月別アーカイブ / 2015年10月

学生時代にアルバイトをしていたドラッグストアが、都内某所にできていた。
チェーン店ではあるが、都内に何店舗もあるマツモトキヨシなどとは違い、郊外やそれよりもっと田舎の方に主に展開しているお店だったはずなので、少し驚いた。なんだか懐かしくなって、特に必要なものもなかったが、私は気付けば店内に足を踏み入れていた。プライベートブランド用品のゴリ推しと、無駄な食料品の充実具合は相変わらずで、なんだか少し安心した。アルバイトの子達が着ている白衣もそのままだ。ほとんどの子に「研修中」の札がついている。私にもそんな時期があったなあなどと無駄な老婆心を働かせつつ、店の奥へと進む。お店の間取りも棚の置き方も、ましてや建っている場所も違うのに、なんだかタイムスリップをしたような気分になった。

私は高校2年生から大学を卒業するまでの約5年間、家の近所にあるこのドラッグストアでアルバイトをしていた。高校1年生の時はスーパーでレジ打ちのアルバイトをしていたが、アイスコーナーの真ん前のレジの担当になると、決まって風邪をひくということが判明し、そのアルバイトはすぐに辞めた。そして、他のアルバイトを探さなきゃなあ、と思っていた矢先、このドラッグストアで運命の再会をしたのである。

ある日私は、母におつかいを頼まれ、自宅から徒歩5分ほどの距離にあるドラッグストアへ出かけた。必要なものをカゴに入れ、レジへ向かった。すると、

「花!何やってんの!」

とレジの女の子が話しかけて来た。そう、私の大親友、Rちゃんであった。Rちゃんとは小学校2年生の時からの大の仲良しで、小学校時代は常に行動を共にしていた。中学に入ってからも、学校こそそれぞれ違ったものの、年に数回は遊んだりしていた。しかし、高校生になってからはお互い忙しく、メールのやり取りくらいになっていたので、それはそれは感動の再会であった。

「何って、お母さんにおつかい頼まれて買いにきたんだよ。Rはここでバイトしてたんだね、知らなかった!」

するとRちゃんは私の腕をバシバシ叩きながら、

「そうだよ!ていうか花は今アルバイトしてないんだよね?探してんだよね?働こうよ、一緒にバイトしようよ!」

と言って、レジもそっちのけで社員さんのところへ私を連れて行ってこう言った。

「この子、私の親友で、アルバイト探してて、仕事も超できますし!お願いします!」

私はあたふたしながらも、内心これはめちゃめちゃラッキーだと思いながら、社員さんにキラッキラのスマイルで、千と千尋の千尋並みのピュアさで、「ここで働かせてください!!」と言った。すると、早速店長が奥からやってきて、翌日面接をしてくれる運びとなった。そして即日採用となり、面接の数日後からはアルバイトとして早速そのドラッグストアで働くことになった。


社員さん、パートさん、Rちゃんを含むアルバイトの皆は、本当に皆親切で、ほどよくゆるくて、とても居心地の良いアルバイト先だった。その証拠に、私とRちゃんはそこに5年間勤務したし、パートさんたちも、お子さんの受験などを理由に辞めてしまう人はいたが、基本的にはずっと同じメンバーだった。誰かが辞める時には盛大に送別会をした。パートさんも社員さんもお酒を飲んで夜まで楽しく冗談を言い合ったりしていて、本当に私はこのアルバイト先に出会わせてくれたRちゃんに感謝の気持ちでいっぱいであった。

しかし、別れは突然やってくるものである。大学4年生の1月、私はいつものようにRちゃんと品出しをしていた。すると店長が私たちのところへやって来て、サラッとこう告げた。


「来月で閉店なんです」

「ほ~…」


ショックはなかった。何せ私とRちゃんは、大学を卒業したらこのアルバイト先も卒業するということはずっと前から決めていて、店長や社員さん、パートさんにも報告済みだった。店長もそれを知っていたからサラッと言ってくれたのだと思うが、やはり5年間務めたバイト先が閉店するというのはとても寂しいものがあった。バイトの帰り道は、いつもRちゃんと自転車に乗って帰っていたのだが、その日は自転車を手で押しながら帰った。「せめてあと2ヶ月続いてくれれば気持ちよかったのにね」「そうだね」そんなことを話しながら、私たちはグダグダと坂道を下って行った。そして信号に差し掛かったあたりで、二人のどちらからともなくこんなことを言った。


「でもさ、よく保った方だよね」



「だって毎日大量のパン半額で売ってんだもん」



そう、何を隠そう私たちのアルバイト先のドラッグストアでは、毎日意味がわからないくらい大量のパンを発注しては、売れ残った分で賞味期限が翌日付けのものは19時をすぎると半額シールを貼って店の一番目立つところにドンと展開するという、あまりに非生産的なことを行っていたのである。

私たちの働いていたドラッグストアは、観光客や通りすがりの客をメインターゲットにしている渋谷とは違い、完全に近所の人達に向けて建てられたものだった。5年間もアルバイトをしていれば、店にくる大抵の人はよく見る常連さんだということくらいわかった。常連さんばかりだということは、皆19時になればパンが半額になることを知っている人ばかりということになる。

毎日のアルバイトで、唯一苦痛だった仕事がある。それが、「半額シール貼り」の作業であった。18時50分頃から、まずはパンの棚から半額にすべきパンを買い物かごに収集する作業に入る。多い日だと持ち手があがらないくらいパンパンになる時もあった。(しかも買い物かご2個分)

そして、半額シールをどんどん貼っていくわけだが、もうこの時間には背後に異常な気配を感じ始める。
そう、私とRちゃんが「四天王」と呼んでいた、半額ハンター常連達が、背後からカゴに入ったパンの中から自分のお目当てを選りすぐっているのである。はじめのうちは、半額シールがすべて貼られて棚に並べてから手に取ってくれていたが、もう5年も働いていると、「いつものアルバイトの子だ」ということで、無言の圧力をかけてくるのであった。




「俺はいつものあれだぞ、コロッケパンだぞ

お前、わかってるよな」





背中から槍で一突きにされているかの如くバシバシに感じる視線。耐えられなかった。
この四天王にはそれぞれあだ名がついていた。私とRちゃんが5年間のアルバイトで培った経験と知識をもってしてつけた、渾身のあだ名である。


・無駄な抵抗おばさん(毎回変装をしてくる)
・孫おばさん(孫が喜ぶから、孫に頼まれるから、と言っていつも買っていくのは豆パン)
・私じゃないのよおばさん(私じゃなくて、近所の人に頼まれてたのと毎回言い訳をしてくる)
・名探偵おじさん(17時頃に一度偵察だけしに来る)



冗談抜きでこの四天王からの無言の圧力といったら尋常じゃなく、アベンジャーズでも勝てないのではないかというくらい不穏かつ邪悪なオーラを纏っていた。アンパンマンなんて2秒でやられると思う。

そんなこんなで私たちは半額ハンターたちにびくびく脅えながら毎日せっせと半額シールを貼っていた。だからこそ、気付いていた。こんなんしてたら潰れるだろ…と。そして案の定、潰れた。


渋谷の店舗では、この半額パン祭りは行われていなかった。店舗による経営方針の違いなのか、はたまた渋谷というドラッグストア激戦区において意地とプライドのぶつかり合いをしているのか。真相は定かではない。ただ、なんだか寂しい気もした。都会に迎合しちまったのね…と。


あの日の思い出と、今はもう二度と出会うことなき半額ハンター達に思いを馳せながら、さあ店を出ようかと思った時のことである。私は見た。「研修中」の札をつけたアルバイトの女の子が、先輩アルバイトから何やら教えられているところを。そしてその右手には、



半額シールの束が握られているところを…








「痩せたい」そう切に願って幾日かが過ぎた。きちんと自炊をし、炭水化物や間食を減らしたりしているおかげか、少し身体が軽くなったような気がする。しかしそうは言っても理想にはまだほど遠く、手が届きそうにない。年内に木村カエラさんみたいに細くなると誓った私は、10月になった今でも何も変わらず安定のレゴ体型である。しかし今は、とにかく焦らず根気よく続けることが大切だ。継続は力なり、それを身をもって証明してくれた人物が、私の家族にいる。そう、兄である。

ラジオやライブのMCで頻繁にネタとして登場する母とは違い、私は兄の話はほとんどしたことがない。本当にクソがつくほど真面目で、話のネタにするような人物ではないからである。まぁだいぶ変わった人ではあるが、私にはないものを沢山持っている、良い兄である。

兄は毎日筋トレをしている。腹筋、スクワット、腕立て伏せなど、無理のない範囲で、私の見た限りでは毎日欠かすこと無く続けている。記憶を辿ればドイツに住んでいる頃からやっているはずだから、なんだかんだ、20年間続けていることになる。よく噛んで食べるし、間食もほとんどしない。酒も飲まないし、夜22時以降は食事を控える。見た目は全身を無印良品とユニクロでかためた、いわゆるよくいる眼鏡の青年であるが、多分意外と細マッチョだと思う。

兄は頭が良い。昔から真面目で、勉強もよくできた。でも、決してガリ勉ではなかった。受験の時も、試験の時も、徹夜をして勉強したりするところはあまり見たことがない。かと言って毎日予習復習をするようなタイプでもないので、多分授業を真面目に受けていただけだと思う。早弁、昼休みのアイス、先生にバレずに寝る方法、それから男子のアキレス腱についてしか考えていなかった私とは大違いである。
私はいつも、勉強でわからないことがあると兄に質問しに行った。学校の先生よりも、塾の先生よりも、父よりも、兄が教えてくれるのがダントツでわかりやすかった。嫌な顔も特にせず、サラッと教えてくれた。教えるというより、伝えるという感じだった。

そういえば、兄は文章を書くのも上手かった。そのことで少し思い出すことがある。というか異常に鮮明に覚えていることがある。

私が小学校一年生、兄が小学校三年生くらいの夏休み、私たち家族は母の実家に帰省していた。その頃まわりのみんなはたまごっちやゲームボーイに興じていたが、うちの兄妹は非常にアナログな遊び方をしていた。広告の裏に絵を描いたり、瓶の蓋でてんとうむしのバッジを作ったり、家中の洗濯バサミをつなげて襟足につけて「ロン毛だ!!」とか言ってみたり、テーブルの上をステージに見立てて森高千里を熱唱したり。それから、小説も書いた。祖父の書斎から引っ張り出して来た古びた原稿用紙に、それぞれ小説を書いた。その時兄が書いた話は、今でも覚えている。タイトルは、「泣いたライオン」だ。

見た目が怖いというだけで皆に嫌われているライオンと、そのたった一匹の親友のうさぎの話だったと思う。最後はうさぎが病気で死んでしまって、ライオンも悲しみに暮れて泣きながら死んでしまう。その姿を見て、皆はやっとライオンの優しさに気付くのだった、という流れである。今の年齢で考えれば少しありきたりな話なのかもしれないが、当時まだ8、9歳の子どもが書くにしてはできすぎているほどしっかりした小説だった。

ちなみに私が書いた小説のタイトルは、


「死んだウサギ」



であった。そう、

ただのパクリである。



小説の審査員は母だった。母は絵本や児童書が大好きなので、ニコニコしながら私たちの小説も読んでいた。兄の書いた「泣いたライオン」には、はなまるをつけていた。次に私の小説を読んだ母はこう言った。「花には花しか書けないものがあると思うから、お兄ちゃんの感じとは全く違うのを書いてみたらいいんじゃない?」と。

そして書いた小説のタイトルが、







「幸瀬 幸」




である。そう、人名である。なんて読むかおわかりだろうか?





「しあわせ はっぴ」





もう一度言おう。


「シアワセ ハッピ」






である。マジやばい。
しかも書き出しも一字一句逃さず覚えている。





「ヤッホー☆私の名前は幸瀬 幸(シアワセ ハッピ)!髪の毛がブロッコリーみたいで困っちゃう!」




完全にキマっているとしか思えない。たしかイメージは長靴下のピッピだった。ちなみにこれ以降の文章はまったく覚えていないが、母に「花らしい」と絶賛されたことはたしかである。恐らくこうやって、良くも悪くも今の私の雑な感じが形成されて行ったであろうことは言うまでもない。

それにしたってここまで鮮明に覚えているものか、どうせ今考えたんだろ! と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもどうか信じて欲しい。異常に鮮明に覚えているのには理由があるのだ。

他の人はどうか知らないが、私は、自分の中ではじめてわき上がる感情を味わった時のことはどれも異常に鮮明に覚えている。初めて感動して泣いた時のこと、はじめて恥ずかしいと思った時のこと、はじめて罪悪感を感じた時のこと。その日自分が着ていた服や、自分がいた空間の物の配置など、事細かに思い出すことができる。

小説を書いて遊んでいたこの日のことに関して言うと、はじめて「この人にはかなわない、負けた」と思ったのである。それは悔しさともまた違う感情で、幼心に、ちょっとした挫折を味わった瞬間だった。なんでもかんでも兄の真似をして、兄の後ろをひょこひょこついてきていたつもりだったのが、急に遠い存在になったような気がしたのだ。その後私は荒れに荒れた思春期があったりして、兄にも大層迷惑をかけた。少しずつ距離は離れて行ったが、今は今なりの距離感で、上手くやっているつもりだ。

普段、兄とはそんなに話さない。仲が悪いわけではない。ただ、ほどよい緊張感がある。
私は兄を尊敬している。何がかはわからないが、自分にはないものを持っている、一生叶わない相手だと思っている。だからこそ、何か納得のいくことができたときしか自分のことについては話さない。兄もきっと、私のことを尊敬しているかどうかはわからないが、多分そんな感じなのだと思う。

そんな私たちだが、一年に一度か二度、8時間くらいずっと二人で喋り続けることがある。タイミングは謎だし、酒が入っているわけでもない。ただ、こんなに気の合う友人はいないというくらい、楽しい。大体はじめはなんてことない話。デジモンが復活するらしいとか、コロコロコミックを読むとなぜか食欲がなくなるとか、おっぱいプリンがマジで許せないとか、そんなとこだ。だけど気付けば自分のこれからのことや不安なことを話している。たまに意見も食い違うが、お互い少しずつ大人になったのか、最後はまぁお互い頑張りましょうぜってことになって、気付けば大体日が昇っている。

そういえば、実は今回はじめて、自分のアルバムを兄に渡した。聴いてくれたかどうかはわからないが、渡せたことに意味があるし、兄が受け取ってくれたことに意味があるのだと思う。

いつか兄と仕事をするのが私の夢だ。どんな形でも良いのだが、なんとなく同じ現場に居合わせてみたい。そしてその時の話をネタに、また日が昇るまであーでもないこーでもないと話すのだ。




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