寒い日が続くと、どうも家に引きこもりがちである。最近では布団から出るのさえ億劫で、カーテンを開ける前に、窓の外から聞こえる、道路を走る車の音で外の天気を確認している始末である。ザババババ…とタイヤが水を撒き散らしている音がすれば、大体雨である。特に何の予定もない日、この音を聞いただけで、私のテンションはだだ下がりする。すべてのやる気がなくなり、ベッドから出る前に、もう今日はとことん1日を棒に振ってやろうと決意してしまうのである。そう、今日は「本休日」にするぞ、と。

よく、「花さんは、予定がない日は、本を読んだり映画を見たり、レコードを聴いたりして過ごしているイメージです」と言われるのだが、とんでもない。勿論、そういうことをする日だってある。本や音楽や映画は大好きである。しかし、そういったものに触れて刺激や影響を受けると、すぐに頭が「この世界観からはどんな曲ができるだろうか」「このセリフはあそこの歌詞に活かせそうだ」といった発想になってしまって、全然心が休まらないのである。なので、一口に特に予定がない日と言っても、私の中では、


「曲作りに活かせそうなものにきちんと触れる日」=「準休日」

「考えることを一切放棄して、己の欲求のままに過ごす日」=「本休日」


の二種類をわけて考えている。
そして冒頭に述べた通り、冬になると、この「本休日」の勢力は異常拡大される。そして、その日の私のクズっぷりと言ったら、それはもう清々しいほどにクズなのである。

まず、基本的にはベッドとトイレと冷蔵庫、この三点間しか移動しない。昼過ぎまで寝て、トイレに行きたくなったら起きて、お腹が減ったら作り置きしておいたおかずを食べ、お腹がいっぱいになったら横になる。もうやっていることは牛とか豚とかその類と同じである。皆まで言うな、自覚はある、多少の反省もしている。なので、たまに外に出ることもある。といっても、本屋に行って週刊誌の立ち読みをするか、レンタル屋に行ってお笑いのDVDを借りて来るか、コンビニに行ってブラックサンダー買うか、そんなもんである。

今日は「本休日」だったので、私はいつものようにレンタル屋でDVDを借りた。千原ジュニアさんとケンドーコバヤシさんのお二人のフリートーク番組、「にけつッ!!」のDVDである。そしてレンタル屋からの帰り道、自転車に乗りながらふと思い出した。昔、自転車に2ケツ(ニケツ)することを自分だけ読み間違えていて、友達にめっちゃ笑われた時のことを。

そう、なぜか私は謎のルー大柴さん的発想で、ニケツのことをツーケツと読んでいたのである。

家族や友達にもツーケツ読みをする人はいなかったので、本当にどこかで一人勘違いしたのだと思う。「え、いまツーケツって言ったの?ツーって、ワン・ツー・スリーのツーだよね??え、めっちゃダサいね??」と友達に言われた時、はじめて2ケツはツーケツとは読まないことを知り、結構なショックを受けた。

読み間違いの話で言うと、他にもある。

今でこそiphoneが普及し、当たり前のように皆itunesを使っているが、私が中学一年生の頃なんかは、ipodさえろくに浸透していなかった。その当時、テレビではipodのスタイリッシュなCMが流れ始めていて、MDプレイヤーを使っていた私は、ダウンロードして音楽を入れるという仕組みに、なんだか無性に憧れたものである。そしてそのCMをちょうど家族と一緒に見ていた時、私はこう言った。



「イトゥネスってのでダウンロードするらしいね」




…。


しばらくして、兄が言った。

 

「iTunes(アイチューンズ)だろ」



…。




他にもある。

ある日、父親におつかいを頼まれた。メモ用紙に、整髪料と制汗剤の名前が書かれている。男性用のそういった商品の場所がわからなかったので、私はドラッグストアの店員さんに聞いてみることにした。



「すみません、ガッツバイの商品はどこですか?」


…。


しばらくして、店員さんが言った。




「GATSBY(ギャッツビー)ですね」



…。



これが赤っ恥か、と思った。顔から火が出るほど恥ずかしかった。今でも思い出すだけで恥ずかしい。


しかし、いつもの事ながら、私のこんな失敗も容易に超えてくる人が、わたしの身近なところにいる。そう、母である。

あれは高校生の時、ちょうど「ミネトンカ」のブーツが大流行していた時のことである。

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私はこの茶色いブーツをアルバイトしたお金で買って、気に入ってよく履いていた。学校が休みの日、母と買い物に行った時のことである。




「お母さんね、そのブーツの黒いやつが欲しいの。どこで買ったの?」

「これ?色んなところで売ってるけど、私はユナイテッドアローズで買ったよ」
  

そんな話になり、私と母はユナイテッドアローズに向かった。そして、店員さんを見つけるなり、母はこう言ったのだ。



「すみません、黒いミノモンタが欲しいんですけど」





さすがにこの時は店員さんも私も訂正する余裕もなく、爆笑してしまった。恐るべし、母。






さてさて、話の点と点を結んでいくうちに、最終的に黒いミノモンタの話になってしまった。何も考えないでブログを書くとすぐこれである。他愛もない話から、きちんと毎回最高のオチに持って行く、「にけつッ!!」のお二人とは大違いである。正直、こうしている今もベッドに潜りながらブログを書いているので、眠いやらスマホを持つ手が疲れてきたやらで、もうやめたい。だから、やめる。

本休日、ここに極まれり。






 




はて、私がジョンジョロリンに会えなくなってしまったのはいつからだろうか。

私は2歳から8歳になる年までの約6年間、幼少期をドイツで過ごした。今思い返しても本当に楽しい、美しい思い出ばかりである。通学路には野ウサギが普通にぴょんぴょんしていたし、盲導犬を連れたおじいさんとその犬には毎朝決まって「グーテンモルゲン!」と挨拶をした。目は見えないようだったけれど、声や音で私と兄とすれ違うのがわかるようだった。春になればイースターで卵にペイントをして飾り、夏はライン川で水遊びをした。秋になれば学校祭でフォークダンスを踊り、冬になればグラウンドに張った氷の上をスニーカーで滑った。クリスマスには大家さんのポールおじいちゃんとその奥さんとクリスマスパーティをした。
その他にも、年に数回やってくる移動式遊園地のキルメス、ランタンを持って夜の街を歩くラッターネ(ラテルネ)、街中の人が仮装をして闊歩するカーニバル…日本のように桜や紅葉はなかったかもしれないが、毎年やってくる恒例行事で季節を覚えた。当たり前のように過ごしていたけれど、思い返すと本当に貴重な経験をたくさんして来た。今ではとんだひねくれ野郎になってしまった私だが、あらゆることを斜めに見てしまいそうな時でも、あの頃のことを思い出せば、なんだか優しく純粋な気持ちになることができるのである。

ドイツでの日々を思い返すと、必ずそばに家族がいる。週末や休みの時期になると父は私たち家族を車でどこにでも連れて行ってくれた。宿がとれず、民家に突撃して泊まったこともあった。はじめてのエスカルゴも何の躊躇もなく食べた。「騙されたと思って食べてみろ」これが父の口癖だった。偉そうな事は一切言わない父だが、家族の絶対的リーダーだった。「何かあればお父さんについて行けばなんとかなる」、異国の地にも関わらず何の不安もなく過ごせたのは、間違いなく父のおかげだったと思う。
スポーツも万能で読書家、そんな父にも苦手な事があった。歌と絵である。この男、てんでそこらへんがダメなのである。母は地元のNHK少年合唱団に入っていたこともあるらしいのだが、父はカエルの歌さえまともに歌えないオンチなのである。家族でドライブをしている時に父が歌い始めると、私と兄は決まって、「アーーーーー!!」と叫びながら耳をふさぐふりをした。ドイツのアウトバーン(高速道路)は長く、暇な時間が多かったため、よくこの遊びをして遊んだものである。

そしてもう一つ、トンネルに入ると現れる「ジョンジョロリン」というのがあった。ドイツのトンネルは長く、暗い。車も割とすごいスピードで走っているので、なんだかとんでもないところに閉じ込められた気がして、はじめのうちはとても怖かった。そんな私たち兄弟を見かねたのか、父はある日から、トンネルに入ると「ジョンジョロリンが出るぞ!ここはジョンジョロリンの住処だから暗いだけだ!」と言い始めた。それから私たち兄弟はトンネルが大好きになった。ドライブの一番の楽しみはもはやジョンジョロリンだった。トンネルが見えると、「ジョンジョロリンが来るぞーーー!!」と叫んだ。
ある日私は父に、「ジョンジョロリンてどんな見た目をしているの?」と、絵を描いてくれとせがんだ。すると父は迷いのないペンさばきでジョンジョロリンを描いてくれた。


 
完全にただのカビルンルンだった。




それでもあの頃はえらく感動したもので、私の中のジョンジョロリン像は確固たるものとなった。トンネルに入ればいつだってその絵を想像した。カビルンルン、いやジョンジョロリンは、確かにそこにいたのである。

そうこうしているうちに父の転勤が決まり、私たち家族は中国へ引っ越すことになった。正直、ドイツとの文化の違いは衝撃的だった。ほこりっぽい道路には運転の荒すぎるタクシー、すさまじい数の自転車が走っていた。結局中国に住んだのは二ヶ月ほどだったが、こちらでも違うベクトルで、かなり濃い出来事に色々と恵まれた。話すと長くなりそうなので、この話はまた今度にしようと思う。

そして日本へ帰国したある日、家族四人でドライブに出かけた。久々に綺麗な高速道路を走った。やがてトンネルに差し掛かった。そして誰からともなく、「そういえば、ジョンジョロリンていたよね」と言い出した。「あー、いたね、そんなの」「なんだったんだろうね、あれ」そんなことを言いながら、車はやがてトンネルを抜けた。


一昨日、東京にも雪が降った。朝目が覚めてカーテンを開けたら、あたり一面真っ白だった。昔のような胸の高鳴りはこれっぽっちもなく、電車が止まるだろうなとか、すぐに雨が降ったから次の日は地面ツルツルで危ないだろうなとか、そんなことがすぐに頭に浮かんだ。寒かったから窓も開けずに再び布団に潜って、週刊誌の芸能ゴシップを読んで、寝た。

夢を見た。家族四人でドライブをする夢だ。トンネルの中を走っている。ジョンジョロリンは、もう出てきてくれなかった。



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勝手にyoutubeラジオはじめました! 
「関取花のごっつあんラジオ」

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【過去のアーカイブ】












先日、某激安の殿堂に行った時のことである。

正月太りを解消できぬまま1月も中旬にさしかかり、確かな身体の重みと焦りを感じながら、私は手軽なダイエット器具を探していた。さすがボリューム満点激安ジャングル、かなりの種類を取り扱っている。最近は家の中でもフィットネスが行える器具もかなり出ているようで、陳列棚に高く積み上げられたそれらを見ているだけで胸が躍った。

しかし、私の今住んでいる部屋は6畳しかない。そしてその部屋には既に、ベッド、作業机、テーブル、ギター5本、キーボード、アンプ、レコードプレーヤー、本棚、コート掛け、空気清浄機などが、テトリスをするようにひしめき合っている。正直、これ以上物は増やしたくない。本当はバランスボールがちょっと欲しかったが、それは泣く泣く諦めた。すると、ある商品が目に入った。小顔ローラーである。
効果があるのかないのかよくわからないながらも、この10年くらいは常に見かけるこちらの商品、高いものだと15000円、安いものだと1000円弱からあるようである。これなら場所もとらないし、お手頃価格のものを一度買ってみるのはありかもしれない。何より、ズボラな私でもこれなら「ながら」で続けられそうである。大好きな「ごっつええ感じ」のDVDを見ながら、コロコロしてりゃいいなんて、最高じゃないか。ていうかあれ、正直楽に痩せたい。面倒なことはしたくない。顔が一番手っ取り早いだろ。痩せた感じ出るだろ。

ということで、小顔ローラーをいざ手に取ってみようとしたその瞬間である。真横から香辛料の香りがフワッと立ち上がるのを感じた。

右を見ると、かの有名なプロレスラー、タイガー・ジェット・シン似(知らない方は是非調べてみて欲しい)のインド系と思しき男性が、こちらを見て微笑んでいる。目が合ったのでとりあえず微笑み返しはしたものの、私は内心かなりビビっていた。激安の殿堂特有の狭い通路は、どこをとっても死角と言えば死角、何をされても誰も見つけてくれないかもしれない。何しろ相手はタイガー・ジェット・シンである。新宿伊勢丹でプライベートで買い物をしていたアントニオ猪木を白昼堂々襲撃したあの男である。早く小顔ローラーを手に入れてこの場から立ち去りたい。しかし、小顔ローラーは右斜め上のフックにかかっている。そう、まさにタイガー・ジェット・シンの目の前である。はてどうしたものか、実際の時間はものの十数秒だったとは思うが、体感的には10分を超えていた。

すると、その沈黙を割くかのように、タイガー・ジェット・シンが何やら話しかけてきた。



「…シテマスカ?」



よく聞こえなかったので、思わず聞き返した。



「…へ?」





「…パズドラシテマスカ?」






あまりに突然の質問に、私は思わず声を失った。
一瞬で頭の中に色んなハテナが駆け巡った。しかし私にできることは、とりあえずその質問に答えることだけである。とにかく嘘をつかずに正直に言おう。



「スミマセンシテマセン…。」


なぜか私までカタコトで答えてしまった。すると彼は、とても悲しい顔をして、


「ソウデスカ…。」



と言った。白昼堂々激安の殿堂に現れたその男は、私を襲撃することもなく、その場から静かに立ち去った。一体あれはなんだったのだろうか。


そういえば、私はインドとかちょっとお顔が濃いめの国の方々に声をかけられることがなぜか多い。少し前も、ファミリーマートで深夜バイトをしているタイ人の店員さんになぜか連絡先を聞かれた。スタジオでの深夜練習の帰りに立ち寄るといつも笑顔でレジを打ってくれたその店員さんは、28歳の留学生だと言う。



「イツモ、チェロ、モッテイテ、タイヘンデスネ」


素敵な笑顔で話しかけてくれたその人に、これは私の身体が小さいだけで、実はギターなんだよ、とは言えなかった。連絡先はまた今度ね、と言ってなんとなく濁しているうちに、その人はいつの間にかお店からいなくなっていた。でも大体見当はついている。なぜなら彼はお店の電話でいつも家族に電話していた。言葉はわからなくても、電話口の向こう側が姪っ子に変わった瞬間などが、なんとなくわかった。毎日のように国際電話をしていたら、相当の電話料金である。おそらくそれが店長にバレてクビになったのではないかな、と私は踏んでいる。


幼少期、トルコかどこかに行った時もこんなことがあった。白人の方が多いヨーロッパでは、色白で一重の、私よりももっといわゆる日本人顔の兄の方が可愛がられることが多かったが、そこでは違った。現地でついたガイドさんは、私をとても可愛がってくれた。そして言われたこの一言を、今でも私はしっかりと覚えている。




「コノコカワイイデス、フトッテテ」


当時小学生にあがるかあがらないかくらいの歳ではあったが、なんとなく胸にガツンときたのは間違いなかった。



でも、どんな形であれ好かれたり声をかけられたりするのはとても嬉しい話である。しかしなぜ濃い顔の方々ばかりなのか。なぜ日本人からはモテないのか。


そんな私も、たった一度だけ日本人の方から連絡先を渡されたことがある。


それはワンマンライブに向かう途中の電車の中で起きた。私は、着替えなどを入れた大きなエコバッグを膝に乗せて座っていた。ウトウトしていたら、サッと横から一枚のレシートをエコバッグの中に入れられた。よくわからないままレシートを入れてきた人の方を見ると、「読んでください」とだけ告げて、彼は下車し、ホームの人混みの中に消えていった。

なんだろうと思いながら恐る恐る開けてみると、ラブレター的なものだった。自分で書くのはなんだか小っ恥ずかしいが、横顔がとても素敵で、タイプだと書いてあった。そして、連絡先が書いてあった。



ocean0720@○○○.co.jp


 
ocean=海

0720=7月20日=海の日




たぶんこの人海めっちゃ好きだわ…。



そんなことを思いながら手紙を読み進めてみると、こんなことが書いてあった。



「僕は沖縄出身で、最近東京に来たばかりの者です。良かったら連絡ください。」



やはり…



海人(ウミンチュ)…




やっぱり日本の方でも顔が濃い方に好かれるのだろうか。謎は深まるばかりである。







===近況===
勝手にラジオはじめました。





胸が痛いのである。
こんな気持ちはいつぶりか、とにかく胸が痛いのである。

さかのぼる事約一週間、私は夢を見た。
長身、整ったお顔立ち、テレビで拝見しているといつも物腰柔らかで謙虚でいらっしゃる、超素敵な某俳優さんとのロマンスの夢である。そう、東出昌大さんである。(以下はあくまでも私が勝手に夢で見た内容である。どうか生温かい目で見守りながら読んでほしい。)

夢の中で私とピガシデさんは(夢の中でなぜかこう呼ばせていただいていた、失礼極まりない話である。)凱旋門の前で見つめ合っていた。
ちなみに現実ではその身長差実にぴったり40cm、149cmの私と189cmのピガシデさんがハグしようものなら非常に滑稽な絵面になるはずなのだが、そこは流石の夢である。
身長差などなんのその、きちんと良い感じで顔の位置も合っていて、その距離約20cm、15cm、10cm…迫り来るその端正な顔立ち。
バックではホイットニーヒューストンのあの歌が爆音で流れている。(エンダーーーーイヤーーー)
まさに世界は私たち2人のものといった空気の中、宇宙の果てまであと数センチという距離のところで、ピガシデさんはそれを制止するように私を抱きしめて、美しい涙を流しながらこう言ったのである。



「ごめん、俺、実は中島みゆきさんと結婚してるんだ」


?!!?!



!?!??


縦の糸はあなた、横の糸は私じゃなかったの!?!?



これはいくらなんでも花咲舞が、いや関取花が黙ってない!ニクイね三菱、いやしかし!!そんな時代もあったねといつか笑える日が来るかしら!?!?燕よ高い空から!!教えてよ!!!!地上の星を!!!!!!


混乱と悲しさと到底かなわない相手との結婚の事実を聞かされ、私は溢れる涙だけを引き連れて、凱旋門の前の道をゴロゴロと転がっていった。(森光子さんのでんぐり返しの超高速版を想像してくれ)そしてバックで流れている曲は、いつのまにか中島みゆきさんの時代に変わっていた。

映像もカラーから白黒に変わり、スローモーションになっていた。とにかくひたすら転がる私。うろたえるピガシデさん。遠ざかる凱旋門。まわるまわるよ時代はまわる。転がる転がるよ花は転がる。

そしてゴロゴロと転がっている最中で目が覚めた。はて、これは夢か…しかし寝起きで朦朧とした意識の中、それでも私は確かに思った。


「あとちょっとだったのに」


「もう一度ピガシデさんに会いたい」


私は夢の中でもう一度ピガシデさんに会うために、願わくばもっと鮮明なお姿で登場していただくために、枕の横のスマホで速攻検索を開始した。

「東出昌大」

ズラズラと画像が並んで出てきた。ちなみにこの時点でかなりドキドキしていた。完全に鼻息が荒くなっていたと思う。スクロールをしながら、より夢の中で会った時と近い姿のものを探していく。

サッ


サッ



あっ…


お一人で写っている写真の中に、続々とごちそうさんの時の画像が紛れ込んできた。

私は気付けば目をそらし、急いでホームボタンを連打して、その画面を閉じていた。



…なぜだろう、胸が痛いのである。


ピガシデさんの奥様といえば、勿論私も大好きな女優さんである。というか日本国民ならみんな大好きだと思う。そして、日本一美しく、もはや天に祝福され選ばれたお二人だと思う。

それなのに、そんな素敵な奥様とは真逆の人間の私みたいなやつが、共通点なんて哺乳類であることくらいなもんの私が、方やパリコレでランウェイを歩いていると言うのに、まるでレゴブロックみたいな体型の私が…あろうことか…少し、ヤキモチを焼いてしまっていたのである。

そこからはもう地獄の自己嫌悪タイムである。
大体私が凱旋門の前でピガシデさんといい感じになった時点でおこがましい。大体なんだ、ピガシデさんてなんだ。GONINサーガだったら速攻ぶち殺されてるぞ。

そんなわけで二度寝をすることもできず、もう二度とピガシデさんにも会えぬまま、胸の痛みだけを残して私は夢から覚めたのであった。
ちなみに一週間経った今でも、まだちょっと胸が痛い。あと全然関係ないけどうちの母親は昔オダギリジョーさんに夢の中で抱かれたことがあるらしい。


はて、次はどんな夢を見るのだろうか。最近寝る前にプロレスの動画ばかり見ているから、誰かと闘う夢でも見るかもしれない。イメトレだけでもしておくか。


クリスマスを目前に控えた都心の町並みを眺めながら、私の頭の中はブッチャーとハンセンとアンドレ・ザ・ジャイアントで埋め尽くされているのであった。










学生時代にアルバイトをしていたドラッグストアが、都内某所にできていた。
チェーン店ではあるが、都内に何店舗もあるマツモトキヨシなどとは違い、郊外やそれよりもっと田舎の方に主に展開しているお店だったはずなので、少し驚いた。なんだか懐かしくなって、特に必要なものもなかったが、私は気付けば店内に足を踏み入れていた。プライベートブランド用品のゴリ推しと、無駄な食料品の充実具合は相変わらずで、なんだか少し安心した。アルバイトの子達が着ている白衣もそのままだ。ほとんどの子に「研修中」の札がついている。私にもそんな時期があったなあなどと無駄な老婆心を働かせつつ、店の奥へと進む。お店の間取りも棚の置き方も、ましてや建っている場所も違うのに、なんだかタイムスリップをしたような気分になった。

私は高校2年生から大学を卒業するまでの約5年間、家の近所にあるこのドラッグストアでアルバイトをしていた。高校1年生の時はスーパーでレジ打ちのアルバイトをしていたが、アイスコーナーの真ん前のレジの担当になると、決まって風邪をひくということが判明し、そのアルバイトはすぐに辞めた。そして、他のアルバイトを探さなきゃなあ、と思っていた矢先、このドラッグストアで運命の再会をしたのである。

ある日私は、母におつかいを頼まれ、自宅から徒歩5分ほどの距離にあるドラッグストアへ出かけた。必要なものをカゴに入れ、レジへ向かった。すると、

「花!何やってんの!」

とレジの女の子が話しかけて来た。そう、私の大親友、Rちゃんであった。Rちゃんとは小学校2年生の時からの大の仲良しで、小学校時代は常に行動を共にしていた。中学に入ってからも、学校こそそれぞれ違ったものの、年に数回は遊んだりしていた。しかし、高校生になってからはお互い忙しく、メールのやり取りくらいになっていたので、それはそれは感動の再会であった。

「何って、お母さんにおつかい頼まれて買いにきたんだよ。Rはここでバイトしてたんだね、知らなかった!」

するとRちゃんは私の腕をバシバシ叩きながら、

「そうだよ!ていうか花は今アルバイトしてないんだよね?探してんだよね?働こうよ、一緒にバイトしようよ!」

と言って、レジもそっちのけで社員さんのところへ私を連れて行ってこう言った。

「この子、私の親友で、アルバイト探してて、仕事も超できますし!お願いします!」

私はあたふたしながらも、内心これはめちゃめちゃラッキーだと思いながら、社員さんにキラッキラのスマイルで、千と千尋の千尋並みのピュアさで、「ここで働かせてください!!」と言った。すると、早速店長が奥からやってきて、翌日面接をしてくれる運びとなった。そして即日採用となり、面接の数日後からはアルバイトとして早速そのドラッグストアで働くことになった。


社員さん、パートさん、Rちゃんを含むアルバイトの皆は、本当に皆親切で、ほどよくゆるくて、とても居心地の良いアルバイト先だった。その証拠に、私とRちゃんはそこに5年間勤務したし、パートさんたちも、お子さんの受験などを理由に辞めてしまう人はいたが、基本的にはずっと同じメンバーだった。誰かが辞める時には盛大に送別会をした。パートさんも社員さんもお酒を飲んで夜まで楽しく冗談を言い合ったりしていて、本当に私はこのアルバイト先に出会わせてくれたRちゃんに感謝の気持ちでいっぱいであった。

しかし、別れは突然やってくるものである。大学4年生の1月、私はいつものようにRちゃんと品出しをしていた。すると店長が私たちのところへやって来て、サラッとこう告げた。


「来月で閉店なんです」

「ほ~…」


ショックはなかった。何せ私とRちゃんは、大学を卒業したらこのアルバイト先も卒業するということはずっと前から決めていて、店長や社員さん、パートさんにも報告済みだった。店長もそれを知っていたからサラッと言ってくれたのだと思うが、やはり5年間務めたバイト先が閉店するというのはとても寂しいものがあった。バイトの帰り道は、いつもRちゃんと自転車に乗って帰っていたのだが、その日は自転車を手で押しながら帰った。「せめてあと2ヶ月続いてくれれば気持ちよかったのにね」「そうだね」そんなことを話しながら、私たちはグダグダと坂道を下って行った。そして信号に差し掛かったあたりで、二人のどちらからともなくこんなことを言った。


「でもさ、よく保った方だよね」



「だって毎日大量のパン半額で売ってんだもん」



そう、何を隠そう私たちのアルバイト先のドラッグストアでは、毎日意味がわからないくらい大量のパンを発注しては、売れ残った分で賞味期限が翌日付けのものは19時をすぎると半額シールを貼って店の一番目立つところにドンと展開するという、あまりに非生産的なことを行っていたのである。

私たちの働いていたドラッグストアは、観光客や通りすがりの客をメインターゲットにしている渋谷とは違い、完全に近所の人達に向けて建てられたものだった。5年間もアルバイトをしていれば、店にくる大抵の人はよく見る常連さんだということくらいわかった。常連さんばかりだということは、皆19時になればパンが半額になることを知っている人ばかりということになる。

毎日のアルバイトで、唯一苦痛だった仕事がある。それが、「半額シール貼り」の作業であった。18時50分頃から、まずはパンの棚から半額にすべきパンを買い物かごに収集する作業に入る。多い日だと持ち手があがらないくらいパンパンになる時もあった。(しかも買い物かご2個分)

そして、半額シールをどんどん貼っていくわけだが、もうこの時間には背後に異常な気配を感じ始める。
そう、私とRちゃんが「四天王」と呼んでいた、半額ハンター常連達が、背後からカゴに入ったパンの中から自分のお目当てを選りすぐっているのである。はじめのうちは、半額シールがすべて貼られて棚に並べてから手に取ってくれていたが、もう5年も働いていると、「いつものアルバイトの子だ」ということで、無言の圧力をかけてくるのであった。




「俺はいつものあれだぞ、コロッケパンだぞ

お前、わかってるよな」





背中から槍で一突きにされているかの如くバシバシに感じる視線。耐えられなかった。
この四天王にはそれぞれあだ名がついていた。私とRちゃんが5年間のアルバイトで培った経験と知識をもってしてつけた、渾身のあだ名である。


・無駄な抵抗おばさん(毎回変装をしてくる)
・孫おばさん(孫が喜ぶから、孫に頼まれるから、と言っていつも買っていくのは豆パン)
・私じゃないのよおばさん(私じゃなくて、近所の人に頼まれてたのと毎回言い訳をしてくる)
・名探偵おじさん(17時頃に一度偵察だけしに来る)



冗談抜きでこの四天王からの無言の圧力といったら尋常じゃなく、アベンジャーズでも勝てないのではないかというくらい不穏かつ邪悪なオーラを纏っていた。アンパンマンなんて2秒でやられると思う。

そんなこんなで私たちは半額ハンターたちにびくびく脅えながら毎日せっせと半額シールを貼っていた。だからこそ、気付いていた。こんなんしてたら潰れるだろ…と。そして案の定、潰れた。


渋谷の店舗では、この半額パン祭りは行われていなかった。店舗による経営方針の違いなのか、はたまた渋谷というドラッグストア激戦区において意地とプライドのぶつかり合いをしているのか。真相は定かではない。ただ、なんだか寂しい気もした。都会に迎合しちまったのね…と。


あの日の思い出と、今はもう二度と出会うことなき半額ハンター達に思いを馳せながら、さあ店を出ようかと思った時のことである。私は見た。「研修中」の札をつけたアルバイトの女の子が、先輩アルバイトから何やら教えられているところを。そしてその右手には、



半額シールの束が握られているところを…








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