忙しい時って自分自身のことはつい後回しにしちゃいがちだけど、ちょこちょこご機嫌いかが?と聞いてあげるのってやっぱり大事なのよね。

すっかりマスクありきの生活に慣れてきてしまった今日この頃。撮影でもない限りは、基本的に外でマスクを外すことはほとんどない。つまり鼻から下は誰にも見られていないわけである。
 
ひとたび誰にも見られていないと思うと、私はもはや家の中にいるのとそんなに変わらない感覚になる。髪の毛がボサボサだろうが服がシワシワだろうが、べつに誰も見ていないからいいじゃないか。そんな感じで、マスクの下もついつい手を抜きがちになってしまう。鏡を見る機会も減るしで、昨年はちょっとヒゲが生えてきたりもした。
 
でも、ここ最近は誰も見ていなかろうとべつに外でマスクを外す予定なんてなかろうと、きちんと口紅を塗るようにしている。ちょっと近所に買い出しに行く時でも、コンビニに行く時でも。それは誰のためでもない、自分のためにである。
 
不思議なもので、リップを塗っているというだけで、その事実をひっそり抱えているというだけで、俄然気分が上がるのだ。忘れかけた少女の心が、水を浴びた花のように色鮮やかに蘇る。少しだけ背伸びしたような気分になって、背筋がピンとする。小さな自信が、何かが始まる予感が、胸の奥から湧き上がる。「私なんて」という思いがたったのそれだけで薄らいで、前向きな気持ちになれる。少し人に優しくなれる。
 
でもこれはリップに限った話ではないと思う。メガネをかけている人だったら、いつもは拭かないメガネを久しぶりに拭いてみるだけでいいと思う。Tシャツがほつれているけどずっとそのままにしてしまっている人は、ここらでその糸をチョキンと切ってみたらいいと思う。全然雑でもいいから、布団を適当に整えてから出かけるだけでもいいと思う。
 
もちろんそれで人生が変わるなんてことはそうそうないだろう。どうせいつもと変わらない今日がまた始まって、終わっていくだけだろう。でも、自分の中に巣食う小さな「どうせ」にバイバイすることで、そのあとに続く今日を始める一歩を踏み出す足取りは、確実に軽くなる。そんな気がするのだ。
 
マスクの下のリップだって、メガネのちょっとした曇りだって、Tシャツのほつれだって、「どうせ」誰も見ていないかもしれない。でも見ている。誰かじゃなくても、私が見ている。あなたのことは、あなたが見ている。
 

母から最近父がオートミールをよく食べていると聞いたので、私も真似をし始めた。工夫次第で和・洋・中と様々な味付けのバリエーションを楽しめるし、何より普通に美味しいのがいい。今朝はだしの素と塩昆布少々、カツオ節を入れて食べた。
 
食べている最中は夢中で気にならなかったのだが、食べ終わってから麦茶を飲んでいるあたりで私はあることに気付いた。一番奥の歯から2、3本目あたりの結構厄介なところに、カツオ節が挟まっている。歯間の奥深くまでしっかりと、潜り込むようにして挟まっている。これもまあカツオ節あるあるかと思いながら、私はとりあえず歯を磨くことにした。
 
なるべく細い隙間にも歯ブラシが入り込むようにと慎重に進めたのだが、なんだかどうにもスッキリしない。やや不安な気持ちもあったが、一旦口をゆすいでみたらすべての結果はわかると思い、私は口をゆすぐことにした。カツオ節が歯磨きによってきちんと取れていたら、吐き出した泡の中にその姿があるはずだから、目に見えてわかるはずである。私は洗面台に目を凝らした。……いない。そこにはいつもと同じ白い泡がパッと広がっただけだった。
 
やはりカツオ節は取れていなかったのか。ならば仕方がない、鏡で確認しながら爪楊枝なりなんなんなりで取るとするか。私は渋々鏡に向かっていーっと口を開けた。そして多分ここらへんっぽいなと思っていた左の方を鏡に近づけ、どこだどこだと探した。一番奥の歯から2、3本目あたりだから、ここか。うん、たしかに感覚としてはこのあたりだと思う。
 
しかしどうもおかしい。いないのである。どこにもいないのだ、絶対にここにいるであろうカツオが。もちろん周辺の歯も入念にチェックした。歯間ブラシを入れて他の隙間も含めて丁寧に探ってみた。でもいない、どこにもいない。口にはまだ違和感が残っていたし、変わらずカツオが挟まっている感覚はたしかにあるのに、どこにもカツオの姿は見当たらなかった。一体どこに行ったんだ、コラッ、カツオ。(波平ボイス)
 
私は一度気になり始めたら他のことが何も手に付かないたちで、こういう出来事が朝からあると非常に困る。まあ勘違いだったかなくらいで済ませられれば良いのだが、1から10まで一体何が起きたのかを理解して、その上で結局自分の勘違いだったということがわかるまで、その一連の流れを把握していないとどうも心身共にムズムズしてしまうのである。それによってこの人生でどれだけの時間を無駄にしてきたかわからない。だからせめて気にしながらも何かできることはないかと思い、このブログを書いているというわけである。
 
そうすると不思議なもので、少しずつカツオのことが気にならなくなってきた。忘れよう忘れようと思い込むだけなのもダメだし、どうせ忘れられないしと見つかりもしない幻を永遠に探し続けるのもなんだかだし、忘れられないけどとりあえず忘れられないなりになんかやっとくか、くらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。何これ私カツオに恋する乙女みたいになってんじゃん。

まあたしかに、恋愛含め大抵の悩みは時間が解決するとはよく言うものである。でも、ただ時が過ぎて行くのを待つのはやはりそれなりにつらい。時間は過ぎているはずなのに、独りよがりな想像や思い出の美化が進むことにより、幻はぼやけるどころか元々なかった新しい輪郭を持ち始めることさえある。それがまた事をややこしくするのだ。そういうのはなるべく避けたい。だから自分は、"ながら"で何かをしながら時が過ぎるのを待つくらいが合っているのかも知れない。

そんな感じで、行方不明のカツオから思わずいいことを気付かせてもらい、結果的になんだか気持ちのいい朝となった。口の中はまだほんのちょっと気持ち悪いのが残っている気がするけど。まあいいや、何にしてもなんかありがとう、カツオ。でもそこにいるならいつでも顔見せてくれたっていいんだからね。

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