月別アーカイブ / 2018年06月

つい先日、私はめでたく今年の「刺されはじめ」を迎えた。

そう、蚊である。

ここ最近は体質が変わってきたのか、刺される回数も減ったし、かゆみが長続きする事もなくなってきたが、子供の頃はとにかく全身蚊に刺されまくりで、血が出るまで何度もひっかいたものである。

そんな様子を見かねた母は、早く良くなるようにと、いつもキンカンを塗ってくれた。しかしこれがかなり強烈で、めちゃくちゃしみるのである。

太い針で肌を貫かれている感じというか、小さな傷口にデカい雷が直撃する感じというか、もうとにかく、思い出すだけで鳥肌が立つ。子供の頃の私は、蚊に刺されることよりも、そのあとに待っているこのキンカン地獄がとにかくイヤだった。もはや恐怖でしかなかった。(そもそもひっかかなければ良いだけの話なのだが)

そんな私だが、大好きな塗り薬が一つだけあった。母方の祖母が塗ってくれた、謎の薬である。

おそらく、手作りの何かだったのだと思う。祖母はそれを使い終わった牛乳瓶の中に入れていて、蚊に刺されたと言うと、指ですくって肌に塗ってくれた。うろ覚えだが、少しザラついていたような気がする。においもなく、しみることもないのに、これを塗ってもらうと一瞬にしてかゆみがとまるのであった。魔法の薬って本当にあるんだ!と本気で思ったのをよく覚えている。

それにしても、あれは一体何だったんだろうか。祖母はもう亡くなってしまったので、答えはわからない。そもそも本当に薬だったのだろうか。

思えば私の「刺されはじめ」は、毎年決まってこの時期である。そしていつも、あの謎の薬のことを思い出す。遠くへ行ってしまった好奇心が、こちらへ少しずつ帰って来る気配がする。もうすぐ夏がやって来るのだ。

蚊は大嫌いだが、この感じは嫌いではない。

梅雨と夏本番のその間、世界中のあらゆる謎がそわそわしはじめる、六月末!


先日、都内某所をウロウロしていた時のことである。

その日私は、19時頃から友人と晩御飯を食べる約束をしていたのだが、思いのほか仕事が早く終わり、30分ほど早く目的の駅に着いてしまっていた。

ただぼんやり待つにしては長すぎるし、喫茶店に入ったり買い物をしたりするには短すぎるし、どうやってこの微妙な時間をつぶそうかなあと考えた末、とりあえず駅ビルへ向かうことにした。ちょうど買いたい化粧品があったことを思い出したのだ。

目的の店へ向かおうとエスカレーターに乗っていると、背後から急に声をかけられた。

「ウシロカラミテルト、コレ、スゴイメダツー!」

私はその日ギターを背負っていた。声の主の方を振り返ると、赤毛の外国人イケメン男性が立っていた。

大事なことだからもう一度言おう。

赤毛の外国人イケメン男性が立っていたのだ。


何なの

かっこいいんですけど


「ナニガ、ハイッテイルノ?」


と聞かれたので、オドオドしながらも、ギターだよ、アコースティックギターが入っているんだよと言うと、

「ホントニ?オッキイピストル、ハイッテルノカトオモッタヨ!」

と明るい笑顔で返された。


何なの

神のお恵みなの


「イマカラドコヘイクノ?」

と聞かれたので、化粧品売り場へ行くんだよと言うと、

「ソウナンダネ、ボクモニホンダイスキ!」

と彼は言った。

ダイスキいただきました

ありがてぇ(合掌

私の行きたい店は最上階にあったため、いくつもエスカレーターを乗り継がなければならなかったのだが、彼は人懐っこい子犬のように、そのあともずっと私についてきた。

「ナニジンニ、ミエル?」

と聞かれたので、ヨーロッパなのは間違いなさそうだが、どこの国だろう…と考えていると、

「コノイロ、ミテ、ワカラナイ?」

と彼は自分の髪の毛を指差ながら、

「バイキングッテ、シッテル?」

と言うので、バイキングか、わかるよ!と答えると、

「ボクノセンゾ、バイキング、ナンダ!!




…ト、オモイタイ。」


と言った。


何その希望的観測

超かわいいんですけど


そんな話をしているうちに、目的の店に到着してしまった。化粧品を選ぶのに少し時間がかかりそうだったため、ありがとね、私はこれから買い物するから、またいつかね!と手を振りバイバイをした。


…つもりだった。


約15分後、会計を済ませて店の外へ出た私は驚いた。

さきほどの彼が立っているではないか。待っていてくれたのだ。

何なの

ダイスキかよ


「ホシイノ、カエター?」

と瞳を覗いてくる彼。その青さに吸い込まれそうになりつつ、おかげさまで買えたよ!と返すと、

「ヨカッタネ、ボクモニホンダイスキ!」

と、再びのダイスキを繰り出してきた。

何その無邪気さ

尊い(合掌

しかし浮かれてばかりはいられない。時計を見ると、もうそろそろ友人との待ち合わせ時間ではないか。上がったテンションとは裏腹に、エスカレーターでぐんぐん下っていく私たち。運命とは残酷なものね。そして彼はポツリと言った。

「ニホンダイスキ、ダカラ、モットイタインダケド、ビザガナイ」

捨てられた子犬のようだった。しかし私にはどうすることもできない。うーん、日本で仕事を見つけて働いたりしてみるとか?と言うと、彼はまっすぐ私の瞳を見てこう言った。

「ハタラキタクハナイ」

いや何その迷いのなさ

「デモ、ビザホシイ」

いや何その実に無駄のない言葉選び

「キミトケッコンシタラ、ビザ、カンタンナンダケドナ」







やられた


まさかのビザ目的


嘘だ




…ト、オモイタイ。



いや、しかしよく考えたらわかることである。誰が好んで私なんかに声をかけようか。

ギターというわかりやすい話のとっかかりアイテム、いかにも疲れていて癒しを求めてますというオーラ、あとなんだ、ぼーっとしたマヌケ面、おまけに猫背。色々とひっかかってくれそうな要素が、たまたま私から溢れ出ていたのだろう。

浮かれた私が馬鹿だった。自分が恥ずかしい。穴があったら入りたい。

…だけど、だけど。

これだけは、教えてほしかった。

じゃあ私、待ち合わせてるからバイバイね!と、できる限りの笑顔で手を振りながら、私は彼に最後の質問をした。

そういえば名前は、何?と。

すると彼は、少し考えてからこう言った。


「……ヨハン!」


いや何その微妙な間


絶対いま考えたろ


もう、私は何も信じられなかった。

でも、彼はきっとヨハンなのだろう。

いや、ヨハンだ。



…ト、オモイタイ。



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