約一年間、パーソナリティを務めさせていただいていた番組が二つ、今月末で放送終了となった。

一つは、FMyokohama「帰ってきたどすこいラジオ」という番組である。これは、以前同局で放送していた「どすこいラジオ」という番組が、月日を経て奇跡的に復活したもので、大枠は変えずに、コーナーなどをプチリニューアルして放送してきた。毎週月曜日の深夜24時からの放送ということもあり、また長い一週間が始まってしまった……と少し憂鬱な気分になるこの時間帯を、どうにか楽しいものにできないかと、とにかくなんでも笑い話にして話そうと決めていた。日頃の自分のどうしようもない失敗談や、深夜につい自分がいつも食べてしまうデブ飯の話などを聞いて、一人でも多くの人が、「こいつ(関取)本当ダメなやつだな、さすがにこいつよりはマシな一週間送れるぜ」と思って笑ってくれたら、本望だと思った。

ミュージシャンというのは、音楽性は勿論の事、思想やファッションなども含め、本来憧れられるべき存在なのかもしれない。それで言うと、ラジオで話していた私の話を聞いて、私に憧れる人なんていないと思う。どこに、冷凍チャーハンを冷凍のまま食べる女に憧れる人がいるだろうか。どこに、白米にラードをワンバウンドさせてそこに醤油を垂らしたものを深夜にかきこみたいという女に憧れる人がいるだろうか。どこに、好きだった人から三国志のラインスタンプしか返って来なくなった女に憧れる人がいるだろうか。あらためて思い返すと、本当にクズエピソードばかりである。

しかし、そんなひどい話を話していたおかげなのか、なんだこいつと思ったのか、物好きが多いのか、ラジオきっかけでライブに来てくれる人が、この一年ですごく増えた。そしてたくさんの人が、「めっちゃあの話わかります」とか、「私もこういうことやっちゃうんです」とか、くだらない話を気軽にしてくれるようになった。私はそれが本当に嬉しくて、「憧れられるミュージシャンもいいけど、なんかこいつ自分に似てるなって思われるようなやつがいても良いのかもな」、と思えるようになった。この番組のおかげで、自分のことを少しだけ、好きになることができた。

もう一つは、i-dioというメディアで放送してきた、TS ONE MUSIC ARROWS「水曜日の土俵際」という番組である。こちらでは、「帰ってきたどすこいラジオ」では意識してあえて話さないでいた、真面目に音楽の話をするコーナーを、毎回必ず設けることにしていた。(ちなみにその他のコーナーは、基本的にはどうしようもない話である。)
i-dioは、アプリで聴けるラジオのようなものなのだが、とても音質が良い。なので、普段自分がレコードで聴くような曲や、ライブで聴いて感動した曲、影響を受けた曲などを率先して紹介した。放送を聴ける時はなるべく自分でも聴いていたのだが、このコーナーでの自分は、酒に酔って少し饒舌になっている時みたいで、ちょっとウザいけど、割と好きだった。クソまじめに、この人の何がすごいだの、この曲のBメロのどこがやばいだの、熱苦しいくらい嬉しそうに話す自分は、青春時代、夢中になっているものについて友人と語り合ったあの頃の様だった。自分はやはり音楽が大好きなんだということを、あらためて実感することができた。


そもそも、「帰ってきたどすこいラジオ」の前身番組である「どすこいラジオ」を始めた時の私は、あまりライブなどでも喋る方ではなかった。どちらかというと、始めに自己紹介をしたら、訥々とライブをして、最後にライブ告知だけをするようなタイプだった。とにかく今よりも暗かったし、誰にも自分のことなんてわかりっこないと思っているタイプだった。そんなこんなで勝手にストレスを溜めていたのか、ある時から徐々に声が上手に出せなくなってしまった。原因は、自分でもわからない。声のイップスみたいなものだったのだと思う。耳鼻咽喉科に行っても、わざわざ電車を乗り継いで専門医に声帯を見てもらっても、どこに行っても言われることは「異常なし」。それなのに、日に日に歌の音程は取れなくなって行った。ライブをするのがとても怖くて、出番直前に、「やりたくない」と泣いたことも何度もあった。

そんな時にたまたま、ラジオの話があった。もう何をやっても八方塞がりのような状態だったので、藁にもすがる思いで、とにかくやってみることにした。ディレクターさんに一つ一つ教わりながら、ガチガチで録った初回のことは、よく覚えている。あとから放送を聞いてみたら、自分の話し声の暗さに驚いた。どんなに明るく話そうとしても、とにかく暗い。こんなやつの話や歌、誰も聞きたくないぞ、と思った。そこからは、歌が上手に歌えないなら、せめて話だけでも、このラジオだけでも頑張ろうと思うようになった。そして、何か面白そうな話題はないかと日課のように探すようになってからは、毎日が少し楽しくなった。
ライブでも、今日は声が震えて歌が思うように歌えそうにないと思う日には、曲数を減らして、その分MCを増やす事にした。どんなに気分が重いライブの日でも、思い切って、「そういえば全然関係ないけどちょっと聞いてくださいよ、この前ね」と話し出してみる事にした。どうしようもない話でも、その場にいる人が笑ってくれて場の空気が和むのを感じると、ホッとした。そして、そのMCの次にやる曲は、割と良い感じで歌えることに気付いた。そうやって少しずつ、自分との付き合い方を知って、またライブが好きになって行った。

しばらくして「どすこいラジオ」は終了したが、すっかりラジオの虜になってしまった私は、youtubeで勝手にラジオをやることにした。関取花の「ごっつぁんラジオ」という、ほぼ編集なしの、ガレージバンドで一発録りしたものである。ラジオよりもゆるい内容だったが、これを続けていることに意味があると思った。そして、いつかまた自分の番組がやりたいという思いは強くなって行った。今だったらもう少し良い番組にできるかもしれないと思った。そしてそんな中、また「ラジオをやらないか」という話があり、FMyokohama「帰ってきたどすこいラジオ」が始まったのである。

ある時(初めての出演はいつだったかちょっと記憶が曖昧なのだが)、FMyokohama仲間ということで、wacciの橋口洋平さんがパーソナリティを務める、YOKOHAMA RADIO APARTMENT「ドア開けてます!」という番組にゲスト出演させていただくことになった。今でこそライブでご一緒させていただいたり、恋愛相談までさせていただいたりと、自分にとってお兄ちゃんのような存在の橋口さんと知り合えたのも、ラジオのおかげなのである。初めて番組にお邪魔した時から本当に楽しくて、ブース内にいる私たちは勿論、ブース外にいるディレクターさんも手を叩いて笑いながら聞いてくれていた。それから、何度もゲストとして呼んでいただき、その度に涙が出るほど爆笑して、そのあとにはきちんと音楽の話もして、毎回帰りたくないくらいだった。「何かあったらいつでも呼んでくださいね!」と冗談でいつもディレクターさんに話していた。そしてしばらく経ったある日、何を隠そうこの橋口さんの番組のディレクターさんが、「ちょっと、その"何か"なんだけどさ」と、i-dio TS ONEでのパーソナリティをやってみないかと、話を持ってきてくれたのである。

そんなこんなで、本当に色々なきっかけや人々に救われながら、この一年間、私は二つの番組をやらせてただいていた。星の数ほどいるミュージシャンの中で、自分のようなまだまだこれからの人間が、二つも番組をやらせていただくなんて、本当に奇跡みたいな話だと思う。数字的に言えば、きっともっと有名な人がやった方が良かったのだと思う。でも、終了してしまった今だからこそ言えるのかもしれないが、胸を張って、どちらも本当に良い番組だったと言える。勿論、もっとあんなことをしてみれば良かったとか、願わくば生放送だったらとか、考え始めたらキリはない。でも、それはまたいつかの楽しみにとっておこうと思う。

正直今は、スケジュール帳に収録予定がないのを見ると、胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。どれほどそれが自分にとって大事な物だったかというのは、失った時初めて気付くとよく言うが、まさにその通りである。

もしいつか、また自分の番組ができる時が来るなら、その時は、もっとたくさんの人に聞いて貰えるような人間になっていないとな、と思う。そのために今は、がんがん曲を作って、ばんばんライブをして、どんどん成長して行かねばならない。酒ばっか飲んでいる暇はないぞ、自分よ。あと、面白い事探しも忘れずに。人生なんてネタ探しなのだから。


最後になりましたが、「帰ってきたどすこいラジオ」と「水曜日の土俵際」両番組のディレクターさん、その他のスタッフの方々、そして何より、聞いて下さっていたリスナーの皆さん、一年間、本当にありがとうございました。

とりあえず今度はライブで会いましょう!

電車の吊り広告を見るのが好きなのである。

天気の良い日に電車に乗っていると、窓から差し込む光に思わずうっとりしてしまうことがある。ああ、なんだか爽やかなCMのワンシーンにありそうだな、と思ったりする。アイロンがビシッとかかったシャツを着たサラリーマンの方を見かけては、しっかりした奥様がいらっしゃるんだろうな、とその家庭を想像し、窓の外を覗き込む小学生を見ては、その子の明るい未来を勝手に思い描いてみたりする。

そんな時に、吊り広告がふと目に入ると、途端に現実に引き戻される。先ほどまで何事に対しても優しくなりかけていた自分の思想や視点が、ぐるりと元に戻って行く。

女性誌やゴシップ系の週刊誌(文字多めのもの、週刊文春など)も好きなのだが、私が愛してやまないのは、グラビア系の週刊誌の吊り広告である。

なぜかというと、グラビア系の週刊誌は、普段絶対に読まないからである。さすがにコンビニで一人、プレイボーイのグラビアをガン見しながら立ち読みする勇気はないし、かといって買うのもな、と思う。やはりなんだかんだ言っても私はただの女子なので、わざわざ買って、自宅で美しい女体の写真を眺めても、なんというか、何もスッキリはしない。

だから、吊り広告がちょうど良いのである。おっ、あのアイドルの子って水着になると意外とグラマラスなのね、とか、あら、この子最近ドラマでよく見るけど、本業はグラビアアイドルだったのね、とか、それくらいの感じで見るのが良いのである。限られた電車の乗車時間との相性も、抜群である。

そんな感じなので、決してグラビアに詳しいわけでもなんでもないのだが、なんとなく、そうやって吊り広告なんかでたまに見ていると、やはり最近のグラビアのトレンドは、清純そうな色の白い女の子なのかな、と思ったりする。胸がバーン!という感じではなく、本当に、浅瀬で麦わら帽子をかぶりながら、キャッキャとはしゃいでいそうな感じとでも言おうか。風に吹かれながら振り向きざまに見せるキュートな笑顔、みたいな写真をよく見かける。

しかし個人的には、そういった小動物系の女の子の可愛いグラビアよりも、挑発的なエロいお姉さんのグラビアが好きなのである。

小学生の頃、電車に乗っていた時に、プレイボーイか何かの吊り広告を見た。その当時は、井上和香さんとか、小池栄子さんとか、佐藤江梨子さんとか、MEGUMIさんとか、いわゆるイエローキャブ系のお姉様たちが、グラビア界の先頭を走っていた時期だった。そういったお姉様たちのグラビアは決まって、笑顔というよりは、常に「かかってきなさいよ」とでも言ってきそうな目つきをしていた。シンプルな単色の水着なのに、鎧のように見えた。一筋縄では行かない、たくましく、肝の座った女戦士のように見えた。なんだかかっこいいな、と純粋に思ったのを、今でも覚えている。

いろいろと表現の仕方はあると思うのだが、幼心に、これはエロい、と思った。辞書的な意味は置いといて、あくまでも私の中の勝手なイメージだが、性的な意味というよりかは、生き様から来る色気、みたいなものを物凄く感じたのだ。

あの当時、電車に乗っていた小学生男子たちは、こぞってそんなグラビアの吊り広告を見上げていた。その表情に台詞をつけるとしたら、間違いなく「スゲェ」だっただろう。その「スゲェ」には男子としていろんな意味が込められていたとは思うが、でも、やはり何か圧倒されるものがあったのは間違いないはずである。

もし今の時代に、あのお姉様たちのグラビアが載った吊り広告がぶら下がっていたら、どうなんだろうか。今は、何かにつけてウルサイことを言う人がいるだろうから、「子供も乗る電車に、こんな広告いけません!」とか苦情が来たりするんだろうか。というか、そんな時代になってしまったから、グラビアの流行も、エロいお姉様たちからキュートなアイドル系の女の子にシフトして行ったのだろうか。だとしたら、なんだか寂しいなあ。

当たり障りのない柔らかい雰囲気も大切だとは思うが、攻撃的で挑発的な雰囲気も、絶対に忘れてはならないな、と思う。それはグラビアに限らず、全てにおいて言えるだろう。「優しくなりすぎない」という美学は、何事に対しても、忘れずに持っていたい。

なんだかそれっぽい感じでまとめてみたが、これはただの吊り広告の話で、さらに、要約すると、私はエロいお姉さんのグラビアが好きだというだけの話である。それをよくもまあこんなに長々と。自分で自分にいささか呆れる。


……いや、今すごく暇なんですよ。新幹線って乗っている時間も長いし、 あとほら、吊り広告もないし。



一人暮らしを始めてから、警戒心が高まり、何かとビビりになったなぁと思う。特に、予期せぬ音には異常にびっくりしてしまう。

つい先日も、部屋のどこかから、急に変な音が聞こえてきた。

ベコッ

ボンッ

そして私は部屋中を見回した。目に見える範囲には、特に異常はない。いやしかし、待てよ。

クローゼットの中に、あるいはベッドの下に、もしかしたら換気扇の穴の向こうに、実は長いこと誰かが住み着いていたのだとしたら。実はそいつに日々見つめられながら過ごしていたのだとしたら。今聞こえたのは、うっかりそいつが身体のバランスを崩して、どこかにぶつかってしまったせいで鳴った音だとしたら。…怖い、怖すぎる。

そんなことを考えているうちに、再び変な音が聞こえてきた。

バリッ

意を決して音の方を振り向くと、そこにあるのは一本のペットボトルであった。なるほど、と私は胸を撫で下ろした。

昨夜、一人酒が進みすぎて、寝る前に飲んだ水のペットボトルを、無意識のうちに冷凍庫に入れてしまっていた。そして朝になって、そいつをシンクのところで自然解凍していたのだ。

そう、さきほどの音は、凍った中身が溶け始めて、固まったペットボトルが元通りの形に戻る時の音だったのだ。いやはや、誰かがこの部屋にいるかもだなんて、少し考え過ぎてしまったなぁと、自分に半ば呆れつつボーッとしていると、突然部屋のインターホンが鳴った。

ピンポーン

時計を見ると、まだ午前7時であった。こんな時間に誰だろうか。ネットで何かを注文した覚えもないし、実家や事務所から何かが送られてくる時には必ず事前に連絡が来るはずだし、その他だとしても、この時間から突然訪ねて来るなんて、おかしい。

私の住んでいるところは、画面付きのインターホンではなく、音声のみ、受話器のみのタイプである。しかし、これに出てしまえばもう居留守は使えない。さて、どうしたものか。ドアの穴から向こう側を見ても良いのだが、気配を悟られてしまったら、やはり居留守は使えない。どうする、どうするよ。 

その時である。再びペットボトルが音を立てた。

ゴリッ

そして私は思わず声をあげてしまった。

ヒャ!!

しまった! せっかく息をひそめながら作戦を練っていたのに、すべてが水の泡ではないか。しかし、やはりインターホンに出るのは怖い。ならば、今思わず出てしまった悲鳴を活用するしかない。

…そうだ!

悲鳴がたくさん聴こえる、とにかくやばいヤツが住んでいる部屋だと思わせれば良いのではないか。

私は咄嗟に「女性 悲鳴 効果音」をスマホで検索し、インターホンの受話器を手に取り、その話口に向かってその効果音を流すことにした。

キャー!

イヤァアアアアア!!

Oh,God!!!

これで大丈夫なはずだ。ラストに洋モノまで取り揃えたんだぞ。これを聞けば、ドアの向こうにいる誰かも、恐怖におののき退散すること間違いなしだ。我ながらいいアイデアだと思った。

数秒の沈黙の後、コトリ、と玄関のポストに何かが落ちる音がした。受話器の向こう側では、立ち去る足音。

…勝った。

謎の勝利を確信した私は、ポストに入れられたブツを確認しに行った。すると、そこにあったのは、安っぽい一枚の紙であった。


〜いま、毎日しあわせですか?〜
悩めるあなたに贈る、優しさのセミナー


明らかに少し怪しめの勧誘チラシだった。やはり安易に出なくてよかった。(後にわかったことだが、近所の一軒家のポストからも同じチラシが見えていたので、どうやら一軒一軒まわって勧誘していたらしかった。)

しかし、ふと思った。

もし、さきほど流した悲鳴を、本当の私の悲鳴だと思って聞いていたとしたら、むしろ「物凄く悩んでいるやつ」だと思われて、またやって来るのではないか。そんなこんなで最近の私は、以前にも増して、いちいち何かとビビりながら生活している次第である。でも今のところ、その後特に音沙汰はないし、大丈夫そうかな。

まあでも、なんだって良いんですけどね。
色々あるけどとりあえず、いま、毎日しあわせですから。





私は小学校時代を三つの学校で過ごした。

はじめに通ったのは、ドイツの小学校であった。
父親の仕事の都合で二歳でドイツに引っ越し、日本人幼稚園に通った後、日本人小学校に通った。私の住んでいた地域は日本人の家族が多く、30人以上のクラスが各学年3クラスあった。ドイツ語の授業も週に一回くらいだったので、ほとんど日本の小学校と変わりはなかった。地域柄なのか、のんびりした子が多く、平和な空気しか漂っていない学校で、本当に良い思い出ばかりが思い出される。

しかし、小学校二年生の途中で、また父親の転勤が決まり、中国の小学校へ転校することになった。
こちらも日本人小学校で、中国語の授業も週に一回程度、やはりのんびりした子が多かった気がする。転校してすぐになんとなく友達ができて、間もなくあった学校祭でも、友達と浴衣を来て色々見て回った記憶がある。しかし忘れてはいけないのが、この浴衣は母の手作りであったという事である。

ドイツから転校してきた私は、浴衣を持っていなかった。もちろん、中国に浴衣は売っていない。今のようにネットショッピングも一般的ではなかったし、すぐに手元に準備できる環境ではなかった。しかし、友達は「学校祭では、仲良しのみんなで何かお揃いにしたいから、花ちゃんも浴衣着ようよ」と言ってくれていた。学校祭は二日後、今から買って準備するのは到底無理な話であった。でも、どうしても浴衣が着たかった。幼心に、とにかく新しい環境に早く馴染みたかったのだ。

私は母親にダダをこねた。はじめこそ「無理よ」と言っていたけれど、母親はしばらくすると、「わかった、なんとかする」と言ってくれた。それから、母親は寝る間も惜しんで、実家から持ってきた大きめのシーツのようなものを使って、手作りの浴衣を作ってくれたのだった。帯は同じマンションに住んでいる人から借りた気がする。友達は皆ピンクや水色など鮮やかな色の浴衣を着ていたが、私は真っ白いガーゼのような生地に、細かい紅葉か何かの柄があるだけの浴衣だった。確かに地味ではあったが、間違いなくあれは世界で一番素敵な浴衣だった。

しかし、たった二ヶ月ほど中国に住んだだけで、また父親の転勤が決まり、日本に帰ることになった。
転校するということは勿論事前に両親から知らされていたが、教室で「関取さんが来週転校することになりました」と先生がクラスの皆に報告した時に、私は思わず泣いてしまった。人前で泣くなんて大嫌いだったので、先生や友達に「どうしたの?」と聞かれた時、私は「転校するなんて聞いていなかった」と嘘をついた。皆は「寂しいよね、悲しいよね」と言ってくれたのだが、私はそれで泣いたわけではなかった。浴衣がなくても自信を持って学校祭を楽しめるようになるまで、この学校にいられなかったことが悔しかったのだ。なんとなく皆に混じって、一応昼休みに算数セットを使ったおままごとに参加したりもしていたが、「たまにはドッヂボールしようよ」と言いたかった。いつか言えたら良いな、と思っていたのだが、それができないまま転校するのが悔しかったのだ。

日本に帰国してから通うことになった小学校には、私がドイツに行く前、本当に赤ちゃんの頃によく一緒に遊んでいた友達が通っていた。ちなみにその子には二つ上の兄がいて、私の兄と同級生で、家族ぐるみでずっと仲良くさせてもらっていた。今考えると、転校の多い私や兄を気遣って、両親はその兄弟と同じ地域に住むことにしたのではないか、と思う。

転校してからすぐ、「プレゼント」というテーマで作品を作ろうという図工の授業があった。
私は赤ちゃんの頃から、「うさちゃん」という名前のうさぎのぬいぐるみを持っていて、絵を描くときはとにかくその絵ばかりを描いていた。よし、「うさちゃん」を主人公にした絵を描こう、と思ったのだが、周りを見渡すと皆は宇宙人の絵を描いていた。当時、私のクラスでは宇宙人の絵を描くのが流行っていたらしかった。私はすぐに迎合して、皆と同じような宇宙人の絵を描いた。理由は簡単である。またいつ転校になるかわからない、とにかく一刻も早く馴染みたい。ただそれだけであった。中国の小学校から転校することになった時、あんなに後悔したのに、結局同じことを繰り返してしまったのである。

しばらくして、なぜかその絵が横浜市の小学校の図工展のようなものに入賞したと聞かされた。
私のそのあまり思い入れのない宇宙人の絵は、関内にあるホールに展示されるとのことだったので、休日に家族で見に行くことになった。一応その絵の隣で慣れないピースをして写真を撮ったものの、それだけ済ますと、「はい、じゃあもう行くよ!」と母はさっさとそのホールを出ようとしたのであった。

母は、「上手に描けてるねぇ」とは言ってくれたが、それ以上のことは言わなかった。私が広告の裏にマッキーで「うさちゃん」の絵を描いた時の方がよっぽど褒めてくれたなぁ、と思うと、その心理が私にはよくわからなかった。普通、子供が何かで賞をとったら、親というのは、「すごいわね!さすが私の子!」みたいな感じで褒めるものなんじゃないのか? そんなことを思ってとぼとぼと母のうしろを歩いていた。

すると母が、「花ちゃん、どうして宇宙人の絵を描いたの?」と聞いてきた。私はドキッとして、正直に「皆が描いていたから」と答えた。すると母は、「だよねぇ、でもお母さんは、宇宙人の絵で賞をとる花ちゃんより、うさちゃんの絵をニコニコ楽しそうに描いている花ちゃんが好きだなぁ」と言った。少し、泣きそうになった。

それから、学校生活でもなんでも、もっと自分らしくしようと思った。
お腹が空いていたら、胸を張って給食のおかわり戦争にも参加した。(結果、すごく太った。)めんどくさかったから、風呂に入らなかった。(それは毎日母親に怒られていた。それは「らしさ」じゃなくて「怠惰」だと。)
でも、そこから急激に毎日が楽しくなったし、今でも大親友でありこのブログにも何度も登場しているRちゃんとも急速に仲良くなったりした。あの時、母が私の宇宙人の絵を、賞をとったからと言う理由で褒めちぎっていたら、きっとそうは行かなかったと思う。


さて、なぜこんな話をしたかと言うと、私は今、曲作りに完全に煮詰まっているのである。
もう長いこと、頭にドーンと石が乗っかっている。これまでにはなかった、重く、大きい石だ。どんな歌詞を書いても、どこかを切り取られて、本来とは違う解釈をされたらどうしよう、ということばかり考えてしまう。無数の槍から自分を守るために頭に乗せた石のせいで、自分がどんどん押しつぶされて行く。腕を伸ばして深呼吸することも、空を見上げることも、忘れてしまいそうになる。

そんな時にはいつも、この小学生時代の転校のことを思い出す。そしてその度に、我に返るのだ。

新しいアルバムを出したり、新しい仕事に挑戦をしたりすると、新しい評価が下される。それは嬉しいこともあれば、悲しい事だってある。でもそれは、たまたま誰かに、その時馴染まなかっただけの話かもしれない。時間をかけてでも、きちんと自分らしくいたら、いつか分かりあえるかもしれない。手軽に愛されようとしたり、安心できる場所にあぐらをかいていては、いつまでたっても始まらない。失敗しながら、たくさんの仲間を作って行けば良いじゃないか。
私は死ぬまで、転校生だ。







「大人の紅茶」という商品をご存知だろうか。

コンビニなどで売っている、1リットルの紙パックの紅茶である。普段家では基本的に水しか飲まない私だが、あれが無性に飲みたくなる時があるのだ。

私の家の近くには数軒コンビニがあるのだが、この「大人の紅茶」を扱っているところは一軒だけである。家からは徒歩15分ほどかかり、決して近いとは言えない距離だが、これが飲みたい時に限っては、出不精の私も何かに取り憑かれたかのような大股で、思わず早歩きをしてそのコンビニへ向かってしまう。

遡ること約一年前、その日はスタジオで個人練習をし、なんだかたくさん歌って気分が良かったので、重いギターを背負ったまま私はそのコンビニに向かった。目的は勿論「大人の紅茶」である。

自動ドアが開くと同時に、私は一目散に紙パックの並ぶ冷蔵棚へと向かった。なんの迷いもなく大好きなアップル味を手にし、レジに並んだ。実に無駄のない動きだ。家に帰ったら、お笑いのDVDを見ながらこいつをストローでチューチューするのだ。ちょうどDVD一枚が見終わるくらいのタイミングで飲み干せるはずだ。そのあとは、心地の良いお腹のチャプチャプ感と共に、そのままベッドにごろ寝でもしようか。

そんなことを考えているうちに、レジは私の番になった。

「いらっしゃいませぇ。」

と、白髪混じりの店長さんが言う。商品を差し出す私。しかし、一向にピッとやってくれる気配がない。店長さんは、紙パックをじっと見つめている。

「…大人の、紅茶。大人の、ね。」

そう呟くと、私の顔を見て、店長さんはこう続けた。

「君にはまだ、大人の紅茶は早い!」

一瞬何が起きたかよくわからなかったのだが、店長さんが満面の笑みでそう言ってきたので、私も思わず、

「やっぱり?そうですよねぇ!」

と答えてしまった。

「まぁ、今日は良いだろう、部活?楽器頑張ってるんだねぇ。」

なるほど、確かに私は身長も低いし、そう思われても仕方がない。しかし、嘘はいけない。

「あ、いや、もう学生ではないんです。意外と、大人なんですよ。」

一応弁明してみたが、

「嘘だね!!」

と自信満々に返されてしまった。

正直もうどうしていいかわからないのと、後ろに他のお客さんが並んでいるのもあって、

「嘘です!学生です!でも大人になりたいからこれ下さい!」

と咄嗟に嘘をついて、急いでお会計をしてもらった。

なんだったんだろう……と思いながら、その日は家に帰った。とりあえず、悪気があるとかそういう感じではなかったし、単純に冗談が好きなおじさんなんだろうと思うことにした。

そして数ヶ月後、また無性に「大人の紅茶」を飲みたくなってしまったので、私はそのコンビニに向かった。店長さんは私のことをなんとなく覚えてくれていたらしく、また声をかけてくれた。

「だから、君にはまだ早いよ、部活は順調?それより、今日は平日の昼間なのに学校サボってるだろ!」

正直、ちょっとめんどくさいなあと思ってしまった。とにかく早く帰りたい。早く「大人の紅茶」が飲みたい。

「はい、おかげさまで順調です!今日はテスト休みなんです!」

私はまた、小さな嘘をついてしまった。べつに誰に迷惑をかけるわけでもないし、これくらい良いだろう、と。

そんなことが、数ヶ月おきに、何度か続いた。
自分ではない自分を作り上げて話をするのは、正直楽しかった。学生時代に戻ったような気分になったし、少しずつ店長さんとも距離が縮まっているような気がして、嬉しかった。どのタイミングで本当のことを言おうか。いつか、この店長さんがうっかりテレビなんかつけた時に、私が歌っているのを見かけてびっくりしてくれたらいいなぁ、そんなことを考えたりもした。そしていつか、「そういえば君、学生じゃなかったんだな!テレビで見たぞ!」なんて言ってくれたりしたら、なんだか嬉しいなぁと想像してみたりもした。

先日、どうしようもなく「大人の紅茶」が飲みたくなったので、かなり久々にそのコンビニへ行った。自動ドアが開くと同時に、私は無意識に店長さんを探していた。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。よく見ると、ところどころ店内のレイアウトも変わっているではないか。それまではなかった手書きポップなんかもあったりして、なんだか少し印象が変わった感じがした。

レジに並ぶと、ずっと変わらずそこで働いているお兄さんが接客をしてくれた。 

「少し、お店の印象変わりましたね。」

と言うと、

「あぁ、実は店長が変わったんスよ!」

とのことだった。

「あぁ、なるほど……」

とぼんやり呟きながら、私は「大人の紅茶」を難なく購入した。

その帰り道、私はモヤモヤしていた。あの店長さんがいなくなって寂しいというのはもちろん、結局わたしは嘘をついたままだったなあと思ったのだ。いつか本当のことを言えばいいじゃないか、そう思っていたのだが、それももう叶わない。どんなに小さなことだったとしても、嘘が嘘で終わってしまったことに変わりはないのだ。そして、きっとこれだけに限らず、いつか、いつか、と思っているうちに、結局小さな嘘をついたままやり過ごしてしまっていることがたくさんあるんだなあ、と思った。

もちろん、大それた嘘をついたりはしていないし、ごく個人的な範囲ではある。元気じゃないのに元気なフリをしたり、気にしているのに気にしていないフリをしたり、自我よりも今自分に求められていることは何なのかということばかりを気にしてしまったり。たしかに全部必要なことだし、一つ一つは小さなことだし、ちゃんと頑張っていればいつかわかってもらえるとか、いつか笑い話にして話してやる、と思ってのことだが、それでもやっぱり、日に日に、少し息苦しいな、と思うことが増えているのも事実である。

そんなことを考えているうちに家に着き、私はいつものように「大人の紅茶」を飲みながらお笑いのDVDを見ることにした。もう何回も見たコントだ、次にどんなセリフが来るのかも、どんなオチなのかもわかっている。でも、だから良いのだ。脳を介さないで、酒の力を借りないで、ただカラカラと笑いたい時があるのだ。そんな時は、これが一番良いのだ。

そうこうしている間に、あっという間にDVDも「大人の紅茶」も終わってしまった。真っ暗な部屋で、煌々と灯るパソコンの画面をぼーっと眺めていたら、無理矢理に満たしたお腹が、不気味にチャプチャプと音を立てた。いつかこの虚しいチャプチャプに溺れてしまうんじゃないか、と思うと、なんだか少し怖くなった。 

26歳、「大人」に溺れないで、きちんと大人になって行かねばならない。そんなことを思う、今日この頃である。




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