私の今住んでいる家には、いくつかの掛け時計がある。リビング、寝室、作業部屋、すべてアナログのものだ。どれもデザインが気に入って買ったお気に入りのものなので、掃除の時には丁寧に埃を取る。今日もお疲れ様、と心の中で唱えながら、そっと赤子の頭を撫でるように、埃取りをサッと滑らせる。するとどうだ、なんだか時計が微笑み返してくれているような気がするのだ。と、そこまではロマンチックに見えていないにしても、とにかくどれも愛着のある時計たちなので、ついついボーッと見つめては、「やっぱいいなあこれ」と思いながら日々掃除をしている。
 
今日もそうやって掃除をしていたわけだが、そこでふと気がついたことがある。いや、というかなんで今までこれだけ毎日対峙しておきながら気づかなかったのだという話なのだが、まあ要するに、見事にちょっとずつズレていたのである、各部屋の時計が。
 
どの時計も、最初に設定した時にはスマートフォンの時計に合わせてきっちり合わせたはずなのに、どういうわけかちょっとずつズレている。作業部屋と寝室に至っては、4分くらいはズレていた。これが5分じゃないというのがミソである。5分だったら何か意図があってかつてそう設定したのかなと思うのだが、4分。そして何より私はそんな気の利いたことをするタイプではない。
 
じゃあなぜそんなことに、という話だが、こんなことはもはや考えるまでもなく、アナログ時計、しかも古家具屋で買ったものだったりもするので、そんなことは当たり前にあることなのだと思っている。だって私が目視する限りでも、明らかに1秒で刻んでいる幅がちょっとずつ違うんだもの。時計のことは詳しく知らないが、まあきっとそんなものだろう。
 
関取花を少しでも知っている方たちはおそらくお察しの通り、私はそんなに時間をピッチリ気にして生きているタイプの人間ではない。例えば、絶対に乗る電車の時刻の10分前に家を出ると決めているとか、何時間作業をしたら何分休憩とか、そんなものまったく決めていない。日々の機嫌とお腹の具合と逐一相談しながら、割とアバウトに生活している。ましてや家の中での自由な時間なんて特に。
 
だからそんなに、というかちょっとやそっとの時計のズレは全然気にもならない。むしろ愛おしいなと感じた次第である。なんだか人間みたいだなと思ったのだ。
 
みんな同時に仲良く走り始めたはずなのに、いつの間にか距離が開いている。パッと見は間違いなく同じスピードで、なんなら談笑しながら横一列に並んでいるつもりだったのに、引きで見たらあれよあれよと差は開いていて、いつの間にやら遠くに行っちゃっているやつもいる。でも、自分は自分なりにたしかな速さと意志を持って、コツコツとやってきたつもりだ。サボったおぼえもないし、驕ったおぼえも決してない。そして前方を走っているあいつも、自分なりの正しい速さで進んでいっただけで、決して独走してやろうとも思っていなかったはずだ。そうだとしても、それはそれで正しい。
 
差は開くものなのだ。少しずつ、少しずつ。もはやそれは無意識のものなのかもしれない。性格の違い、感性の違い、解釈の違い、そんなものなのかもしれない。だから無理に追いつこうとしなくてもいい。あいつはあいつの美しいと思う時間の捉え方を、私は私の美しいと思う時間の見つめ方をするのみだ。それが個性だ、愛しさだ、そして積み上げていく自分らしさだ。
 
まあ都合のいい解釈といえばそれまでだし、ポエマー的発想ですね、と言われたらそれはもうごめんなさいって話なのだが、でも何か大事なものをたしかにそこに見た気がしたのだ、私は。
 
ちなみに一番遅れていたのは作業部屋の時計だった。家にある掛け時計の中で一番小さいくせに、カチカチという音だけは一丁前に一番でかい。いつも一生懸命、元気でよろしいなと思っていたが、どうやら案外不器用なやつだったみたいだ。
 
この部屋で行う私のあらゆる作業もまた、何かとバタバタしている割に進みはというと、とても遅い。原稿もブログも、何度も書いたり消したりを繰り返すばかりで、なかなか前に進めない。そして曲作りも言わずもがな。溢れてくるメロディーや言葉はいつだってたくさんあるのに、なかなかそれがまとまらない。勢いだけで形にすると、ろくなものにならない。天才かもしれないと思って書き上げた曲は、翌朝聴き返すと死にたくなることの方が多い。そこかしこに浮き出ている自意識には、毎度毎度腹が立つ。私はもっと無自覚な人間でいたいのに、と。
 
だからと言って、決して焦ってはいけない。これが一番ダメだ。私はもう知っている。もっと若い頃は、それでも何かしらが書けた。焦りというものそれ自体に、初期衝動があったからだ。でも今はいい意味でそれがない。あの頃を取り戻そうとすると、ただの自己模倣になってしまう。そんなに悲しくて悔しいことはない。
 
だから私が今やれることはただ一つだ。今を見つめて、コツコツと刻むだけ。1文字ずつ、1小節ずつ、1分ずつ。私には私の美しいと思う時間との付き合い方が、私には私の美しいと思う自分との闘い方がある。焦るな、そのまま行け。時間はかかるかもしれない、でもタイミングは必ず来る。だから見逃すな。世界のあらゆるすべての針が、私の時計の針とぴったり重なるその瞬間を、決して見逃すな。そのためにも、ただやるだけ。コツコツ、コツコツ、自分のリズムを乱すな。どこに行っても何があってもブレない自分を、今は淡々と刻み込め。そんなことを思った21:30、2023年1月17日の備忘録。

そろそろこの議題について取り上げておいた方がいいのかもしれない。そう、LINEスタンプについてである。思い返せばこれまで、Eメール、Cメール、ショートメール、他にも数えきれないほどのメールたちを我々は使ってきたわけだが、プライベートでの交流にメールを使う機会というのは、いつの間にかほとんどなくなってしまった。スマホが主流になり、どんな流れだったかもはや覚えてもいないが、気づけばみんなLINEを使うようになっていた。
 


そこで出てきたのが、LINEスタンプという文化である。ちょっとした感情を伝える時とか、言葉にならない何かを伝えたい時とか、使いどころは人それぞれだと思うが、とにかくLINEを使っている人は、何かしらのスタンプを使ったことがあると思う。
 


初めこそ初期設定で入っていたLINE公式キャラクターのやつを使っていればよかったものの、慣れてくるにつれみんなそれぞれの使いたいスタンプをダウンロードして使うようになった。親しい友人とやりとりする際のそれは気楽なものでとても楽しいのだが、少し距離のある相手だと、私みたいな人間はなんのスタンプを使っていいのやら途端にわからなくなってしまう。良くも悪くも、「なるほどそういう感じのが好きなのね」と、送ったスタンプのイメージがそのままついてしまうような気がして、ちょっと悩んでしまうのだ。



そういう時こそLINE公式キャラクターのやつを使えばいいのかもしれないが、ちょっとそれは安パイに行きすぎている気もする。となると、どうしたものか。何も気にしなくていいのなら、でん六豆公式キャラクターのでんちゃんか、オランダせんべい公式キャラクターのオランダちゃんを使いたい。だって好きだから。おいしいし。

でもそういう企業キャラクターというのは、みんながみんな知っているとは限らない。ともすれば、「これってなんですか?」というツッコミを待っていると思われてしまう可能性だってある。それは非常に不本意なので、パッと見てなんとなくわかる、だけどほどよく自分の趣味も伝わる、ちょうどいいスタンプはないだろうかと常々考えていた。

そして私が長年の研究を経て辿り着いた答えが、「世界名作劇場」のLINEスタンプである。「世界名作劇場とはなんぞや」という人は、とりあえず今すぐにググってください。あなたの人生はその瞬間から間違いなく豊かになります。いやほんとこれ、マジだから。

というくらいに、大前提として私は「世界名作劇場」がとても好きだ。小さい頃は兄と二人で夢中になって見たものである。まあでもその話をすると長くなるので置いておくとして、「世界名作劇場」のスタンプの何がいいって、まず、見たらその絵面ですぐに「世界名作劇場シリーズのなにかだ」、とわかるところである。これは強い。

ちなみに私が使っているのは「アルプスの少女ハイジ」と「赤毛のアン」のスタンプなのだが、それに関しては使い勝手もかなりいい。というのも、主人公がさまざまな経験をしながら成長していくというのが話の主軸にあるため、表情やシーンのバリエーションが多く、どんな状況にもちょうどよくハマる喜怒哀楽のスタンプが揃っているのである。
 


その他にも「フランダースの犬」のパトラッシュや「あらいぐまラスカル」のラスカルなどがLINEスタンプになっているのだが、あれはまだ心の何かが邪魔をしてダウンロードできずにきる。なんというか完全にスタンプ仕様のポップな仕上がりになっていて、作品中にはないキャラクター要素が上乗せされてしまっているのが、ちょっと私には違和感なのだ。アニメver.が好きすぎるっていうだけの話なんですけどね。ハイジとか赤毛のアンみたいなもうちょぴっと大人向けのスタンプがあったら、私間違いなく鬼課金しますので、関係者の方何卒よろしくお願いいたします。


と、なんか無駄に長くなってしまったが、要するに何が言いたいかって、LINEスタンプって意外とむずかしいよねって話。あと「世界名作劇場」はとにかく最高ってこと。(急に雑でごめん、トイレ行きたくなってきた)
 


で、なんでそもそもこんな話をしたかというと、もはや今の10代、あるいは20代前半くらいの子たちなんかは、LINEの交換もあまりしないらしいのだ。少なくとも私はそう聞いた。なんでもS N Sのダイレクトメッセージで基本的にやりとりするらしく、連絡先を交換する=「メルアド教えて」でも「LINE教えて」でもなく、「アカウント教えて」になるらしい。ひょえ〜〜。

26日、いつもドラムを叩いてくれているりっちゃんから突然荷物が届いた。中身を開けてみると、そこには旦那さんの手作りの袋に入った、いろんな種類の大量の飴たちと、「早く元気になってね!」という内容の二人からの手紙が入っていた。体調もなかなか優れず、ライブも飛ばしてしまい、心身ともに、そして物理的にもベッドに完全に沈みきって毎日を過ごしていた私にとって、これは本当に涙が出そうになるくらい嬉しいプレゼントだった。と同時に、その粋な心遣いに心底惚れ惚れした。なんて素敵な二人なんだろう。本当にありがとう。生まれ変わったら、クーパー家の猫になりたい。
 
手紙には、「ちょっとずつ食べてね!ちょっとずつよ!!!」とも書いてあった。さすが、何もかもお見通しである。まず先に言っておくと、私は飴が大好きだ。あると妙に落ち着くし、ハッピーな気分になる。特に大袋に入っていて、個包装のが何個も入っているタイプのやつ。自分じゃ普段そんなに買わないから、貰えたりするとかなりテンションが上がる。
 
レコーディングスタジオなんかには、いろんな種類の飴が大量に入った瓶やら籠やらが置いてあったりする。私はそれを「どれにしようかな」とガサガサやっては選んで食べるのが狂おしいほど好きだ。一緒にスタジオにいることも多いりっちゃんは、たぶんもう飽きるほどその光景を見ているはずである。そして、子供のように目をキラキラさせながら飴を手に取ったかと思えば、信じられないほどの速さでそれを咀嚼する私の姿も。
 
そう、私は飴を食べるのである。舐めるのではない、食べるのだ。もうなんでかわからないが、我慢できないのである。最初の数十秒くらいは頑張るのだが、気づいた時にはボリッといっている。あの音が顔の骨全体に響く感じが好きなのだ。もしくは、奥歯のくぼみにテトリスみたいに砕かれた飴がハマっていくのが快感なのかもしれない。あるいは、ただのせっかちか。
 
たしかに、本来の舐めるという楽しみ方をほとんどせずに消費してしまっていることに関しては、この場を借りて謝罪したいと思う。ごめんね飴ちゃんたち。ものすごい勢いで噛み砕いて。せめて「いつ噛まれるんだろう」ってドキドキする時間くらいは欲しかったよね。ワニの歯を一本ずつ押していって、いつか噛まれちゃうあのおもちゃも、それが楽しいんだもんね。ちなみにあのおもちゃの名前最近はじめて知ったんだけど、「スーパーイタイワニー」って言うんだって。そんなことある? 雑じゃね? かわいいけど。
 
まあそんなわけですぐに飴を食べてしまう私なのだが、先ほどふと思い立って、「飴 噛む人」というワードであらためてGoogle先生で検索してみた。するとトップにこんなのが出てきたのである。


飴を噛む時、心理的にかなり不安定な状態にあるといわれています。何かを食べて脳を安心させようという気持ちが強いのです。


マジか。全然知らなかったわ。私は子供の頃からずっと不安を抱えて生きてきたというのか。サクマの"いちごみるくあめ"の時なんてやばいぞ、秒で噛むぞ。ていうかあれ噛まずにいられる人いる? あんなに美味しいジャリジャリが中に入っていると知りながら待てるなんて、相当の賢者じゃないと無理だぞ。だってあのジャリジャリが美味しいんじゃん。噛んだ瞬間に、中のジャリジャリと外側のカリカリがゴリゴリに混ざり合うのが楽しいんじゃん。なんなら不安とは真逆の超あまあまハピハピな味してるじゃん。ねえ、そうだよねえ、サクマさーん!(ウエストランドさんM-1優勝おめでとうございます)
 
相変わらず話が逸れたが、まあでも心当たりがないわけでもない。たしかに手持ち無沙汰な時とか、何か考え事をしている時とか、そういう時に飴を食べがちだなという気もする。私は日々無意識に不安を抱き、そのストレスを飴で解消しているのかもしれない。実際、「結局何の話してたんだっけ?」と不安になりながらキーボードを打っている今も、飴を食べている。

でも一応、りっちゃんからの手紙の言葉を胸に、いつもよりはちょっとずつ食べているつもりだ。試しに3噛みしたら10秒舐めるというサウナと水風呂方式を取り入れてみているのだが、果たしてこれになんの意味があるのか。ちなみに風呂で思い出したけど、入浴剤の"バブ"も溶けるのを待たずに割る派です。


クリスマスですね。の前に、この度はご心配、ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません。昨日ホームページやSNSではお知らせしたのですが、私、コロナ陽性になってしまいました。26日に開催予定だった「年末だョ!全員集合2022」も見合わせとなります。本当に悔しいです。(今後の振替公演およびチケットの払い戻しなどに関する詳細は、追ってホームページやSNSでお知らせいたします。)
 
正直まさか自分が、というのが本音です。家では、特に寝室では加湿器2台稼働のホカホカ肉まん状態(+濡れマスク)で過ごしていましたし、もちろん飲み会みたいな場所にも出かけておりませんし、心当たりがないので、本当に最初はただの風邪だと思っておりました。しかしまさか、いや本当にまさかです。心当たりがあるとすれば、今年は本厄だったということくらいです。
 
それにしても、自分の体調管理不足でライブを飛ばすなんて。19歳でデビューしてから今までで、多分はじめての経験です。悔しさと申し訳なさと不甲斐なさでいっぱいです。なんか「恋しさと せつなさと 心強さと」みたいですけど。もしそれで表すとしたら、私の心境としてはあのミュージックビデオの500倍くらいの風量の向かい風の中で、篠原涼子さんが泣きながら歌っている感じです。ごめん自分でも何言ってんだかよくわからないです。ちなみになんと「恋しさと せつなさと 心強さと 2023」が少し前に解禁されましたので、そちらもぜひみなさんチェックしてみてください。私誰だよ。
 
でも、風邪だと思い込んだまま26日にライブをするよりは、全然よかったと思っています。バンドメンバーやスタッフさんたち、ゲストで出演してくださる予定だった三遊亭とむさん、そしてお客さんに、自分のせいでこんなつらい思いをさせてしまっていたらと思うと、ゾッとします。年末年始、家族をはじめみなさんの大切な人たちにも会えず、たった一人で過ごさせることになっていたらと思うと、本当に早めに気づけてよかった。
 
とはいえ、かなり落ち込んでいます。何も手につきません。たくさん音楽を聴こうと思ったけど、入ってきません。素敵な音楽を聴くと、なんか悔しくて今はダメみたいです。「26日に自分だって最高のライブをする予定だったんだ!」という思いがどんどん膨れ上がってきてしまって、ムキャーッってなります。なのにご飯だけはおそろしいほどガンガン身体に入ってきます。食欲だけは旺盛です。ケンタッキー食べたい。ちなみに好きなチキンの部位はサイです。
 
それから、みなさんからのあたたかいお言葉もガンガン心に入ってきています。しみ渡り過ぎて、昨夜はじゅわっと涙があふれてきました。おでんの味のしみた大根ってこんな気持ちなのかなって思いました。ごめんやっぱり自分でも何言ってんだかよくわからないです。でもおでんは食べたい。冬だし。
 
とにかく、少しだけお時間をいただきますが、必ず元気になって戻ってきます。今はしっかり休みつつ、どうかどうか、せめてみなさんだけでも、健やかに今年を終えられるようにと祈るばかりです。疲れも溜まってくる時期ですし、コロナも風邪もインフルエンザも流行っているし、もう一体何にどう気をつけたらいいのやらという感じですが、お身体にはくれぐれもお気をつけくださいませ。
 
最後に私のクリスマスの様子を載っけておきます。ブログを書いたりこんなイラストを描けるくらいには元気です。くだらない話を思いついたらまた更新しようと思います。病は気からタイプなので、その方が早く元気になれそうな気がする。
 
それではみなさん、メリークリスマス!


最近、高級マンションの住人のふりをしている。こんなことを言うと、やれ関取ついにおかしくなっちまったかと言われそうだが、決してそんなことはない。

ある日、ポストに新築分譲マンションのチラシが入っていた。実物の写真ではなく完成予想イメージ図だったが、それはそれは爽やかな光の中にその建物は佇んでいた。まるで新海誠映画のポスターのような眩しさであった。

揺れる緑、陽の当たるベランダ、大きな窓の向こうには冴え渡る青空。外観イメージの上に添えられた文字は、「豊かな緑が奏でる、新しい暮らしの交響曲 〜シンフォニー〜 」みたいなことが書いてあった。

でね、こんなん見させられたらまあ気になるわけですよ。実物が。イメージ図と同じならばちゃんと感動するだろうし、あまりにもかけ離れていたら、それはそれで楽しいだろうし。

というわけで、見に行くことにした。歩くのは好きなので、多少距離はあっても散歩ついでに行けばいい。晴れた日であれば、チラシのイメージ通りの光景を見られる可能性も高い。

私はGoogleマップを頼りにひたすら歩を進めた。目的地が近づくにつれ、胸はどんどん高鳴った。もうそろそろか。いや、違うか。そんなことを繰り返しながらしばらく歩き続け、ちょうどひとやすみしたいと思ったその時だった。

ふと柔らかな風が私の頬を撫でたかと思えば、街路樹の緑たちが歌い出したのである。絡まり合う自然の旋律。そう、それはまさに。

顔を上げると、そこに佇んでいたのはあの高級マンションだった。圧巻のオーラ。本当にあった。まあ立派。超立派。

私は近くのベンチに腰掛けた。下から見上げると、あのイメージ図とほとんど一致した。そしてそんな私とマンションを、本当にめちゃくちゃ爽やかな光が照らしていた。マジでチラシのまんまじゃないか。目を閉じれば聴こえてくるのはそう、交響曲 〜シンフォニー〜 ……だったと思う。

しばらくその場に身を委ね、どれくらいの時が過ぎただろうか。あまりの心地よさに、だいぶ長居をしていたと思う。思えば、ぼーっとしている間に目の前を何人もの住人が通り過ぎた。と、そこで私は気づいてしまったのである。

明らかにここにふさわしくない格好を自分はしていると。

スニーカーに古着のカットオフデニム、そして上は"お散歩用"のニット。良く言えばセルフビンテージ、悪く言えば毛玉ちゃんパラダイスである。もちろんメガネ、眉毛はさすがに書いているもののすっぴん、髪の毛もセットしていない。

そんな私とは反対に、高級マンションに出入りする人たちは皆一様にオシャレであった。べつに着飾っているというわけではない。なのに、なんかいい感じなのである。「いえいえ、このニットはユニクロさんのですよ」とか言われるのかもしれないが、でもなんかとてもお上品なのである。シンプルなのに華があって、いい匂いがしそうなあの感じ。茶色いボトルに入ったオーガニックのハンドソープで手洗ってそう。絶対一家に一台ルンバある。洗濯機はドラム式。小型犬がおかえりしてくれる。晩酌はワイン。床暖房。ふとんは西川。化粧水はSK-Ⅱ。ちなみに私は無印良品。

散歩ついでとはいえ、住人の方もよく利用するであろうベンチに座っているのだ、たしかにもう少し身なりに気をつけるべきだった。せめて、「ここに住んでいる人の休日の気の抜けたファッション 〜ちょいと最寄りのベンチまで〜」くらいにはするべきだった。あれなんかちょっと「secret base 〜君がくれたもの〜」っぽいな。「Hello, Again 〜昔からある場所〜」っぽくもある。ぽくないか。とにかく、なので最近は反省を活かして、その散歩コースで行く時は、少し小綺麗な格好で出かけるようにしている。

そしたらね、みんな聞いてくれ。昨日ついに挨拶されたのだよ、住人の方に。「こんにちは〜」って。やりましたよ、関取。溶け込めたんですよ、ついに。やったった、あたい、やったったわよ!!

とかなんとか思って浮かれていたのだが、今これを書きながらよく考えてみたら、むしろあれは警戒のつもりでの挨拶だったのかもしれない。「あいつ、なんか最近変装して来てるぞ」と。だとしたらたしかにめちゃくちゃ怪しいじゃん。住人のみなさま、本当にそんなことはないんです。

↑このページのトップへ