月別アーカイブ / 2017年05月


私は小学校時代を三つの学校で過ごした。

はじめに通ったのは、ドイツの小学校であった。
父親の仕事の都合で二歳でドイツに引っ越し、日本人幼稚園に通った後、日本人小学校に通った。私の住んでいた地域は日本人の家族が多く、30人以上のクラスが各学年3クラスあった。ドイツ語の授業も週に一回くらいだったので、ほとんど日本の小学校と変わりはなかった。地域柄なのか、のんびりした子が多く、平和な空気しか漂っていない学校で、本当に良い思い出ばかりが思い出される。

しかし、小学校二年生の途中で、また父親の転勤が決まり、中国の小学校へ転校することになった。
こちらも日本人小学校で、中国語の授業も週に一回程度、やはりのんびりした子が多かった気がする。転校してすぐになんとなく友達ができて、間もなくあった学校祭でも、友達と浴衣を来て色々見て回った記憶がある。しかし忘れてはいけないのが、この浴衣は母の手作りであったという事である。

ドイツから転校してきた私は、浴衣を持っていなかった。もちろん、中国に浴衣は売っていない。今のようにネットショッピングも一般的ではなかったし、すぐに手元に準備できる環境ではなかった。しかし、友達は「学校祭では、仲良しのみんなで何かお揃いにしたいから、花ちゃんも浴衣着ようよ」と言ってくれていた。学校祭は二日後、今から買って準備するのは到底無理な話であった。でも、どうしても浴衣が着たかった。幼心に、とにかく新しい環境に早く馴染みたかったのだ。

私は母親にダダをこねた。はじめこそ「無理よ」と言っていたけれど、母親はしばらくすると、「わかった、なんとかする」と言ってくれた。それから、母親は寝る間も惜しんで、実家から持ってきた大きめのシーツのようなものを使って、手作りの浴衣を作ってくれたのだった。帯は同じマンションに住んでいる人から借りた気がする。友達は皆ピンクや水色など鮮やかな色の浴衣を着ていたが、私は真っ白いガーゼのような生地に、細かい紅葉か何かの柄があるだけの浴衣だった。確かに地味ではあったが、間違いなくあれは世界で一番素敵な浴衣だった。

しかし、たった二ヶ月ほど中国に住んだだけで、また父親の転勤が決まり、日本に帰ることになった。
転校するということは勿論事前に両親から知らされていたが、教室で「関取さんが来週転校することになりました」と先生がクラスの皆に報告した時に、私は思わず泣いてしまった。人前で泣くなんて大嫌いだったので、先生や友達に「どうしたの?」と聞かれた時、私は「転校するなんて聞いていなかった」と嘘をついた。皆は「寂しいよね、悲しいよね」と言ってくれたのだが、私はそれで泣いたわけではなかった。浴衣がなくても自信を持って学校祭を楽しめるようになるまで、この学校にいられなかったことが悔しかったのだ。なんとなく皆に混じって、一応昼休みに算数セットを使ったおままごとに参加したりもしていたが、「たまにはドッヂボールしようよ」と言いたかった。いつか言えたら良いな、と思っていたのだが、それができないまま転校するのが悔しかったのだ。

日本に帰国してから通うことになった小学校には、私がドイツに行く前、本当に赤ちゃんの頃によく一緒に遊んでいた友達が通っていた。ちなみにその子には二つ上の兄がいて、私の兄と同級生で、家族ぐるみでずっと仲良くさせてもらっていた。今考えると、転校の多い私や兄を気遣って、両親はその兄弟と同じ地域に住むことにしたのではないか、と思う。

転校してからすぐ、「プレゼント」というテーマで作品を作ろうという図工の授業があった。
私は赤ちゃんの頃から、「うさちゃん」という名前のうさぎのぬいぐるみを持っていて、絵を描くときはとにかくその絵ばかりを描いていた。よし、「うさちゃん」を主人公にした絵を描こう、と思ったのだが、周りを見渡すと皆は宇宙人の絵を描いていた。当時、私のクラスでは宇宙人の絵を描くのが流行っていたらしかった。私はすぐに迎合して、皆と同じような宇宙人の絵を描いた。理由は簡単である。またいつ転校になるかわからない、とにかく一刻も早く馴染みたい。ただそれだけであった。中国の小学校から転校することになった時、あんなに後悔したのに、結局同じことを繰り返してしまったのである。

しばらくして、なぜかその絵が横浜市の小学校の図工展のようなものに入賞したと聞かされた。
私のそのあまり思い入れのない宇宙人の絵は、関内にあるホールに展示されるとのことだったので、休日に家族で見に行くことになった。一応その絵の隣で慣れないピースをして写真を撮ったものの、それだけ済ますと、「はい、じゃあもう行くよ!」と母はさっさとそのホールを出ようとしたのであった。

母は、「上手に描けてるねぇ」とは言ってくれたが、それ以上のことは言わなかった。私が広告の裏にマッキーで「うさちゃん」の絵を描いた時の方がよっぽど褒めてくれたなぁ、と思うと、その心理が私にはよくわからなかった。普通、子供が何かで賞をとったら、親というのは、「すごいわね!さすが私の子!」みたいな感じで褒めるものなんじゃないのか? そんなことを思ってとぼとぼと母のうしろを歩いていた。

すると母が、「花ちゃん、どうして宇宙人の絵を描いたの?」と聞いてきた。私はドキッとして、正直に「皆が描いていたから」と答えた。すると母は、「だよねぇ、でもお母さんは、宇宙人の絵で賞をとる花ちゃんより、うさちゃんの絵をニコニコ楽しそうに描いている花ちゃんが好きだなぁ」と言った。少し、泣きそうになった。

それから、学校生活でもなんでも、もっと自分らしくしようと思った。
お腹が空いていたら、胸を張って給食のおかわり戦争にも参加した。(結果、すごく太った。)めんどくさかったから、風呂に入らなかった。(それは毎日母親に怒られていた。それは「らしさ」じゃなくて「怠惰」だと。)
でも、そこから急激に毎日が楽しくなったし、今でも大親友でありこのブログにも何度も登場しているRちゃんとも急速に仲良くなったりした。あの時、母が私の宇宙人の絵を、賞をとったからと言う理由で褒めちぎっていたら、きっとそうは行かなかったと思う。


さて、なぜこんな話をしたかと言うと、私は今、曲作りに完全に煮詰まっているのである。
もう長いこと、頭にドーンと石が乗っかっている。これまでにはなかった、重く、大きい石だ。どんな歌詞を書いても、どこかを切り取られて、本来とは違う解釈をされたらどうしよう、ということばかり考えてしまう。無数の槍から自分を守るために頭に乗せた石のせいで、自分がどんどん押しつぶされて行く。腕を伸ばして深呼吸することも、空を見上げることも、忘れてしまいそうになる。

そんな時にはいつも、この小学生時代の転校のことを思い出す。そしてその度に、我に返るのだ。

新しいアルバムを出したり、新しい仕事に挑戦をしたりすると、新しい評価が下される。それは嬉しいこともあれば、悲しい事だってある。でもそれは、たまたま誰かに、その時馴染まなかっただけの話かもしれない。時間をかけてでも、きちんと自分らしくいたら、いつか分かりあえるかもしれない。手軽に愛されようとしたり、安心できる場所にあぐらをかいていては、いつまでたっても始まらない。失敗しながら、たくさんの仲間を作って行けば良いじゃないか。
私は死ぬまで、転校生だ。







「大人の紅茶」という商品をご存知だろうか。

コンビニなどで売っている、1リットルの紙パックの紅茶である。普段家では基本的に水しか飲まない私だが、あれが無性に飲みたくなる時があるのだ。

私の家の近くには数軒コンビニがあるのだが、この「大人の紅茶」を扱っているところは一軒だけである。家からは徒歩15分ほどかかり、決して近いとは言えない距離だが、これが飲みたい時に限っては、出不精の私も何かに取り憑かれたかのような大股で、思わず早歩きをしてそのコンビニへ向かってしまう。

遡ること約一年前、その日はスタジオで個人練習をし、なんだかたくさん歌って気分が良かったので、重いギターを背負ったまま私はそのコンビニに向かった。目的は勿論「大人の紅茶」である。

自動ドアが開くと同時に、私は一目散に紙パックの並ぶ冷蔵棚へと向かった。なんの迷いもなく大好きなアップル味を手にし、レジに並んだ。実に無駄のない動きだ。家に帰ったら、お笑いのDVDを見ながらこいつをストローでチューチューするのだ。ちょうどDVD一枚が見終わるくらいのタイミングで飲み干せるはずだ。そのあとは、心地の良いお腹のチャプチャプ感と共に、そのままベッドにごろ寝でもしようか。

そんなことを考えているうちに、レジは私の番になった。

「いらっしゃいませぇ。」

と、白髪混じりの店長さんが言う。商品を差し出す私。しかし、一向にピッとやってくれる気配がない。店長さんは、紙パックをじっと見つめている。

「…大人の、紅茶。大人の、ね。」

そう呟くと、私の顔を見て、店長さんはこう続けた。

「君にはまだ、大人の紅茶は早い!」

一瞬何が起きたかよくわからなかったのだが、店長さんが満面の笑みでそう言ってきたので、私も思わず、

「やっぱり?そうですよねぇ!」

と答えてしまった。

「まぁ、今日は良いだろう、部活?楽器頑張ってるんだねぇ。」

なるほど、確かに私は身長も低いし、そう思われても仕方がない。しかし、嘘はいけない。

「あ、いや、もう学生ではないんです。意外と、大人なんですよ。」

一応弁明してみたが、

「嘘だね!!」

と自信満々に返されてしまった。

正直もうどうしていいかわからないのと、後ろに他のお客さんが並んでいるのもあって、

「嘘です!学生です!でも大人になりたいからこれ下さい!」

と咄嗟に嘘をついて、急いでお会計をしてもらった。

なんだったんだろう……と思いながら、その日は家に帰った。とりあえず、悪気があるとかそういう感じではなかったし、単純に冗談が好きなおじさんなんだろうと思うことにした。

そして数ヶ月後、また無性に「大人の紅茶」を飲みたくなってしまったので、私はそのコンビニに向かった。店長さんは私のことをなんとなく覚えてくれていたらしく、また声をかけてくれた。

「だから、君にはまだ早いよ、部活は順調?それより、今日は平日の昼間なのに学校サボってるだろ!」

正直、ちょっとめんどくさいなあと思ってしまった。とにかく早く帰りたい。早く「大人の紅茶」が飲みたい。

「はい、おかげさまで順調です!今日はテスト休みなんです!」

私はまた、小さな嘘をついてしまった。べつに誰に迷惑をかけるわけでもないし、これくらい良いだろう、と。

そんなことが、数ヶ月おきに、何度か続いた。
自分ではない自分を作り上げて話をするのは、正直楽しかった。学生時代に戻ったような気分になったし、少しずつ店長さんとも距離が縮まっているような気がして、嬉しかった。どのタイミングで本当のことを言おうか。いつか、この店長さんがうっかりテレビなんかつけた時に、私が歌っているのを見かけてびっくりしてくれたらいいなぁ、そんなことを考えたりもした。そしていつか、「そういえば君、学生じゃなかったんだな!テレビで見たぞ!」なんて言ってくれたりしたら、なんだか嬉しいなぁと想像してみたりもした。

先日、どうしようもなく「大人の紅茶」が飲みたくなったので、かなり久々にそのコンビニへ行った。自動ドアが開くと同時に、私は無意識に店長さんを探していた。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。よく見ると、ところどころ店内のレイアウトも変わっているではないか。それまではなかった手書きポップなんかもあったりして、なんだか少し印象が変わった感じがした。

レジに並ぶと、ずっと変わらずそこで働いているお兄さんが接客をしてくれた。 

「少し、お店の印象変わりましたね。」

と言うと、

「あぁ、実は店長が変わったんスよ!」

とのことだった。

「あぁ、なるほど……」

とぼんやり呟きながら、私は「大人の紅茶」を難なく購入した。

その帰り道、私はモヤモヤしていた。あの店長さんがいなくなって寂しいというのはもちろん、結局わたしは嘘をついたままだったなあと思ったのだ。いつか本当のことを言えばいいじゃないか、そう思っていたのだが、それももう叶わない。どんなに小さなことだったとしても、嘘が嘘で終わってしまったことに変わりはないのだ。そして、きっとこれだけに限らず、いつか、いつか、と思っているうちに、結局小さな嘘をついたままやり過ごしてしまっていることがたくさんあるんだなあ、と思った。

もちろん、大それた嘘をついたりはしていないし、ごく個人的な範囲ではある。元気じゃないのに元気なフリをしたり、気にしているのに気にしていないフリをしたり、自我よりも今自分に求められていることは何なのかということばかりを気にしてしまったり。たしかに全部必要なことだし、一つ一つは小さなことだし、ちゃんと頑張っていればいつかわかってもらえるとか、いつか笑い話にして話してやる、と思ってのことだが、それでもやっぱり、日に日に、少し息苦しいな、と思うことが増えているのも事実である。

そんなことを考えているうちに家に着き、私はいつものように「大人の紅茶」を飲みながらお笑いのDVDを見ることにした。もう何回も見たコントだ、次にどんなセリフが来るのかも、どんなオチなのかもわかっている。でも、だから良いのだ。脳を介さないで、酒の力を借りないで、ただカラカラと笑いたい時があるのだ。そんな時は、これが一番良いのだ。

そうこうしている間に、あっという間にDVDも「大人の紅茶」も終わってしまった。真っ暗な部屋で、煌々と灯るパソコンの画面をぼーっと眺めていたら、無理矢理に満たしたお腹が、不気味にチャプチャプと音を立てた。いつかこの虚しいチャプチャプに溺れてしまうんじゃないか、と思うと、なんだか少し怖くなった。 

26歳、「大人」に溺れないで、きちんと大人になって行かねばならない。そんなことを思う、今日この頃である。




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