昨日は宮城県はみちのくキャンプ場にてARABAKI ROCK FEST.に出演させていただいた。澄んだ空気と恵まれた天気、何より素敵な出演者の皆さまばかりの本当に最高のフェスだった。
私は今年からできたMOVE ROUNGEというステージで演奏したのだが、正直向こう側の大きいステージから聴こえるウルフルズさんの熱量に少しやられてしまって、というか、うわぁめっちゃ観に行きてぇ…ここで見たら最高だろうなぁという己の欲望に半分意識を乗っ取られてしまった。もっと集中して、良い演奏ができたはずなのに。ずっと出たかったフェスだからこそ、凄く悔しかった。終わったあとちょっと泣いた。もう誰にも会いたくない、穴があったら入りたいとさえ思ったが、スタッフさんにせっかくだからケータリングを食べて行こうと言われ、ならば、とありとあらゆる肉料理をビールで流し込んだ。ソーセージ、ケバブ、チキンサラダ、牛タン、豚肉のトマト煮…絶対にリベンジするぞという闘志をぶつけながら、無我夢中で食べて、飲んだ。するとみるみるうちに復活した。無論、現在絶賛胃もたれ中である。これだから単細胞は困る。

ところで、宮城県は私の母方の祖父の故郷であった。私が生まれた時には祖父母は山形に住んでいたので、祖父の実家に行ったことはないが、ライブで宮城県に来る機会があると、やはり必ず祖父のことを思い出す。

私は祖父のことをターちゃんと呼んでいた。祖父の名前は、「問」と書いて「ただす」と読む。だから、ターちゃん。ちなみに祖母の名前は「愛」だったのでアーちゃんと呼んでいた。私が物心ついた時には祖父は仕事を定年退職していて、趣味の園芸と畑に精を出していた。祖母は美容師で、自分の美容院を持っていたので、亡くなる前に入院するまで、ずっとはさみを握っていた。2人とも歳を取っても自分にとっての楽しみを忘れずに人生を謳歌している感じが、とても「おじいちゃん」「おばあちゃん」という感じがしなくて、なんだかそんな呼び方をしたくなくて、ターちゃん、アーちゃんと呼んだのだった。
私はターちゃんとアーちゃんが本当に大好きだった。自分の大切な祖父母であり、人生の先輩であり、友達のようでもあった。2人との思い出は語っても語り尽くせないが、今日はせっかくARABAKIに出演したことだし、宮城県を故郷に持つターちゃんの話を少ししようと思う。

ターちゃんはいつも、誰よりも朝早く起きて、庭から日が差す畳の部屋で、新聞を読んでいた。コーヒーとタバコをお共に、耳に赤鉛筆をさして、気になる記事に赤丸をつける。あとで読み返したい記事は丁寧にはさみで切って、スクラップした。兄が宇宙飛行士に憧れていた時期なんかは、宇宙の記事を見つけるとファックスで送ってくれた。そして夜には同じ体勢で、日記を書くのだった。
日中は先にも述べた通り、園芸と畑仕事に精を出した。母の実家の庭は植物だらけで、いたるところに鉢植えがあった。年々それは増えていって、ある頃には二階の一室まで鉢植えが侵食していた。それでも枯れているものはなかったように思う。畑は自家菜園の畑版とでも言おうか、決して大きいものではなく、家から歩いて10分ほどのところにある、趣味用の畑を借りたものだった。季節ごとに色んな野菜を育てていたが、中でも私が好きだったのはモロヘイヤだった。ターちゃんの畑でとれたモロヘイヤは、もちろん無農薬で、スーパーで見かけるものよりも青々としていた。私達はいつもそれを刻んでネバネバにして、醤油とあえてご飯にかけて食べた。ターちゃんはモロヘイヤや納豆など、ネバネバするものを好んで食べていた印象がある。ネバネバで言うと、それが原因で私はターちゃんをひどく傷つけたことがある。

ある日、ターちゃんとアーちゃんと回転寿司に行った時のことである。色んなお寿司が目の前を通り過ぎて行く中、その日もターちゃんは納豆巻きを好んで食べていた。たらふく食べて店を出て、車に乗る前にターちゃんがタバコを一服していた時のことである。くわえたタバコを口から離すときに、一本の透明な糸が伸びたのが見えた。納豆の糸である。ターちゃんはそれに気づかず、ニコニコしながら私に話しかけてきてくれた。しかし私は糸が気になって仕方がない。もともとタバコの臭いが苦手だったのもあり、イライラして、ひどいことを言ってしまった。当時私は小学校にあがるかあがらないかくらいの歳である。

「ターちゃん、たばこから納豆の糸が引いていて気持ち悪いよ」

ターちゃんは私をじっと見つめて、少し悲しそうに、困ったように笑って、そっとタバコの火を消した。あの時のターちゃんの顔を、今でも忘れられない。はじめて、「私は今、人を傷つけた」と気づいた。だけどどうしていいかわからなかった。今考えればすぐに謝ればよかったのだが、当時はそう思うほどにそれができなくて、もっとふてくされてしまった。そして、アーちゃんが小さく言った。

「そんなこと言うもんでねぇよ」

山形弁の温かいなまりが、その時はなぜか妙にピシャリと響いた。いつも笑ってニコニコして、暇さえあれば花ちゃんはめんこい(可愛い)ね、めんこいね、と言ってくれたアーちゃんの、はじめてみる真っ直ぐとした射るような眼差し。幼心に、「とんでもないことをした」と思った。そのあときちんと謝ったかどうかは、もう覚えていない。ただ、大好きな人を傷つけて、もしかしたら嫌われてしまったかもしれないというあの時の恐怖心は、忘れられない。

私が大学生の時、ターちゃんは亡くなった。冬の寒い夜だった。一度倒れて入院したが、無事に助かって退院し、やっと大好きな家に戻ったばかりの時だった。雪のかぶってしまった植物たちの様子を見に行ったのだろう、暖かい家から出て、キンと冷えた空気を急に浴びた反動で、倒れてしまった。そしてすぐに病院に運ばれたが、だめだった。
私はターちゃんが亡くなった知らせを聞いてすぐに、母の実家に向かった。棺桶に入る前のターちゃんは、いつもと同じ顔をしていた。優しくて、かっこいいターちゃんだった。綺麗に髪を整えて、最後に唇に、大好きだったコーヒーをポンポンと塗ってあげた。クリープ入りの、柔らかい色をしたコーヒーだ。棺桶にはターちゃんの大事にしていたものをたくさん入れてあげた。私は納豆巻きを入れてあげたかったが、コーヒーと納豆巻きは合わない気がして、やめた。何より、それであの時傷つけたことを精算した気になるのが嫌だった。

ターちゃんのことだから、気にしてないよと言うだろう。アーちゃんもきっと、覚えてもないよと笑うだろう。でも、あれからずっと、私は大好きな人に嫌われるのが、とっても怖い。

いつも、人に嫌われたくなくて、試行錯誤して生きている。当たり前のことだ。生憎私は嫌いな人には嫌われてもいいなんて言い切れるほど肝が据わった人間じゃない。知らないうちにわざとおどけて見せたり、明るく振舞って、家に帰ってからそんな自分が嫌で1人落ち込む、そんなことの繰り返しだ。

でも、私には今ありがたい事に歌がある。嫌われても、ハマらなくても、だったら次はその人にも刺さるような歌を作ろうという闘志に変えられるものがある。だからこそ、チャンスのところでガッツポーズを決められないと、凄く悔しいけれど、何度でも這い上がろうと思える。

私の歌を、ターちゃんは聴いたことがない。まさか歌を歌いに故郷に来ているなんて、思ってもいないだろう。そして、きっとまだまだ届いてもいないと思う。ターちゃんのいるところまで私の歌が届くようになるには、きっとまだまだ時間がかかる。もっと良い歌を歌って、有名にならねばならない。頑張ろう。納豆巻きのことは、いつか明るい曲にでもしようと思う。しっぽり謝られたって、またターちゃんはきっと困ったように笑うだけだろうから。

こういう少し真面目な話を書くと、なんだか照れくさい。またすぐにおどけて見せたくなる。今も必死で、何かオチがないか考えているのだが、どうにも見当たらない。どうしたものか。まぁ良いか、あれだし。よくわかんないけど、春だし。