月別アーカイブ / 2019年01月

 小学校三年生の時、同じクラスに柴田くんという男の子がいた。柴田くんは、見た目も普通、テストの点数も普通、運動神経も普通の、何というか、ただの柴田くんだった。そんな「ただの柴田くん」が、突然「ガノフ柴田」になったのは、ある秋の日のことであった。


 私の通っていた小学校では、毎年紅葉が始まる頃に、校外学習の授業があった。時間割通りの毎日を送っていることに、特別退屈していたわけでもなかったが、やはり教室の外にクラス全員で出かけるというのは、浮き足立つものがあった。


 いつもはランドセルを背負っているそれぞれの背中に、様々な色のリュックサックが背負われている。私はそれを眺めるのが好きだった。普段はあまり喋らないあの子、意外とがっつりキャラクターものを選ぶんだなとか、クラスでサッカーが一番上手くていつもキラキラしているあいつ、ジャイアンツのキーホルダーをたくさんぶら下げているけど、本当は野球がやりたいのかなとか。みんなの持ち物から勝手にいろんなことを想像しては、ニヤニヤしていた。


 三年生の校外学習は、科学館だった。いくつかの班に分かれて見学を終えたあと、そのメンバーで、外の広場でピクニックのようにしてお弁当を食べるという決まりであった。班のメンバーは、先週のホームルームで、くじ引きで決めた。私のところは、学級委員の明子ちゃんと、後出しジャンケンが異常に上手いことで有名な中嶋くんと、ただの柴田くんとの四人だった。何をしたわけでもないのにお腹がペコペコだった私たちは、芝生の上に座ると、誰からともなくリュックサックからお弁当を取り出した。  


 明子ちゃんは、リュックサックもお弁当包みも、上品なチェック柄のもので揃えていた。真っ赤の小さな二段弁当の中身は、いわゆる理想のお弁当というものだった。白いご飯、たらこのふりかけ、タコさんウィンナー、ハート形の卵焼き、ブロッコリーの上には星型に切り抜かれたチーズ、そしてウサギのりんご。大事に大事にきちんと育てられているのが伝わってくる、ザ・優等生という感じだった。


 中嶋くんは、お兄さんからのおさがりだというプーマのリュックサックと、これまたおさがりだという、なんとかレンジャーのお弁当箱だった。よく見るとすべてのものに名前が書かれていて、どれもお兄さんの名前の上に大きくバッテンがしてあった。そしてその隣に、絶対にマッキーの「太」で書いたであろう、中嶋くんの名前があった。力を入れすぎてインクが滲んじゃっている感じが、負けず嫌いな中嶋くんらしいなあ、と思った。もしかして、後出しジャンケンが異常に上手いのも、お家でお兄さんとお菓子の奪い合いとかになった時に、なんとか勝つためにいろいろと研究した努力の結晶なのかもしれない。そう思うと、私は急に中嶋くんを応援したくなった。おう、たんと食え、たんと食え。今日はお兄さんに奪われることもないから、ゆっくり食べても大丈夫だぞ。そんなことを思いながら、シンプルな焼きそば弁当にがっつく中嶋くんを見ていた。でもよく見ていると、ちゃっかりしっかり、キャベツの芯だけは避けて食べていた。ガサツで何も考えていないように見えて、意外とそうでもない。おい中嶋、そういうとこだぞ。


 ちなみに私は、リュックサックもお弁当箱も、クマのプーさんだった。小学校一年生の時に、遠足セットとしイオンで売っていたものである。いつもはキャラクターものなんてどうせ飽きるからダメという母が、「プーさんならいいよ、プーさんは別腹」と言う謎の理論で買ってくれたのだった。お弁当箱を開けると、中身は予想通りの茶色いものたちだった。昨日の残り物の炊き込みご飯、ぶり大根にきんぴらごぼう、インゲンのゴマみそあえ。見事なアースカラーである。なのに、端っこにはパイナップルと苺が入っていた。理由は聞いていないが、母のことだから大体想像はできる。「なんかほら、プーさんぽいでしょ」絶対これである。ありがたいのだが、その日はぶり大根の汁がプーさんのところまで流れてきていたので、結構キツかった。食べたけど。


 柴田くんはというと、GAPの普通のリュックサックの中から、なんかまあとにかく普通の巾着袋を取り出して、サランラップで包まれたおにぎりを食べていた。やはり柴田くんは柴田くんだ。持ち物も、お弁当も、紛れもなくただの柴田くんなのである。でもそれには、不思議な安心感があった。今回の班のメンバーが決まった時も、柴田くんがいると知って私はとても安心した。明子ちゃんと中嶋くんのような水と油みたいな二人が揃っても、柴田くんさえいればなんとかなる、そんな気がしたのだ。そして実際、今日もそうなっている。


 みんなで科学館の感想を話しながらお弁当を食べていると、おにぎりを食べ終わった柴田くんが、おかずが入っていると思われるウルトラマンのタッパーを開けて、「またか」とため息交じりに呟いた。柴田くんがほんのちょっとでも感情を表に出すなんて、中嶋くんがまともにじゃんけんをするくらい珍しいことである。一体何が入っているというのだろうか、私と明子ちゃんと中嶋くんは、ウルトラマンのタッパーを覗き込んだ。するとそこには、ホワイトシチューのようなハッシュドビーフのような、見たことあるようなないような、でも確実に美味しそうな肉料理が入っていた。


 「柴田くん、これ何?」


と私たちが聞くと、そのよくわからないものを食べながら、柴田くんは普通の顔で、

 

……ガノフだよ」

 

と言った。はて、ガノフとは。聞いたこともない名前に、私と中嶋くん、そしてあの明子ちゃんまでもが、頭の上にはてなを浮かべていた。それでもなお柴田くんは普通の顔で、


 「ビーフストロガノフ。ロシア料理かな。なんでか知らないけど、お母さんが好きみたいなんだよね」


と続けた。ビーフはわかった。ストロガノフとは何なのか。とりあえず強そうだ。恐らく料理の名前なのだろうが、人の名前っぽくもあるし、地名っぽくもる。あるいは、ストロング・ガノフという必殺技を省略したようにも聞こえる。しかもロシアとは何事か。何回考えても、あの柴田くんの口から、そのガノフとやらが普通に発せられたことへの衝撃と違和感が強すぎて、私たちは何も言えなくなってしまった。なんなんだ、その余裕は。なんなんだ、「またか」って。


「ゆで卵。卵をゆでたものかな。なんでか知らないけど、板東英二が好きみたいなんだよね」


くらい当たり前の感じで、ガノフを語った柴田くん。心なしか、ものすごいオーラがあるように見えた。もはやそこにいるのは、今までのただの柴田くんではなかった。そう、ガノフ柴田だった。


 その翌日から、柴田くんはクラスのみんなから尊敬の眼差しを注がれると共に、「ガノフ柴田」と呼ばれるようになった。柴田くんはストロガノフ家の末裔であることを隠すために、あえて普通の「ただの柴田くん」を演じて、みんなに気を使ってくれていたなどという噂話も広まった。そのたびにガノフ柴田は、「そんなわけないよ、俺ただの柴田だよ」と、決していい気になるでもなく、ムッとすることもなく、これまでと何も変わることなく受け流していた。その感じがなんだか逆に神々しく見えたのか、数ヶ月後のバレンタインデーの日、学年でチョコレートを女子に一番たくさんもらったのは、ガノフ柴田だったらしい。


 あの時は、「ガノフ」の衝撃と、その後についた「ガノフ柴田」というニックネーム、みんなの空気に私も飲み込まれ、わけもわからずなんとなく、あいつはすごいやつだと言っていた。でも、今ならわかる。柴田くんは、すごいやつだ。


 大人になった今でも、たった一つの些細な出来事や、環境や状況の変化によって、周りの人の態度が急に変わることはたくさんある。そのたびに、なんとか自分は自分のままでいようとするのだが、たまについ流されてしまいそうになる。そんな時私は、いつも柴田くんのことを思い出す。


 「ただの」の時も、「ガノフ」の時も、柴田くんは「普通に柴田くん」だった。常に「普通に自分」でいることは、意外と大変で、難しいことだ。それを小学校三年生で普通にやっていた柴田くんは、やっぱりすごいやつだ。


 彼が今どこで何をしているのかは、風の噂でも聞いたことがない。でもきっと、柴田くんは普通に柴田くんなんだと思う。きっと今日もどこかで、ゆで卵でも食べるような顔をしながら、例のガノフでも食べているのだろう。


 ちなみに私は、まだガノフを食べたことがない。普通に生きているけど、食べる機会がないのだ。それを小学校三年生で飽きるほど食べていた柴田くん、やはりただ者ではない。ガノフ柴田、おそるべし。

 







……。





すみません!笑



ブログのネタがいまいち思いつかなかったので、気分転換にお話を書いてみました。完全にフィクションです。昨晩急に思い立って書いたのですが、なんでこんな話を思いついたのか、自分でもよくわかりません。ただ、頭にポッと「ガノフ柴田」っていう言葉が浮かんだから、せっかくなんで笑


でも、いやあこれはこれで、楽しいね。またブログのネタが切れたらこういうこともあるかもしれません!それでは〜〜

 


寒い。

こうも寒いと、ただでさえ出不精なのに、ますます部屋から出たくなくなる。最近はゴミ捨て場までゴミを捨てに行くだけで、深くため息をついてしまう。そして部屋に戻って布団に再びダイブをして、こうつぶやくのだ。「遠い……」と。(その距離、玄関を出てわずか5歩)

さすがにこのままではいけないことくらい分かっている。より良い歌を歌えるようになるためにも、体力をつけなければならない。かと言って、ジムやヨガ教室なんかに通うようなお金はないので、選択肢は限られてくる。まず真っ先に浮かんだのはランニングだったのだが、以下のような理由で、多分続かない。

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いやあ、我ながらこの手の言い訳なら、本当にいくらでも出てくる。(歌詞は全然出てこないのにな!!!)

さて、そんなある日、「区民プール良いよ」と、ある人に勧められた。たしかに、屋内だから冬でも寒くないし、夏でも日に焼けることはないし、春秋の花粉も心配いらない。レッスンがあるわけでもないから、行きたい時に行けば良い。月会費もいらないし、何より安い。水着さえ自分で準備をすれば、すぐにでも行けるよ、と。素晴らしい、これは良いことを聞いた。テンションとモチベーションがわかりやすく急上昇した私は、その日の夜、早速ネットで水着を購入することにした。

いろんなサイトを見て回っていると、思っていたよりかなり安く一式揃えられることがわかった。たいして泳げるわけでもないし、いきなり高くてしっかりしたものを用意する必要もないと思ったので、私はとにかくお手頃なものを選ぶことにした。しかし、在庫の関係なのか、色によって少しずつ値段が違うようだった。まあべつに誰に見せるわけでもないし、形が変じゃないならあとはどうでも良いか、と思ったので、私はその中でも一番安くなっていたものを購入した。(画像は一番シンプルな黒いデザインのものしか載っていなかったので、あとの色はどれも詳細はわからなかった)

数日後、宅配便でその水着が届いた。ダンボールを受け取った私の胸は躍っていた。早速今日から、区民プールに通い始めよう。水着も買ったことだし、必要な条件は全て揃った。もう言い訳なんてしない。生まれ変わるの。私、生まれ変わるの。

そんな気持ちで、クリスマスプレゼントを心待ちにしていた少年の如く、私は飛びつくようにダンボールを開けた。


……

まぶしい


目に飛び込んできたのは、私が想像していたものとはだいぶ違う、とんでもなく鮮やかな色だった。


……


なんという

圧倒的オレンジ


そしてウエストあたりには黒っぽいラインが入っているではないか。なんだろう、この既視感は。少し気になったが、とりあえずまずは着てみることにした。そして鏡に映った自分の姿を見た私は、すぐに確信した。





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……





これは



完全に孫悟空 (少年期)




もしかしたら、長身の綺麗なお姉さんが着たら、スポーティでかっこよく決まるのかもしれない。しかしこちとら149cmである。生まれてこの方、なんていうかこう、ギュッとしているフォルムなのだ。昨年たしかに以前よりは少し痩せたが、ちっちゃいものクラブ特有の、このギュッっとした感じは、どんなに痩せても多分一生変わらないのだ。少年期の孫悟空のフォルムなのだ。

想像してみてほしい。


区民プールで、孫悟空みたいな水着を着た私が、ストレッチをしているところ。


孫悟空みたいな水着を着た私が、平泳ぎをしているところ。


孫悟空みたいな水着を着た私が、水から上がって、プールサイドをペチペチ歩いているところ。


無理だ。わたしが他の区民プール利用者だったら、絶対に笑ってしまう。「人生はネタ探し」とは自分でよく言ったものだが、さすがにこれは、全然HEAD-CHARAじゃない。全然へのへのカッパじゃない。恥ずかしさだけがSparking!して終了である。

そんなわけで、その水着は一度も活躍することなく、今もクローゼットの奥底で眠っている。もちろん、区民プールにも行っていない。だったらまた新しい水着を買って、仕切り直せば良いじゃないかと思うかもしれないが、私みたいなダメダメ人間は、一度タイミングを逃すと、再び重い腰をあげるのがとてつもなく難しいのである。

ああ、どうか、きちんと毎日運動しているそこのあなた。


オラにやる気をわけてくれ!たのむ!








今日は成人の日である。毎年この時期、街中で素敵な振袖姿のお嬢さんたちや初々しいスーツ姿の青年たちを見かけると、自分が二十歳だった頃を思い出す。 

私は当時大学生で、特にまだ将来やりたいことが決まっているわけでもなく、とりたてて熱心に勉強に励むわけでもなく、かといって他に打ち込むものがあるわけでもなく、なんとなくで毎日を過ごしていた。(音楽の方も、主にサークルでコピバンをワイワイやるくらいだった)

そのせいか、二十歳の頃にあった出来事は、そんなに細かく覚えていない。というか、具体的なことなんてほとんど覚えていない。ただ流れに身を任せて、今日が楽しければ良いや、という感じで日々を過ごしていたんだと思う。でも、毎日楽しかった。

友達がいて、好きな人がいて、欲しい服があって、したいメイクがあった。将来それが役に立つのかとか、自分の人生にとって果たしてそんなに重要なものなのかとか、何も考えずにいられた。だから、毎日楽しかった。

その反面、私は家では反抗期をまだまだ爆発させていた。両親、特に母に対しては、何を言われても「私のことなんて何も知らないくせに」と思ってしまっていた。おはよう、いってらっしゃい、おかえり、おやすみ、そんな言葉に対してでさえもだ。ごめんなさいとありがとうなんて「言ったら負け」くらいにどこかで思っていた。ちっぽけなプライドを、自分でもよくわからないうちにナイフのように振り回していた。別に誰かを傷つけたいわけでも、守りたいものがあるわけでもないのに。

そんな中迎えた成人式の日、私も振袖を着た。たしか私は、前撮りとか成人式とか、めんどくさいしお金かかるし、着物なんて準備しなくて良いよ、と言った。すると母が、「あなたのために着てほしいとかは言わないけど、私のために着てほしい」と珍しく真剣な目をして言ったので、私は渋々着ることにした。でも、その着物を母が見せてくれた瞬間、「わあ、綺麗」と思わず声が出た。

決して奇抜じゃないけれど誰とも似ていない、何十年も前のものだけれどまったく古くない、心から素敵だと思えるものだった。可愛くて、でもたしかに凛とした強さみたいなものも感じた。それは、かつて祖母が母に買ってあげたものだった。母が自分の成人式の時に着たものだった。

着付け会場に着物を持って行くと、スタッフのお姉さんがすごく褒めてくれた。本当に素敵なお着物ですね、と。もしかしたら優しさでみんなに言っていたのかもしれないが、それでも嬉しかった。自分を褒められたからというより、自分の母や祖母が褒められているような気分になって、嬉しかったのだ。でもそんなことを素直に母に報告できるわけないので、私はお姉さんに「ありがとうございます」と言うことしかできなかった。なんでお姉さんには言えるのに母には言えないんだろう、と思った。

そんなことを考えているうちに、されるがままにしていたら、着付けが完了していた。はじめて着た振袖は、想像よりもはるかにずっしりしていた。深呼吸をしたら、これまでの色んなことが頭の中を駆け巡った。

一人の人間をここまで育てるって、どれほどのことだったのだろうか。一緒に笑って、泣いて、怒って、ひどいことも言われて、都合の良い時だけ甘えて来たりもして、それでも投げ出さないで育ててくれた、親の二十年。自分のことをたくさん犠牲にしてきたであろう二十年。振袖を着てはじめてわかった、たしかな重みだった。

あの時の感覚は、それからもいろんな節目で思い出した。大学を卒業する時、音楽の道に行くと決めた時、一人暮らしをはじめた時。そしてきっとこれからも、度々思い出すのだろう。

あれから八年が過ぎた昨日、私は両親とごはんを食べに行った。真面目な話も少ししたが、基本的にはどうでもいい話をたくさんした。別れ際に、当たり前のように「ありがとね、またね!」と言った。二十八歳になった今、何の恥ずかしげもなくその言葉が言えるようになったのは、ひょっとしたらあの時の振袖のおかげかもしれない。


新成人の皆様、ご成人おめでとうございます!これからの日々が、皆様にとってより素晴らしいものになりますように。

最後に、私からは偉そうなことは何も言えないので、身をもって感じていることをひとつだけ。


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これマジだから。

八年経ってもあんまり生えてないから。


まずはじめに、あけましておめでとうございます!今年も皆さんがたくさん笑える一年になりますように。年末年始はゆっくりできましたか?私はこんな感じでした。

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年末年始は、横浜の実家でのんびり過ごした。と言っても、東京の部屋の大掃除をしていたら案外時間がかかってしまい、大晦日の21時くらいに実家に着いた。30歳の兄は、例年通り子供のように紅白に大興奮していたし、食卓に並ぶ母の手料理は、祖母ゆずりの強火でバッと煮込んだであろう、いつもの茶色いものたちだった。(これがめちゃめちゃ美味しい)父は最近ウィスキーや焼酎を炭酸水で割るのにハマっているらしく、自分の好きな割合を見つけては、これだ、これが良いな、と嬉しそうにしていた。たまに実家に寄ることはあっても、家族で食卓を囲むのはかなり久しぶりだったので、私はそれを眺めながら、なんだか安心したり、それでもたしかに白髪の増えた両親の頭を見て、ぼんやり考え事をしたりしていた。

元旦はだらだらと過ごし、2日はふらふらと近所を散歩した。昔住んでいたマンションのあたりを見に行ったり、久しぶりにかつての通学路を歩いてみたりした。近くのドラッグストアは、化粧品のコーナーが以前の何倍もの広さになっていた。毎日遊歩道を掃除していたあのおじさんは、昨年で引退されたらしい。そういえば、野良猫を連れて歩いていた猫おじさんは、今も元気だろうか。街並みは変わっていないのに、目を凝らすと変わっていることがたくさんあって、少しさみしいような気持ちになった。

実家とは言え横浜なので、いわゆる「ふるさと」的な思い入れは、遠くから上京してきた人たちに比べたら少ないのかもしれない。それでも、最近は年々少しずつではあるが、この街に来るたびに何か胸に来るものがある。自分だけ置いていかれているような、自分だけ進んでしまっているような。一人暮らしをはじめてもう何年も過ぎた。気づけば私も28歳である。そりゃそうか。

3日は、毎年母との恒例行事にしている鎌倉散策に出かけた。北鎌倉駅で降りて建長寺に行ったあと、鶴岡八幡宮で参拝をし、どこかでご飯を食べて、鎌倉駅から電車に乗って帰るというコースである。今年は父も一緒だった。

鎌倉駅周辺はまだまだすごい人で、入ろうとしたご飯屋さんも空席待ちだった。外にある椅子で待っていれば順に名前を呼んでくれるとのことだったので、父が店頭にある紙に名前を書こうとした。その時である。


「名前、ちゃんと書いてね」

父「わかったわかった」

「でたー!!いつものやつだ!!」


今更名前を間違えるなんてあり得ないし、何のことかと思うだろう。しかし、我が家にはこの確認が必要なのだ。

しばらくすると、店員さんに名前を呼ばれた。

「お待たせしました、三名でお待ちの、関さま、関さま!


……

そうなのである。我が家は、ご飯を食べるお店で名前を書く際、必ず「関」と書くのである。それはなぜか。

昔、家族でパン食べ放題の店に行った時のことである。きちんと「関取」と名前を書き、私たち家族は四人で店の前の椅子に座って待っていた。すると、

「食べ放題でお待ちの、関取さま!!食べ放題四名でお待ちの、関取さま!!!

と、店中に響き渡るような声で、元気な店員さんが名前を呼んだのである。その瞬間、周囲がざわつき始めたのだ。

「お相撲さんが四人で食べ放題来てるらしい」

「どれくらい食べるのかな」

「どこかな、誰かな、お相撲さん」

ああ……と思いつつ、他にも待っている人がたくさんいたので、伏し目がちに立ち上がる関取家一同。



「はい、私たちです……関取です……」


皆、キョトンとしながらこちらを見ている。何やらこそこそと話している。全部は聞こえなくても、次々に注がれるその視線が物語っていた。

「あれ、普通の人だぞ」

「なんで食べ放題で関取なんて名前書いたんだ」

「期待して損した」


いや、もう

なんかごめんな

びっくりするくらい普通の家族で

でも本名なんだ

あと本当にこれだけは言わせて

ウケ狙いとかじゃないから

それからである。そのような時、「関」と名前を書くようになったのは。ちなみに、「田中」とか「鈴木」にしたこともあったのだが、あまりにも本名とかけ離れていると呼ばれても気付かないことがあったため、「関」がテッパンとなった。すみません全国の関さん。たまに、お借りしてます。

もちろん、私は「関取」という苗字には誇りを持っている。なんだかどっしりしていて安定感があるし、「関取花」という並びも、地に足がついている感じの字面で、とても良い。まあ、「花」がつくことによってより溢れ出る四股名感は否めないけれど。

そんな感じで、我が関家、いや関取家は、例年通りのおだやかさとくだらなさで新年を迎えることができた。他にもいろいろ、年始から家族にはたくさん笑わせてもらった。たくさん食べもしたので、2キロ太ったけど。リアルどすこいにならないように、身も心も引き締めて行かねば。

最後になりましたが、2019年もこんな私ですが、どうぞよろしくお願い致します!!

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