月別アーカイブ / 2016年01月

はて、私がジョンジョロリンに会えなくなってしまったのはいつからだろうか。

私は2歳から8歳になる年までの約6年間、幼少期をドイツで過ごした。今思い返しても本当に楽しい、美しい思い出ばかりである。通学路には野ウサギが普通にぴょんぴょんしていたし、盲導犬を連れたおじいさんとその犬には毎朝決まって「グーテンモルゲン!」と挨拶をした。目は見えないようだったけれど、声や音で私と兄とすれ違うのがわかるようだった。春になればイースターで卵にペイントをして飾り、夏はライン川で水遊びをした。秋になれば学校祭でフォークダンスを踊り、冬になればグラウンドに張った氷の上をスニーカーで滑った。クリスマスには大家さんのポールおじいちゃんとその奥さんとクリスマスパーティをした。
その他にも、年に数回やってくる移動式遊園地のキルメス、ランタンを持って夜の街を歩くラッターネ(ラテルネ)、街中の人が仮装をして闊歩するカーニバル…日本のように桜や紅葉はなかったかもしれないが、毎年やってくる恒例行事で季節を覚えた。当たり前のように過ごしていたけれど、思い返すと本当に貴重な経験をたくさんして来た。今ではとんだひねくれ野郎になってしまった私だが、あらゆることを斜めに見てしまいそうな時でも、あの頃のことを思い出せば、なんだか優しく純粋な気持ちになることができるのである。

ドイツでの日々を思い返すと、必ずそばに家族がいる。週末や休みの時期になると父は私たち家族を車でどこにでも連れて行ってくれた。宿がとれず、民家に突撃して泊まったこともあった。はじめてのエスカルゴも何の躊躇もなく食べた。「騙されたと思って食べてみろ」これが父の口癖だった。偉そうな事は一切言わない父だが、家族の絶対的リーダーだった。「何かあればお父さんについて行けばなんとかなる」、異国の地にも関わらず何の不安もなく過ごせたのは、間違いなく父のおかげだったと思う。
スポーツも万能で読書家、そんな父にも苦手な事があった。歌と絵である。この男、てんでそこらへんがダメなのである。母は地元のNHK少年合唱団に入っていたこともあるらしいのだが、父はカエルの歌さえまともに歌えないオンチなのである。家族でドライブをしている時に父が歌い始めると、私と兄は決まって、「アーーーーー!!」と叫びながら耳をふさぐふりをした。ドイツのアウトバーン(高速道路)は長く、暇な時間が多かったため、よくこの遊びをして遊んだものである。

そしてもう一つ、トンネルに入ると現れる「ジョンジョロリン」というのがあった。ドイツのトンネルは長く、暗い。車も割とすごいスピードで走っているので、なんだかとんでもないところに閉じ込められた気がして、はじめのうちはとても怖かった。そんな私たち兄弟を見かねたのか、父はある日から、トンネルに入ると「ジョンジョロリンが出るぞ!ここはジョンジョロリンの住処だから暗いだけだ!」と言い始めた。それから私たち兄弟はトンネルが大好きになった。ドライブの一番の楽しみはもはやジョンジョロリンだった。トンネルが見えると、「ジョンジョロリンが来るぞーーー!!」と叫んだ。
ある日私は父に、「ジョンジョロリンてどんな見た目をしているの?」と、絵を描いてくれとせがんだ。すると父は迷いのないペンさばきでジョンジョロリンを描いてくれた。


 
完全にただのカビルンルンだった。




それでもあの頃はえらく感動したもので、私の中のジョンジョロリン像は確固たるものとなった。トンネルに入ればいつだってその絵を想像した。カビルンルン、いやジョンジョロリンは、確かにそこにいたのである。

そうこうしているうちに父の転勤が決まり、私たち家族は中国へ引っ越すことになった。正直、ドイツとの文化の違いは衝撃的だった。ほこりっぽい道路には運転の荒すぎるタクシー、すさまじい数の自転車が走っていた。結局中国に住んだのは二ヶ月ほどだったが、こちらでも違うベクトルで、かなり濃い出来事に色々と恵まれた。話すと長くなりそうなので、この話はまた今度にしようと思う。

そして日本へ帰国したある日、家族四人でドライブに出かけた。久々に綺麗な高速道路を走った。やがてトンネルに差し掛かった。そして誰からともなく、「そういえば、ジョンジョロリンていたよね」と言い出した。「あー、いたね、そんなの」「なんだったんだろうね、あれ」そんなことを言いながら、車はやがてトンネルを抜けた。


一昨日、東京にも雪が降った。朝目が覚めてカーテンを開けたら、あたり一面真っ白だった。昔のような胸の高鳴りはこれっぽっちもなく、電車が止まるだろうなとか、すぐに雨が降ったから次の日は地面ツルツルで危ないだろうなとか、そんなことがすぐに頭に浮かんだ。寒かったから窓も開けずに再び布団に潜って、週刊誌の芸能ゴシップを読んで、寝た。

夢を見た。家族四人でドライブをする夢だ。トンネルの中を走っている。ジョンジョロリンは、もう出てきてくれなかった。



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先日、某激安の殿堂に行った時のことである。

正月太りを解消できぬまま1月も中旬にさしかかり、確かな身体の重みと焦りを感じながら、私は手軽なダイエット器具を探していた。さすがボリューム満点激安ジャングル、かなりの種類を取り扱っている。最近は家の中でもフィットネスが行える器具もかなり出ているようで、陳列棚に高く積み上げられたそれらを見ているだけで胸が躍った。

しかし、私の今住んでいる部屋は6畳しかない。そしてその部屋には既に、ベッド、作業机、テーブル、ギター5本、キーボード、アンプ、レコードプレーヤー、本棚、コート掛け、空気清浄機などが、テトリスをするようにひしめき合っている。正直、これ以上物は増やしたくない。本当はバランスボールがちょっと欲しかったが、それは泣く泣く諦めた。すると、ある商品が目に入った。小顔ローラーである。
効果があるのかないのかよくわからないながらも、この10年くらいは常に見かけるこちらの商品、高いものだと15000円、安いものだと1000円弱からあるようである。これなら場所もとらないし、お手頃価格のものを一度買ってみるのはありかもしれない。何より、ズボラな私でもこれなら「ながら」で続けられそうである。大好きな「ごっつええ感じ」のDVDを見ながら、コロコロしてりゃいいなんて、最高じゃないか。ていうかあれ、正直楽に痩せたい。面倒なことはしたくない。顔が一番手っ取り早いだろ。痩せた感じ出るだろ。

ということで、小顔ローラーをいざ手に取ってみようとしたその瞬間である。真横から香辛料の香りがフワッと立ち上がるのを感じた。

右を見ると、かの有名なプロレスラー、タイガー・ジェット・シン似(知らない方は是非調べてみて欲しい)のインド系と思しき男性が、こちらを見て微笑んでいる。目が合ったのでとりあえず微笑み返しはしたものの、私は内心かなりビビっていた。激安の殿堂特有の狭い通路は、どこをとっても死角と言えば死角、何をされても誰も見つけてくれないかもしれない。何しろ相手はタイガー・ジェット・シンである。新宿伊勢丹でプライベートで買い物をしていたアントニオ猪木を白昼堂々襲撃したあの男である。早く小顔ローラーを手に入れてこの場から立ち去りたい。しかし、小顔ローラーは右斜め上のフックにかかっている。そう、まさにタイガー・ジェット・シンの目の前である。はてどうしたものか、実際の時間はものの十数秒だったとは思うが、体感的には10分を超えていた。

すると、その沈黙を割くかのように、タイガー・ジェット・シンが何やら話しかけてきた。



「…シテマスカ?」



よく聞こえなかったので、思わず聞き返した。



「…へ?」





「…パズドラシテマスカ?」






あまりに突然の質問に、私は思わず声を失った。
一瞬で頭の中に色んなハテナが駆け巡った。しかし私にできることは、とりあえずその質問に答えることだけである。とにかく嘘をつかずに正直に言おう。



「スミマセンシテマセン…。」


なぜか私までカタコトで答えてしまった。すると彼は、とても悲しい顔をして、


「ソウデスカ…。」



と言った。白昼堂々激安の殿堂に現れたその男は、私を襲撃することもなく、その場から静かに立ち去った。一体あれはなんだったのだろうか。


そういえば、私はインドとかちょっとお顔が濃いめの国の方々に声をかけられることがなぜか多い。少し前も、ファミリーマートで深夜バイトをしているタイ人の店員さんになぜか連絡先を聞かれた。スタジオでの深夜練習の帰りに立ち寄るといつも笑顔でレジを打ってくれたその店員さんは、28歳の留学生だと言う。



「イツモ、チェロ、モッテイテ、タイヘンデスネ」


素敵な笑顔で話しかけてくれたその人に、これは私の身体が小さいだけで、実はギターなんだよ、とは言えなかった。連絡先はまた今度ね、と言ってなんとなく濁しているうちに、その人はいつの間にかお店からいなくなっていた。でも大体見当はついている。なぜなら彼はお店の電話でいつも家族に電話していた。言葉はわからなくても、電話口の向こう側が姪っ子に変わった瞬間などが、なんとなくわかった。毎日のように国際電話をしていたら、相当の電話料金である。おそらくそれが店長にバレてクビになったのではないかな、と私は踏んでいる。


幼少期、トルコかどこかに行った時もこんなことがあった。白人の方が多いヨーロッパでは、色白で一重の、私よりももっといわゆる日本人顔の兄の方が可愛がられることが多かったが、そこでは違った。現地でついたガイドさんは、私をとても可愛がってくれた。そして言われたこの一言を、今でも私はしっかりと覚えている。




「コノコカワイイデス、フトッテテ」


当時小学生にあがるかあがらないかくらいの歳ではあったが、なんとなく胸にガツンときたのは間違いなかった。



でも、どんな形であれ好かれたり声をかけられたりするのはとても嬉しい話である。しかしなぜ濃い顔の方々ばかりなのか。なぜ日本人からはモテないのか。


そんな私も、たった一度だけ日本人の方から連絡先を渡されたことがある。


それはワンマンライブに向かう途中の電車の中で起きた。私は、着替えなどを入れた大きなエコバッグを膝に乗せて座っていた。ウトウトしていたら、サッと横から一枚のレシートをエコバッグの中に入れられた。よくわからないままレシートを入れてきた人の方を見ると、「読んでください」とだけ告げて、彼は下車し、ホームの人混みの中に消えていった。

なんだろうと思いながら恐る恐る開けてみると、ラブレター的なものだった。自分で書くのはなんだか小っ恥ずかしいが、横顔がとても素敵で、タイプだと書いてあった。そして、連絡先が書いてあった。



ocean0720@○○○.co.jp


 
ocean=海

0720=7月20日=海の日




たぶんこの人海めっちゃ好きだわ…。



そんなことを思いながら手紙を読み進めてみると、こんなことが書いてあった。



「僕は沖縄出身で、最近東京に来たばかりの者です。良かったら連絡ください。」



やはり…



海人(ウミンチュ)…




やっぱり日本の方でも顔が濃い方に好かれるのだろうか。謎は深まるばかりである。







===近況===
勝手にラジオはじめました。




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