夏休みの少年達が、大好きなのである。

八月になり、夏休み真っ只中と思われる彼らが、昼間から街中に出没するようになった。私は彼らを見かけるたびに、どうにもこうにも涙が出そうになる。ああ、なんて美しいんだ! と。

まだ他の色を知らない髪の毛に、お気に入りの球団のキャップ、裾が絞れるタイプの半ズボンに、マジックテープのスニーカー。変に小洒落てなくて良い、少し大きめのスーパーの二階で売っていそうな服装が良い。そこに小さなリュックなんて背負われたらもう、胸がただただキュッと締め付けられる。大人になって忘れてしまったなにか、忘れてはいけないなにかが、そこにすべて詰まっている気がするのだ。そのリュックの中に、その無駄にパンパンなポケットの中に、それぞれの小さなトムソーヤがいる、そんな気がするのだ。

そんな彼らをみていると、心身ともに夏バテしてしまっている自分が情けなくなる。しかし決してネガティブな感情ではない。私も負けていられないぞ、と思うのだ。

この時期私は、電車はなるべく先頭車両に乗るようにしている。そこには決まって彼らがいて、窓の外を眺めている。ラムネ瓶の中のビー玉みたいな瞳で、小さな手のひらを窓にくっつけて、一体なにを目に焼き付けて、なにを思っているのだろう。同じ景色だとしても、きっと私よりもすべてが青々と見えているに違いない。なにかを取り戻すような気持ちで、私も真似をして窓の外を眺めてみる。すると、毎日通っている道なのに、映画の世界のように見えてくる。

大人になると、色々なしがらみやめんどくささが先に立って、好奇心やら感受性やらに自分で蓋をしてしまうことがある。そんな時に彼らを見かけると、ハッとする。意味もなく俯いたり見下したりするのはやめて、背伸びをして、よじ登って、世界を眺めてみよう、と思うのだ。

彼らこそ、夏休みそのものである。今にも消えてしまいそうだけど、何にも代え難い、強いキラキラを放っている。それは一瞬かもしれないけれど、きっとこの先も、電車の窓の向こうに、それぞれの胸の奥に、永遠に残り続けるキラキラである。

あんまりぼーっとしていると、夏休みはどこかへ行ってしまう。見かけたら、都度都度しっぽを捕まえておこう。いつかそれが、歌のはじっこにひょっこり現れてくれるかもしれない。