先日、とある喫茶店に入った時のことである。いわゆるチェーン店ではなく個人経営のこぢんまりとした店だったのだが、そこのトイレ事件は起きた。

 

最近はインフルエンザやコロナウィルスなど何かと心配なことが多い。私は店に入コーヒーを注文したあと、待っている間に洗いだけでもしておこうとトイレへ向かった。

 

するとすでに先に人が入っていたので私はトイレの外で待つことになったしばらくすると自分の番になり、私は入るなりすぐに蛇口の前に手を差し出した。すると、どうも様子がおかしいのである。


 

そう、水が出てこないのだ。

 


私はとっさに手先を左右に動かした。手が小さいからか水道のセンサーが反応してくれないことはいつも経験していることである。何往復かパタパタと動かしているうちに大抵の場合は反応してくれるので、私はその時も当たり前のようにその動作を繰り返した。しかし、何回やっても水は出てきてくれなかった。

 

でもたしかにさっきトイレから出てきた人の手は濡れていた。だから水は絶対に出るはずなのである。私はあらためて蛇口をじっくり見つめた。すると衝撃的な事実に気付いた。

 



まさかの手動タイプだったのである。



 

今思い返せば店の雰囲気を考えればすぐに気付けそうなものなのだが、その時の私は当たり前のように自動で水が出てくると思い込んでいた。たしかに考え事をたりで少しボーっとしていたのは事実だが、それにしてもまったくその発想にならなかった自分にショックを受けてた。

 

唯一の救いは、その現場を誰にも見られていなかったことである。だって想像してみてほしい。29歳の女が水道(手動)の前に手を差し出して、自動で水が出てくるのをただ黙って待っている姿を。ものすごいお金持ちで世間知らずのお嬢様か、相当なマヌケかのどっちかしか考えられないだろう。

ちなみにその時の私の服装はダウンジャケットにパーカー、古着のデニムにスニーカーだったのでお嬢様じゃないことは見たらすぐわかる。秒でマヌケ一択である。

 

それにしても少し前までは自動である方が驚きだったはずなのに、なんだかおそろしい話である。

特に東京は駅ビルのトイレなんか今やほとんどが自動洗浄だし、正直それに慣れてきてしまっている自分もいる。今後流し忘れだけはしないように気をつけて行きたい。

 

そういえば私の知り合いで"音姫"がないともう落ち着いて用が足せなくなってしまったと言う人もいるその人はどこへ行くにも携帯用の音姫的なものを常に持ち歩いていて、なんでも一人暮らしの家のトイレにも一つ置いてるらしい。その人に言わせると、音姫がないと「トイレなのにトイレットペーパーがない」のと同じくらい不安になってしまうのだという。いやあ、慣れってこわいですね。


今月から念願の生放送のラジオレギュラーが始まった。TOKYO FMにて夜8時〜放送の、「ねるまえのまえ」という新番組である。(私は水・木曜日の担当)

 

この番組のコンセプトをざっくり説明すると、今日のクヨクヨやクタクタを毎日の「寝る前の前」の時間に、ラジオで一緒に"ととのえて"行きましょうというものである。

 

そもそも "ととのえる"ってなんぞや。これは私の解釈だけれど、ここで言う"ととのう"とは必ずしも辞書的な意味ではなく、サウナや半身浴などをしたあとにこう、バラバラだった身体と心の位置がきちんと重なる感じがするって言うじゃないですか。ほどよく力が抜けて、硬くなった頭が柔らかくなって、「なんかいい感じ、今日はよく眠れそうだわ」くらいの。たぶん、番組を聞いたあとにそういう気持ちになってくれたら嬉しいなという意味なんだと思う。素敵ですね。

 

しかしこのブログや他媒体でのエッセイやコラム、ライブのMCや曲をご存知の方ならこう思うだろう。「だとしても本当にこの番組のパーソナリティ、関取花で大丈夫なのか」と。私もそう思う。

 

とはいえこんな私だって、"ととのえたい"とは前々から思っていたのだ。27歳過ぎたあたりからは心身共に健康でいることが最も幸せだということに気付き、そこからはもう「嗚呼ととのえたい、ととのえたい」って毎日言ってたね。最近何かしたいことある?と聞かれても「ととのえたいですね」しか言ってなかった。ミドルネームつけるなら何にしたい?と聞かれた時も「セキトリ・トトノエ・ハナです」って答えた気がする。ごめんこれはさすがに盛った。でも本当に思っていたのだ。

 

実際に行動に移したことだってある。少し前、どうも心と身体がバラバラに動いているような日々が続いていた時に、友人に銭湯を勧められたことがあった。「銭湯はいいよ、家の湯船もいいけど銭湯だと広いからもっと無になれる」とまさに"ととのえる"のに持ってこいだと言われたのだ。なるほどそれは素晴らしいと思った私は、早速近所のスーパー銭湯に出かけた。

 

そこのスーパー銭湯はご近所さん同士の憩いの場になっているらしく、リラックスしながらおしゃべりしているおばちゃまやおばあちゃまがたくさんいて、とてもいい雰囲気だった。こういう友人が近所にいるってなんだか羨ましいなあと思いながら、私も端っこの方でゆったりとお湯に浸かっていた。

 

10〜15分ほど経った頃、同じお湯に若い女性が一人入ってきた。もしかしたら早速ととのえフレンドができるかもしれない。胸を躍らせながらふと彼女の方を見ると、目が合った。するとこちらの方へススッと近付いてきたのである。私はコンタクトレンズを外していてよく見えなかったのだが、たぶん知り合いだろうなと思ったその時だった。

 



 

「あのー、関取花さんですよね?」



 

「この前のワンマンライブ行きました!」

 


 

…そう、まさかのお客様だったのである。

 

ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。

 

だがしかしBut,

 



I’m 全裸

 


 

私はステージ上と普段とあまり変わらないタイプの人間だとは思っているのだが、さすがにここまでオフ過ぎるというかさらけ出した状態となると恥ずかしくてたまらなかった。せめてにごり湯とかならよかったんだけど。澄んでたなー、あのお湯。澄み切ってたわ。


とはいえ話しかけてくださったのはとてもとても嬉しかったので、少し雑談したあとお姉さんがお湯からあがるまで耐えに耐えてから私もあがった。もうその頃には心も身体もよくわかんない状態だったけど。


そんなわけで、ととのえようと思って出かけたスーパー銭湯デビューは私らしいといえば私らしい、予想外のまったくととのわない展開となってしまったが、今となってはそれも良い思い出である。

 

今は引っ越してそのスーパー銭湯は遠くなってしまい会うこともないのだが、あのお姉さんがラジオを聞いてくれていたら嬉しいなあと思う。ラジオを通してならなにも恥ずかしいことなどない。全裸でもバレないし。いやちゃんと服着て放送してますけどね


皆さんも是非、気軽に聴いてくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。


まずはじめに、あけましておめでとうございます。本年も関取花をどうぞよろしくお願い致します。

 

さてみなさん、年末年始はどうやって過ごされただろうか。

我が関取家では、大晦日は紅白歌合戦を見るのが決まりとなっている。ひとたびチャンネルを変えようものなら家族の誰かからブーイングが飛ぶくらい、みんな紅白を楽しみにしているのだ。

 

父はMISIAさんの圧巻のパフォーマンスとても興奮して、早速CDをネットで注文していた。兄は「やっぱ紅白だよ」と何度も呟いていた。そして母は菅田将暉さんの魂のこもった歌声に胸を撃たれ、「菅田くんの歌は涙腺に響く」と涙を流していた。

 

そして翌日元旦、朝から台所で母が口ずさんでいるわけである。そう、もちろん菅田将暉さんの"まちがいさがし"である。しかもAメロからちゃんと歌っている。しかし、よく耳を澄まして聴いているとどうもおかしい。

 


♪間違いだらけの間違いの方に 間違いだらけの間違いでいたよ

 


そう、まちがいだらけなのである。そのくせ「いい歌だわあ」といっちょ前に感動しているのである。

 

早々にツッコミたい気持ちも山々だったが、とりあえず一緒に台所に立ちながら続きを聴いてみることにした。さすがにサビならきちんと歌えるかもしれない。そしていよいよサビである。

  


♪間違い間違いが 間違っていたまっすぐ

 


いやダメなのよ、まちがってんのよ。まっすぐだけ合ってるけど逆に歌詞の意味的になんか違う方行っちゃってんのよ。まあいい、続きを聴こう。

 


その日から何もかも 間違っていた気がした

 


前半はよく頑張った。合ってる合ってる。でもこれだけ間違いだと歌っていたのに「間違っていた気がした」ってまだちょっと不安なのあとちょこちょこ元の歌詞入れてくるのなんなの。あと歌いながらこっち見て来るのなんなの。

 

いよいよ耐えられなくなった私は、母に「歌詞間違ってるよ」と優しく諭すように声をかけてみた。すると母はなぜか呆れたように小さく首を振り、「そんな細かいことどうでもいいのよ。菅田将暉くんもほら、歌ってたでしょ」と言うのである。そして続けてあのフレーズを歌たのだ。

 


♪間違いか正解かだなんてどうでもよかった


 

もうこれにはアッパレである。間違いを指摘されて今さら引き下がれず、自分の都合の良いように解釈しながらきちんと最後にオチをつけて来た。しかもそこだけは忠実に原曲の歌詞で。そしてあの時の最後のドヤ顔。私はきっと忘れはしないだろう。


そんな母がおかしくていがこらえきれず、最終的には二人で腹を抱えい合った。そしてそのあと、正しい歌詞を検索してちゃんと二人で歌いなおした。やはり母の歌っていた歌詞は"まちがいだらけ"だった。菅田将暉さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

ちなみに私は2番Aメロの、「正しくありたい あれない 寂しさが」の「寂しさが」の歌い方、表現の仕方が本当に素晴らしくて毎回泣きそうになります。いつか歌番組でご一緒できて、伝えられたらいいな。頑張ります。


そんなこんなで愉快に幕を開けた私の2020年。きっと今年もたくさん間違っては一歩ずつ進んで行くのだと思います。まちがいだらけでも、まちがいさがししながら、最後に笑える一年になりますように。

いやーメリクリメリクリ。超メリクリ。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。どうも関取花です。

 

前回に更新したのが7月27日ということで、気付けば夏も終わり秋などとっくのとうに過ぎ去って、あっという間に本日はクリスマスである。

2019年に突入した時は「いよいよブログの更新を頑張ります」と言っていたような気もするのだが、そんなことはいつの間にやら記憶の彼方霧の中、今年もめでたく有言不実行となった。

 

ひとつ言い訳するとしたら、今年は神奈川新聞といきものがかりの水野良樹さんのメディアHIROBAにてエッセイの連載が始まり、何か書きたいネタがあるとそちらのために残しておかねばと思ってしまいブログにまで手が回らなかった。いやでもやろうと思えばできたはずだな、 YouTubeで飲みコールの動画を見ていた時間を総合したら絶対書けた。ちなみに飲みコールは披露する相手もいないので今のところ何の役にも立っていない。もったいないから明日の年末ワンマンでやろうかな。

 

さて、今回は今年最後のブログとしてこの一年を振り返るのもいいなと思ったのだが、もしかしたら、もしかしたらこの後の残された2019年の数日でまたブログを更新するかもしれないので今日はクリスマスについて書こうと思う。

 

クリスマスは好きである。というか、クリスマス前のそわそわした街並みや人々を見るのが好きだ。特にまだカップルではなさそうな学生の男の子と女の子の12月二週目あたりくらいの雰囲気がいい。マジでいい。グッと来ちゃう。頭の中で山下達郎先生の歌流れちゃう。

 

少し前、電車に乗っている時に隣に座っていた二人もそうだった。

多分あれは大学のサークル仲間だろう、軽くお酒が入っているようだったので、飲み会の帰りだったのだと思う。人の話を盗み聞きするなんて本当に趣味が悪いし申し訳ないなあと思いつつ、あまりにももどかしいその会話が可愛らしくて思わず耳がでっかくなっちゃった。まさかのマギー審司状態である。(令和だろうとなんだろうと平成のネタぶっ込んで行くわよ)

 

男の子「クリスマス、今年もどうせバイトだわー」

女の子「ね、わたしも多分バイト」

男の子「バイトしてるとカップルばっかり来るからイヤだよなあ」

女の子「ね、あとシフト入れる時今年もお前いるんだみたいな顔で店長に見られるのもすごいイヤ、だからそれがイヤで来週のぶんまだ出してない」

男の子「俺も、でもやっぱ行きたくないなあ」

女の子「ね、でも何か予定あるわけでもないからなあ」

 

 

…おいおいおいおい!!!可愛すギルティ!!

 


もうこの時私の心は完全にお節介な中学生男子だった。「なあ、お前ら付き合っちゃえよお」状態ですよ。いやー、キュンキュンしたね。


もちろん当人たちの状況や心境は何もわからないから勝手なことは言えないが、でもなんかあれは絶対にお互いにちょっと探り合っている感じだったですよ。

少女漫画だったら絶対もうあれよ、頬に斜線で赤らみ表現されててるタイプの表情してたはずなんですよ。顔を半分マフラーに埋めてる女の子の可愛いさったら。男の子のおろしたてのコンバースのスニーカーの眩しさったら。あとちょっとで冬の神様舞い降りるところでしたよ。

 

結局途中で女の子は降りてしまってその後の展開はわからないのだが、ーっとしている残された男の子がこれまたなんともいい味を醸し出していて、私はちょっとしたドラマを見たあとのような気分になってしまった。

多分これあれだわ、私がもし窪塚洋介さんだったら「…誘っちゃえばよかったんじゃない?」とか遠くを見ながらボソッと言い放ってたやつだわ。そんで「えっ」って男の子びっくりしつつ、急いで電車降りて女の子のこと追いかけてるやつだわ。そしてその男の子の背中眺めながら「ピンチはチャンスだよ」って一人で呟く窪塚さん?2000年あたりの感じな?(伝われ

 

そんなわけで今年も良いものを見させていただいたわけだが、あの二人、昨日今日は何しているだろう。バイトじゃなくてどこかでデートでもしてたらいいなあ。そんなことを思いながら私はこれから一人でUberEatsでも頼もうと思います。やっぱあれかな、ケンタッキーは時間かかっちゃうかな。 

 

しかし久しぶりにブログ書いたらやっぱり楽しいですね。連載のものとはまた違う、こういう肩の力の抜けた感じで書いていこうかなと思いますので、皆様今後もゆるくお楽しみいただけたら幸いです。とりあえずメリークリスマス!

 

 


「メールアドレスを変更しました」というメール、もはやちょっと懐かしくないですか。私も最後に見たのはいつだっけという感じである。(迷惑メールではたまに来るけど)

連絡先を交換するときも、最近では大抵「LINEやってる?」という話になる。

たしかにLINEならデータが消えてもあとからなんらかの方法で復元できるし、今はSNS上のダイレクトメッセージでもやりとりはできる。

でも便利だなあと思う一方で、時々あの「メールアドレス変更しました」のメールが無性に恋しくなったりする。

私は中学生の時に初めて携帯電話を持った。はじめてメールアドレスを考えた時は、それはもうかなりの時間をかけた。なるべく長く使えて当たり障りのないもので…とか、中学生なりに必死で考えたものである。
その甲斐あって、数年後に間違えてエッチなサイトにたどり着いてしまって変なメールが鬼のように来るまで、最初のメールアドレスは割と長く使った。

友人たちの中には、頻繁にメールアドレスを変える子もいた。彼氏が切り替わるタイミングでわかりやすく変わるので、ニュース速報のようだった。
メールアドレスに入っているイニシャルや誕生日などから相手を推測したりするのも楽しかった。

大好きなアイドルがいる子は、新曲が出るたびにアドレスを変えていた。私はいつも彼女の「メールアドレスを変更しました」のメールで新曲のタイトルを知った。
彼女が「推し」を変更した時も、メールアドレスの変更で知った。

ほかにも、好きになった人のアドレスにビートルズの曲名が入っていたこと、それをきっかけに仲良くなれたこと。友人の変更したアドレスのあらゆるスペルが間違いまくっていて何時間も爆笑したこと。思い返せば、小さいけれどいくつもの思い出がある。

そんなこともあり、 最近は誰かとLINEを交換をする際に「最初に作ったメールアドレスって何だった?」と聞いてみたりする。

私くらいの年齢の人の多くは思春期ど真ん中に携帯電話を持ちはじめているから、そこから思わず黒歴史暴露大会になったりする。でもそれをきっかけに共通の趣味を見つけて仲良くなれたりもする。イメージ通りの人もいればまったく予想外の過去を持っている人もいたりして、いろんな発見があって面白い。

ちなみに私が最初に作ったメールアドレスは「hanasunsun@...」だった。「はなさんさん」と読む。

「愛燦燦」的なイメージで「花燦々」としたのだが、それだけでは何か物足りなくて、「san」ではなく「sun=太陽」とすることで少し小洒落てみたつもりだった。

中学生にしては渋くて良いっちゃ良いが、ひねりを入れようとして結局ダサく仕上がる私の悪い癖が出まくっている。良くも悪くも変わらないというか私らしいというか…そこも含めて今でもなんだかんだ気に入っている。(HIROBAでの連載タイトルもここから)

こうして思い返すと、あの絶妙な文字数、限られた文字と記号だったからこそ溢れ出るそれぞれの個性がそこにはあったなあ、と思う。

みなさんのはじめて作ったメールアドレスはどうでしたか?


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