月別アーカイブ / 2021年01月

コーラが好きだ。本当だったらレコーディングもライブのステージドリンクもコーラにしたいくらいだ。でも悲しきかな、炭酸を飲むと人というのはおゲップちゃんが出る生き物である。せっかくものすごくいい歌を歌えていても、途中でおゲップちゃんが出てきてしまったら元も子もない。マイクを通したら奇跡的にボイスパーカッションとベースを同時に出したような音になるかもしれないとか時々思うが、その発見よりもP Aさんやお客さんに嫌な顔をされるリスクの方がはるかに大きいので、多分一生やらない。
 
まあおゲップちゃん問題のことは置いといて、炭酸を飲むと喉が開く気がする。シュワシュワで刺激されてガッと喉が起きるような、そんな感覚になる。糖分を摂取することで頭も覚醒しそうだし、一時コーラにハマり過ぎていた時は、寝起き一発目でコーラを飲んで目を覚ましたりしていた。あとはとにかくもう、あのジャンクさと身体にあんまりよくなさそう感がいい。幾つになってもちょっといけないことをしている気分になれて、なんだか楽しい。とにかく私はコーラが大好きなのだ。そんなわけで今日もペプシ・コーラを飲んでいたのだが、ふと思い出したことがある。
 

みなさん、ペプシマンを覚えているだろうか。というかご存知だろうか。

 
マッチョで、目鼻口のないのっぺらぼうで(口だけたまに出てくる)、顔も身体も基本的には銀色で、身体は半分だけ青だったり真ん中だけ赤だったり、ペプシマン・レモンの時はレモン色のニット帽を首元までかぶっていたりするアイツ。ほぼ裸にニット帽、普通にヤベエヤツなアイツ。「ペプシマーーーーーーン♪」というテーマソングに合わせて、手を縦にしながら全速力で走ってくるアイツ。これだけ聞くと、知らない人からしたら何それ怖いって感じだろう。でもググってみてほしい、ペプシマンで。なんだか不思議な魅力があるのだ。
 
一時はペプシコーラがこのキャラクターを結構推していて、C Mなんかにも登場していた。そしてなぜか私はこのキャラが大好きで、フィギュア付きボトルキャップをせっせと集めていた時期もあった。なんであんなに好きだったんだろう。自分でも今更気になったので、ペプシマンについて少し調べてみることにした。すると、どうやらこんな設定があったらしい。(以下、あくまでもウィキペディアからの引用です)
 
 
弱者を助ける正義のヒーローとして登場し、困った人を助ける為に主にペプシコーラを届けるなどの活躍を見せるが、弱点は「かっこよさが15秒以上続かないこと」で、それにちなむドジでマヌケな面があり、親しみやすいキャラクターとしてCMで表現された。このCMが人気を集め、シリーズ化された。
 
 
なるほど。あれだ、これは私が一番好きなタイプのキャラクターそのものだ。完全無欠のヒーローよりも、ちょっと抜けている人間味のある感じ。「かっこよさが15秒以上続かないこと」ということは、15秒尺のC Mだと最後に必ずマヌケなオチがあったんだろう。たしかになんかそんな感じだった気もする。いやあ、めちゃめちゃ愛らしいじゃないか。やっぱり好きだ、ペプシマン。

ちなみに「ペプシマン」で検索すると、関連検索ワードに「ペプシマン 消えた」「ペプシマン 現在」などが出てきた。完全に「あの人は今」状態。あたしゃ悲しいよ。いいヤツほど淘汰される世の中の傾向、よくない本当に。(何があった)
 
そういえば私が中学生くらいの頃って、ペプシマン以外にも飲み物に関するキャラクターが結構いて、生茶パンダ、Qoo、なっちゃん……(言ってもそんなもんか?)どれも好きだった。肝心の飲み物も好んで飲んでいた記憶がある。何ぶんキャラクターものにめっぽう弱いタイプなので、今思い返せば完全にそれに引っ張られていたのだろう。
 
でも、最近はあまりそういうキャラクターものって見ない気がする。流行りじゃないのだろうか。キャラクターなんか作らなくても、今はより効率の良いウェブプロモーションとかでなんとかなるから、作る必要もないのだろうか。うーん、夢と親しみやすさがあって好きなんだけどなあ。もし何か新しい飲料系キャラが登場したら、私は全力で応援するぞ!
 
あとペプシマンにはぜひ表舞台に戻ってきてほしい。なんとなく、ああいう肩の力の抜けたヒーローが必要だと思うんだ、今の時代には。

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ペプシマン・ゼロがいたらどんな感じになるのかも気になる。

うちのキッチンのガスコンロ、時々勝手に弱火になる。ある一定の温度に達したら危険を察知して自然と火力を調節する機能が付いているのだろう。令和にもなるとそんなことまでしてくれるらしい。たぶん平成からある機能なのだろうけれど、自分の住む部屋に付いているのははじめてだったので驚いた。
 
このガスコンロがもし人だとしたら、たぶんすごいイイやつだと思う。用心深くて真面目で親切、相当気の利くやつだ。とてもありがたいのだが、その「よかれと思って」が結構厄介だったりもする。
 
先日、チキン南蛮を作っていたときのことだ。私は基本的に家で揚げ物をしないため、揚げ物的なものを作るときは少し深めのフライパンで揚げ焼きにすることが多い。この日もそうだった。あらかじめ食べやすい大きさに切った鶏もも肉に、卵と小麦粉で衣をつけて、少し多めに引いた油の上に並べて行く。あとは中火〜強火で表面はカラッとしつつ中には火がちゃんと通るように焼いて行くだけ……と思ったのだが、肉をフライパンに並べ終わったくらいで急に弱火になってしまった。そのあとは何回火を付け直しても少ししたらまた弱火。揚げ焼きをしたい時にこれはかなり致命的である。
 
説明書を見れば一時的にこの機能を止める方法が載っているかもしれないとも思ったが、料理中に部屋のどこかにしまった説明書を取り出してわざわざ見る気も起きないし、同時進行で他の料理も作っているからそんな暇もない。というか、キッチンでよそ見している間に危険なことにならないようにと弱火になる機能がきっと付いたのに、そのせいでよそ見するなんて本末転倒過ぎる。というわけで私はそのまま調理を続けた。
 
弱火になっては火を止め中火にして、また弱火になったら火を止め中火にすることを何度か繰り返しながら、なんとか私は揚げ焼きに成功した。次はそれに絡めるタレ作りである。フライパンに残った油を拭き取ったあと、私は甘酢ダレに使う調味料をフライパンにぶち込み、中火にかけた。とはいえフライパンにはまだ揚げ焼きの時の熱が残っているし、このままさらに熱くなればまたあの機能が起動するだろう。勝手に弱火になって、むしろいい感じの火加減でタレを煮詰めてくれるはずだ。あの機能をどうせなら遺憾無く発揮させてやりたいと思った私は、全力で乗っかることにした。
 
そしてちょっとよそ見をしてメルカリを見ることにした。気になっていた商品にコメントが付いたという通知が来たのだ。もしかしたら即決されてしまうかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。ちなみに見ていたのは「食べっこどうぶつ」のフィギュア。集めたくて前にガチャガチャで何度かやったのだが、三回連続ヒヨコしか出なかったやつだ。
 
幸いまだ狙っていた商品は即決されていなかったので安心したが、何気なく下の方へページをスクロールしてみたら、あなたへのオススメ的なところに「食べっこ水族館」のキーホルダーが出てきてしまった。なんじゃこれ、めっちゃかわいいやないか。これは無視できない。即決されてしまうかもしれない……と思った私は、ついついそのままメルカリ沼に足を突っ込んでしまった。
 
そんなことをしているうちに、何やら香ばしいけれど確実に危なっかしい匂いが漂ってきた。恐る恐る甘酢ダレの方に目をやると、グツグツ言っているではないか。火を見てみたら、ガンガンの中火。弱まる気配も一切なく、もう自信満々の中火。なんでだ! これ以上やったら煮詰まりすぎてタレが水飴みたいになりかねないと思ったので、私は急いで火を止めた。どういうことだ、あの機能は油にだけ反応するのか。フライパンの上に何の液体が乗っているかまで今時のコンロはわかるというのか。いずれにしてもなんだかすごい時代になったものである。
 
結果的にはこちらも結局ギリギリで事なきを得て、チキン南蛮はなんだかんだ美味しく作ることができた。それにしても、いろんな手間を省くために揚げないで揚げ焼きにしているというのに逆にこんなに手間取る羽目になるとは。何事も便利すぎたり親切すぎたり、それに頼りすぎたりするのも考えものである。いやはや、「よかれと思って」って難しい。まあメルカリ見なけりゃここまでバタバタしなかったんですけどね。 
 
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一人暮らしを始めてから、引っ越しをするたびに「また今回も使い切れなかった」と思うものがある。カレー粉だ。
 
はじめて一人暮らしをした部屋は、ちょっともううろ覚えだが5、6年は住んだと思う。キッチンの片隅に鎮座していたS&Bの赤い缶に入ったカレー粉は、買ったその日に張り切ってカレーを作ってみた時以来、結局引っ越すまでほぼキッチンのナイスな差し色としてしか機能しなかった。ちょっと背伸びして、「憧れの一人暮らし、カフェごはんみたいなカレー作るぞ☆」と思った自分が間違っていた。
 
カレー粉から作るカレーだって、凝り出せば美味しいものはきっとできるのだろう。でも、初めてカレー粉でカレーを作ったあの日、私はすぐに気付いてしまったのだ。「家では家のカレーが食べたい」と。カフェごはんはカフェで食べるからカフェごはんなのだ。
 
私の実家のカレーは、市販のルウを何種類か混ぜて作る。野菜はみじん切りで使う肉は挽肉、そこにすり下ろしたリンゴやニンニク、生姜なんかを入れて作るのが母のやり方だ。これがもうめちゃくちゃ美味しい。ちょっと煮詰めすぎて鍋の底の方でルウが固まってしまっている味の濃い部分があって、そこがまた好きだったりする。幼い頃からそういうカレーを食べてきた私にとって、カレー粉を使うカレーはちょっと別の食べ物に感じてしまったのだ。
 
とはいえ、外では結構好んでスパイスカレーを食たりもする。わざわざそのために遠出をしたことだってあるし、決して嫌いとかではない。むしろ好き、何なら大好きだ。でも、家で自分で作るかと言われたら作らない。あれは自分にとって、ちょっとお洒落な格好をして食べるものというか、よそ行きのカレーなのだ。
 
家でカレーを食べるなら、いつもの部屋着に身を包み、ヘアバンドかでっかいヘアピンで髪を上げ、丸いメガネをかけた状態で缶ビールと共にグッとかきこみたい。超リラックスして、「あ〜今日も1日がんばったわ〜」と独り言を呟きながら、YouTubeで猫の動画でも見ながら食べるのは、やっぱり市販のルウで作った「ザ・家のカレー」が良い。
 
そうなってくると、カレー粉の使い道なんてほとんどないのだ。もちろん買った以上は大切な調味料、無駄にはしたくない。レシピを調べてなんちゃらのカレー粉炒めみたいなのを何度か作ってみたりもしたが、それを食べるたびに、「これ食べるならカレー食べればよくないか?」と思ってしまうのだった。
 
引っ越す直前になんとか消費しようと、ヨーグルトとカレー粉をたっぷり使ってタンドリーチキンを作ってみたりもしたが、カレー粉だけだとやはり何か深みが足りなかった。かといって他のスパイスを買い足したところで、結局その子たちも同じ運命を辿るのが目に見えてしまったので、次に引っ越した先ではもうカレー粉は買わないと心に決めた。
 
それなのに、また買ってしまったのである。あの赤い缶を。ある時友人にカレー粉を使ったカレーの美味しい作り方を聞いて、その帰りにスーパーで気分が乗ってついカゴに入れてしまったのだ。家に帰ってすぐに聞いた通りに作ってみたら、たしかに美味しかった。でも、正直べつに2回目はいいかなと思ってしまった。やっぱり「家では家のカレー」が食べたい。
 
今住んでいる部屋には、その時買ったカレー粉をそのまま連れてきた。スパイス用の引き出しがもともと付いているキッチンなので、パッっと目に入る調味料ラックに入れる必要もなくなり、今となってはいよいよ差し色としての機能も果たさなくなっている。たんすの肥やしならぬ引き出しの肥やし状態だ。この子が日の目を浴びる日は来るのだろうか。誰かなんかいいレシピがあったら教えてください。
 
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年が明けてから日に日に気温が下がる一方である。これぞ冬! という感じがして季節を感じられるから決して嫌いではないのだが、やはり職業柄、湿度が下がるのだけはイヤである。
 
今住んでいる部屋の寝室では、加湿空気清浄機と加湿器を二台稼働させている。ここにお金を惜しむのもあれだなと思い、そこそこ強力なやつを使っているせいか、正直先月きた電気代の高さには少し驚いた。とはいえ今年は例年以上に体調管理に気をつけなければいけないわけだし、仕方ないことである。
 
おかげでこの季節にも関わらず、50〜60%の湿度を保ちながら毎晩快適に眠っているわけだが、一つだけ許せないことがある。加湿器の方には特に文句はない。加湿空気清浄機、お前だ。
 
私は大体お風呂に入ったあとは割とすぐ寝室へ行く。そして長い夜の間も水分を切らさないようにと加湿空気清浄機のタンクの水を満タンにするのだが、ここで決まって起こる現象がある。
 
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「ニオイ」のランプが点灯し、「うわクッセェ!」と言わんばかりの勢いで、急にゴオオオオオと音を立てながらフル稼働し始めるのだ。この感じはあれに似ている。ほら、明らかにお茶を飲んでちょっとむせただけなのに、隣でこちらを睨みながら思い切りマスクをつけて口元をおさえる人とかいるだろう。あの感じに近い気持ちになる。気持ちはわからんでもないが、何もそこまで……っていう。(ちなみにもちろんこの例はコロナ以前での話である。コロナ禍の今はそうなる気持ちは当然わかる。みんな必死で予防しているんだ、当然の警戒心だ。)
 
仮に私が本当にクサかったのならべつにいいのだ。でもこちとらお風呂に入ってきたばかり、何なら新しいパジャマに着替えたばかりだというのに、あの態度で来られると多少「あぁん?」となるのも無理はないだろう。今の私、めちゃくちゃ綺麗やぞ。お前のフィルターの方が絶対汚いからな。そう思う。
 
ちゃんとお風呂に入って髪の毛も身体も洗って、お風呂から出たら洗い流さないトリートメントとボディクリームまでつけて、ほのかに柔軟剤香るふわふわのパジャマ
に身を包んで(ちなみにジェラピケではなくてG Uのやつ)、自己肯定感上がりまくりの状態で後は眠りにつくだけよ、という時にこれである。何が悲しくて「うわクッセェ!」と言われなければならないのだ。ひどい、ひど過ぎる。
 
まあそれだけ敏感に反応してくれるほど高機能だということなのだが、ちょいちょい落ち込むのも事実なので、いつか「ニオイ」の種類を識別できるようになって欲しいものである。「ニオイ」にひとくくりにするんじゃなくて、「クサイ」と「カオリ」それぞれの表示をつけるとかさ。それで「クサイ」が出た時はいよいよ立ち上がれなくなるほど落ち込むだろうけど。

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