黒と白でシンプルにまとめたファッションの差し色に赤のソックスを持ってきている男性を見かけると、なぜか頭に、


「ワイン」

「ゴダール」

「ズッキーニ」

という単語が思い浮かぶ。

それはおそらく私が、先に挙げたようなファッションの男性は、全員
ワインとゴダールとズッキーニが大好きなはずである、という強いイメージを抱いているからである。

偏見と言うと聞こえが悪いが、その人の中身を何も知らないからこそ抱くイメージというのは、非常に面白いものだと思う。

こんな人はきっとこんな生活を送っているだろう、と勝手に想像し始めると、あっという間に時間は過ぎる。私の場合、気づいたら4、5時間が平気で過ぎていることもある。

私は今、盛岡から広島まで新幹線で移動している最中である。もろもろ合わせたら、6時間以上の移動時間になる。

ということで暇つぶしがてら、先ほどの、「黒と白でシンプルにまとめたファッションの差し色に赤のソックスを持ってきている男性」について、色々と想像してみようと思う。


=====


朝は必ず7時に起床することにしている。たしか、幼少期に読んだ小説の主人公がそうだった。それから真似するようになったのだ。

洗面所で軽く顔を洗ったら、ワッフル地のタオルで顔をさっと拭う。べっこうでできた櫛でサッと髪をとかし、忘れないうちにゴミを捨てに行く。

キッチンへ移動し、ポットに湯を沸かす。その間に、知り合いから「美味しいから是非飲んでみて」と勧められたコーヒー豆をミルで挽く。他にもコーヒー豆はいくつかストックしてあるが、一日の始まりは、いつだってこの豆と決めている。

窓を開けていないことに気付く。生成り色のシンプルなカーテンを開くと、窓辺に置いたアイビーの葉と目が合った。外の天気は、少し雲はあるものの、晴れ。これくらいがちょうど良い。やりきれなさが少し残っているくらいが、どうやら自分には心地良いようだ。

湯が沸いた。先ほどミルで挽いたコーヒー豆に、ゆっくりと注ぎ入れる。じんわりと広がる湯気に目を細めながら、昨夜のことを思い出す。たしかに、少し飲みすぎた。70年ものの美味しいワインが手に入ったので、ゴダールの映画を見ながら深酒してしまったのだった。

コーヒーを飲みながら、朝食の準備に取り掛かる。軽く熱したフライパンにオリーブオイルを広げ、ズッキーニを炒める。塩胡椒で味付けをしただけのシンプルなものだが、これが美味いのである。本当はガーリックも入れたいところだが、今日は午前中からデザイナーとの打ち合わせがあるので、失礼がないようにやめておこう。

ズッキーニを皿に取ったら、フライパンに残った油でスクランブルエッグを作る。ローズマリーと塩胡椒で味つければ、パンの最高のお供になる。朝は、これくらいで良いのだ。なるべく身軽に外へ飛び出したい。荷物と思い出と朝食は、いつだって軽めが良いのだ。

朝食を済ませ食器を洗ったら、再び洗面所へ。馬毛の歯ブラシで歯を磨く。時間をかけてゆっくりと。鏡を見ると、まだ少し眠そうな自分がいる。大丈夫、出発まであと30分はある。

ぼんやりとした頭に、メロディが欲しい、とふと思った。部屋に戻りレコードに針を落とす。蚤の市で買った、ジャズのレコードだ。
調べても名前が出てこないようなミュージシャンのものだが、朝はなぜだかこの一枚が落ち着く。自由の楽しみ方を知っている音がする。

出発まであと20分。そろそろ着替えをしようか。

白いTシャツに黒いジャケット、そして黒い細身のスラックス。ファッションは、何よりもサイズ感が大事だと思う。いくら優れたデザインであっても、身の丈に合っていなければ、せっかくのデザインを殺してしまいかねない。だから、自分の身体にフィットするものを見つけたら、同じものをいくつもストックしておく。たまに、「昨日と同じ服だね」と言われることもあるが、そういう時は、「そうかもね」と答えるようにしている。こだわりは自分だけがわかっていれば良い。人に押し付けるものではないと思うから。

引き出しの中から、赤のソックスを取り出す。朱色でもワインレッドでもない、この赤が良いのだ。よく、「いつも冷静だね」と言われるが、「そうかもね」と答えるようにしている。内に秘めた情熱は、自分だけがわかっていれば良い。いくつかの秘密を抱いている人の方が、魅力的だと思うから。

レコードから、聴きなれたサックスのソロが流れてきた。ということは、もうそろそろ出発をしなければならない。玄関へ急ごう。

下駄箱の上に置いた鍵と財布をポケットに入れる。これだけでも良いのだが、ハンカチと万年筆、小さなメモ帳と文庫本は持って出かけたい。カバンを持つのはあまり好きではないが、ポケットにすべてを入れる気にはなれない。何事も詰め込みすぎると、いつかどこかで弾けてしまう気がするから。

だから結局、小さなエコバッグか、使い古してクタクタになった皮のカバンを持って出かける。どちらも例の蚤の市で買ったものだ。高いものではなかったが、なんとなく心惹かれた。理由は、自分の知らない物語を、連れて来てくれるような気がしたから。

もう一度部屋に戻り、窓の戸締りと、電気と火の消し忘れがないかを確認をしに行く。大丈夫、問題ない。と思ったが、ipadとiphoneを充電したままだった。あぶないところだ、これがないと今日一日を無駄にしてしまう。カバンにさっと放り込みながら、iphoneの画面で時間の確認をする。いつもの出発予定時間まであと1分。よかった、間に合った。

待ち受け画面で、クリムトの絵が笑った。



=====



え、なにこれ楽しい。



広島着いたわ。

どうやら、見られていたようなのである。

私の家の近所のスーパーでは、キャベツや玉ねぎなど、外側の捨てる部分が多い野菜の売場の横には、大きめのゴミ箱が設置されている。レジに持っていく前に、いらない部分はここで捨てて行って良いですよ、というものである。特に玉ねぎの皮なんかは、気づくとポロポロとはがれ落ちてきて、エコバッグの中を汚すこともしばしばなので、このゴミ箱にはかなり助けられている。

そして私は、この大きめのゴミ箱を目の前に、無心で玉ねぎの皮をむくのが大好きなのである。

店のテーマソングや子供達の声、特売のアナウンスや試食の呼びかけなど、スーパーの中では意外とたくさんの音が飛び交っている。ハーモニーという言葉とはほど遠い、豪速球でそれぞれの音が混じり合うというかぶつかり合うその感じが、案外心地よかったりする。そして、こういった状況の中で何かに夢中になれると、時にトランス状態になれる。クラブで、酒を飲みながら爆音で音楽を聴くとトランス状態になれると聞いたことがあるが、そんなことよりも低予算、低エネルギーでできる方法があるので、是非お勧めしたい。

やり方は簡単である。ただひたすら……玉ねぎの皮をむく。

考え事や悩み事、あらゆることを忘れて、視線と指先と全神経を集中させて……そう、玉ねぎの皮をむく。

たまにふと目を閉じてみる。はじめてレゴブロックを手にした時のことを思い出す。完成形はたしかに描けているのだが、実際にできあがるまではわからない。拭いきれない不安と、予想外の展開への淡い期待を抱きながら……そう、玉ねぎの皮をむく。

そして、その美しい葱肌(なにそれ)に巡り会えたその時、私は心の中でこう呟くのである。



嗚呼……


自由だ……



と。(なにそれ)



皮が綺麗にむけ、濁りのない光をたたえた玉ねぎの姿は実に神々しい。あの絶妙な丸みからは、母性さえも感じる。すべてを肯定し、どうしようもない私の明日を照らしてくれている気さえしてくる。すると心が叫び出す。嗚呼、自由だ……自由だ……!!!(なにそれ)(思想)



とまあさすがに話を盛りすぎたが、何にせよ、スーパーというひらけた場所にいながら孤独になれる、無心になれるあの場所と時間がたまらなく好きなのである。(ちなみに同じような理論でスクランブル交差点を渡るのも結構好き)

しかし問題はそう、この「ひらけた場所」という点である。

外界をシャットアウトして玉ねぎと向き合っていると、周りに人がいるということをつい忘れてしまう。そしてもしかしたら、その中に、自分のことを知ってくれている人がいるかもしれないということも。

少し前、最寄駅で声をかけてくれた人がいた。よく私の曲を聴いてくれているのだそうだ。仕事でつらいとき、元気をもらいましたと言ってくれた。涙が出そうになった。

しかしそんな良い話のあとに、気になっていることがあるのですが、とこんなことを切り出された。


「関取さんよく、スーパーでものすごい顔しながら玉ねぎの皮むいてますよね」


はずかしい


「あんなに必死で玉ねぎの皮むいてる人はじめて見て」


やめて


「とても話しかけられるような雰囲気じゃなかったんで」



わかったから


「ずっと遠くから見てました」


それ以上言わないで


「なんていうか」


なんや


「がんばってください」





"がんばってください"(エコー)




はずかしい


つらい









でも、ありがとうございます!


がんばります。



そうなんです、私が無心になれるのは、玉ねぎの皮をむいている時と、音楽をやっている時くらいなんです。

ということで、


6月13日にアルバムが出ます。



ぜひ聴いてやってください。



あと、もし私が玉ねぎの皮をむいているところを見かけたら、どうか思い切って話しかけてやってください。



なぜか、「最近腹が立つことは何ですか」とよく聞かれる。

会ったことがある方や、友人知人ならわかって下さると思うのだが、私はあまり腹を立てない。それはなぜなのか。

(※以下根拠なきクズ理論につき、「こいつ何言ってんだ」くらいの感じで読んでください)

まず、単純に字面だけ見ても、「立つ」ってもうその時点で疲れる。痩せちゃう。

できることならずっと座っていたい。なんならずっと寝ていたい。

のんびり過ごしていたのにわざわざ立つなんて、しかもそんなこと頻繁にしていたらもうあれ。
痩せちゃう。

そうは言っても私だって人間である。「お、なんだ? ちょっといっちょ立ってみるか」という時だってある。

しかし、よっこらせ、どっこいせ、とノロノロしているうちに、「あれ、そもそもなんで立たなきゃいけないんだっけ? 」となってしまうのである。そんな感じで過ごしていたら、滅多に腹を立てることはなくなった。

その代わりに、常に方肘をついたぐうたら涅槃像スタイルで物事を見る癖がついてしまったようで、何事に対しても鑑賞目線になる傾向がある。そのせいなのか、常にだらしのない感情の起伏しかないというか。なんだか締まりがないというか。

たしかに腹が立たないのは良いことなのかもしれないが、人間、きちんと心も体もそれなりに動かしていないとダメだよなあ、と思う。

ここ一年くらいの私は特に、「めんどくさい」や「まあいいや」という布団の上でずっとゴロゴロしている気がする。いかんいかん。たまには動かないと。きちんと汗とか涙とか流さないと。

それにしても、最近腹が立つことかあ。 うーん。 

セブンイレブンのコーンパンが長細くなったことくらいかなあ。まあでも、それもべつに味は変わらずに美味しいから、まあ良いっちゃあ良いし。

皆さんはありますか?最近腹が立つこと。


最近、迷惑メールがたくさん来る。

しかも毎回違うアドレスから送られてくるので、受信拒否設定をしてもキリがない。その名の通り本当に迷惑なメールだなあ、と思うばかりである。

どうせなら面白いアドレスから送ってきてくれれば良いのに、機械的に作られたアドレスから「お金がなくて困っています」などといったメールが来ても、なんだかなあと思ってしまう。どうせならもっとこう、切羽詰まっている感じとか、ちょっとしたユーモアとか、とりあえず内容だけでも見てみるか、と思わせてくれる何かが欲しい。

初めて自分のメールアドレスを考えた時なんて、相当頭を悩ませたものである。

地味にその人の趣味趣向が色濃く出る部分であるから、プロフィールの一部と言っても過言じゃないくらいに思っていた。いかにここでキャラを出すか、それが肝心だ、と。中学生の時、初めて持った携帯電話で設定したアドレスは、今でもしっかり覚えている。

高校生の時には、クールで聡明で品があって素敵だなあと思っていた男の子とアドレスを交換したら、その子のアドレスがcrazy_love_crazy@…みたいなやつだったのを知り、恋心が冷めたこともある。

些細なことなのかもしれないが、実際こうして記憶に残っているわけだし、たかがメールアドレス、されどメールアドレスである。

では、どんなアドレスからのメールだったら、たとえ迷惑メールだったとしてもまだ許せるだろうか。

YAVAI-KANENAI-YAVAI@…

とか、

NANDEMO-SURUKARA@…

とか、

mainichi-meshi-hirottekutteru@…

とか、どうだろうか。

最後のなんて、必死すぎてもはや健気ささえ感じる。こんな感じのアドレスからのメールなら、とりあえず本文を読んでみようという気持ちになるかもしれない。

迷惑メールを送ってくる業者の方々も、この春からは少し手間暇をかけてアドレスを考えてみるのはいかがだろうか。まあ、送るのをやめていただけると一番ありがたいんですけどね。



2018年になったばかりだと思っていたのに、気がつけばもう3月である。まだまだ肌寒い日は続いているものの、どうやら花粉もガンガン飛んでいるようだし、何より「なんとなく」もう春だなあ、と感じることが増えた。

学生の方や会社勤めの方は来月、毎年4月から新年度がスタートするわけだが、私なんかみたいにこうして音楽をのらりくらりとやっている身となると、ついそこらへんの感覚を忘れてしまう。
ざっくりした年間スケジュールは立てて動くものの、地平線の向こう側を眺めて、キラキラしたものを見つけて、手を伸ばして、たまに落ち込んで、また追いかけての繰り返しで一年間、いや、何年間も気づけば過ぎ去っているのである。少なくとも私の場合は、この数年間そうだった。

そんな感じで、音楽を本気で生業にしたいと思ってから始めた私の一人暮らし生活も、この春から5年目に突入する。

一人暮らしを始めてからの4年間、私はずっと同じ家に住んでいる。ライブのMCなんかでもネタにしている通り、家賃約5万円の六畳のワンルームである。4年間で物がかなり増えて、正直もう部屋の中は凄いことになっている。隙間という隙間には本やCDのタワーが立っているし、収納もほとんどないため、あらゆる場所に突っ張り棒を利用して、しまいきれないものはぶら下げることで何とかしている。アニメ映画に出てくる要塞都市かというくらいに、狭いスペースにかなり入り組んだセットを組んでいる状態である。
住んでいる街や部屋からの眺めなどは気に入っているので、正直かなり愛着もあるのだが、そろそろきちんと作業場も設けたいなと思い、私はこの春引っ越しをすることに決めた。というわけで、現在絶賛物件探し中というわけである。

先週あたりから何軒か内見に行ってみているのだが、まだ、これだ!という部屋には出会えていない。家賃や間取りなどの希望条件にはマッチしていても、実際に行ってみると、「なんとなく」違うんだよなあ、ということも多かったりする。いくら写真や話で聞いて良く感じても、結局住むのは自分なのだから、こればっかりは自分の目で見て確かめたことしか最終的には頼りにならないな、と思う。

そうは言っても、時間も予算もかぎられているので、あまり悠長に構えていたらいつまで経っても決まらない。そこで何人かの友人に相談してみたところ、占いを頼りに引っ越す時期や場所を決めているという人がいた。いかに占いが人生を左右するのか、一生懸命に教えてくれたのだが、正直私はある時から占いの類は信じないと決めてしまっているので、はあ、と聞き流してしまった。(決して占いに否定的なわけではないので悪しからず)


あれは2年ほど前だろうか、女の子の友人と二人で東京タワーに遊びに行った時のことである。
展望台に登ったり、お土産屋さんを覗いたりしたものの、なんだかまだ満喫しきれていない気がしたので、記念に占いでもしてもらおうか、ということになった。一回1000円で占ってくれる占いコーナーには、3、4人の占い師の方が並んでいて、私たちはその時一人だけ暇そうにしていた手相占いのおじさんに、運勢を見てもらうことにした。早速私が手相を見せると、「ほお〜なるほど」と言いながら、おじさんはボールペンで手相をなぞりはじめた。

「人前に出る仕事は向いているね」

なるほど、それはかなり嬉しいことである。そしておじさんは続けてこう言った。



「恋愛に関しては、君は28歳までに、結婚、離婚、再婚するだろうね」




いや

なにその人生のターボ感


予想の斜め上すぎる展開に、私は逆に胸が踊った。そして、まんまとそのおじさんの占いにかなり興味が湧いてしまったのである。そこで、もうちょっと詳しく聞かせてくれないか、と聞くと、一回の占いではここまでと言われてしまった。なんでも、


「この先はタロット占いで占うから、プラス1000円かかる」

らしいのである。



いや


なにその占いハイブリッド




その瞬間、私はさっきまであんなに湧いていた興味が急激に冷めて、疑問符に変わって行くのをたしかに感じた。お金を払って占いをしてもらうのは初めての経験だったので、これは完全に良いカモだと思われているのではないか、と思ってしまったのである。

もはや信じる心を失ってしまった私には、この先の占いは無力な気がしたので、じゃあ大丈夫ですと言ってその場を立ち去ろうとしたその時である。

背中を向けた私の後ろ姿に向かって、おじさんが「ちょっと!」と声をかけた。「あと一つだけ教えてあげよう」と言うので、何事かと思い振り返ると、おじさんは渋い顔でニヤリと笑い、自信たっぷりの声でこう言った。



「君は安産だ、なぜならケツがデカいから」



それは、さっきまでとは違う、確信めいた表情と声色だった。占いをしてくれていた時より、はるかに神々しかったその姿を今でも鮮明に覚えている。

その日からである。私が占いをあまり信じなくなったのは。

しかし代わりと言ってはなんだが、そのおじさんのおかげで、結局最後は自分の目で見たことにしか確信は持てないのだな、ということを、あらためて身を持って感じることができた。

おじさんから教えてもらったこの教訓を胸に抱きながら、新年度を気持ちよく迎えられる部屋が見つかるまで、関取の物件探しはまだまだ続く。良い部屋見つかると良いなあ。

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