お知らせ

レコーディング期間中ということで、なんとなく禁酒をはじめてから、約3週間が経った。
ここまでノンアルコールビールでなんとか乗り切ってきたが、そろそろ夜中にしっぽりやりたくて仕方がなくなってきている。

というのもなにしろ、夜の過ごし方がわからないのである。

お酒があれば何かしていたのかと言われたら、別に何をしていたわけではないのだが、とにかく物凄く時間がありあまっているような気がするのである。部屋にはテレビもないし、大好きなラジオもpodcastまで全部聴いてしまっている。本を読んだり、音楽を聴いてみたりしてもいいのだが、あまりそういった気分にならない日には、もういよいよやることがない。

ここ数日間は、くだらない言葉遊びを一人で思い浮かべては一人でくすっと笑うことで暇な時間を凌いでいた。


「タイトなジーンズにねじ.com」

「三代目Jソウルブラジャーズ」

「ヌジョレーボーボー」

「洗いざらしのあざらし」



など、なんとも品もなけりゃ学もない、くだらない遊びである。
そして一通りその言葉達をネットで検索して、自分より先に思いついた人がいるかいないかで、一喜一憂していた。そこから生まれたものは、まぁ、「無」であった。

こんな時にペットでもいれば、と思ったのだが、あいにくうちのマンションではペットを飼うことはできないし、なにしろ私は、猫も犬も鳥も魚も、どっちかというと苦手である。というか、予期せぬ動きをするものへの恐怖心が昔から凄まじく、動物全般あまり得意ではない。大体そんな金銭的余裕もない。

しかし、このままではどうにもつまらなすぎる。何か新しい生命体と出会わなければ、いよいよ言葉遊びのネタも尽きてくる。というかもうとっくに尽きている。そこでふと考えた。

植物なんてどうだろうか。

彼らなら予期せぬ動きは絶対にしないし、それでいて成長も見守れる。目には見えなくても、彼らが何らかの方法で呼吸しているということは理科の授業で習ったし、空気も浄化してくれそうである。しかし部屋がなにしろ狭いので、大きいものは置けない。ライブで遠征に行くことも多いし、頻繁に水をやらなければならないものもNGである。そうすると、自ずと選択肢は一つである。


そう、サボテンである。


サボテンなら場所をとらないし、水をそんなにやらなくてもいい。何より植物の割になんだか親近感が湧くルックスをしていて、ペットに一番近いかな、と思ったのである。愛着が湧けば眺めているだけで時間も過ぎ去りそうだし、よし、サボテンにしよう。


そのとき、昔先輩から聞いたある話を思い出した。
なんでも、サボテンは人の言葉がわかるというのである。


真相を確かめるべく、その先輩は、毎日毎日サボテンに話かけたのだそうだ。
普通だったら、「大きくなれよ」「今日も綺麗だよ」「花咲くといいね」など、サボテンがいい気分になるような言葉をかけるべきだと思うのだが、何を思ったのかその先輩は、「役立たず」「お前は本当に可愛くない」「このサボテンが!」と、サボテンを相手に、来る日も来る日も罵声を浴びせ続けたのである。大体「このサボテンが!」ってなんだ。サボテンはサボテンなんだからどうしようもないじゃないか!
とにかく、そんな罵声についに耐えかねたのか、しびれをきらしたサボテンは、ある日突然爆発したのだそうだ。逆襲のシャアならぬ、逆襲のサボである。(全然うまくない)

これじゃあ全く意味がない。予期せぬ動きをするものが嫌いな私に、突然の爆発なんて耐えられるわけがない。罵声を浴びせなければいいだけの話なのだが、そんな話を聞くと、何もしないで置いておくだけでも、監視されているような気分になりそうで、なんだか怖い。それに私は自分が反抗期の頃、サボテンを1週間で枯らしたことがある。原因不明だが、根元の方から腐っていって、枯れたことは覚えている。常にイライラして両親に悪態をついている私を見て、「おい、お前性根腐ってきてんぞ」とその身を持って忠告してくれたのかもしれない。


とにかくこれでサボテンもだめになった。ではどうしたらいいだろうか。いよいよわからなくなってきた。しかし何もせずぼーっとしていると、あれやこれやいらんことまで考え事をして、どんどん不安になってしまう性格の私である。何かないだろうか。





あ、そうだ。










毎日ブログを書けば良いのだ。










ということで、「なるべく」毎日、ブログを書こうと思います。
サボっていたら、ツイッターなりコメントなりで、叱ってください。




あまり言われすぎると爆発するかもしれないので、ほどよい感じで。


















私は、風の谷のナウシカをきちんと見たことがない。

あれだけの名作である、テレビでも何度も放送されているし、実家にはDVDだってある。
友達の家で鍋をしながら見たこともあるし、主題歌も歌える。だけど私は、最初から最後まで、きちんと見たことがないのである。

決してつまらないからとか、途中でどうしても眠たくなってしまったとか、そういうことではない。


理由はたった一つ、




ただの嫉妬である。




姫様と呼ばれるご身分であられながら、庶民の少女達にもまるで実の姉のように接し、谷の人々からも絶大な信頼と支持を得ている。それでいて思い切りがよく行動力があり、しなやかな身のこなしでメーヴェも操る。アニメだとわかっていても思わず見とれてしまうような、凛とした実に美しい顔立ち。己の危険も顧みず王蟲を抱きしめる様はまさに圧巻。天使、女神、あるいはジャンヌダルクか!!それがナウシカ様なのである。ちなみにお胸も大きい。


はじめてナウシカ様を見た日のことは今でも割と鮮明に覚えている。恐らく小学校低学年の頃だったと記憶しているが、幼心に、「こんな完璧な人間がいるはずがねぇ…いてはならねぇんだ…」と思った。

映画を見ながら何度もナウシカ様のあら探しを試みた。でも、ナウシカ様はどこまでもナウシカ様だった。どこをどうしたって、私がナウシカ様に勝てる要素なんて、これっぽちもなかった。

ナウシカ様が王蟲を抱きしめているまさにそのシーンを横目に、私は工作のりのアラビックヤマトを瓶の蓋に塗りたくって放置しておいたものを、ぺりぺりとはがす…という実に地味な遊びに興じていたのである。

ボロボロになったナウシカ様は、もう見ていられなかった。あまりにも美しいからである。家族は皆、息を飲んでナウシカ様を見つめている。感動屋の母は、涙を流していた。
なんだか悔しくなった私は、ぺろんとはがした謎の物体をこれ見よがしに家族に見せつけた。




「見て、アラビックヤマトこんなんなった!!!」




するとどうだろう。




「うるさいぞ」


「今いいとこだったのに」




「ナウシカはそんなことしないぞ」






人生初すべりである。
ごめんね、私はナウシカみたいじゃなくて。確かに王蟲とか来たら速攻逃げるタイプだわ、姿勢悪いからメーヴェも多分乗れないし。大体あの青いスーツ着たら多分レゴみたいになるし。


それはそれはあっけなく、私はナウシカ様に完敗した。洗面所に行って、アラビックヤマトの残骸を握りしめながら、一人で泣いた。ラストシーンなんて絶対に見てやるものか、と。


それ以来、風の谷のナウシカが放送されているのを見かけると、あの時の苦い思い出が蘇り、いてもたってもいられなくなるのである。今はさすがに24歳にもなったのでナウシカ様に嫉妬することはないと思うが、偶然テレビをつけたらやっていたから、どれ見てみるか、くらいのテンションじゃないと対峙できない気はしている。
できれば、「おうナウシカ~元気だった~?いやマジあん時はごめんだわぁ。」くらいのフレンドリーさで出会いたい。

しかし、現在一人暮らしの私の部屋には、テレビがない。このままでは不戦敗である。思い切ってTSUTAYAにDVDを借りに行くか、いや、それはなんだか悔しい。でも今この年齢で、もう一度ナウシカ様ときちんと向き合いたい。だって多分、24歳ってナウシカ様と同い年くらいでしょ?


少し、嫌な予感がしたので、念のために検索をかけてみた。








「ナウシカ  年齢」 













…16歳。













明日TSUTAYA行ってきます。
















































先日4月28日、母を連れてポールマッカートニーの東京ドーム公演に行った。
5月10日は母の日ということで、少し早い母の日のプレゼントである。

ポールのライブは私なんかが説明するまでもなく、本当に素晴らしかった。なんというか、天国のようだった。これには母も大満足だったようで、「冥土の土産ができた」と、終演後は興奮冷めやらぬ様子で無邪気にキャッキャと騒いでいた。

そしてぽつりと一言、「ありがとね、大人になったね」と言った。

なんとなしにつぶやいた母のその一言が、なぜか頭の中をぐるぐるまわり、次の日もその次の日も、なんだか耳の裏に張り付いていた。

はて、大人になるとはなんぞや、と。

お酒を飲めるようになることか?はたまた一人暮らしをできるようになることか?あるいは自分の子どもができて、母親や父親になることか?きっとどれも正解なのだと思う。しかし、なんだかどれもいまいちピンとこないまま、この数日間を過ごしていた。

そして今日、いつものように打ち合わせを終え、夕方から個人練習でスタジオに入り、日が暮れた頃にスーパーで買い物をして、大きなギターケースを背負いながらとぼとぼと道を歩いていたときのことである。


「わっ!!」


私の真後ろ、わずか50cmほどのところで、食料品店が外に山積みにしていたワインの山が倒れたのである。ざっと見ただけで20本以上、道中に瓶の破片とアルコールの匂いが飛び散った。商店街にいる人々は皆振り返り、おろおろしていた。お店の奥から店員さんが数人出て来て、一斉に掃除をはじめた。店員さんは皆、しきりに「申し訳ございません、申し訳ございません」と繰り返していた。

「お怪我はなかったですか?」

と一人の店員さんが私に話しかけてくれた。勿論怪我などはなかったので、大丈夫ですとだけ返し、変にそこにいても手伝えることもなかったので、私はまたとぼとぼと歩き始めた。そしてふと考えた。

「待てよ、あと1秒遅かったら、私は今歩けてないかもしれないぞ」

そりゃそうだ。もしも頭の上から大量のワインが雪崩のように倒れて来たら、お怪我どころの騒ぎではなかったはずである。頭に瓶の破片がささっていたかもしれないし、目にガラスの破片が入ってしまっていたかもしれない。そう考えると、少しゾッとした。しかし同時に「私、ついてるぞ」と思った。

思い返すと、今日は良いことがたくさんあった。

・一昨日イヤフォンを道で落としたので、同じものを電気屋に買いに行ったら、最後の一つで、しかも以前買った時よりもなぜか500円ほど安く買えた。
・ギターケースが壊れてしまったので、新しく買ったものにポケットの中身を移していたら、100円玉が出て来た。
・シャンプーとコンディショナーが、同時になくなった。(特にこれにはテンションが上がった)

ざっとこれくらいのことではあるが、とても重要なことである。
たかが不幸中の幸い、されど不幸中の幸い。最悪な場合を免れられたというだけでも、儲けもんである。

そういえば、この不幸中の幸いに気づけるようになったのは、最近になってからである。
ほんの1、2年前までの私は、そんなことにはまったく気づかなかった。最高以外は最悪、一人でイライラして、くだらない小さなミスを、何日も引きずることもあった。
しかし、今は違う。無論、すべてが完璧に上手くいけば言うことはない。しかし人間なのだから、毎日がエブリデイパーフェクト!なんてあり得ない話である。ましてや大人になるにつれて、理不尽なことも増えるし、これまで気にしなくてよかったはずのことにも沢山直面する。それでも、その中に不幸中の幸いを見つけられれば、ただの完璧を上回る面白さを見つけられるかもしれない。

そういえば、数年前の初売りで、これまた母と一緒に福袋を買いに行った時のことである。
アウトドア系のショップで1万円の福袋を買い、すぐにカフェに入って中身を確認、マウンテンパーカーやリュックなど、さぞかし実用的なものが入っているのだろう…と期待に胸を膨らませ、いざ袋を開けてみると、どうだろう。そこにはアウトドアのアの字もない、あえて言おう、「クソださい」ものばかりであった。福袋ではなく、鬱袋である。

忘れもしない、なぜか全面にスタッズがあしらわれた白いレザーのかばんと(なぜか子犬くらい重い)、2002年の日付が入っている黒いTシャツ(イベントのスタッフTシャツのようなもの)、黒いレースのアームウォーマー(ゴスロリ用か庭仕事用か、真相はいかに)、テンガロンハット(嘘だろ)と、逆に全身コーディネートしたくなるくらいのそれはもうゴミのような(以下割愛)

もはや一つ一つ袋から出す度に笑いが止まらなくなってしまい、最後にカンガルーのキーホルダーが出て来たときには、母と一緒に涙を流しながらヒーヒー笑っていた。

そして母は言った。


「これが本当の福笑い、こんなに盛大な新年初笑い、一万円で買ったと思えばむしろ有り難い!今年は良い年になるよ!!」


そのとき私はヒーヒー笑いながら、心の中では、「母はかっこいいなぁ、大人だなぁ」と心底感動したものである。不幸中の幸いを見つけことで、母は最悪の鬱袋でさえ、一瞬にして最高の福袋に変えてしまったのだ。私はそれ以来、こんな大人になりたいな、と思うようになった。

大人になるとはなんぞや、正解なんてわからない。というか、恐らく正解なんてないのだと思う。しかし、不幸中の幸いを発見できるようになった今日、少しは母に近づけたのかな、大人になれたのかな、と思った。



話は戻るが、ポールマッカートニーの公演後、家に帰り、リビングでゆっくりしていた時のことである。

「今日以上の母の日のプレゼントなんてないかもね、来年以降何あげればいいか困っちゃうなぁ」と私が言うと、母は左手でファミチキを食べながら、右手で友人とのラインを見ながらなんとなしにこう言った。

「思いっきり好きなことやって、笑って胸を張ってくれてりゃ、そんなのなんでもいいんだけどね」

なんだか照れくさかったから聞こえないふりをしたけれど、本当はちょっと泣きそうになった。






明日からレコーディング、思いっきり好きなことやって、笑って胸を張れる作品にしてやるぜ。







ありがとう母よ、その言葉、しかと受け取った!















「dawn」

あんたに出会わない人生があれば
母の腹からやり直したい

あんたに出会わない人生があれば
腹の底から笑ってやりたい

ああ 悲しいことは消えはしないけど
あんたのことは忘れられないけど
だけど

あんたに出会わない人生だったなら
あの子の声に気づいていたかい

あんたに出会わない人生だったなら
あの子の痛みを分け合えたかい

ああ 悲しいことは消えはしないけど
ああ あの子は今日も泣いているけれど

ああ 明日はきっと笑えるように
あの子をそっと抱きしめていたい
今は




とりあえず聴いてみてください。
とても大切な曲です。



終電で乗り換えミスをした。
うっかりだった。本を読んでいたら本来乗り換えるはずの次の駅だった。
駅に着いたら小雨が降っていた。


私は最近一人暮らしをはじめた。
毎日家計簿をつけている。
節約してもお金は実家暮らしの時の何倍もかかる。
少し先までの移動ならもっぱら自転車で行くし、タクシーなんてもっての外である。
何なら「絶対乗らない」と決めていた。

でも今日は運が悪かった。
タクシーに乗らないと帰れない事態を招いてしまった。
しかも今日は実家に帰る。
母から帰りにアイスとパンを買ってきてと連絡があった。
母は寝る前のアイスが好きだ。なんとしてでも今夜は帰ろう。
ということで、仕方なくタクシーを待った。

しょぼくれた駅のロータリーのタクシー乗り場には、私の前に既に3人並んでいた。
皆そこまで酔っ払っている感じではなく、単純に寝過ごしたとか、そんな感じの理由でここに来てしまった雰囲気だった。

小雨は音もなく、あたりは歩いている人もおらず、だれも一言も話さず、とても静かだった。
私はさっきまで、「せっかく節約していたのにタクシーに乗るなんてムダ金じゃないか、最悪だ。」「アイスはどこのコンビニで買えば一番溶けないか。正直めんどくさいぞ。」とか、とにかくイライラしていたが、あたりが妙に穏やかな静けさに包まれていたので、なんだか少しだけ落ち着いてきた。


そのときである。








ペチャッ



チャッ





ンチャッ




ヌチャッチャッ







ニュチャッ








先程までのおだやかな静けさの中に、不快な音が突然混ざってきた。
ふと後ろを振り返ると、メガネをかけたごく普通の男性が立っていた。
身長は高く細身で小奇麗な、どこにでもいそうな男性だった。



しかし彼は、そう。


何を隠そう、





クチャラーだった。
(クチャラー=ものを食べるときにくちゃくちゃ音を立てて食べる人)





私は一瞬にして青ざめた。
私はクチャラーが大の苦手である。
ましてイライラしている夜に、いつ来るかもわからないタクシーを小雨の中で待っている時に、真後ろの空からまるで降り注ぐように聞こえてくるクチャサウンド。耐えられなかった。
嘘だと思うだろうけれども一応言っておくと、なんだか悔しくてやりきれなくて、愛しさでもなく切なさでもなく心強さでもなく、クチャ音のせいで涙が出た。




なぜだ、なぜなんだ。
なぜ今夜なんだ。ただでさえイライラしているこの夜に、なぜ神様は私にクチャラーをお与えになったのです、おお神よ。
もはやすがる思いでタクシー会社に電話した。

「今、〇〇駅のロータリーなんですけど、タクシーってどれくらいで…前に三人待ってるんですけど、だとしたら…」




「うーんちょっとわからないですけど、20分くらいですかねぇ、はやくて」




20分。




たかが20分。されど20分。



20分間のクチャメドレーに私は耐えられるだろうか。
涙は小雨でごまかせるだろうか。なんなら大雨になってくれたらやつもクチャクチャする余裕がなくなるだろうしいっそその方がいいのだろうか。
とにかくそんなことをいろいろと考えながら絶望的な表情でヤツの方を見たら目が合った。


少し笑って、軽い会釈をしてくれた。



会釈の顎が上がると同時に「チャッ」という音がした。



でも、なんだか不思議といら立たなかった。
お互い大変ですね、という感じの会釈なのが、すぐにわかったからだ。


そして間もなく、私に自己嫌悪の嵐が吹き荒れた。

この人だって大変なのに、我慢してタクシーを待っているのに、前に並んでいる不機嫌そうな小娘を見て会釈をしてくれた。
なのに私はなんだ、クチャ音ひとつでイライラして、なんならちょっと睨もうとして。
この人はきっと一週間、朝から晩まで働いて、金曜日だからちょっと飲み過ぎて、飲んだ後の口さみしさをごまかすためにガムを食べているだけなのに。
ちっぽけだ、なんてちっぽけなんだ私は。情けない。



とかなんとか思っているうちにタクシーが来た。
私はタクシーに乗るとき、「お先にすみません」的な会釈をクチャラーの彼にしてみようと思ったが、あいにく彼は電話をはじめて違う方向を見ていたのでできなかった。



タクシーに乗って、行き先を告げた。
途中でコンビニに寄ってもらい、母に頼まれたアイスとパンを買った。それからコーヒーとコーラ。

先程の自己嫌悪を何かで挽回しなければ今日は寝られないと思い、タクシーから降りるときにでも運転手さんにコーヒーをあげよう、と思ったのだ。
「お疲れですよね、コーヒー、よかったら。」なんて、できたら素敵じゃない。







まあ、できなかった。





よくわからないけど、できなかった。
こんなに夜遅くまで頑張っているタクシー運転手さんに、「よかったら」って何か渡す資格が私にあるのだろうか、とか、完全に自分の好みでジョジョがパッケージになっているコーヒーを買ったけど、ジョジョを知らない人からしたら反応に困るのだろうか、とか。そんなくだらない理由をつけて、ようはなんだか、急に恥ずかしくなって渡せなかった。

なれないことはするもんじゃない。そういうのは可愛い石原さとみみたいな女性がちょっとエロく声をかけるからこそ意味があるのだ。私みたいなレゴに声をかけられても意味がないのである。





自宅の前で料金を支払い、ありがとうございましたと言いタクシーを降りた。
小雨はまだ降っていた。



午前2:00だというのに、家の前の花壇に人影があった。
母だった。





「よかったね~無事乗れて。お疲れ様、疲れたでしょう~」





いつからそこにいたのかは知らないけれど、待っていてくれたらしい。
涙が出そうだったけどぐっとこらえた。

クチャラーの男性や、タクシーの運転手さんに比べたら、毎日何も頑張っていないのかもしれない。
何も見えない未来に向かって、ただ好きだから歌を歌って音楽で生きていこうと夢を見ているだけの、どうしようもない娘だ。良い大学を出してもらったのに仕事にも就かないで。
酒もよく飲む。口も悪い。バカ娘だ。


だけど母がお疲れ様と言ってくれるから、きっと、ちょっとは頑張っているのかもしれない、と思った。
何がかはわからないし、もしかしたらそんなに頑張っていないのかもしれないけれど、
なんだかほっとしたというか、嬉しかったのだ。




家に帰ってすぐアイスを食べた。
母もアイスを食べた。



美味しいねぇ、と言って食べたアイスはどこにでもあるコンビニのただのバニラアイスだ。
だけど今日のは特別美味しかった気がした。



なんとなく、今日だけは子供のようにペチャペチャ音を立てながらアイスを食べるのもありかな、と思った。


















やらなかったけど。















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