月別アーカイブ / 2021年08月

ライブの前は、昔からよく眠れない。でもべつに嫌なそれではなくて、遠足の前にワクワクして眠れないみたいな、そういう感じだ。緊張感とか好奇心とかいろんなものが混ざり合って、知らず知らずのうちに興奮状態になっているのだと思う。
 
しかし、コロナ禍でツアーが延期になり、最終的には中止になり、イベントも減り、それまでに比べてライブそのものがかなり減った。伴って、眠れない夜も減った。

そんな中、9月からツアーが始まる。実に2年数ヶ月ぶりのツアーである。ライブは私の生きがいだ。ライブをしながら音楽が好きなことを再確認し、たくさんの人に支えられていることを知り、生きている実感を持つ。唯一無二の場所だ。
 
ましてやツアーはいろんな感情がより爆発する。各地で待っていてくれる人がいる。今回は来たくても来られない人もたくさんいる。いずれにしてもみんなそれぞれ大変な毎日の中、私のことを忘れないでいてくれている。本当にありがとう。

そういうあらゆることを、あらためてこの肌で、目で、心で、いつもより少し時間をかけてしっかりと感じるために、ツアーがあると私は思っている。歌を通して何かを自分が届けに行かねばと思ってまわり始めるのに、みんなからたくさんの感情をもらい、学び、むしろ届けてもらっていることに気づく。いつもそうだ。私が花なら、ツアーは、ライブは、水だ。光だ。それは私をより大きく強く、成長させてくれる。

今回のツアーは、目の前のお客さんはもちろん、来られない方々のことも想像しながら歌うことになるだろう。今からいろんな感情が渦巻いている。そっとまぶたを閉じてはみたけれど、今日は結局まだ眠れていない。だからブログを書いてみている。なんか久しぶりだなあ、この感じ。

ライブは私の生きがいだ。ライブのことを考えると眠れない。ツアーのことを想像すると、頭も心もいっぱいになって、嬉しいんだか切ないんだかなんなんだか、涙が出てきそうになる。これは何かに似ている。私はライブに、ツアーに、恋をしているのかもしれない。ちなみに恋をしていると人は、いい歌を歌うらしい。
 
 


忙しい時って自分自身のことはつい後回しにしちゃいがちだけど、ちょこちょこご機嫌いかが?と聞いてあげるのってやっぱり大事なのよね。

すっかりマスクありきの生活に慣れてきてしまった今日この頃。撮影でもない限りは、基本的に外でマスクを外すことはほとんどない。つまり鼻から下は誰にも見られていないわけである。
 
ひとたび誰にも見られていないと思うと、私はもはや家の中にいるのとそんなに変わらない感覚になる。髪の毛がボサボサだろうが服がシワシワだろうが、べつに誰も見ていないからいいじゃないか。そんな感じで、マスクの下もついつい手を抜きがちになってしまう。鏡を見る機会も減るしで、昨年はちょっとヒゲが生えてきたりもした。
 
でも、ここ最近は誰も見ていなかろうとべつに外でマスクを外す予定なんてなかろうと、きちんと口紅を塗るようにしている。ちょっと近所に買い出しに行く時でも、コンビニに行く時でも。それは誰のためでもない、自分のためにである。
 
不思議なもので、リップを塗っているというだけで、その事実をひっそり抱えているというだけで、俄然気分が上がるのだ。忘れかけた少女の心が、水を浴びた花のように色鮮やかに蘇る。少しだけ背伸びしたような気分になって、背筋がピンとする。小さな自信が、何かが始まる予感が、胸の奥から湧き上がる。「私なんて」という思いがたったのそれだけで薄らいで、前向きな気持ちになれる。少し人に優しくなれる。
 
でもこれはリップに限った話ではないと思う。メガネをかけている人だったら、いつもは拭かないメガネを久しぶりに拭いてみるだけでいいと思う。Tシャツがほつれているけどずっとそのままにしてしまっている人は、ここらでその糸をチョキンと切ってみたらいいと思う。全然雑でもいいから、布団を適当に整えてから出かけるだけでもいいと思う。
 
もちろんそれで人生が変わるなんてことはそうそうないだろう。どうせいつもと変わらない今日がまた始まって、終わっていくだけだろう。でも、自分の中に巣食う小さな「どうせ」にバイバイすることで、そのあとに続く今日を始める一歩を踏み出す足取りは、確実に軽くなる。そんな気がするのだ。
 
マスクの下のリップだって、メガネのちょっとした曇りだって、Tシャツのほつれだって、「どうせ」誰も見ていないかもしれない。でも見ている。誰かじゃなくても、私が見ている。あなたのことは、あなたが見ている。
 

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