藤本美貴さんが好きなのである。そう、ミキティである。何を隠そうあのミキティである。(以下、愛と尊敬を込めてミキティとさせていただきます)

そうは言ってもミキティの現役時代の頃の私はというと、アイドルにあまり興味を持つタイプの子ではなかった。だからコンサートに行ったり真似をして歌ったりしていたかと言われるとそうではない。むしろ少し経ってから後追いでハロプロの方々の曲を聴いていく中で、「ロマンティック浮かれモード」とそれを歌うミキティに完全に撃ち抜かれてしまったという感じである。

長い手足、ショートヘアのよく似合うお豆さんみたいに小さい顔、涼しげな目元、スッと通った鼻筋。少し低くて鼻にかかったハスキーな歌声。そして、歌う時とはまた少し違うなんとも言えない可愛らしいあの喋り声。ああかわいい、ミキティ超かわいい。

そんなミキティも今は三児の母である。旦那様はみなさんご存知の通り、お笑い芸人・品川庄司の庄司智春さん。ちなみに歴代イロモネアの100万円獲得者では庄司さんの回がダントツで好きな私。サイレントで階段をゆっくり降りてくるシーンでは涙が出るほど笑わせていただいた。あ、でもモノボケで赤ちゃんの人形に腹筋させるのも、KONAMIスポーツで見かける人のスクワットも好きだったな……ダメだ、選べない。

話が少しそれてしまったが、だからミキティと庄司さんなんて私にとったらテレビで見てきたザ・芸能人のご夫婦そのものなわけで、オフの姿なんて知るよしもない。しかし時は流れ、いい時代になった。

なんとYouTubeでオフな様子の姿が見られるのである。皆さんはご存知だろうか。ミキティの「ハロー!ミキティ」チャンネルを。私はここでのミキティを見て、ミキティがさらに大好きになってしまった。

もう何が素晴らしいって、まずミキティがとにかくかわいい。何回でも言う、信じられないくらいかわいい。ヘアメイクも衣装も超ナチュラルなのに圧倒的ミキティ。喋りもまったく気取らずサバサバしていて、聞いているだけで気持ちがいい。そして無意識なのかもしれないけれど、話の抑揚も表情も豊かでものすごく華がある。あの頃ぼんやりかわいいなあとテレビで眺めていたミキティがそこにいて、でもあの頃とは違う新たに加わった柔らかで母性あふれる素敵なミキティがそこにいる。マジでアルティメット・ミキティ。自分自身も歳を重ねたからこそわかる。ミキティ、冗談抜きでめちゃくちゃかわいい。見た目だけの話じゃない、もう包括的にかわいい。人としてかわいらしい。こんな母ちゃん最強過ぎるだろ。

おすすめの動画はたくさんあるのだが、その中でもやはり庄司さんが出てくる動画は特にミキティのより自然な人としての魅力が大爆発していて最高である。最近だと「庄司が選ぶベストオブミキティ」が関取の激推しなのでぜひ見てほしい。

しかし今回はそれを超えるほどもう何回見たかわからないこの動画をご紹介したい。


3人のお子さんを育て、無事卒乳に至ったミキティ。その記念に何年か越しでビールを飲む動画なのだが、これには庄司さんが声だけで出演している。そして撮影者も庄司さん。つまり、庄司さんの目線でミキティとお酒を飲んだ気持ちになれる動画なのである。主観ミキティ。贅沢すぎる。

お家で超オフな状態、白いサーマルトップスに髪をラフにお団子にまとめ、おそらくすっぴんでビールを飲むミキティ。かわいい。かわいすぎる。喋り方も話し声も家の中だしたぶんお子さんたちも眠っているのだろう、少しおさえめである。それもいい。落ち着いた母としての顔と、面白く頼り甲斐のある庄司さんの前だけで見せるいたずらな少女みたいな顔、そしてどんなに気の抜けた状態でも隠しきれないたしかなトップアイドルの風格と愛嬌。はあかわいい。いいんですかこれ、マジで無料で見ちゃっていいんですかこんなの。

というわけで、この動画を見ながらビールを飲むのが最近の私のもっぱらの楽しみである。だってミキティとビールを飲んだ気分にもなれるんだもの。真似して薄はりのビールグラスで飲んじゃうもんね。そして毎回一口目を飲んだ瞬間、私もやっぱり叫びたくなるのである。






ミキティーーー!!!





以前、奥多摩の方に行った時のことである。その日は東京でも自然を感じられるところに行ってのびのびしようという話になり、電車を乗り継ぎながらそこそこの時間をかけて友人と奥多摩に出かけた。

駅に着きあたりを見回すと、灰色のビルが立ち並ぶ景色とはうって変わって、青々とした葉が目についた。ひとたび息を吸い込めば、少し湿った風の香り。人の匂いよりも自然の匂いが真っ先に鼻に飛び込んでくる。これはいい日になるぞと思った。しかし少し歩き、さあいざ奥多摩というところで私の足はピタリと止まってしまった。
 

「熊出没注意」

 
そう書かれた看板を発見してしまったのである。こうなるともうダメだ。その瞬間、「もう私は絶対に今日熊に遭遇する」という気持ちになってしまった。
 
「ちょっと待って、やめとこう」と私が言うと、友人は「え、なんで?」と言った。あたりまえである。確率論で言ったら熊に遭遇する確率の方が俄然低い。でもそういう話ではないのである。一般的な確率がいくら低くても、私はそういう"くじ"を引いてしまう方の人間なのだとなぜか思ってしまうのだ。その感じは「もしかしたら」の域を越えて、もはや確信に近い。自意識が過剰だなと思う。馬鹿だなとも思う。でもダメなのだ。自分でもよくわからない。
 
中学生の頃、電車の中で少しコワイ雰囲気のお兄さんと同じ車両に居合わせた時があった。満員とまではいかないが、座席はすべて埋まっていて、ぼちぼち立っている人もいるくらいの混み具合の車内で、なぜかたった一人私が絡まれた。みんなと同じように下をうつむいて眠ったふりをしたのにだ。いい時には選ばれる側の人間にはなれないのに、こういう時だけ選ばれる。「なんか腹立つ」そう言われた。

高校生になってからも、友人とパン屋に行きさあ食べようとなった時、私のパンにだけ謎のちぢれ毛が入っていたりした。あとはなんだ、赤坂のオフィス街のど真ん中でなぜか犬のうんちを踏んだり、喫茶店で頼んだケーキが腐っていたり。あとは割と最近の話だと、タクシーの運転手さんに「君は最初から2メーター以内だと思ってたよ」と言い放たれたり。とにかくぼちぼちそういうことには恵まれてきた。
 
まあそれだってべつにみんなにもあることなのかもしれない。だから私が気にしたって仕方がないのだが、事前にその可能性があると知りながらその地にわざわざ足を踏み入れることはしたくないというか、どうしても躊躇してしまうのである。コワイお兄さんもちぢれ毛もうんちも腐ったケーキもタクシーも、そうなることを知らなかったからまあ仕方ないでまだ済む。でも、知っているのにも関わらず奥多摩の地を突き進み、万が一熊に遭遇したとしたら、私は一生成仏できずに終わると思う。だからいやなのだ。
 
「後悔のない人生を歩むために、今は熊だけは避けときたい」などとゴニョゴニョ言って、結局その日は奥多摩まで行ったにも関わらず奥多摩の地に足は踏み入れないで帰ることになった。友人には心底呆れられた。「あん時奥多摩行っときゃよかったって絶対後悔するよ」とも言われた。その通りである。その確率の方が全然高い。実際、そのあとめちゃめちゃ後悔した。
 
繰り返すが、何がそこまで私をかたくなにさせるのか、そういう「もうダメだ」のスイッチが入った時にどうして0か100かでしか考えられなくなるのか、自分でもよくわからない。でも制御不能になってシャッターがバーン!と降りたら最後、もう何も知らなかった頃には戻れないのである。
 
めんどくさいやつだなあと思う。自分だったらこんな友人付き合ってられないよとも思う。でもその直感に抗って突き進もうとすると、もう一日中胸がザワザワして足がブルブルしてダメなのである。熊が出没する確率よりも遥かに当たる可能性の低い自分の直感をなんでこんなにも信じられるのか、マジで意味がわからない。
 
とはいえ、最近はそれも少し変わってきた。人生長いから「今はいいや」と思っていたのだが、そうでもないぞと思うことがぼちぼち増えてきたからである。明日死ぬかもしれないし、ひょっとしてひょっとしたら熊と友達にだってなれる可能性だってある。そしたらめちゃめちゃ面白いぞ。だったら安パイばかり取っていてもつまらない。たまにはグッと力を振り絞って、前に進むのも大事だなと思う。
 
でもさっき「奥多摩の熊」で検索したら、黒くてガッチリとした熊の画像がたくさん出てきた。やっぱり怖いかもしれない。こればかりはもう一度行ってみなければわからない。
 
まあ何が言いたいかっていうと、ゴールデンウィークでどこかにお出かけするという方は、くれぐれもさまざまな安全に気をつけてお出かけくださいね。皆様どうぞ素敵な休日をお過ごしくださいませ。私は桃鉄でもやっときます。
 

 

以前住んでいた街では駅から歩いて家の反対側の方の道にローソンがありました。なんだかまっすぐ帰りたくない日はいつも踏切が開くのを待って、わざわざそこに寄っていました。駅から家までの間に他のコンビニは何軒もあるのに、どうしてもローソンがよかったんですね。

特にお腹が空いているわけでもなく、べつに探し物があるわけでもない、でもなんかこのからっぽはどうにかしたいそんな夜、私は決まって「からあげクン」が食べたくなるのでした。というか、レジに行くと無性に「からあげクン」と言いたくなるのでした。味はLチキの方が好きだったりするのですが、そういう日はなぜか絶対「からあげクン」でした。

もしかしたら、ただ誰かの名前を呼びたいだけだったのかもしれません。今となっては慣れた東京での暮らしですが、最初の頃は誰とも会話をしない日があることになかなか慣れませんでした。実家にいた頃は、家族の誰かと何かしらの話を常にしていましたから。名前を呼んでいましたから。

ここまで書いたところで「からあげクン」について調べてみたら、なんと家系図が出てきました。レッドママとチーズパパの子供がからあげクンなんだそうです。なるほどなあ。ホッとするよね、からあげクン。

今、プリプロ音源(レコーディングのための準備、仮録音)を聴きながら「私やっぱ天才だわ」ってなってるんですけどね。

寝て起きたらまたいろんなことを考えてしまう自分に戻ってるのなんてわかってるんですよ。「でもあの子の方が追い風吹いてるよな」とか、「あいつみたいな光の子にはどうせなれやしないさ」とか。

そして「持ってない私はどうしたらいいんだ」、「とりあえずなんでもがむしゃらにやるしかないんだ」と言い聞かせながら、また踏ん張る明日が始まるわけです。

そんな自分も好きだし、それこそが私の個性だし、強みだとも思っているし、最近はむしろ誇らしいまであるんですけど、たまにやってくるこういう「ひょっとしたら天才なのかもしれない」という素敵な勘違いって、やっぱりね、いいもんですよ。なんか、うん。

誰も見ていないし同意してくれなくてもいい、「私が私を天才だと思うのだからそれでいいのだー!」と思えるこの時間を、今はとにかく一ミリも逃さず味わってから明日を迎えたい。

だから寝たくないんですよ。今日は9時には家を出なきゃいけないんですけど、まだ寝たくないですね。

「神様頼む、もう少しだけ天才でいさせて!」そんなことを思う、午前2時前の私です。ああなんだか、とても春っぽいですね。この感じ。

昨日、ポルボロンという焼き菓子を買った。なんでもスペインの伝統菓子らしく、口の中に入れてから崩さず「ポルボロン」と3回唱えることができれば、幸せが訪れたり願いが叶ったりするという。こういう遊び心があるのは大好物なので、買わずにはいられない。
 
一日経って今日のおやつ時、小腹が空いたのでコーヒーと一緒にいただくことにした。手触りも色味も少し平たいスノーボールクッキーといったところか。なるほど少し噛んだだけでサクッとほろっといきそうな感じである。崩れやすいからこそそんな遊びができたのだろう、ここは慎重にいかねばならない。口に放り込んだら最後、願いを思い浮かべる暇もないかもしれない。流れ星だってせっかく見かけても唱えることが思いつかずに通り過ぎるのが常である。せっかくなので先に考えておこう。
 
しかしいざこういう時になると何も思いつかない。もちろん細かく言えばたくさんあるのだろうけれど、昔みたいにポンポン出てこない。それほど欲しいものなんてそんなにないのかもしれない。ひねり出してやっと出てくるような願いなんて、大したことではないのかもしれない。ええいもうどうでもいい、出たとこ勝負だ。それが本当の願いだろう。私はポルボロンを口に放り込んだ。
 

ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン……


健康、健康、健康……



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