何年か前に、友人にいいことを教えてもらった。「心は穏やかではないけれどどうしても笑っていなきゃいけない時は、キャラメルを一粒舐めるんだよ」と。
私はそれ以来、どうも機嫌の悪い時や泣きたくなる時、誰に何を言われてもイライラしてしまうような時には、キャラメルを舐めるようにしている。
そうすると、不思議と本当に心が落ち着いてくる。じっくりじんわり口の中で溶けていくキャラメルをただたた味わい感じていると、怒りも悲しみも憎しみも少しずつ消えて行くような気がするのだ。ちなみに飴玉やチョコレートで試してみたこともあるのだが、なるほどたしかにキャラメルがベストだった。
飴玉だと溶けるまでに時間がかかりすぎる。心の整理に時間をかけ過ぎると、あることないこと必要以上に考えてしまう。逆にチョコレートだと早すぎる。時間がなく焦っていろいろと整理しようとすると、投げやりになったりその場しのぎで適当な結論を出してしまって、結局後から自己嫌悪に陥ることも多い。キャラメルはその真ん中、ちょっと一息つくのにちょうどいいのだ。
いつどんなことが起きてもいいように、一時期は常にキャラメルを持ち歩いていた。でもそうするとちょっとしたことですぐに手を出してしまって、その有り難みをあまり感じられなくなりそうだったのでやめた。
残高不足で改札で足止めをくらった時とか、電車に目の前で行かれてしまった時とか、自販機で買った炭酸をうっかりすぐに開けてしまって中身が吹き出してきた時とか。そんな時までキャラメルを食べ出したらきりがない。そういうあくまでも自己責任、自分の不手際で起こったことに対しては、キャラメルはすぐに食べないようにした。ある種理不尽なことが起こった時とか、誰かに言われた一言にどうしようもなく傷ついたりとか、そういう時だけ食べるようにした。
先日一年ぶりに使う夏のカバンを引っ張り出してみたら、キャラメルの残骸が残っていた。半分までは行っていないが、結構減っている。昨年の私は、一体何にそんなにイライラしていたのだろうか。覚えてもいないということは、大したことではないのだろう。その時はそれなりにいろいろあったんだろうけど、わざわざ思い出すことでもないし、そんな気もない。それもその時のキャラメルのおかげなのだろうか。時間の問題と言われたらそれまでかもしれないけれど、「これ舐めたら忘れよう」というスイッチの一つとしてキャラメルが優秀なことは間違いないと思う。何より美味しいし。正直それだげでいやなことなんて大体忘れられる。
ちなみに最近はありがたいことにキャラメルのお世話にはなっていない。イライラすることは人間だからもちろんあるけれど、それほどのことでもない。昨年は世の中の初めての状況にいろいろと焦ってしまってすぐキャラメル頼りになっていたけれど、今年は今ある状況にいかに感謝して楽しむかをまず考えるようにしている。9月からはツアーもある。私は今日も元気だ。
私はそれ以来、どうも機嫌の悪い時や泣きたくなる時、誰に何を言われてもイライラしてしまうような時には、キャラメルを舐めるようにしている。
そうすると、不思議と本当に心が落ち着いてくる。じっくりじんわり口の中で溶けていくキャラメルをただたた味わい感じていると、怒りも悲しみも憎しみも少しずつ消えて行くような気がするのだ。ちなみに飴玉やチョコレートで試してみたこともあるのだが、なるほどたしかにキャラメルがベストだった。
飴玉だと溶けるまでに時間がかかりすぎる。心の整理に時間をかけ過ぎると、あることないこと必要以上に考えてしまう。逆にチョコレートだと早すぎる。時間がなく焦っていろいろと整理しようとすると、投げやりになったりその場しのぎで適当な結論を出してしまって、結局後から自己嫌悪に陥ることも多い。キャラメルはその真ん中、ちょっと一息つくのにちょうどいいのだ。
いつどんなことが起きてもいいように、一時期は常にキャラメルを持ち歩いていた。でもそうするとちょっとしたことですぐに手を出してしまって、その有り難みをあまり感じられなくなりそうだったのでやめた。
残高不足で改札で足止めをくらった時とか、電車に目の前で行かれてしまった時とか、自販機で買った炭酸をうっかりすぐに開けてしまって中身が吹き出してきた時とか。そんな時までキャラメルを食べ出したらきりがない。そういうあくまでも自己責任、自分の不手際で起こったことに対しては、キャラメルはすぐに食べないようにした。ある種理不尽なことが起こった時とか、誰かに言われた一言にどうしようもなく傷ついたりとか、そういう時だけ食べるようにした。
先日一年ぶりに使う夏のカバンを引っ張り出してみたら、キャラメルの残骸が残っていた。半分までは行っていないが、結構減っている。昨年の私は、一体何にそんなにイライラしていたのだろうか。覚えてもいないということは、大したことではないのだろう。その時はそれなりにいろいろあったんだろうけど、わざわざ思い出すことでもないし、そんな気もない。それもその時のキャラメルのおかげなのだろうか。時間の問題と言われたらそれまでかもしれないけれど、「これ舐めたら忘れよう」というスイッチの一つとしてキャラメルが優秀なことは間違いないと思う。何より美味しいし。正直それだげでいやなことなんて大体忘れられる。
ちなみに最近はありがたいことにキャラメルのお世話にはなっていない。イライラすることは人間だからもちろんあるけれど、それほどのことでもない。昨年は世の中の初めての状況にいろいろと焦ってしまってすぐキャラメル頼りになっていたけれど、今年は今ある状況にいかに感謝して楽しむかをまず考えるようにしている。9月からはツアーもある。私は今日も元気だ。