一人暮らしを始めたのは23歳、はじめて住んだのは6畳ほぼワンルームの1Kだった。今よりもっとお金がなかったので選べる部屋なんて限られていたが、先輩などから窓の向きは重要だからそこだけは考えたほうがいいと言われ、少しだけこだわった。といっても、東向き。南向きの部屋は家賃が5000円高かったからやめた。

 

大きな窓の向こうには車一台ぶんくらいの幅の道があり、その向こうには低層の建物があった。私のところは2階だったが、視界を遮られるものもなく、ほどよく風通しのいい部屋だった。狭いのがいやになって5、6年経ってから引っ越したのだが、最後に管理会社の人立ち会いのもと空っぽの部屋で退去手続きをしながら、やっぱりここはよかったなあと思った。夕方の東の空が私は好きだった。赤くて遠くてひとりぼっちによく沁みた。

 

そのあと引っ越した先もやはり東向きの部屋で、次は最上階3階の角部屋だった。窓の外には一軒家の屋根、駅から歩いて5分ほどだったので、踏切の音も少し聞こえた。ベランダの洗濯物は前よりもパタパタとよく揺れた。東の空は相変わらず好きだった。でも前よりも広く明るくなった景色は、なんだか求めていたのと違った。あのちょっと煮え切らない、寂しさをこらえているような感じが薄れて、もう少し大人で落ち着いた表情をしているような感じがした。2年ほどで引っ越したが、退去の時の寂しさはそんなになかった。

 

今は寝室が南向きの部屋に住んでいる。朝の太陽の眩しさには驚いた。東向きでも充分だと思っていたが、自然光で起きるということはあまりなかった。今は晴れている日はカーテンを透かす日差しに体を揺すられながら目を覚ます。なかなか気持ちいいし、正しい大人になれているような気がして少し嬉しくなったりもする。

 

でも、作業部屋はやっぱり東向きだ。東に向かってデスクを置いて、そこで本を読み、歌詞を書き、時々うたた寝をする。物も多いし光の入り方も、寝室に比べたら決して見栄えのいいものではない。でもやっぱりここが落ち着く。時々忘れそうになる何かを思い出せそうな気がする。窓の外にはちょっとした小道を挟んで低層の建物。

 


2022年になってもう一週間、今さら言うのもと思いつつ、言わないのもなんだかなと思うので、新年あけましておめでとうございます。さて、定型文はこれくらいにしておいて、早速いつもの調子に戻ろうと思う。
 
昨年末、収録やらライブやら友人との会話の中やらで、やはりこれまた定型文と言えばそうなのだが、「来年の抱負は」なんて話になった。ちなみにいつもサポートをしてくれているバンドメンバーのみんなの回答は、「毎週銭湯に行く」「準備をする」「本物に触れる」というものだった。聞いたときは、ほーとかへーとか言いながら、ただゆるゆると、なんかいいなあと思いながら聞いていたのだが、なるほど今になってゆっくり考えてみると、みんなすごくいい抱負だなあと思うのである。
 
何がいいって、地に足が着いた回答なのがいい。全部実践できそうなのがいい。決して無理をしていないのがいい。守れない約束じゃないのがいい。ちなみに、私の抱負は「守れない約束をしない」であった。
 
ここ数年、私は守れない約束をすることが増えた。「落ち着いたら飲み行こうね」というセリフ、一体何回口にしただろう。その中で、本当に落ち着いたら声をかけて誘おうと強く思った人はどれだけいただろう。落ち着いた頃にはそんな約束お互い忘れているだろうとどこかで思いながら、息をするように軽く当たり前のように言ってしまっていた気がする。(もちろん本当に思っている時もあったけど)


わかっている、べつに社交辞令である。そんなに深く考えることでもない。でも、重かろうと軽かろうと守れない約束を自分から口にしていたのは事実で、なんだか昨年が終わるあたりで、そんな自分が妙にいやになったのである。

 
12月、とてもお世話になっていたライブハウスが閉店した。弾き語りやソロの方々だけでなく、バンドとも対バンをしてミュージシャンとしてもっと強くなりたいと思った時期に、少し異ジャンルだった私をいろんなイベントに誘ってくれて、はじめてワンマンライブをした場所でもある。東京の母であり姉であり先輩であり友人のような大好きな人にも出会えたし、かけがえのない友人もできた。いつかもう一度、自分のデビュー何周年かとか、初めてのワンマンライブから10年とか、そういうタイミングで何かできたらなとか思っているうちに、終わってしまった。あのたてつけの悪いドアを開くことはもうないのである。

 
救いだったのは、勝手に思っていただけで、「またいつかイベントやるから」とか変に言っていなかったことだ。だから寂しさはあるけど後悔はない。もう一度くらいあそこのステージに立ちたかった気もするけれど、12月のある日、そこで出会って心臓を撃ち抜かれた大好きなバンドの、その場所でのラストワンマンライブを見に行くことができたので、自分の中では何も言うことはない。


ホームであるが故に、純粋なお客さんとしての気持ちを取り戻すのも逆に一番難しい場所だったのかもしれないが、あの日は完全に一ファンとして、誰よりも身体を揺らし、その場所の空気を、時間を、何より音を全身全霊で感じ、楽しみ、刻み込むことができた。きっと私はそのバンドのライブを見に行くたびにその場所のことを思い出すことができる。


守れない約束をしたわけでもないから、「私もやるはずだったのに」とかもない。繰り返すが、もちろん寂しさはある。めちゃくちゃ寂しい。数少ない(というかほとんどない)東京の居場所がひとつ減ったのだ。でも、胸にポッカリ空いた空洞に吹いている風に変な重たさはない。そこには地続きの今日があるだけだ。
 
そんな感じならば、もはや何も約束しなければ、すべてにおいてそうやって後悔なく清々しくいられるじゃないか。そう言われると、それはまた違う。約束をすることによって楽しみが増えたり、何かを頑張れたりすることがあるのも事実だ。だから約束はする。でも、軽々しい約束はしないということだ。自分にとってご褒美だと思えるような、本当に会いたいとか、話したいとか、行ってみたいとか、やってみたいとか、そういうことはどんどん口に出して伝えていくようにしようと思う。


要するに、もっと自分の心に正直に、何事もちゃんと向き合って考えようってことだ。大人になるにつれ、いろんな意味で年々そこを忘れがちになっている気がする。ここらでちょっと一旦深呼吸、時には足を止めてあたりを見回すのもいいだろう。もちろんいろんなことと折り合いつけながらじゃなきゃやっていけないことも多々あるわけだけど。まあ、一年過ごしながらそこらへんのリズムというか、快適なやり方も学んで行ければそれでよし。



そんな感じで、今年もよろしくお願いいたします。



今日も近所の本屋に行った。とくべつ広いとか品揃がいいとかいうわけでもないが、私はとにかくこの本屋が好きだ。というか、この本屋にいるサイトウさん(仮名)が好きなのだ。念のため一応言っておくと、やましい気持ちとかそういうんではない。当たり前だけど、リスペクト的なあれです。

サイトウさんはとにかく所作が美しい。あのなめらかすぎるレジさばきと手慣れた領収書の出し方、なんといっても本を扱う時のなんとも丁寧で無駄のない手つきは、間違いなく社員さんだろう。だからたぶん急に入ったとかたまにいるとかそういうんじゃなくて、割と前からこの店舗に頻繁にいらっしゃるんだと思う。というかいたと思う。何回か、ああ、ここの店員さんは素敵だなと思った記憶はあって、そのうっすらとした記憶を辿っていくと、おそらくそれはサイトウさんなのである。

もちろんサイトウさんの素晴らしさは所作だけではない。なんといってもサイトウさんは声がいい。アナウンサーなら間違いなく朝。朝のNHK。よどみのない澄んだ声は、店内をどこまでも吹き抜ける爽やかな風のよう。その声が響き渡れば、低い店内の天井も青空に変わっていくようだ。

そして次に笑顔。嘘くさくもなく、やりすぎてもいない、たおやかな微笑み。コロナ禍でマスク着用中なので口元まではわからないが、目元だけでも伝わってくる。もう顔半分見んでもわかる、絶対いい人やん。何みたいかっていうとなんですかね、孫を見守るおばあちゃんみたいな優しく穏やかでつぶらな瞳。本にカバーをつけている時なんて、もはや赤ちゃんをあやしてるようにしか見えない。

最後になんといっても安心感。以前、とある本の場所をサイトウさんに尋ねた時のことである。私が「〇〇さんの△△っていう本を探しているんですけど……」と少し自信なさげに言うと、「〇〇さんの△△っていう本ですね」と、まるで『大丈夫あなたは間違っていないよ』とでも言うようなたしかさで復唱してくれた。
そしてそのまま「こちらです」とホテルのドアマン並みの美しい手の差し出し方で行く先を示し、先導して歩き出したサイトウさん。一連の流れには一切迷いがないから、こちらもすべてを委ねてついて行ける。
軽やかな足取り、決して客を置いてきぼりにしないスピード。サイトウさんが歩けば小さな本屋もランウェイに変わる。まるで彼の歩く道にだけスポットライトが当たっているようだった。でも、そこのけそこのけサイトウが通るといった感じではない。自然とまわりがサイトウさんのために道をあけるような、そんな感じがした。彼は間違いなく本に愛された人だ。本たちがサイトウさんを見守りながら勝手に整列している、だからここの本屋はいつも綺麗なのかもしれない。少なくともその時の私にはそう見えた。

そんなわけでいつの日からか、せっかくならばこういう店員さんから本を買いたいと思うようになった私。今日もお目当ての本を買いにその本屋へ行ったわけだが、残念無念、サイトウさんはお休みだった。でも他の店員さんもとっても感じがよくて、心があったかくなったのでした。ちゃんちゃん。

冷え性の私にとって一番恐ろしい季節というか時期は、ちょうど今くらいである。いやいやこれからもっと寒い冬がやって来るっていうのになんでまたって話なのだが、冬はもういいのよ、だって冬だもん。なんていうか圧倒的に冬なんだもん。「はい冬です!今ですよ!今俺めちゃめちゃキテますよ!」って感じになれば、それ相応の全力フルスイングで私も防寒対策をするわけですよ。それでも冷えちゃうんならそれはもうしょうがない、諦めもつくって感じで。
 
でも11月って本当にすごく微妙なのである。「秋ですか?」と聞かれたら「まあそうですかねえ」って答える気がするし、「もう冬と言っても過言ではないですな?」って言われたら、「いや本当におっしゃる通りですな」って答えちゃう気もする。秋でもなく冬でもない、でもどっちでもあるみたいなね。友達以上恋人未満みたいなね、曖昧なやつですよまったく。

もう本当にそういう思わせぶりな態度はね、できることならしないでほしい、本当によくないと思う。どれくらいの警戒心でいたらいいのかわかんなくなっちゃうのよ。もう冬だぞって期待してヒートテック着たら平気で裏切られたりするし、かと思えば陽が照ってるから今日はパーカーで行っちゃうぞって日に限って夜から雨降ってめちゃくちゃ寒くなったりするし。なんであたいこんなに振り回されてばっかりなんだろう。バカみたいじゃない。いやんなっちゃう。
 
中でも特にいやなのは、やはり指先の冷え。キンキンに冷えているとまあギターが弾きにくい。急に下手になっちゃったんじゃないかって不安になったりするし、でも弾き続けないとあったまってもこないし、地獄ループである。でも最近ようやっと気がついた。とりあえずあったかいものを飲めばいいのである。外側からではなく内側からあったまる方法もあるってことに、なぜ今まで気が付かなかったのか。きっと寒いと頭がまわらなくなるからだ。
 
というわけでお茶やらコーヒーやらを淹れては楽しんでいる最近の私ですが、カフェインの摂り過ぎはよくないなってことで、何日か前から出汁に切り替えました。急に何お前ツウぶってんだって感じですが、べつにそんなあれです、お気に入りのめんつゆをお湯で割るだけです。濃いと塩分が気になるから相当薄めで。もう透けるくらいの色味で。香りがするなあくらいの感じで作って、そのままでもいいし、カツオ節なんか一握り入れちゃったり、塩気のないあごだしとか入れちゃったり。わさびもいですね。梅干しなんかもいい。あと何がいいって、コーヒーとかお茶はすぐ飲めないじゃないですか。ドリップの時間とかお茶が出るまでの時間とかあるから。でもこれはそれがない。待たずにすぐ飲める。じゃあ大人しくお湯を水割りにして白湯にして飲めばいいじゃないか、待ち時間もカロリーも塩分もないしって話なのだが、それはなんか違う。なんか色、色欲しくないですか。色ついてる飲み物の方がテンション上がりませんか。一日のうち一杯くらい、色付きの飲み物飲みたくないですか。そんなことないですか、そうですか。
 
何が言いたいかっていうと、みなさんも冷えや風邪、体調にはくれぐれもお気をつけて! 冷えたなあと思ったら、あったかいものでも飲んでくださいね。ちなみに私は創味のめんつゆ使ってます。


少し時間が経ってしまいましたが、「関取花2021 TOUR激闘編」、無事完走いたしました。

9月3日の初日岩手から始まり、10月21日のファイナル東京まで、全国9箇所。ツアーは実に2年以上ぶり。有観客でのワンマンライブももちろん久しぶりでした。

各所のライブ終了直後の様子や各地での思い出は、ほかのSNSやAuDeeにて配信中の番組「関取花のこれより三役」にて随時お届けしてきましたので、ブログでは割愛させていただきます。よかったらアーカイブ全部聞けるのでチェックしてみてね。ちなみに本日10/27の18時頃〜配信の回は、まるまる一本ツアー振り返りトークです。ぜひ聞いてくださいね。

ツアー中の感想も、一番フレッシュな生々しい自分の心の声を伝えたくて、ライブ中にMCで全部話してしまっているので、まとまって綺麗に今すぐパッとは出てこないのですが(小さい頃から同じことを2回言えない病です)、もうあれです、とにかくあれです。


ツアーって、ライブって、最高だな!

なにが最高って、自分という人間を作り上げてくれている小さなピースたち……音の粒、照明の光、サポートメンバーとのグルーヴ、スタッフさんの瞳に宿る魂、お客さんの笑顔、そういったものが一つの場所に集まって、私一人だけじゃ決して作り出せない熱量と優しさと輝きを持って、ものすごく鮮やかな景色や溢れ出す思いを描き出してくれるんです、ライブって。

一人じゃないなあと思えます。こんなに素敵な人たちがそばにいてくれるってことが、何よりの自信になります。私という人間も捨てたもんじゃないなあというか、自分のことが少しだけ、少しずつ、また好きになれました。

今までのツアーは、どこか「私が何かを届けなきゃ」と思っていたけれど、今回は違いました。そんなことを考える必要もありませんでした。「届けに行っているつもりで、本当はたくさんのものをもらっているんだな」と、肌で、耳で、心で、目で、ただ感じ続けている旅でした。そこにこの身をそっとゆだねればそれだけで大丈夫、そう思えました。おかげで歌に力みもなくなり、喉の疲れもいつものツアーに比べて全然ありませんでした。

枝葉にとまる小鳥のように、流れ着くようにここへやってきて、目の前の景色を瞳に刻み、自分の心に耳を澄ましながら、今歌いたいと思ったことをただ歌う、ただそれだけでした。やっと自分という人間と、音楽や歌といったものが一体になった感覚がありました。

次にやりたいことも見えてきました。大好きなメンバーと、自分の信じた音楽を作る。次に私が挑戦し、求めたいのは、引き算の美学。今回のツアーでものすごく思考がクリアになったおかげで気づけたことです。

さまざまな情報やギミックを詰め込まなくても、私が歌い出せば、みんなと音を奏で始めれば、それだけで豊かな物語になる。背景や細々とした描写はもっと聴いてくれる人や支えてくれる人にゆだねていい。一緒に作って行くんだという感覚でいる方が、音楽の世界はきっと広がるし、私が想像している以上の意味が曲について、羽ばたいて行ってくれるはず。そう思えました。もっと頼っていいし、信じていい。私がブレない芯と周りへのリスペクト、音楽への愛情さえ忘れなければ、きっと大丈夫です。そうすれば、私にしか作れない、私とあなたたちでしか作れないものが、まだまだ作れるはずです。

ツアーが終わったら大抵燃え尽き症候群になるのですが、今回はそれも違います。次にやりたいことで頭はいっぱいです。でも慎重に、勢いだけじゃなく、たくさんの支えてくれる人の意見を吸収しながら、一歩ずつ前に進みます。

まだまだ未熟で未完成な私ですが、たくさんのものをもらいながら、少しずつなりたい自分に近づけている気がします。どこか結果に早く辿り着くことばかり考えていた20代。30代になってはじめての今ツアーでは、過程を全力で楽しむ余裕を、ピュアな心を取り戻したことで得られた気がします。

最後になりましたが、ツアーに来てくださったみなさん、支えてくださったスタッフのみなさん、愉快なサポートメンバーたち、東京ファイナルにゲストで出てくれたジョニーくん。みんなみんな、本当にありがとうございました。愛しています。

そして、今回は世の中の状況もあり、ライブに行くのは断念しますというメッセージやお手紙もたくさんいただきました。ご自身のまわりの生活のことだけでも考えること、考えねばならないことがたくさんある中で、頭の片隅に少しでも私を覚えていてくださったこと、それだけで嬉しかったです。ありがとうという気持ちでいっぱいです。

みなさんの日々に、ライブという形じゃなくても、私の音楽が鳴り響いてくれていたと思うだけで、大きなパワーになりました。これは綺麗事でもなんでもなく、本当の気持ちです。みなさんのお家の穏やかな窓辺まで、憂鬱な夜まで、あるいは星になったあの人のところまで、歌よ旅をしてきておくれという気持ちで、心を託して歌うことができました。

兎にも角にも、今回のツアーを無事完走できたのは、そういうあらゆる、たくさんのあなたのおかげです。本当に本当に、ありがとうございました。

11月以降も、たくさんライブがあります。ツアーを経ての私の今の歌、よかったら聴きにきてください。すごくいいと思う。年末恒例の例のライブも、今年は有観客でやります。詳しくはコチラから。

いつの間にやら季節の匂いも変わって、あっという間に冬がやってきそうですね。私はもう毎日羽毛布団に埋もれております。みなさんも温かくして寝てくださいね。お互い心身ともに健康で、またすぐどこかで会いましょう。



















photo by azusa takada

またね!















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