私は日焼け止めが苦手だ。毛穴が薄い膜でびっちり覆われて、肌が呼吸できていない感じがいやなのである。でも、実はそれ以上に苦手なのがあの匂いだ。日焼け止め特有の、輝く海とギラギラ輝く太陽を連想させる、いかにも「夏でっせ」という押し付けがましい匂いがどうも好きになれない。
 
夏特有の沸いたテンションというか、そこのけそこのけ夏様が通るといった、あの乱暴なまでのブルドーザー感が名実ともに鼻につく。相手に有無を言わせず「アゲてこ?」と言いながら、スミノフもしくはライムの刺さったコロナビールを海辺で押し付けられているような気持ちになる。いや、私はただのんびり海風に吹かれに来ただけなんですよ……とでも言おうものなら、ネオンカラーのビキニで今すぐぶん殴られそうだ。怖い。夏って怖い。
 
とまあそれは言い過ぎたかもしれないが、肌につけているから仕方がないこととはいえ、どこに行っても日焼け止めの匂いがしてしまうのが残念なのである。夏が近づくと街の匂いは変わる。川の匂いは少し生臭くなり、駆けて行く小学生からはほんのりとまだ柔らかい汗の匂いがする。緑地で息を吸い込めば、暖かい日差しに照らされた緑たちの青々とした匂いと共に、湿度をたたえた生々しい土の匂いもする。マスクをつける日々だからこそ、たまにマスクを外した時に感じる季節の変わり目の匂いがより愛おしい今、不織布を突き破って入り込んでくる日焼け止めの匂いが、いつも以上に気になってしまうのだ。
 
とはいえ私も日頃日焼け止めにはかなりお世話になっている。最近は昔に比べたらいろんな香りのものが出ているので色々試したりもするのだが、やっぱりどうしてもあの「夏でっせ」の匂いは拭いきれない。上から香水を振りかけてみたりもするのだが、混ざったら混ざったでろくな匂いにならない。さてどうしたものかと考えあぐねていたのだが、最近ようやくあれに勝る夏の匂いを見つけた。日焼け止めの夏特有の匂いには、また別の夏特有の匂いで対抗すればいい。そう考えたら、答えはすぐに出てきた。塩素である。
 
プールの匂いが好きだという方は、みなさんの中にも多いのではないだろうか。個人的には、あの匂いには不思議な思い出喚起成分が入っている気がする。ほんのり漂う塩素の匂いを嗅ぐと、小学校の頃を思い出す。そう、体育でプールに入ったあとの教室の匂い。プールから出た気だるさと、教室中にほんのり漂う塩素の匂いに包まれながら聞いた午後の授業。眠くて眠くて仕方がなくて、みんなうとうとしていたけれど、あの時だけは先生もそんなに怒らなかったっけ。
 
夏休み、母の実家近くの市民プールで毎日のように兄と泳いだことも思い出す。迎えに来る祖父を待ちながら食べた17アイス。大好きなグレープ味のその匂いと、頭に巻いたタオルから漂う塩素の匂い。混ざり合うあの匂いこそ、私にとっての夏休みの匂いだった。
 
とはいえ、今は毎日プールに行けるわけでもないし、塩素の匂いに外で遭遇することはほとんどない。でも、掃除をする時にたまに塩素の匂いに出会うことができる。何かと雑菌が増えるこの季節は、定期的にキッチンハイターも使うし、白い無地のTシャツやブラウスを着る機会も増えるので、衣類を漂泊することもしばしばだ。
 
最近は、出かける準備をある程度済ませて、日焼け止めも全身に塗ってから、そういった作業をパッパとするようにしている。その後に出かけると、初夏の風が吹いた時、日焼け止めの匂いの向こう側で、かすかに手先や鼻の奥に残った塩素の匂いが顔を出してくれる。日焼け止めの「夏でっせ」を優しく遮りながら、いつかの思い出たちが「夏なんです」と優しく微笑んでくれるのだ。