ツアー合間に歌詞を書いている。というか書こうとはしている。でもなかなか書けない。

とはいえ全然煮詰まっているそれではないので、正直特別悩んでいるというわけでもない。単純に書こうとしても書いている最中から心も身体もライブ一直線なのに気付いて、ここで無理しても意味ないなというか、今じゃない感がすごいのだ。

それでも、と思って今日は時間があったので6時間くらいは机に向かってみた。でもダメな時はダメだ。何をしていてもツアーのことばかり考えてしまう。早く歌いたくてウズウズしてくる。弾き語りの緊張感を、バンドセットの多幸感を、今すぐにでも浴びたい。

こういう時の自分は好きだ。頭よりも先に心が先走っているこの感じは、大人になると忘れてしまいがちな感覚だ。子供の頃は何に対してもそうだったのに、いつからか頭で先に考えるのが当たり前になった。もちろん、それによって救われたことはたくさんある。でも、歌詞を書くという場面においては、そいつに邪魔をされることも多い。(必要な時もあるけどね)

今回のツアーでは、頭と心と身体がちゃんと一体になって動いている自分がいる。何も考えないで、ただその場所にすべてを委ねることができている。力みが取れ、背中から水面に飛び込んで、そのままぷかぷかゆらゆらと流れに身を任せて、気づけば行きたいどこかに辿り着ける気がしている。

ちなみにそうやって感じたことをそのまますぐ歌詞にしたらいいのにと思って試したみたこともあるのだが、どうやらそのやり方は私には向いていないようで、上手くいった試しがない。もう少し時間を置いて、気づいたらある日書いた歌詞にそれが透けているくらいの感じが自分的にはしっくりくるみたいだ。その方がより自分の言葉で書ける気がする。ということでこの記事は、いつの日かできるであろう歌のためのただの備忘録であります。

(写真つけ忘れたので再投稿)


===以下雑記===

今日は昼、ラーメンを食べた。(テイクアウト)美味しかったけど、お店で食べた方が断然いいことをあらためて実感した。何を食べるかよりも誰と食べるか、なんて話はよく聞くし自分もそう思うけど、ラーメンはどこで食べるかもかなり重要な食べ物だなと思った。やっぱりカウンターの丸椅子で食べてこそですな。






ライブの前は、昔からよく眠れない。でもべつに嫌なそれではなくて、遠足の前にワクワクして眠れないみたいな、そういう感じだ。緊張感とか好奇心とかいろんなものが混ざり合って、知らず知らずのうちに興奮状態になっているのだと思う。
 
しかし、コロナ禍でツアーが延期になり、最終的には中止になり、イベントも減り、それまでに比べてライブそのものがかなり減った。伴って、眠れない夜も減った。

そんな中、9月からツアーが始まる。実に2年数ヶ月ぶりのツアーである。ライブは私の生きがいだ。ライブをしながら音楽が好きなことを再確認し、たくさんの人に支えられていることを知り、生きている実感を持つ。唯一無二の場所だ。
 
ましてやツアーはいろんな感情がより爆発する。各地で待っていてくれる人がいる。今回は来たくても来られない人もたくさんいる。いずれにしてもみんなそれぞれ大変な毎日の中、私のことを忘れないでいてくれている。本当にありがとう。

そういうあらゆることを、あらためてこの肌で、目で、心で、いつもより少し時間をかけてしっかりと感じるために、ツアーがあると私は思っている。歌を通して何かを自分が届けに行かねばと思ってまわり始めるのに、みんなからたくさんの感情をもらい、学び、むしろ届けてもらっていることに気づく。いつもそうだ。私が花なら、ツアーは、ライブは、水だ。光だ。それは私をより大きく強く、成長させてくれる。

今回のツアーは、目の前のお客さんはもちろん、来られない方々のことも想像しながら歌うことになるだろう。今からいろんな感情が渦巻いている。そっとまぶたを閉じてはみたけれど、今日は結局まだ眠れていない。だからブログを書いてみている。なんか久しぶりだなあ、この感じ。

ライブは私の生きがいだ。ライブのことを考えると眠れない。ツアーのことを想像すると、頭も心もいっぱいになって、嬉しいんだか切ないんだかなんなんだか、涙が出てきそうになる。これは何かに似ている。私はライブに、ツアーに、恋をしているのかもしれない。ちなみに恋をしていると人は、いい歌を歌うらしい。
 
 


忙しい時って自分自身のことはつい後回しにしちゃいがちだけど、ちょこちょこご機嫌いかが?と聞いてあげるのってやっぱり大事なのよね。

すっかりマスクありきの生活に慣れてきてしまった今日この頃。撮影でもない限りは、基本的に外でマスクを外すことはほとんどない。つまり鼻から下は誰にも見られていないわけである。
 
ひとたび誰にも見られていないと思うと、私はもはや家の中にいるのとそんなに変わらない感覚になる。髪の毛がボサボサだろうが服がシワシワだろうが、べつに誰も見ていないからいいじゃないか。そんな感じで、マスクの下もついつい手を抜きがちになってしまう。鏡を見る機会も減るしで、昨年はちょっとヒゲが生えてきたりもした。
 
でも、ここ最近は誰も見ていなかろうとべつに外でマスクを外す予定なんてなかろうと、きちんと口紅を塗るようにしている。ちょっと近所に買い出しに行く時でも、コンビニに行く時でも。それは誰のためでもない、自分のためにである。
 
不思議なもので、リップを塗っているというだけで、その事実をひっそり抱えているというだけで、俄然気分が上がるのだ。忘れかけた少女の心が、水を浴びた花のように色鮮やかに蘇る。少しだけ背伸びしたような気分になって、背筋がピンとする。小さな自信が、何かが始まる予感が、胸の奥から湧き上がる。「私なんて」という思いがたったのそれだけで薄らいで、前向きな気持ちになれる。少し人に優しくなれる。
 
でもこれはリップに限った話ではないと思う。メガネをかけている人だったら、いつもは拭かないメガネを久しぶりに拭いてみるだけでいいと思う。Tシャツがほつれているけどずっとそのままにしてしまっている人は、ここらでその糸をチョキンと切ってみたらいいと思う。全然雑でもいいから、布団を適当に整えてから出かけるだけでもいいと思う。
 
もちろんそれで人生が変わるなんてことはそうそうないだろう。どうせいつもと変わらない今日がまた始まって、終わっていくだけだろう。でも、自分の中に巣食う小さな「どうせ」にバイバイすることで、そのあとに続く今日を始める一歩を踏み出す足取りは、確実に軽くなる。そんな気がするのだ。
 
マスクの下のリップだって、メガネのちょっとした曇りだって、Tシャツのほつれだって、「どうせ」誰も見ていないかもしれない。でも見ている。誰かじゃなくても、私が見ている。あなたのことは、あなたが見ている。
 

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