学生時代にアルバイトをしていたドラッグストアが、都内某所にできていた。
チェーン店ではあるが、都内に何店舗もあるマツモトキヨシなどとは違い、郊外やそれよりもっと田舎の方に主に展開しているお店だったはずなので、少し驚いた。なんだか懐かしくなって、特に必要なものもなかったが、私は気付けば店内に足を踏み入れていた。プライベートブランド用品のゴリ推しと、無駄な食料品の充実具合は相変わらずで、なんだか少し安心した。アルバイトの子達が着ている白衣もそのままだ。ほとんどの子に「研修中」の札がついている。私にもそんな時期があったなあなどと無駄な老婆心を働かせつつ、店の奥へと進む。お店の間取りも棚の置き方も、ましてや建っている場所も違うのに、なんだかタイムスリップをしたような気分になった。

私は高校2年生から大学を卒業するまでの約5年間、家の近所にあるこのドラッグストアでアルバイトをしていた。高校1年生の時はスーパーでレジ打ちのアルバイトをしていたが、アイスコーナーの真ん前のレジの担当になると、決まって風邪をひくということが判明し、そのアルバイトはすぐに辞めた。そして、他のアルバイトを探さなきゃなあ、と思っていた矢先、このドラッグストアで運命の再会をしたのである。

ある日私は、母におつかいを頼まれ、自宅から徒歩5分ほどの距離にあるドラッグストアへ出かけた。必要なものをカゴに入れ、レジへ向かった。すると、

「花!何やってんの!」

とレジの女の子が話しかけて来た。そう、私の大親友、Rちゃんであった。Rちゃんとは小学校2年生の時からの大の仲良しで、小学校時代は常に行動を共にしていた。中学に入ってからも、学校こそそれぞれ違ったものの、年に数回は遊んだりしていた。しかし、高校生になってからはお互い忙しく、メールのやり取りくらいになっていたので、それはそれは感動の再会であった。

「何って、お母さんにおつかい頼まれて買いにきたんだよ。Rはここでバイトしてたんだね、知らなかった!」

するとRちゃんは私の腕をバシバシ叩きながら、

「そうだよ!ていうか花は今アルバイトしてないんだよね?探してんだよね?働こうよ、一緒にバイトしようよ!」

と言って、レジもそっちのけで社員さんのところへ私を連れて行ってこう言った。

「この子、私の親友で、アルバイト探してて、仕事も超できますし!お願いします!」

私はあたふたしながらも、内心これはめちゃめちゃラッキーだと思いながら、社員さんにキラッキラのスマイルで、千と千尋の千尋並みのピュアさで、「ここで働かせてください!!」と言った。すると、早速店長が奥からやってきて、翌日面接をしてくれる運びとなった。そして即日採用となり、面接の数日後からはアルバイトとして早速そのドラッグストアで働くことになった。


社員さん、パートさん、Rちゃんを含むアルバイトの皆は、本当に皆親切で、ほどよくゆるくて、とても居心地の良いアルバイト先だった。その証拠に、私とRちゃんはそこに5年間勤務したし、パートさんたちも、お子さんの受験などを理由に辞めてしまう人はいたが、基本的にはずっと同じメンバーだった。誰かが辞める時には盛大に送別会をした。パートさんも社員さんもお酒を飲んで夜まで楽しく冗談を言い合ったりしていて、本当に私はこのアルバイト先に出会わせてくれたRちゃんに感謝の気持ちでいっぱいであった。

しかし、別れは突然やってくるものである。大学4年生の1月、私はいつものようにRちゃんと品出しをしていた。すると店長が私たちのところへやって来て、サラッとこう告げた。


「来月で閉店なんです」

「ほ~…」


ショックはなかった。何せ私とRちゃんは、大学を卒業したらこのアルバイト先も卒業するということはずっと前から決めていて、店長や社員さん、パートさんにも報告済みだった。店長もそれを知っていたからサラッと言ってくれたのだと思うが、やはり5年間務めたバイト先が閉店するというのはとても寂しいものがあった。バイトの帰り道は、いつもRちゃんと自転車に乗って帰っていたのだが、その日は自転車を手で押しながら帰った。「せめてあと2ヶ月続いてくれれば気持ちよかったのにね」「そうだね」そんなことを話しながら、私たちはグダグダと坂道を下って行った。そして信号に差し掛かったあたりで、二人のどちらからともなくこんなことを言った。


「でもさ、よく保った方だよね」



「だって毎日大量のパン半額で売ってんだもん」



そう、何を隠そう私たちのアルバイト先のドラッグストアでは、毎日意味がわからないくらい大量のパンを発注しては、売れ残った分で賞味期限が翌日付けのものは19時をすぎると半額シールを貼って店の一番目立つところにドンと展開するという、あまりに非生産的なことを行っていたのである。

私たちの働いていたドラッグストアは、観光客や通りすがりの客をメインターゲットにしている渋谷とは違い、完全に近所の人達に向けて建てられたものだった。5年間もアルバイトをしていれば、店にくる大抵の人はよく見る常連さんだということくらいわかった。常連さんばかりだということは、皆19時になればパンが半額になることを知っている人ばかりということになる。

毎日のアルバイトで、唯一苦痛だった仕事がある。それが、「半額シール貼り」の作業であった。18時50分頃から、まずはパンの棚から半額にすべきパンを買い物かごに収集する作業に入る。多い日だと持ち手があがらないくらいパンパンになる時もあった。(しかも買い物かご2個分)

そして、半額シールをどんどん貼っていくわけだが、もうこの時間には背後に異常な気配を感じ始める。
そう、私とRちゃんが「四天王」と呼んでいた、半額ハンター常連達が、背後からカゴに入ったパンの中から自分のお目当てを選りすぐっているのである。はじめのうちは、半額シールがすべて貼られて棚に並べてから手に取ってくれていたが、もう5年も働いていると、「いつものアルバイトの子だ」ということで、無言の圧力をかけてくるのであった。




「俺はいつものあれだぞ、コロッケパンだぞ

お前、わかってるよな」





背中から槍で一突きにされているかの如くバシバシに感じる視線。耐えられなかった。
この四天王にはそれぞれあだ名がついていた。私とRちゃんが5年間のアルバイトで培った経験と知識をもってしてつけた、渾身のあだ名である。


・無駄な抵抗おばさん(毎回変装をしてくる)
・孫おばさん(孫が喜ぶから、孫に頼まれるから、と言っていつも買っていくのは豆パン)
・私じゃないのよおばさん(私じゃなくて、近所の人に頼まれてたのと毎回言い訳をしてくる)
・名探偵おじさん(17時頃に一度偵察だけしに来る)



冗談抜きでこの四天王からの無言の圧力といったら尋常じゃなく、アベンジャーズでも勝てないのではないかというくらい不穏かつ邪悪なオーラを纏っていた。アンパンマンなんて2秒でやられると思う。

そんなこんなで私たちは半額ハンターたちにびくびく脅えながら毎日せっせと半額シールを貼っていた。だからこそ、気付いていた。こんなんしてたら潰れるだろ…と。そして案の定、潰れた。


渋谷の店舗では、この半額パン祭りは行われていなかった。店舗による経営方針の違いなのか、はたまた渋谷というドラッグストア激戦区において意地とプライドのぶつかり合いをしているのか。真相は定かではない。ただ、なんだか寂しい気もした。都会に迎合しちまったのね…と。


あの日の思い出と、今はもう二度と出会うことなき半額ハンター達に思いを馳せながら、さあ店を出ようかと思った時のことである。私は見た。「研修中」の札をつけたアルバイトの女の子が、先輩アルバイトから何やら教えられているところを。そしてその右手には、



半額シールの束が握られているところを…








「痩せたい」そう切に願って幾日かが過ぎた。きちんと自炊をし、炭水化物や間食を減らしたりしているおかげか、少し身体が軽くなったような気がする。しかしそうは言っても理想にはまだほど遠く、手が届きそうにない。年内に木村カエラさんみたいに細くなると誓った私は、10月になった今でも何も変わらず安定のレゴ体型である。しかし今は、とにかく焦らず根気よく続けることが大切だ。継続は力なり、それを身をもって証明してくれた人物が、私の家族にいる。そう、兄である。

ラジオやライブのMCで頻繁にネタとして登場する母とは違い、私は兄の話はほとんどしたことがない。本当にクソがつくほど真面目で、話のネタにするような人物ではないからである。まぁだいぶ変わった人ではあるが、私にはないものを沢山持っている、良い兄である。

兄は毎日筋トレをしている。腹筋、スクワット、腕立て伏せなど、無理のない範囲で、私の見た限りでは毎日欠かすこと無く続けている。記憶を辿ればドイツに住んでいる頃からやっているはずだから、なんだかんだ、20年間続けていることになる。よく噛んで食べるし、間食もほとんどしない。酒も飲まないし、夜22時以降は食事を控える。見た目は全身を無印良品とユニクロでかためた、いわゆるよくいる眼鏡の青年であるが、多分意外と細マッチョだと思う。

兄は頭が良い。昔から真面目で、勉強もよくできた。でも、決してガリ勉ではなかった。受験の時も、試験の時も、徹夜をして勉強したりするところはあまり見たことがない。かと言って毎日予習復習をするようなタイプでもないので、多分授業を真面目に受けていただけだと思う。早弁、昼休みのアイス、先生にバレずに寝る方法、それから男子のアキレス腱についてしか考えていなかった私とは大違いである。
私はいつも、勉強でわからないことがあると兄に質問しに行った。学校の先生よりも、塾の先生よりも、父よりも、兄が教えてくれるのがダントツでわかりやすかった。嫌な顔も特にせず、サラッと教えてくれた。教えるというより、伝えるという感じだった。

そういえば、兄は文章を書くのも上手かった。そのことで少し思い出すことがある。というか異常に鮮明に覚えていることがある。

私が小学校一年生、兄が小学校三年生くらいの夏休み、私たち家族は母の実家に帰省していた。その頃まわりのみんなはたまごっちやゲームボーイに興じていたが、うちの兄妹は非常にアナログな遊び方をしていた。広告の裏に絵を描いたり、瓶の蓋でてんとうむしのバッジを作ったり、家中の洗濯バサミをつなげて襟足につけて「ロン毛だ!!」とか言ってみたり、テーブルの上をステージに見立てて森高千里を熱唱したり。それから、小説も書いた。祖父の書斎から引っ張り出して来た古びた原稿用紙に、それぞれ小説を書いた。その時兄が書いた話は、今でも覚えている。タイトルは、「泣いたライオン」だ。

見た目が怖いというだけで皆に嫌われているライオンと、そのたった一匹の親友のうさぎの話だったと思う。最後はうさぎが病気で死んでしまって、ライオンも悲しみに暮れて泣きながら死んでしまう。その姿を見て、皆はやっとライオンの優しさに気付くのだった、という流れである。今の年齢で考えれば少しありきたりな話なのかもしれないが、当時まだ8、9歳の子どもが書くにしてはできすぎているほどしっかりした小説だった。

ちなみに私が書いた小説のタイトルは、


「死んだウサギ」



であった。そう、

ただのパクリである。



小説の審査員は母だった。母は絵本や児童書が大好きなので、ニコニコしながら私たちの小説も読んでいた。兄の書いた「泣いたライオン」には、はなまるをつけていた。次に私の小説を読んだ母はこう言った。「花には花しか書けないものがあると思うから、お兄ちゃんの感じとは全く違うのを書いてみたらいいんじゃない?」と。

そして書いた小説のタイトルが、







「幸瀬 幸」




である。そう、人名である。なんて読むかおわかりだろうか?





「しあわせ はっぴ」





もう一度言おう。


「シアワセ ハッピ」






である。マジやばい。
しかも書き出しも一字一句逃さず覚えている。





「ヤッホー☆私の名前は幸瀬 幸(シアワセ ハッピ)!髪の毛がブロッコリーみたいで困っちゃう!」




完全にキマっているとしか思えない。たしかイメージは長靴下のピッピだった。ちなみにこれ以降の文章はまったく覚えていないが、母に「花らしい」と絶賛されたことはたしかである。恐らくこうやって、良くも悪くも今の私の雑な感じが形成されて行ったであろうことは言うまでもない。

それにしたってここまで鮮明に覚えているものか、どうせ今考えたんだろ! と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもどうか信じて欲しい。異常に鮮明に覚えているのには理由があるのだ。

他の人はどうか知らないが、私は、自分の中ではじめてわき上がる感情を味わった時のことはどれも異常に鮮明に覚えている。初めて感動して泣いた時のこと、はじめて恥ずかしいと思った時のこと、はじめて罪悪感を感じた時のこと。その日自分が着ていた服や、自分がいた空間の物の配置など、事細かに思い出すことができる。

小説を書いて遊んでいたこの日のことに関して言うと、はじめて「この人にはかなわない、負けた」と思ったのである。それは悔しさともまた違う感情で、幼心に、ちょっとした挫折を味わった瞬間だった。なんでもかんでも兄の真似をして、兄の後ろをひょこひょこついてきていたつもりだったのが、急に遠い存在になったような気がしたのだ。その後私は荒れに荒れた思春期があったりして、兄にも大層迷惑をかけた。少しずつ距離は離れて行ったが、今は今なりの距離感で、上手くやっているつもりだ。

普段、兄とはそんなに話さない。仲が悪いわけではない。ただ、ほどよい緊張感がある。
私は兄を尊敬している。何がかはわからないが、自分にはないものを持っている、一生叶わない相手だと思っている。だからこそ、何か納得のいくことができたときしか自分のことについては話さない。兄もきっと、私のことを尊敬しているかどうかはわからないが、多分そんな感じなのだと思う。

そんな私たちだが、一年に一度か二度、8時間くらいずっと二人で喋り続けることがある。タイミングは謎だし、酒が入っているわけでもない。ただ、こんなに気の合う友人はいないというくらい、楽しい。大体はじめはなんてことない話。デジモンが復活するらしいとか、コロコロコミックを読むとなぜか食欲がなくなるとか、おっぱいプリンがマジで許せないとか、そんなとこだ。だけど気付けば自分のこれからのことや不安なことを話している。たまに意見も食い違うが、お互い少しずつ大人になったのか、最後はまぁお互い頑張りましょうぜってことになって、気付けば大体日が昇っている。

そういえば、実は今回はじめて、自分のアルバムを兄に渡した。聴いてくれたかどうかはわからないが、渡せたことに意味があるし、兄が受け取ってくれたことに意味があるのだと思う。

いつか兄と仕事をするのが私の夢だ。どんな形でも良いのだが、なんとなく同じ現場に居合わせてみたい。そしてその時の話をネタに、また日が昇るまであーでもないこーでもないと話すのだ。




9月頭から始まったニューアルバムのリリースツアーも、昨日の広島公演を終えて、残すところあと3公演となった。早いものである。

今回のツアーはかなりバタバタとしたスケジュールで動いていたため、あまりゆっくり各地を堪能することはできなかった。しかし、それでもしっかりと珍事には恵まれ、非常に充実したツアーとなった。大阪ではトイレで延々とへそを洗い続けるおばあさんに遭遇し、金沢への移動列車ではトイレの鍵を閉め忘れて素敵なお兄さんに見事にドアを開けられ、岡山では大切にしていた腕時計を狭いホテルの部屋の中で見事に紛失した。それでも今考えればそんなことは気にならないくらい、各地で沢山のお客さんに囲まれ、とても楽しいライブをすることができた。来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

というわけで、今は広島から東京に戻る新幹線の中でこのブログを書いている次第である。いつもは屍のように爆睡する私だが、なんだか今日は色々と思うこともあり、珍しく窓の外をぼんやり眺めたりしている。

今どこらへんかはわからないが、山々と田んぼに囲まれたのどかな風景が窓の外には広がっている。この上ないくらいの快晴で、新幹線内にいても、暑い日差しが差し込んでくる。本当にのどかだ。一生この景色が続けば良いと今は思う。

マンションやビルなど、空を遮る建物はここにはない。空は青く高く、そして大きく広がっている。窓のブラインドを全開にすれば、さぞかし美しかろう。

しかし今、私はブラインドを半分降ろした状態でいる。たかが20cm程度、しかしその20cmをどうして開けないのだろうか、ぼんやり考える。

無論そんなことは無意識であるし、特段意味なんてない。ただ眩しいから、暑いから、それだけである。
でもひょっとして、それってものすごく損をしているんじゃないかとふと考えたのである。

思えば私は、窓のブラインドに関わらず、事誰かと接する時に関してもそうである。あと少し開ければいいところを、開けられないままなのである。めちゃめちゃダサい言い方をするならば、心のカーテンってやつをだ!!(ダセェ

その根底にあるのはトラウマでもコンプレックスでもなく、たった少しのめんどくささと、申し訳なさである。私はいつだって人の様子をチラチラ気にしてしまっている。嫌われるくらいなら無関心でいてもらったほうが良いと、思っているのかもしれない。だから、誰に対しても変わらずにいられる人がとても羨ましい。それが多少横柄であっても、それはそれでかっこいいと思うのだ。なぜ自分にはそれができないのか、なぜ開けられないのか、正直よくわからない。腹の底で他の事を考えているのではなく、ただただ、嫌われたくないと、抜き足差し足、石橋を叩いて渡る。

ありがたい事に、最近は本当に毎日のように好きな人に出会う。かっこいい人と出会う。自分の非力さに気付かされる。その度にどう話して良いかわからなくなる。ちゃんと伝えられるのか、自分にその言語は足りているか、考える。考えているうちに、言い訳と落とし所ばかり考えてしまう。情けない。

そんな私だが、ライブの時だけは本当に何も考えずにいられる。一人でステージに立って、歌って、話す。何を話すか決めてステージに立ったことはない。いつだって行き当たりばったりだ。言い訳ができない場所だから、ライブが好きだ。(でも上手くいかなったら本当に生き地獄だ)

ここ一年、ライブでたくさん話すようになった。元々は声の調子が良くなかった時にはじめたことだったのだが、そうしてから、お客さんが増えた。ライブ中の曲への気持ちの入れ方もわかるようになってきた。自分の間というのが、少しずつわかってきたのだ。

毎日楽しい。奇跡的に楽しい。生まれて初めて行く場所なのに、自分の歌を聴きに来てくれる人がいるというのは、本当に奇跡みたいなもんだと思う。どこで知ってくれたんだろう、どこから来たんだろう。少なくともその時間が、その人にとって無駄な時間ではなかったことを祈るばかりだ。嫌われたなら仕方ない。また好きになってもらおう。

まだまだ規模感の小さい私がこんなことを言うのは、悦に浸っているようだしキザだしダサくて嫌いだ。でもそう思うのだ。有難いのだ、本当に。自分がそういられる場所というのは、本当に貴重なのだ。

ステージの上以外でも、そうなれると良い。いつだってあと20cmブラインドを開けられるようになれば、何かが変わるのかもしれない。

そうこうしているうちに、二時間が経っていた。窓の外には、マンションが見える。街はどんどん都会になっていく。東京なんて、きっとあっという間に着いてしまうんだろう。

ブラインドを全開にしてみる。緑はもうなかったけれど、思ったより空は高かった。






でもやっぱ暑い…


閉めるか…














諸君、聞いてくれ。

私は今猛烈に太っている。少し前から自覚はあった。

しかし、

「今はツアー中だから」

「今日は良いライブができたから」

「マジ食欲の秋」

などとその都度理由をつけ、いつだって自分を甘やかしてきた。美味しいものを食べるということは本当に気分が良い。重くなっていく身体とは裏腹に軽くなっていく心。私は9月に入ってから、みるみる肥大化していった。

私の部屋には全身鏡がない。従って、自覚症状が大体ものを言う。しかし、その「自覚」から私は逃げていたのだ。そう、体重計に乗らなかったのである。
毎日風呂上がりに、嫌でも目に入る鮮やかなブルーの体重計。私はそいつを一睨みし、「たかがグラム単位で明日の気分が変わるなんてナンセンスだ」などと意味のわからない理由をつけて、片足さえ乗せることなく、軽々と(実際には重量感たっぷりに)飛び越えてきた。

しかし今朝、なぜか体重計に乗ってみようと思った。理由は簡単である。太ったことを自覚せざるを得ないくらい、どうにも身体が重いのだ。それも疲れやむくみといった類のものではない。明らかに脂肪と言う名の悪魔に取り憑かれた重さなのだ。わたしは恐る恐る体重計に身体を預けた。





ZEKKU 
~I can't say anything~




私は自分の目を疑った。体重計の液晶には、過去最高まではいかないにしても、近年稀に見るハイスコアが表示されていた。私は一人で「マジか、おー、マジか、マジかー」と思わず独り言を連発した。気が動転したのである。

そのあと深呼吸をし、身体の角度を変えてみたり、片足だけで立って見たり、膝を曲げてみたり、両手を上に上げてみたり、様々な体勢で体重計に勝負を挑んだが、私の完敗だった。これはいかん。いよいよ本格的にダイエットをはじめなければならない。


その時である。私の心の奥底にいる花ちゃんが、確かにこう言った。

「別二イイダロ」

いかんいかん。お前の言葉には騙されないぞ。

「別に誰に見せるもんでもないダロ」

「別にルックスで売っているわけじゃないダロ」

私には目に見えるような気がした。上下グレーのスエットを着て肩肘つきながら床に寝転んで、ポテトチップスをバリバリ食っているリトル花ちゃんが。そして言うだけ言って食うだけ食ったらそのまま寝るリトル花ちゃんが。

負けるもんか…私はなんとか私の心の中に巣食う「ぽっちゃり」という言葉に甘えているこの女に勝たなければならない。そのためには確固たる意志が必要だ。そう、思えば私は「痩せる」ということに対して異常に意志が弱いのだ。

ここ数年、様々なダイエットを試みてきた。プロテイン、おからクッキー、グリーンスムージー、ランニング、りんご、寒天、デトックススープ、ジム…どれも上手くいかなかった。理由はそう、いつだってはじめて一週間ほどで必ずやってくるあの感情である。



「メンドクセェ…」



わたしはとにかく異常なめんどくさがりなのである。できることなら省エネに省エネを重ねた行動範囲で生活したい。冷蔵庫とトイレとベッドの三点さえあれば3日くらい何もしなくても平気なくらいである。

しかしそんなめんどくさがりの私でも、一度だけ大々的なダイエットに成功したことがある。遡ること12年、関取花、当時12歳の頃の話である。

小学校の頃の私は、とても太っていた。ぽっちゃりなんてもんじゃない、かなりの肥満児であった。身長139cmにして49kg、体脂肪38%。入るズボンがなかったので、婦人用のLサイズの膝丈のサブリナパンツを、10分だけのズボンとして履いていた。おまけにめんどくさがりが過ぎて、髪は年に一回しか切らないし、伸びた髪を乾かすのがめんどくさかったから髪もほとんど洗わなかった。もう、ガチの関取である。今思うと普通にヤベェ。

しかし幸いにも「明るいおデブちゃん」だった私は、沢山の友人に恵まれ、とても楽しい小学校生活を送っていた。

そんなある日、中学校入学の準備をあれこれはじめていた春休みのことである。2つ上の兄がやってきて、こう言った。

「お前、小学校まではギリそのキャラでいけたかもしんないけど、中学入ったら多分そのままじゃ友達できないよ」

ハッとした。こちとら新しい友達を作ることに希望しか感じていないというのに、このままじゃ友達ができないとは何事か。

「中学になると、みんな見た目とか気にし始めんだよ、キャラがわかる前に見た目で判断されることもあるんだぜ」

その言葉に、私は思わず身震いした。あまりにも現実味を帯びすぎていて、恐ろしくなったのである。
ましてうちの兄は大真面目で、絶対に嘘を言うようなタイプではないし、小言を言ってくるタイプでもない。これはマジのやつや…と、幼心に思ったのを今でも覚えている。


そして兄は続けて言った。


「あと、二重飛びできないと友達できないぜ」




その日から、私の過酷なダイエット生活がはじまった。まずはじめに、1日をグレープフルーツ半個で過ごすことからはじめた。4日で4kg落ちた。そして暇さえあれば二重飛びをした。はじめは身体が重くてまったくできなかったが、少しずつできるようになっていった。その後も過酷な食事制限と取り憑かれたような二重飛びの練習のおかげで、入学までに38kgまで体重を落とすことができた。髪もボブにし、綺麗さっぱり、お風呂も大好きになった。そして中学に入学してからはすぐにバスケ部に入ったので、通常の食事に戻しても全く体重は増えることなく、とても楽しい中学生活を送ることができた。(絶対真似しないでね)



それがなんだ。今の私は。曲がりなりにも人様の前に出ることをしているというのに、このザマである。情けない。完全に甘えである。

「でも花ちゃんはそのままで良いです!」

「笑った顔が福々としていて良いです!」

「痩せたら花ちゃんじゃないです!」

そんなみんなの優しい言葉に甘えて、「あら、そう?じゃあ、いっかぁ」なんて言っちゃってる自分が情けない。人の優しさに甘え続ける女なんざ、ろくな女じゃなかろうよ。


だから私はここに宣言する。



あとちょっと、痩せる。




あー明日目が覚めたら長澤まさみになってないかなー








昨日、とある収録に向かう途中の電車内での出来事である。

中学1、2年生と思しき男子4人組が乗り込んで来た。
そろいもそろってTシャツの上にチェックのシャツを羽織って、なぜかこれまたそろいもそろって七分丈のズボンを履いている。無駄に早く走れそうなスニーカーからのぞく、毛玉のついたくるぶしソックスが実に愛らしい。残り少ない夏休みをエンジョイしようと、仲良しグループで集まってこれからどこかへ出かけるという感じで、なんとも微笑ましいなぁと思いながら、私は彼らの会話に耳をそばだてていた。

はじめのうちは夏休みの宿題についてやゲームの話だったのだが、私が少し携帯をいじっている間に、気付けば話題は「えっちなサイト」の話になっていた。よくよく聞いていると、「お前はどこのえっちなサイトで見ているんだ」という会話で非常に盛り上がっている。これは絶対に面白い話になるに違いない。聞くしかない。私はすぐさま携帯をポケットにしまい、窓の外を見つめるふりをしながら、彼らの会話を聴くことに全身全霊を注ぐことに決めた。

話をよくよく聞いていると、四者四様、それぞれ愛用サイトが違うらしかった。

「俺は◯◯」
「俺は××っていう海外サイト」
「俺はビデオのサンプルムービー」


そして最後の一人がこう言った。



「俺youtube」


その瞬間、先ほどまで胸を張ってそれぞれの愛用サイトを語っていた3人のテンションがなぜか爆発的に上がったのがわかった。


「お前、まじか!!」

「すげぇ!!youtubeでそんなの見れんのか!!」

「お前すげーな!年齢制限が~とか出てくるじゃん!あれ、どうしてんだよ!?」

「履歴とか母親に見られたらまずくね!?」



彼らにとって、youtubeでえっちなビデオを見るということがどれほど凄いことなのか私にはわからないが、どうやらそれは革命的に凄いことらしかった。

そしてyoutube愛用者の彼が、自慢気に説明しはじめた。
彼らもさすがに周りを気にし始めて小声で会話していたので、細部までは聞き取れなかったが、大体こんなことを言っていたと思う。


「はじめはグラビアアイドルのイメージムービーばかり見ていた」

「でも、リンクをどんどん辿っていくとまだ消されていない動画にぶち当たることがある」


(途中は聞き取れなかった)



「 奇 跡 」



以上だけは確実に聞き取れた。彼はおそらく、寝る間も惜しんでより崇高な動画にぶち当たるために全身全霊を動画堀りに注いでいたのだ。実に勇敢な開拓者である。あっぱれである。

ただ、家族共有のパソコンで見てしまった場合には、youtube上からも、パソコン自体からも履歴を消すことを絶対に忘れてはならないということを彼は力説していた。何しろ莫大な量の動画をたどってその「奇跡」までたどり着くわけだから、履歴がとんでもないことになるのだろう。賢い子である。

なるほど、私は自分のパソコンがあるので、意識をして履歴を消す必要もないためチェックしていなかったが、確かにyoutubeの履歴はチェックしてみたら面白いことになっているかもしれないぞ、と思った。
そこで私は、youtubeにログインして、自分の履歴を見てみることにした。

するとまず、登録したつもりもないチャンネルが十数個登録されているではないか。一体これはなんなのか。少し焦りはじめた。そして、恐る恐る履歴をクリックしてみると、韓流アイドルが投げキッスをしている動画が延々とループされる動画や、韓流アイドルが泣いている動画や、韓流アイドルが汗を拭く動画などがずらりと出てきた。


身に覚えがない。一体これは何なのか。一瞬、妙にゾッとした。


しかしその理由はすぐに判明した。少し前に実家に帰った時に、実家のパソコンから、自分のアカウントでyoutubeにログインしたことがあった。恐らくそのままログアウトせずに放置してしまったため、何も知らない母がそのままyoutubeを利用したのだろう。家事で疲れた母親は、アイドルの投げキッスの動画を見てきっと元気をもらっていたのだろう。綺麗な涙にもらい泣きしたのだろう。汗を拭く動画は…知らん。

それにしても、なんだか事の流れ的に、息子のえっちな動画の履歴を見てしまった親のような気分になってしまった私は、無性に気まずくなって、とりあえずその履歴は全削除しておいた。ごめんよ母さん。


ところで、それだけパソコンを駆使して動画を検索しまくっている中学生男子が、「エロサイト」と言わないで、「えっちなサイト」と口を揃えて言っていたのはなぜなのだろうか。私はそれが、なんとも可愛らしいなぁ、と思ったのであった。ほんの微妙なニュアンスの差で、生々しさを回避できたり、可愛げが出たりするもんで、思わぬところで言葉選びの妙を再発見したのであった。少し下品な言葉には、コロコロコミック感がある方が、可愛げがあって、なんだか良い気がするのである。

よりによってそんなことをぼんやり考えていたら、すっかり朝になってしまった。
8月の終わり、窓からは少し涼しい風が吹き込んで来る。
今年の夏は、恋をせずに終わりそうだと私は悟ったのであった。














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