月別アーカイブ / 2020年01月

今月から念願の生放送のラジオレギュラーが始まった。TOKYO FMにて夜8時〜放送の、「ねるまえのまえ」という新番組である。(私は水・木曜日の担当)

 

この番組のコンセプトをざっくり説明すると、今日のクヨクヨやクタクタを毎日の「寝る前の前」の時間に、ラジオで一緒に"ととのえて"行きましょうというものである。

 

そもそも "ととのえる"ってなんぞや。これは私の解釈だけれど、ここで言う"ととのう"とは必ずしも辞書的な意味ではなく、サウナや半身浴などをしたあとにこう、バラバラだった身体と心の位置がきちんと重なる感じがするって言うじゃないですか。ほどよく力が抜けて、硬くなった頭が柔らかくなって、「なんかいい感じ、今日はよく眠れそうだわ」くらいの。たぶん、番組を聞いたあとにそういう気持ちになってくれたら嬉しいなという意味なんだと思う。素敵ですね。

 

しかしこのブログや他媒体でのエッセイやコラム、ライブのMCや曲をご存知の方ならこう思うだろう。「だとしても本当にこの番組のパーソナリティ、関取花で大丈夫なのか」と。私もそう思う。

 

とはいえこんな私だって、"ととのえたい"とは前々から思っていたのだ。27歳過ぎたあたりからは心身共に健康でいることが最も幸せだということに気付き、そこからはもう「嗚呼ととのえたい、ととのえたい」って毎日言ってたね。最近何かしたいことある?と聞かれても「ととのえたいですね」しか言ってなかった。ミドルネームつけるなら何にしたい?と聞かれた時も「セキトリ・トトノエ・ハナです」って答えた気がする。ごめんこれはさすがに盛った。でも本当に思っていたのだ。

 

実際に行動に移したことだってある。少し前、どうも心と身体がバラバラに動いているような日々が続いていた時に、友人に銭湯を勧められたことがあった。「銭湯はいいよ、家の湯船もいいけど銭湯だと広いからもっと無になれる」とまさに"ととのえる"のに持ってこいだと言われたのだ。なるほどそれは素晴らしいと思った私は、早速近所のスーパー銭湯に出かけた。

 

そこのスーパー銭湯はご近所さん同士の憩いの場になっているらしく、リラックスしながらおしゃべりしているおばちゃまやおばあちゃまがたくさんいて、とてもいい雰囲気だった。こういう友人が近所にいるってなんだか羨ましいなあと思いながら、私も端っこの方でゆったりとお湯に浸かっていた。

 

10〜15分ほど経った頃、同じお湯に若い女性が一人入ってきた。もしかしたら早速ととのえフレンドができるかもしれない。胸を躍らせながらふと彼女の方を見ると、目が合った。するとこちらの方へススッと近付いてきたのである。私はコンタクトレンズを外していてよく見えなかったのだが、たぶん知り合いだろうなと思ったその時だった。

 



 

「あのー、関取花さんですよね?」



 

「この前のワンマンライブ行きました!」

 


 

…そう、まさかのお客様だったのである。

 

ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。

 

だがしかしBut,

 



I’m 全裸

 


 

私はステージ上と普段とあまり変わらないタイプの人間だとは思っているのだが、さすがにここまでオフ過ぎるというかさらけ出した状態となると恥ずかしくてたまらなかった。せめてにごり湯とかならよかったんだけど。澄んでたなー、あのお湯。澄み切ってたわ。


とはいえ話しかけてくださったのはとてもとても嬉しかったので、少し雑談したあとお姉さんがお湯からあがるまで耐えに耐えてから私もあがった。もうその頃には心も身体もよくわかんない状態だったけど。


そんなわけで、ととのえようと思って出かけたスーパー銭湯デビューは私らしいといえば私らしい、予想外のまったくととのわない展開となってしまったが、今となってはそれも良い思い出である。

 

今は引っ越してそのスーパー銭湯は遠くなってしまい会うこともないのだが、あのお姉さんがラジオを聞いてくれていたら嬉しいなあと思う。ラジオを通してならなにも恥ずかしいことなどない。全裸でもバレないし。いやちゃんと服着て放送してますけどね


皆さんも是非、気軽に聴いてくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。


まずはじめに、あけましておめでとうございます。本年も関取花をどうぞよろしくお願い致します。

 

さてみなさん、年末年始はどうやって過ごされただろうか。

我が関取家では、大晦日は紅白歌合戦を見るのが決まりとなっている。ひとたびチャンネルを変えようものなら家族の誰かからブーイングが飛ぶくらい、みんな紅白を楽しみにしているのだ。

 

父はMISIAさんの圧巻のパフォーマンスとても興奮して、早速CDをネットで注文していた。兄は「やっぱ紅白だよ」と何度も呟いていた。そして母は菅田将暉さんの魂のこもった歌声に胸を撃たれ、「菅田くんの歌は涙腺に響く」と涙を流していた。

 

そして翌日元旦、朝から台所で母が口ずさんでいるわけである。そう、もちろん菅田将暉さんの"まちがいさがし"である。しかもAメロからちゃんと歌っている。しかし、よく耳を澄まして聴いているとどうもおかしい。

 


♪間違いだらけの間違いの方に 間違いだらけの間違いでいたよ

 


そう、まちがいだらけなのである。そのくせ「いい歌だわあ」といっちょ前に感動しているのである。

 

早々にツッコミたい気持ちも山々だったが、とりあえず一緒に台所に立ちながら続きを聴いてみることにした。さすがにサビならきちんと歌えるかもしれない。そしていよいよサビである。

  


♪間違い間違いが 間違っていたまっすぐ

 


いやダメなのよ、まちがってんのよ。まっすぐだけ合ってるけど逆に歌詞の意味的になんか違う方行っちゃってんのよ。まあいい、続きを聴こう。

 


その日から何もかも 間違っていた気がした

 


前半はよく頑張った。合ってる合ってる。でもこれだけ間違いだと歌っていたのに「間違っていた気がした」ってまだちょっと不安なのあとちょこちょこ元の歌詞入れてくるのなんなの。あと歌いながらこっち見て来るのなんなの。

 

いよいよ耐えられなくなった私は、母に「歌詞間違ってるよ」と優しく諭すように声をかけてみた。すると母はなぜか呆れたように小さく首を振り、「そんな細かいことどうでもいいのよ。菅田将暉くんもほら、歌ってたでしょ」と言うのである。そして続けてあのフレーズを歌たのだ。

 


♪間違いか正解かだなんてどうでもよかった


 

もうこれにはアッパレである。間違いを指摘されて今さら引き下がれず、自分の都合の良いように解釈しながらきちんと最後にオチをつけて来た。しかもそこだけは忠実に原曲の歌詞で。そしてあの時の最後のドヤ顔。私はきっと忘れはしないだろう。


そんな母がおかしくていがこらえきれず、最終的には二人で腹を抱えい合った。そしてそのあと、正しい歌詞を検索してちゃんと二人で歌いなおした。やはり母の歌っていた歌詞は"まちがいだらけ"だった。菅田将暉さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

ちなみに私は2番Aメロの、「正しくありたい あれない 寂しさが」の「寂しさが」の歌い方、表現の仕方が本当に素晴らしくて毎回泣きそうになります。いつか歌番組でご一緒できて、伝えられたらいいな。頑張ります。


そんなこんなで愉快に幕を開けた私の2020年。きっと今年もたくさん間違っては一歩ずつ進んで行くのだと思います。まちがいだらけでも、まちがいさがししながら、最後に笑える一年になりますように。

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