「dawn」

あんたに出会わない人生があれば
母の腹からやり直したい

あんたに出会わない人生があれば
腹の底から笑ってやりたい

ああ 悲しいことは消えはしないけど
あんたのことは忘れられないけど
だけど

あんたに出会わない人生だったなら
あの子の声に気づいていたかい

あんたに出会わない人生だったなら
あの子の痛みを分け合えたかい

ああ 悲しいことは消えはしないけど
ああ あの子は今日も泣いているけれど

ああ 明日はきっと笑えるように
あの子をそっと抱きしめていたい
今は




とりあえず聴いてみてください。
とても大切な曲です。




私は、スカートが嫌いだ。

動きづらいからである。
パンツ見えちゃうよ、とすぐ注意されるからである。
お股がスースーするからである。
脚が太いからである。

とまぁ今になれば理由はいくらでも挙げられるわけだが、
どういうことかそんな事を考えるほど頭のしわが増えていない頃から、私はスカートが嫌いだった。

幼稚園の卒園式では、どうしてもズボンがいい、ズボンじゃないと嫌だ、と言って母を困らせたものである。
(結局母は最高にお洒落な紺のベアロア地でできた水兵さんみたいな半ズボンのセットアップを準備してくれた。)

時期を同じくして習い始めたピアノも、発表会のない先生じゃないと嫌だ、と言ってこれまた母を困らせたものである。
決して人前に出るのが恥ずかしかったというわけではない。理由はたったひとつ、発表会で必ず着させられる、フリフリのワンピースをどうしても着たくなかったからである。
(母は発表会のない先生をなんとか探し出してくれて、私は何の不満もなくピアノを習うことができた。しかし未だに手が小さすぎて、どんなに頑張っても一オクターブは届かない。)

幼稚園の頃、私はいつも兄と遊んでいた。
友達はたくさんいたけれど、兄と遊ぶのが一番楽しかった。なんでも兄と同じことをしたかった。
兄が戦隊モノのロボットで遊びはじめたかと思えば、私はシルバニアファミリーで応戦した。
親戚からセーラーマーキュリーの人形を貰ったかと思えば、とりあえず服を全部脱がして四つん這いにさせて、シルバニアファミリーの家を攻撃しに来た敵という設定にして遊んだ。
母が実家から昔自分が遊んでいたリカちゃん人形をたくさん持ってきたかと思えば、次の日には全員ショートカットにした。(セーラーマーキュリーの仲間という設定にするため。)
子ども用の爪切りばさみで切ったから髪がひどいことになっていたらしく、母が綺麗なショートカットに整えてくれた。

何をするにも兄と一緒が良くて、スカートを履くとなんだか急に「兄弟」が「兄妹」になってしまう気がして、嫌だった。なんとなくそんな感覚は覚えている。


小学生になると、学校の友達と遊ぶことが増えた。男の子の友達も、女の子の友達も、たくさんいた。小学校低学年を過ごしたドイツと中国の学校は、男女の境目がなく、皆とっても仲が良かった。

しかし、小学校3年生になるかならないかの頃、日本へ帰国して日本の小学校に通い始めた私は愕然とした。

仲が悪いのである。

当時、「エキス」とかいう今考えるとナンセンスすぎて笑ってしまうくらいのよくわからない遊びが流行っていて、「女子の持ち物に触れたら女子エキスがうつるぞ!」とか言って、掃除の時間に机を動かすのさえ、男子は男子の机、女子は女子の机しか運ばないような、そんな感じだった。
それでも女の子の友達はいっぱいいたし、体脂肪率38%で、風呂にも入らず歯も磨かず平気で10日間過ごしていたような私でも毎日楽しく過ごしていた。
今考えると、関取という名字でこんな状態でよく友達に囲まれた学校生活を送れていたな、と思う。
(ちなみに当時の私は「朝青龍の顔真似」という持ちネタがあって、これは、「花、朝青龍やって~!」と言われたら満面の笑みを浮かべるだけ、という最高に安易なものだった。)


まぁとにかく、まともに男子と喋らないまま小学校を卒業し、中学生になった。
いつまでたっても「エキス」だなんだと言っている男子が私は大嫌いだったし、中学生になってからも、小学校の同級生の男子がやっぱり嫌いだった。

しかし、中学一年生のいつだったか、同窓会をやるだのなんだのという噂を耳にしたのである。
バカヤロー、誰がいくか!あんな半ば差別みたいなことをされておいて今更どんな顔して会おうってんだ、と思ったのだがどうやらそんな頑固者はあまりいなかったらしく、皆あっさり「久しぶり~」なんて言って同窓会で安っぽい感動の再会をしているのであった。(ひねくれ)

ちなみに、私の一生で一番の親友であり、小学生の頃から一番仲の良かったRちゃんは、このことを受けて中学一年生当時こんな名言を残している。





「頑固者なんて私たちくらいなもんで、皆もう男女交際を求めて集まる年頃になったんだよ。」





とまぁそんなこともありつつ、ここらへんから私はなんというかあっさり手のひらを返す男子よりも、それにあっさりと乗っかる女子に妙な嫌悪感を覚え始めたのであった。

中学二年生の時にも、男子が「女子全員にあだ名つけようぜ」とかなんとか言って、女子全員あだ名をつけてケラケラ裏で笑っていた。(ちなみに私のあだ名はピクミンだった。理由は知らない。)
何もしていないのにちょっとすれ違いざまにぶつかっただけで舌打ちされたりシネだの言われた。女子ってだけでだ。
だけど文化祭になると妙に張り切って男女の距離が縮まってカップルが増えたりするのだった。通称文化祭マジックというやつである。

そこでもやはり私がイライラしたりするのはなぜか女子に対してであった。
女子は妙に賢い。妙に賢いというのは妙に怖かった。
変な話、どんなに仲良くしていても、たとえばクラスのガキ大将的なやつと私が溺れかけていたら、ガキ大将的な方を結局助けるんじゃないか?とか、そんなことばかり考えていた。
そして私は一人で勝手にどんどん心を閉ざして行った。(被害妄想も甚だしい)

そしてそんな「フツーの女子」と「アタシ」は違うのだ、ということを明確にするために、なぜか私は白いヘッドホンをつけるようになった。
白いヘッドホンをしてバスに乗って、窓の外を眺めながら、ちょっと遅刻気味で登校するアタシ。「花って変わってるよね」と言われるのが何よりのステータスだったのだと思う。
つい二年前まで「花☆CD MIX」とかいうラベルを律儀にMDに貼って、ツタヤで借りたヒットランキング1~10位の曲をいつも聴いていた可愛い純粋な私はどこへやら。
KinKi Kidsはシガーロスに、浜崎あゆみはビョークに、バンプはキングクリムゾンに…私の音楽プレーヤーはどんどん白いヘッドホン仕様に塗り替えられて行ったのであった。


そんな暗黒の高校生の時期、ヘッドホンをしながらいつも思っていた。
男子はいいなぁ、と。
取っ組み合いの喧嘩をしたり、気に入らないことがあったら同じグループのやつでも容赦なく文句言ったり。
男子はいいなぁ、男子はいいなぁ、とずっと思っていた。
考えすぎて、勝手に悩んで、ふさぎ込んで、変わってるなぁって言われたくて、男子に憧れて、私ってまるっきり女子だなぁ、と思った。


大学生になってからは、バンドサークルに入って、男女の関係もフラットになり、特にそのことについて考えることはなくなった。
それでも、学祭のステージでSUPER BUTTER DOGのコピーバンドのステージ中に、テンションが上がって3mくらいの高さの塀から飛び降りて骨折した先輩や、ギターソロで急に暴れ始める先輩を見ていたりしたら、やっぱり男子っていいなぁと思った。
私も真似をして、なぜかサンボマスターのコピーバンドでボーカルをやった時に、床に寝転びながら「ラブアンドピース!ラブアンドピース!!!!」とシャウトしまくっていたら、当時好きだった男の子から「本当に病気みたいだからやめたほうがいいよ。」とマジレスされたのは今でも覚えている。



とにかく私はずっと男の子に憧れていた。
今でもそうだ。男性ではない、男の子に、少年に憧れている。



ライブのステージを見て感動する時もそうだ。
「あ、この人、この人のまんまステージに立ってるんだ」、とか、「人生で一番楽しい、ここで死んでもいい」みたいな顔をしてステージに立っている人を見ると胸がドキドキする。それが女性であれ、男性であれ、そこに確かに見える少年があまりにも眩しすぎて、涙が出てくる。
私の中にもまだあるかなぁ、という希望と、私はこういう風にはなれないんだろうなぁ、という絶望とで、涙が出てくる。
歌詞で泣く時もそう、本を読んで泣くときもそう。
バカみたいにまっすぐだったり、バカみたいに惨めだったり、バカみたいに必死だったり、バカみたいに夢を見ていたり。そういう文には自然と涙が出る。だからレイ・ブラッドベリの小説が世界で一番好きだ。


私はそういう人に憧れて、そういう文が書きたくて、そういう歌が歌いたかった。
だけど私は少年にはなれない。そんなことわかっている。
そもそも、なりたいと思ってなろうとする時点で、私は少年の才能がないのかもしれない。
でも、そうやって少年に憧れてずるずる来たせいで、自分が女子であることをすっかり忘れてしまっていた。
だから、女の人の書く女の歌に興味がなかったし、聴いても、ふ~ん、くらいにしか思わなかった。


だけど最近はじめて涙した。
女の人が書いた歌に、女として、人生ではじめて涙した。
これまで歌を聴いて流した涙とは違う、なんだか不思議な泣き方をした。
(ちなみに、特に最近何かあったわけではない。我が輩は安定の喪女である。)

とにかくそんなことははじめてで、もうその日から妙に胸がざわついて、いてもたってもいられなくなって、
とりあえず髪を切った。髪を染めた。

この一年くらい、1000円カットか2000円カットにしか行っていなかった私だったが、
思い立って、台風の前日の夜、表参道まで行った。
高校生の時ぶりに、赤茶にして、大学生の時ぶりに、前髪を眉毛の上にした。

気分が変わった。
帰り道はひどい雨と風だったけど、そんなの気にならないくらい気分は最高だった。
真夜中なのに真昼みたいな気分だったし、大雨なのに五月晴れみたいな気分だった。
赤茶にしたからアイシャドウの色を変えた方がいいのかな、とか、せっかくだからトリートメント買おう、とか。
とにかく私の中の何かが終わって、何かが急に始まった気がしたのだ。


所詮私はただの女だなぁ、と思った。


気分を変えたければ見た目から入って、髪色変えれば気分が上がって、化粧を変えればよそ行きの気持ちになる。
少年になりたいけれどなれなくて、本当は少年に憧れている私を誰かに見守っていてほしいだけなのかもなぁ、と思った。
昔好きだった人のことを思い浮かべればやっぱりちょっとおセンチな気分にもなるし、モテたい、痩せたい、恋をしてみたい、少しチヤホヤされてみたいのだ。

私はブスだしデブだし卑屈だしひねくれだし、女子力なんて下の下の下だ。
だけど、自分が女子であるということを否定する理由もないなと、ただふと、思った。


少年になれなかった女って、なんだかそれもそれで素敵だと思う。
憂いがあっていい気もしてくる。

秋だからってさ、こんな恥ずかしいこと書いちゃって。
すぐに季節のせいにして、すぐに芋とか食べちゃったりしてさ。



そういうとこも、所詮私はただの女だ。



考える割に単純で、とりあえず見た目から入って、季節が変われば気分も変わるようなやつだ。
でも、少年も多分そんな感じだろう、そんなところもあるだろう。変身ベルトが化粧品になっただけの話だろう。




何をそんなにこだわっていたんだろうなぁ、女子だってロマンがあるし、それもそれでいいじゃんなぁ。




















あ、全然関係ないけど最近のマイブームはざっくりハイタッチです。










































終電で乗り換えミスをした。
うっかりだった。本を読んでいたら本来乗り換えるはずの次の駅だった。
駅に着いたら小雨が降っていた。


私は最近一人暮らしをはじめた。
毎日家計簿をつけている。
節約してもお金は実家暮らしの時の何倍もかかる。
少し先までの移動ならもっぱら自転車で行くし、タクシーなんてもっての外である。
何なら「絶対乗らない」と決めていた。

でも今日は運が悪かった。
タクシーに乗らないと帰れない事態を招いてしまった。
しかも今日は実家に帰る。
母から帰りにアイスとパンを買ってきてと連絡があった。
母は寝る前のアイスが好きだ。なんとしてでも今夜は帰ろう。
ということで、仕方なくタクシーを待った。

しょぼくれた駅のロータリーのタクシー乗り場には、私の前に既に3人並んでいた。
皆そこまで酔っ払っている感じではなく、単純に寝過ごしたとか、そんな感じの理由でここに来てしまった雰囲気だった。

小雨は音もなく、あたりは歩いている人もおらず、だれも一言も話さず、とても静かだった。
私はさっきまで、「せっかく節約していたのにタクシーに乗るなんてムダ金じゃないか、最悪だ。」「アイスはどこのコンビニで買えば一番溶けないか。正直めんどくさいぞ。」とか、とにかくイライラしていたが、あたりが妙に穏やかな静けさに包まれていたので、なんだか少しだけ落ち着いてきた。


そのときである。








ペチャッ



チャッ





ンチャッ




ヌチャッチャッ







ニュチャッ








先程までのおだやかな静けさの中に、不快な音が突然混ざってきた。
ふと後ろを振り返ると、メガネをかけたごく普通の男性が立っていた。
身長は高く細身で小奇麗な、どこにでもいそうな男性だった。



しかし彼は、そう。


何を隠そう、





クチャラーだった。
(クチャラー=ものを食べるときにくちゃくちゃ音を立てて食べる人)





私は一瞬にして青ざめた。
私はクチャラーが大の苦手である。
ましてイライラしている夜に、いつ来るかもわからないタクシーを小雨の中で待っている時に、真後ろの空からまるで降り注ぐように聞こえてくるクチャサウンド。耐えられなかった。
嘘だと思うだろうけれども一応言っておくと、なんだか悔しくてやりきれなくて、愛しさでもなく切なさでもなく心強さでもなく、クチャ音のせいで涙が出た。




なぜだ、なぜなんだ。
なぜ今夜なんだ。ただでさえイライラしているこの夜に、なぜ神様は私にクチャラーをお与えになったのです、おお神よ。
もはやすがる思いでタクシー会社に電話した。

「今、〇〇駅のロータリーなんですけど、タクシーってどれくらいで…前に三人待ってるんですけど、だとしたら…」




「うーんちょっとわからないですけど、20分くらいですかねぇ、はやくて」




20分。




たかが20分。されど20分。



20分間のクチャメドレーに私は耐えられるだろうか。
涙は小雨でごまかせるだろうか。なんなら大雨になってくれたらやつもクチャクチャする余裕がなくなるだろうしいっそその方がいいのだろうか。
とにかくそんなことをいろいろと考えながら絶望的な表情でヤツの方を見たら目が合った。


少し笑って、軽い会釈をしてくれた。



会釈の顎が上がると同時に「チャッ」という音がした。



でも、なんだか不思議といら立たなかった。
お互い大変ですね、という感じの会釈なのが、すぐにわかったからだ。


そして間もなく、私に自己嫌悪の嵐が吹き荒れた。

この人だって大変なのに、我慢してタクシーを待っているのに、前に並んでいる不機嫌そうな小娘を見て会釈をしてくれた。
なのに私はなんだ、クチャ音ひとつでイライラして、なんならちょっと睨もうとして。
この人はきっと一週間、朝から晩まで働いて、金曜日だからちょっと飲み過ぎて、飲んだ後の口さみしさをごまかすためにガムを食べているだけなのに。
ちっぽけだ、なんてちっぽけなんだ私は。情けない。



とかなんとか思っているうちにタクシーが来た。
私はタクシーに乗るとき、「お先にすみません」的な会釈をクチャラーの彼にしてみようと思ったが、あいにく彼は電話をはじめて違う方向を見ていたのでできなかった。



タクシーに乗って、行き先を告げた。
途中でコンビニに寄ってもらい、母に頼まれたアイスとパンを買った。それからコーヒーとコーラ。

先程の自己嫌悪を何かで挽回しなければ今日は寝られないと思い、タクシーから降りるときにでも運転手さんにコーヒーをあげよう、と思ったのだ。
「お疲れですよね、コーヒー、よかったら。」なんて、できたら素敵じゃない。







まあ、できなかった。





よくわからないけど、できなかった。
こんなに夜遅くまで頑張っているタクシー運転手さんに、「よかったら」って何か渡す資格が私にあるのだろうか、とか、完全に自分の好みでジョジョがパッケージになっているコーヒーを買ったけど、ジョジョを知らない人からしたら反応に困るのだろうか、とか。そんなくだらない理由をつけて、ようはなんだか、急に恥ずかしくなって渡せなかった。

なれないことはするもんじゃない。そういうのは可愛い石原さとみみたいな女性がちょっとエロく声をかけるからこそ意味があるのだ。私みたいなレゴに声をかけられても意味がないのである。





自宅の前で料金を支払い、ありがとうございましたと言いタクシーを降りた。
小雨はまだ降っていた。



午前2:00だというのに、家の前の花壇に人影があった。
母だった。





「よかったね~無事乗れて。お疲れ様、疲れたでしょう~」





いつからそこにいたのかは知らないけれど、待っていてくれたらしい。
涙が出そうだったけどぐっとこらえた。

クチャラーの男性や、タクシーの運転手さんに比べたら、毎日何も頑張っていないのかもしれない。
何も見えない未来に向かって、ただ好きだから歌を歌って音楽で生きていこうと夢を見ているだけの、どうしようもない娘だ。良い大学を出してもらったのに仕事にも就かないで。
酒もよく飲む。口も悪い。バカ娘だ。


だけど母がお疲れ様と言ってくれるから、きっと、ちょっとは頑張っているのかもしれない、と思った。
何がかはわからないし、もしかしたらそんなに頑張っていないのかもしれないけれど、
なんだかほっとしたというか、嬉しかったのだ。




家に帰ってすぐアイスを食べた。
母もアイスを食べた。



美味しいねぇ、と言って食べたアイスはどこにでもあるコンビニのただのバニラアイスだ。
だけど今日のは特別美味しかった気がした。



なんとなく、今日だけは子供のようにペチャペチャ音を立てながらアイスを食べるのもありかな、と思った。


















やらなかったけど。





















何の気なしに自分のiphoneのメモ帳を見返していたら、とても気になるものがあった。










――おっぱいの妙。






2013年12月6日午前11時21分、私は一体何を考えていたのだろうか。まったく思い出せない。


肌寒い季節の午前中からこんなメモ、一体何があったのだろうか。


その時何があったかなんて思い出そうとしても埒があかないので、とりあえず私は今一度真剣に、おっぱいについて考えてみることにした。





するとまず、以下の二つの疑問が浮かんだ。





・「胸」と「おっぱい」の違い

・「おっぱい」を表す漢字はあるのか






誰しも一度は疑問に思ったことがあるのではないだろうか。私はある。


これだけ便利なネット社会だ、検索エンジンでそのままワードをぶち込めば、恐らくYahoo!知恵袋あたりで大真面目な回答のひとつやふたつヒットしてくれるだろう。しかし、私はふと考えた。


そこにベストアンサーがあったところで、私は果たして心の底から納得できるのだろうか?





答えはノーである。





子どもの頃、自分の知っている他のどんな言葉よりも口に出すのが恥ずかしかったおっぱい。


スピッツの楽曲にそういうタイトルのものがあることを知ったとき、やっぱなんかすげぇ、と思ったおっぱい。


声に出して読みたい日本語、おっぱい。





辞書的な意味や、その言葉がうまれた理由なんて、もはやどうでもいいのである。


この言葉の字面と音の響きは、なんだか不思議な魅力がある。


ちょっとマヌケで、なんだか憎めなくて、無性に笑える。


幼少期の良い意味での「バカさ」が全部凝縮されたような、そんな言葉である。





以上のことをふまえて、どうしても熱弁したいことがある。







私は「おっぱいプリン」が許せないのである。





と言っても、食べたこともないので味の程はまったく知らない。


しかし、サービスエリアのお土産コーナーなどでたまにそれを見かけると、なんとも言えないイヤ~な気持ちになる。感覚としては、コンビニの成人本コーナーに置いてある、肌が無駄にテッカテカに描かれている漫画を見た時の、イヤ~な感じと同じである。(あれ私本当に駄目。





まず、パッケージの破滅的安っぽさ。


恐らくあそこまでいくと何か理由があってわざとそうしているのだとは思うが、近づいたら週刊誌の匂いがしそうである。(あくまでもイメージ




次に色味。なんだかすごく心が不安定になる色をしている。


本当にこればっかりは言葉でも上手く言い表せない。


ただ、それ以上でもそれ以下でもない、とにかく心が不安定になるのである。(あくまでも気持ちの問題




そして最後に、いかにも「ツッコミ待ち」っぽいそのオーラ。お土産で買っていって、「なにこれ(笑)」って言われることを心待ちにしているその感じ。実に気に食わん。(あくまでもひねくれている私の場合




何が言いたいかと言うと、この「おっぱいプリン」、私の考える「おっぱい」とあまりにかけ離れているのである。幼少期の良い意味での「バカさ」が、完全に悪い意味での大人の「品のなさ」に変わってしまっている。


何よりもロマンに溢れていたあの言葉が、途端場末感満載な商品名になってしまっている、それがただただ悲しいのである。











悲しい。







……悲しい。








午前4時をまわったというのに、ひとりでおっぱいについて語っている自分がただただ悲しい。


大真面目にパソコンとにらめっこして書いているブログの内容が、おっぱいについてだなんて。


アホである、完全にアホである。ここにきて凄まじい自己嫌悪。おっぱいプリンなんか私にくらべたら可愛いもんである。








しかしこれもすべてはおっぱいの妙、この言葉の持つ不思議な魅力そのせいということにしておこう。いや、そうさせてください。




























































我が家の給湯器が壊れてから、ちょうど一週間が経つ。災いは忘れたころにやってくるとはよく言ったもので、そいつはあまりにも突然の出来事だった。 


私はその日もいつものように、前日の夜に無駄にたくさん設定したiphoneのアラームが鳴ること6つ目くらいで目を覚ました。目を覚ましたと言っても、漫画やドラマでよくあるような、窓から差し込む朝日がまぶしくて、少しずつまぶたを開ける……といった感じではない。私でいう目を覚ました、というのは、どちらかというと、呪いから解き放たれる、といったような感じである。  

私は幼い頃から、うつ伏せで寝るのが癖である。日によっては、起きると枕に土下座でもしているかのような体勢のこともある。そんな風に寝てしまった日には、枕カバーのしわのあとがつき、顔面はつぶれたメロンパンのようになっている。前髪はといえば、よくわからない分け目でぺったりとはりついたようになって、さながら往年の水前寺清子のようになっている。そんなやつがむくりと枕から顔を上げる様は、端から見たら呪いから解き放たれる何か意外の何者でもないだろう。

奇しくもその日の私は、メロンパンと清子のダブルパンチであった。こういう日には、いつもより朝の準備に少しだけ時間がかかる。温水で顔を洗って血行を良くし、メロンパンの編み目を消し去らなければならないし、清子ヘアーを流行りのふんわりショートにするためには、一度シャワーを浴びてリセットせねばならない。予定よりも遅く起きてしまった私は、とりあえず風呂場へと急いだ。

洗面所で服を脱ぎ、生まれたままの姿で風呂場へ駆け込む。暖かくなってきたとはいえ、早朝の風呂場は少し冷える。はやくあたたかいシャワーにあたりたいと思いながら、いつものようにシャワーのハンドルを上げた。




出ない。



少し待てばいずれ温水になるだろう、少しだけ水を出して様子を見てみる。




……出ない。




こいつはおかしいぞ、と思いながらも、もしかしたら蛇口の方ならお湯が出るのではないかとハンドルを下ろしてみる。







……水である。




いつもであれば湯気ですぐに曇る鏡も、今日は一点の曇りもない。鏡の中には、若干顔色が悪くなりつつあるメロンパン清子。実に滑稽である。




「オッカアーーーサーーーン!」




デパートで迷子になった子どものように、私は大声でリビングにいる母に助けを求めた。母はいつも通りのんびりとやってきた。



「何よ、どうしたの」

「お湯が!でないんだけど!」

「ああ~」

「ああじゃないよ!お湯が!お湯が出ないんだけど!」

「なんかねぇ、そうそう、給湯器が壊れちゃったみたいなの」

「いつ直るの!」

「う~ん、早くてゴールデンウィーク明けかも、って業者さんが」


「あと一週間以上もかかるの!?無理!無理だよ!拷問だよ!軍隊だよ!」

「そうねぇ」





たった一枚風呂の薄いドアを隔てただけなのに、この時の私と母のあらゆる温度差と言えば相当なものだった。寒さと焦りとが相まって、とにかく私はヒステリックになっていた。それに反してこの落ちつき様、やはり母は偉大である。母は相変わらずののんびりした口調はそのままに、とても嬉しそうに話を続けた。




「あ、そうそう、ずっと前から言ってたけど、今日からお母さんとお父さん旅行行ってくるから」


「あ、そうなの!?そうだっけ!?」

「そうなの、私ずっと旅行行きたいって言ってたでしょ~」

「そうだね!どこに!どこにいくの!!」




「温泉」







その瞬間、私の中の何かが音を立てて崩れ去った。なんだか負けを認めざるを得ないというか、もう色んなことがどうでもよくなってしまった。この人には一生かなわない、そう思った。まるで給湯器が故障するのを予想していたかのようなこのタイミングで温泉旅行とは、やはり母は何かを持っている。母は偉大なり。何かというと「いやぁ、結局人生ってなんだかんだタイミングだよね~」とか言ってた自分が急に恥ずかしくなった。 


母と父が温泉旅行に行っている三日間、私は冷たい水を浴びて過ごした。大小3つの鍋とやかんにお湯を沸かし、少しずつ水で薄めながら体を洗ってみたりもしたが、せいぜい20分あればなおるメロンパン清子のために、1時間も前から準備をするのがなんだかめんどくさくなって、一日でやめた。残り二日はなんとか冷水で乗り切り、意外とイケるかもしれない、お湯がなんだって言うんだ!と思った頃に、母と父が旅行から帰って来た。



「ただいま~こっちは大丈夫だった?お湯出ないの大変だったでしょう~」



そう言いながら、母はなんの悪びれもなくお土産の温泉まんじゅうを机の上に置いたのであった。



ちなみに、私は今京都に来ている。今朝、タクシー代600円と入浴料850円を払い、オープンと同時にスーパー銭湯へ行った。一週間ぶりのお湯、湯気、湯船。天国かと思った。浴場にいるお母さんたちが、全員ミロのヴィーナスに見えました。


家に帰ったらまた水風呂かぁ。








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