもなく、ほどよく風通しのいい部屋だった。狭いのがいやになって5、6年経ってから引っ越したのだが、最後に管理会社の人立ち会いのもと空っぽの部屋で退去手続きをしながら、やっぱりここはよかったなあと思った。夕方の東の空が私は好きだった。赤くて遠くてひとりぼっちによく沁みた。

 

そのあと引っ越した先もやはり東向きの部屋で、次は最上階3階の角部屋だった。窓の外には一軒家の屋根、駅から歩いて5分ほどだったので、踏切の音も少し聞こえた。ベランダの洗濯物は前よりもパタパタとよく揺れた。東の空は相変わらず好きだった。でも前よりも広く明るくなった景色は、なんだか求めていたのと違った。あのちょっと煮え切らない、寂しさをこらえているような感じが薄れて、もう少し大人で落ち着いた表情をしているような感じがした。2年ほどで引っ越したが、退去の時の寂しさはそんなになかった。

 

今は寝室が南向きの部屋に住んでいる。朝の太陽の眩しさには驚いた。東向きでも充分だと思っていたが、自然光で起きるということはあまりなかった。今は晴れている日はカーテンを透かす日差しに体を揺すられながら目を覚ます。なかなか気持ちいいし、正しい大人になれているような気がして少し嬉しくなったりもする。

 

でも、作業部屋はやっぱり東向きだ。東に向かってデスクを置いて、そこで本を読み、歌詞を書き、時々うたた寝をする。物も多いし光の入り方も、寝室に比べたら決して見栄えのいいものではない。でもやっぱりここが落ち着く。時々忘れそうになる何かを思い出せそうな気がする。窓の外にはちょっとした小道を挟んで低層の建物。

 


2022年になってもう一週間、今さら言うのもと思いつつ、言わないのもなんだかなと思うので、新年あけましておめでとうございます。さて、定型文はこれくらいにしておいて、早速いつもの調子に戻ろうと思う。
 
昨年末、収録やらライブやら友人との会話の中やらで、やはりこれまた定型文と言えばそうなのだが、「来年の抱負は」なんて話になった。ちなみにいつもサポートをしてくれているバンドメンバーのみんなの回答は、「毎週銭湯に行く」「準備をする」「本物に触れる」というものだった。聞いたときは、ほーとかへーとか言いながら、ただゆるゆると、なんかいいなあと思いながら聞いていたのだが、なるほど今になってゆっくり考えてみると、みんなすごくいい抱負だなあと思うのである。
 
何がいいって、地に足が着いた回答なのがいい。全部実践できそうなのがいい。決して無理をしていないのがいい。守れない約束じゃないのがいい。ちなみに、私の抱負は「守れない約束をしない」であった。
 
ここ数年、私は守れない約束をすることが増えた。「落ち着いたら飲み行こうね」というセリフ、一体何回口にしただろう。その中で、本当に落ち着いたら声をかけて誘おうと強く思った人はどれだけいただろう。落ち着いた頃にはそんな約束お互い忘れているだろうとどこかで思いながら、息をするように軽く当たり前のように言ってしまっていた気がする。(もちろん本当に思っている時もあったけど)


わかっている、べつに社交辞令である。そんなに深く考えることでもない。でも、重かろうと軽かろうと守れない約束を自分から口にしていたのは事実で、なんだか昨年が終わるあたりで、そんな自分が妙にいやになったのである。

 
12月、とてもお世話になっていたライブハウスが閉店した。弾き語りやソロの方々だけでなく、バンドとも対バンをしてミュージシャンとしてもっと強くなりたいと思った時期に、少し異ジャンルだった私をいろんなイベントに誘ってくれて、はじめてワンマンライブをした場所でもある。東京の母であり姉であり先輩であり友人のような大好きな人にも出会えたし、かけがえのない友人もできた。いつかもう一度、自分のデビュー何周年かとか、初めてのワンマンライブから10年とか、そういうタイミングで何かできたらなとか思っているうちに、終わってしまった。あのたてつけの悪いドアを開くことはもうないのである。

 
救いだったのは、勝手に思っていただけで、「またいつかイベントやるから」とか変に言っていなかったことだ。だから寂しさはあるけど後悔はない。もう一度くらいあそこのステージに立ちたかった気もするけれど、12月のある日、そこで出会って心臓を撃ち抜かれた大好きなバンドの、その場所でのラストワンマンライブを見に行くことができたので、自分の中では何も言うことはない。


ホームであるが故に、純粋なお客さんとしての気持ちを取り戻すのも逆に一番難しい場所だったのかもしれないが、あの日は完全に一ファンとして、誰よりも身体を揺らし、その場所の空気を、時間を、何より音を全身全霊で感じ、楽しみ、刻み込むことができた。きっと私はそのバンドのライブを見に行くたびにその場所のことを思い出すことができる。


守れない約束をしたわけでもないから、「私もやるはずだったのに」とかもない。繰り返すが、もちろん寂しさはある。めちゃくちゃ寂しい。数少ない(というかほとんどない)東京の居場所がひとつ減ったのだ。でも、胸にポッカリ空いた空洞に吹いている風に変な重たさはない。そこには地続きの今日があるだけだ。
 
そんな感じならば、もはや何も約束しなければ、すべてにおいてそうやって後悔なく清々しくいられるじゃないか。そう言われると、それはまた違う。約束をすることによって楽しみが増えたり、何かを頑張れたりすることがあるのも事実だ。だから約束はする。でも、軽々しい約束はしないということだ。自分にとってご褒美だと思えるような、本当に会いたいとか、話したいとか、行ってみたいとか、やってみたいとか、そういうことはどんどん口に出して伝えていくようにしようと思う。


要するに、もっと自分の心に正直に、何事もちゃんと向き合って考えようってことだ。大人になるにつれ、いろんな意味で年々そこを忘れがちになっている気がする。ここらでちょっと一旦深呼吸、時には足を止めてあたりを見回すのもいいだろう。もちろんいろんなことと折り合いつけながらじゃなきゃやっていけないことも多々あるわけだけど。まあ、一年過ごしながらそこらへんのリズムというか、快適なやり方も学んで行ければそれでよし。



そんな感じで、今年もよろしくお願いいたします。



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