何の気なしに自分のiphoneのメモ帳を見返していたら、とても気になるものがあった。

――おっぱいの妙。
2013年12月6日午前11時21分、私は一体何を考えていたのだろうか。まったく思い出せない。
肌寒い季節の午前中からこんなメモ、一体何があったのだろうか。
その時何があったかなんて思い出そうとしても埒があかないので、とりあえず私は今一度真剣に、おっぱいについて考えてみることにした。
するとまず、以下の二つの疑問が浮かんだ。
・「胸」と「おっぱい」の違い
・「おっぱい」を表す漢字はあるのか
誰しも一度は疑問に思ったことがあるのではないだろうか。私はある。
これだけ便利なネット社会だ、検索エンジンでそのままワードをぶち込めば、恐らくYahoo!知恵袋あたりで大真面目な回答のひとつやふたつヒットしてくれるだろう。しかし、私はふと考えた。
そこにベストアンサーがあったところで、私は果たして心の底から納得できるのだろうか?
答えはノーである。
子どもの頃、自分の知っている他のどんな言葉よりも口に出すのが恥ずかしかったおっぱい。
スピッツの楽曲にそういうタイトルのものがあることを知ったとき、やっぱなんかすげぇ、と思ったおっぱい。
声に出して読みたい日本語、おっぱい。
辞書的な意味や、その言葉がうまれた理由なんて、もはやどうでもいいのである。
この言葉の字面と音の響きは、なんだか不思議な魅力がある。
ちょっとマヌケで、なんだか憎めなくて、無性に笑える。
幼少期の良い意味での「バカさ」が全部凝縮されたような、そんな言葉である。
以上のことをふまえて、どうしても熱弁したいことがある。
私は「おっぱいプリン」が許せないのである。
と言っても、食べたこともないので味の程はまったく知らない。
しかし、サービスエリアのお土産コーナーなどでたまにそれを見かけると、なんとも言えないイヤ~な気持ちになる。感覚としては、コンビニの成人本コーナーに置いてある、肌が無駄にテッカテカに描かれている漫画を見た時の、イヤ~な感じと同じである。(あれ私本当に駄目。
まず、パッケージの破滅的安っぽさ。
恐らくあそこまでいくと何か理由があってわざとそうしているのだとは思うが、近づいたら週刊誌の匂いがしそうである。(あくまでもイメージ
次に色味。なんだかすごく心が不安定になる色をしている。
本当にこればっかりは言葉でも上手く言い表せない。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない、とにかく心が不安定になるのである。(あくまでも気持ちの問題
そして最後に、いかにも「ツッコミ待ち」っぽいそのオーラ。お土産で買っていって、「なにこれ(笑)」って言われることを心待ちにしているその感じ。実に気に食わん。(あくまでもひねくれている私の場合
何が言いたいかと言うと、この「おっぱいプリン」、私の考える「おっぱい」とあまりにかけ離れているのである。幼少期の良い意味での「バカさ」が、完全に悪い意味での大人の「品のなさ」に変わってしまっている。
何よりもロマンに溢れていたあの言葉が、途端場末感満載な商品名になってしまっている、それがただただ悲しいのである。
悲しい。
……悲しい。
午前4時をまわったというのに、ひとりでおっぱいについて語っている自分がただただ悲しい。
大真面目にパソコンとにらめっこして書いているブログの内容が、おっぱいについてだなんて。
アホである、完全にアホである。ここにきて凄まじい自己嫌悪。おっぱいプリンなんか私にくらべたら可愛いもんである。
しかしこれもすべてはおっぱいの妙、この言葉の持つ不思議な魅力そのせいということにしておこう。いや、そうさせてください。