先日渋谷の街を歩いていたら、ある看板が目に入った。

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「奪い愛、冬」

「奪い愛」といういかにも熱苦しくドロッドロした文字面の横に、「冬」というどこか冷め切った印象のある文字が並んだときの、この一筋縄では行かない感。なんて絶妙なタイトルなんだ! と、私はしばらくこの看板を見つめていたのだった。

そしてふと、「奪い愛」のあとに続く文字が、「冬」以外だとどうなんだろうと考えた。



①「奪い愛、春」

うーん、なんだかあまりにも統率が取れてなさすぎる。

春は出会いの季節である。
どちらかというと、恋愛的には奪い合うよりも様子見をしている時期、もしくは何かが芽生え始める時期なはずである。それに、「春」には「恋」という文字の方が合う。それならいっそ、「ばっち恋、春」とかの方が良い。(超ダセェ


②「奪い愛、夏」

いかん、胸焼けする。

夏はもう、無条件にチャラい。
これだと、灼熱の太陽の下で、汗の滴る小麦肌の男女がマグマのような酒池肉林の愛憎劇を繰り広げる香りしかしない。続きはペイチャンネルでどうぞ。


③「奪い愛、秋」

おっ、悪くない。

秋という季節は、過ごしやすく、落ち着いた印象がある。
普段は大人しい男女が、山が燃えるような紅葉の如く、真っ赤な愛を奪い合う…そんなストーリーだろうか。しかし、ちと哀愁がありすぎる。また、次に来る季節が冬なのも相まって、結末は切ない別れだろう…となんとなく想像出来てしまう。

やはりこうして並べてみても、「奪い愛、冬」このタイトルの秀逸さには敵わないのである。季節というのはわかりやすいイメージがあるからこそ、どの言葉とも相性が良いとは限らないのだ。

では、どの季節と合わせても相性が良い言葉とはなんだろうか。私は考えた。そして見つけてしまった。


それは



「食べ放題」



①「食べ放題、春」

春野菜ですかね。

②「食べ放題、夏」

ビール片手にバーベキューでしょう。

③「食べ放題、秋」

食欲の秋、さんまにきのこになんでもあります。

④「食べ放題、冬」

寒鱈、寒ブリ、冬野菜、熱々お鍋でどうでしょう。


…なんて素晴らしい言葉なんだ、食べ放題。
もはや、「奪い愛、食べ放題」でも良いんじゃないか。そこはかとない大家族感。視聴率もバッチリでしょうね。




…いかん!


こんなブログを書いていたら、今日は昼ごはんを食べ過ぎたので、夜ごはんは抜こうと思っていたのに、食べたくなってきてしまった。


しかし我慢だ!

今朝鏡を見て、そのレゴブロックの人形のような体型に絶望したばかりではないか!生まれ変わったら石田ゆり子さんになりたいと切に願ったばかりではないか!!


嗚呼…

でも…




「めちゃ食べたい、肉」









ゲームを全クリ(全部クリア、完全制覇)したことがないのである。

いわゆるRPGと言われる類のものは、決まって途中で飽きてしまう。

はじめてやったゲームはポケモン(ゲームボーイ版)だった。
たしかに楽しかったのだが、いわゆる形式上のゲームクリアで満足してしまった。裏技でミュウをゲットするとか、ポケモン図鑑をコンプリートするとか、そういうのは友達に見せてもらえればそれで良かった。

次にやったのは、シルバニアファミリーのゲーム(ゲームボーイカラー版)だった。
ただのゲームボーイは白黒画面だったが、その次に発売されたゲームボーイカラーは、その名の通りゲーム画面がカラーに進化したものだった。カラーならば白黒よりも鮮やかで飽きにくいだろうし、何しろ大好きなシルバニアファミリーのゲームである。私は胸を躍らせた。

しかしこのゲームの内容というのが、「シルバニア村がある日突然色を失って、白黒の世界になってしまった」ところからはじまるのである。


いや、


…カラーの意味。


村中のお花に色をつけて行くことで少しずつ画面にも色がついて行くのだが、じれったくて途中でやめてしまった。そんな私が花と言う名前なのだから皮肉なものである。

次にやったのは中学生くらいの頃、テイルズシリーズの何かだった。これは結構夢中になってやった。
しかし、何しろラスボスが強かった。本来であれば、どこかでレベル上げをしてから臨まなければならないのだが、そこに楽しさを見出せなかった私は、実力的には到底かなわないラスボスを相手に、

「とにかく逃げながら一本ずつ弓矢を打ち込んで少しずつ攻撃を与える」

「あり金全部でポーションを爆買い」

というスポーツマンシップとは真逆の方法をとった。ちなみにこの弓矢が当たったところで、相手のHPはマジで2ミリくらいずつしか減らなかった。それでも、約3時間もの時間をかけて、一応倒すことには成功した。まさに逃げるは恥だが役に立つ、である。 

しかしラスボスを倒したとは言っても、未開拓のはたくさんあったし、キャラクターも全然出せていなかった。数種類あるエンディングも、一つだけしか出さずに終わった。他のはネットで適当に見れば良い…と思いながら、結局それさえもせぬまま、そのソフトはブックオフ行きとなった。

そもそも私はRPG向きの性格ではない。全クリしたいという思いよりも、めんどくさい」という思いの方が、どこかで上回ってしまうのである。そしてそいつが現れたらもう、最後なのである。

人生がゲームなのだとしたら、間違いなく私にとってのラスボスは、この「めんどくさい」なのだと思う。しかもこいつは厄介なことに、小まめにコツコツ戦っていないと、どんどんデカく強くなって行く性質がある。まずは今やれることからやって行かないと、あとあと大変なことになる。

そんなわけで、今日はこれからとりあえず、3駅ぶん歩いてみようと思う。途中で「これが私のポーション」などと言い訳して、ファミチキを買わないように気をつけよう。

頑張れ私、負けるな私。敵は強いぞ。









 




















 聞かれると困る質問がいくつかある。

厳密に言うとたくさんあるのだが、聞かれる頻度と、きちんと答えを持っていなければならないであろう度合いで言うと、

「あなたにとって音楽とは何ですか」

これになる。

都度都度それっぽいことを答えてきたのかもしれないが、納得して答えられた試しがない。最近ではあまりにもわからなすぎて、参考にと、テレビチャンピオンで優勝者が最後に何と言っていたかを検索したりする始末である。  


「人生です」
「自分そのものです」
「ずっとそばにあるものです」


美しい答えはたくさんある。そしてその全てに、なんとなく頷ける部分もある。しかし、なんかこう、なんかもっとこう、あるんじゃないかとずっと思ってきた。

そんな中、ようやく「おっ、これは」と思える答えを見つけた。



「うんこ」である。



食事中の方がいたら申し訳ない。こんなこと言う女嫌だなと思う方には合わせる顔もない。親も泣いているかもしれない。でも、割と本気で、大真面目にそう思ったのだ。

たくさん食べたらたくさん出るように、たくさんの経験や吸収をしたら、良い曲がたくさんできる。かと思えば、急にまったく出てこなくなる時もある。それでもなんとか出すために、あれこれ試して必死であがいたりする。そして良いものを出せた時には、自分に後光が差しているかのような晴れやかな気持ちになったりもする。その瞬間を知っているから、なんとか頑張れる。それは日常の中に当然にあって、毎日繰り返して行く。そういうものなのだ。うん、これは我ながら良い答えだと思う。

しかし、割とかっこよく答えなければならないであろうこの質問に、キリリとした顔で「うんこです」と答える勇気があるのか、それが問題である。


シーンで言うと、「プロフェッショナル」のラストで、スガシカオさんの曲が流れるところである。想像してみて欲しい。


テロップ:「関取花にとって音楽とは?」



関取:「…うんこです」 


(♪ ジャラララ〜ン…ぼくらは位置について〜…♪)



逆にありか、いや、なしなのか。正直自分でもよくわからない。


しかし、いつか堂々と胸を張ってそう答えられる日が来たなら、それは素晴らしいことだと思う。正確に言うと、大真面目に「うんこです」と答えても、「何こいつ…」とならないような人になれたのならば。


寒い日が続きますね。
みなさんもお腹、冷やさないようにね。








2016年、良い一年でした。

たくさんの人に助けられたり、学ばせてもらったりの連続でした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

2017年は、少しずつでも、そういった周りの人に恩返しをして行きたいです。

なんかつまんない言葉しか出てこないもんだね、でもまとめるとこんな感じになっちゃうもんだね。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。

皆様、良いお年を!





先日18日で26歳になった。

正直これくらいになると、歳をとるのはもうあまり嬉しくはない。ニキビのあとも消えなくなってきているし、まわりの子も結婚し始めているし、嫌でも日頃からそれを実感させられているからである。

それでも年に一度の誕生日、おめでとうと言われるのは本当に嬉しい。メッセージを下さった沢山の方々には感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとうございました。

誕生日当日は友達と焼き肉に行って、楽しい時間を過ごした。思い返せば、毎年いつも誰かしらが「誕生日の日、遊ぼうよ」と声をかけてくれるおかげで、外に出かけられている。こんなに幸せなことはない。

そんな誕生日から数日が経って、昨日は、実家に取りに帰らなければいけないものがあったので、一瞬だけ実家に帰った。そのまますぐに出ようかと思ったのだけど、母が、誕生日プレゼントがわりに一緒に映画を見に行こうと言ってくれたので、一緒に見に行くことにした。(「この世界の片隅に」を見た。とても良かった。)

映画を見る前にご飯も食べた。一人じゃ絶対食べないような、和御膳を食べた。とても美味しかった。

映画を見たあとは、もう21:30くらいになっていたので、そのまま解散することにした。改札前で手を振るとき、「今日はありがとね」と母に言った。母は、「はいよーまたね、身体に気をつけて、年末帰れたら帰ってきてね」と言った。

私は母と別れてから、駅のホームで少しぼんやりしていた。さっきの「今日はありがとね」も、精一杯のそれで、なんだか恥ずかしくて、きっと何の可愛げもない言い方だったな、と思うと、喉元で消えていった言葉が他にもたくさんあったことに気づいた。

「いつもありがとう」とか、「心配ばかりかけてごめんね」とか、「和御膳よりもお母さんの料理の方が全然美味しいと思った」とか、本当はもっと母に言いたいことがあったはずなのに、どうして言えなかったんだろう。そんなことを考えていたら、いつの間にか電車を何本も見送ってしまっていた。

どうして本当に一番言いたい人に一番言いたい事を言えないんだろうか。目を見て話せないんだろうか。素直になれないんだろうか。そこには照れ以上のいじらしい気持ちがあるのは自分でもわかるのだけど、いつまで経っても、いざその時になると、なかなかできない。

それなのに、家族に言えない言葉を恋人には言えたり、恋人には言えない言葉を友達には言えたり、友達には言えない言葉を知り合いには言えたりする。誰かに伝えたかったことを他の誰かに言って、済ました気になっているんだろうか。よくわからない。悪いことではないんだろうけど、後悔はやっぱりちょっと、したりする。

また今度、或いはいつか、素直に言えるだろう。そう思ってしまっていたんだと思う。
「ありがとう」にしろ「ごめんなさい」にしろ、これがその人にその気持ちを伝える最後の機会だなんてさらさら思ったことなんてなかった。だけど昨日母と別れたあと、今日がもし最後に伝えられる「ありがとう」だったとしたら、ちょっと後悔するどころの騒ぎではないな、とふと思った。

25歳から26歳になったからと言って、何かが急に変わるわけではない。大体未だに色々と素直になれない時点でまだまだ子供だなとも思う。世間的にはまだ若い方だろうし、考えすぎなのかもしれない。でも、何をするにも、これからは「もしかしたらこれが最後かも」と心のどこかで思いながら過ごして行こうと思った。すぐにできなくても良いから、ぼんやりとでも良いから、もっと素直になりたい。言いたい言葉は言える時に、言いたい相手が聞いてくれる時に。

ところで、最近たまにやるスマホゲームのアプリがある。パズルをクリアすると髭のおじさんが庭を綺麗にしてくれるだけのゲームなのだが、起動するたびに、そのおじさんが話しかけてくる。今日は、こんなことを話しかけてきた。

「やあ、あなたでしたか!ところで、はなさんは周りの人にきちんとメリークリスマスって言いましたか?ちゃんと言わなきゃダメですよ!私ですか?私ならもちろん言いましたよ!メリークリスマスってね!!!

よくわからないけど、今日まだクリスマスじゃないし、別にそれに関して言うと周りに言わなきゃいけない言葉だとも思わないし、でも若干考えていたことと遠からずなことをいきなりおじさんに言われたので、なんか急にちょっと腹が立って、アプリ消した。


いやはや、まだまだ大人になれない私である。


というわけでみなさん、26歳の関取もこんなんですが、どうぞよろしくお願い致します。





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