まさかなのである。未だかつて、こんな気持ちに陥ったことはなかった。27歳にして抱く、はじめての感情である。

そう、とにかく私は今、とてつもなく貢ぎたいのである。

見返りなんて求めていない。ただとにかく、その人に何か「あげたい」のである。なんでもいいからその人の笑顔が見たい。少しでも幸せになってほしい。でも、その人に自分ができることは、物をあげることしかできない。だって、その人の一番近くにいられるわけじゃないから。もっとふさわしい人がいるから。でも、それでいいの。あたい、それでもいいの。少しでもその人の記憶に焼き付けたぃの。あたぃ、ここにいるょ?って。ぃっか思ぃ出してね?って。(何これ

まあ、何があったかと言うと、つい一週間ほど前に、親友のRちゃんの子供が生まれたのである。それはそれは可愛い女の子で、毎日写真を送ってもらっている。出産後すぐに連絡をくれたのだが、その時は涙が止まらなかった。おめでとう、ありがとう、頑張ったね、いろんな感情がぐるぐる回って、胸が苦しくなった。

もう、本当に可愛い。小さい手のひらをぎゅっとしながら眠っている姿なんか、天使そのものである。この子にこれから良いことだけが降りかかってほしいと、心の底から思う。

写真を見る限り、鼻の形なんか、私の親友そっくりである。優しげな目元は旦那さんにも似ているような気がする。ああ、愛しい。息が苦しい。とりあえずもらった写真全部保存。とりあえず速攻で待ち受け。尊い。

それからというもの、私はどこかへ出かけると、ベビー用品売り場に自然と足が向いてしまうようになった。自分のTシャツを買いにGAPへ行ったはずなのに、気づけば店員さんに、「gap babyはどこですか」と聞いている。S字フックを買いに100円ショップに行ったはずなのに、気づけば同フロアの西松屋にいる。化粧品を買いに百貨店に行ったはずなのに、なぜか子供服フロアのファミリアにいる。そして思う。ああ、貢ぎたい、と。お金持ちになったら、ここにあるもの全部くださいって言いたい、と。

とはいえ、もちろんこれまでにも、友人やお世話になっている方のお子さんが生まれたことはあった。ならばどうして、今回ここまでの気持ちになるのか。それは、彼女が特別な存在だからです。(何このヴェルタースオリジナル感


親友のRちゃんは、このブログにも何回か登場しているので、いつか説明したこともあるかもしれないが、もう20年来の付き合いであり、唯一の地元の友達である。

Rちゃんとは小学校で出会ったのだが、とにかくずっと一緒にいた。修学旅行も同じ班、バスの座席も隣、お家にもよく遊びに行った。中学からはお互い別々の学校に進学したが、こまめに連絡をとっては遊んでいた。高校生からは、同じところでバイトをはじめて、大学を卒業するまで続けた。シフトを合わせられるところはなるべく合わせていたので、週2、3回くらいのペースで会っていたと思う。

二人してクロスバイクにハマって買った時期もあった。結局バイト帰りはお喋りしたいから、いつも手で押しながら帰ってたけど。成人式はもちろん、前撮りも一緒に行った。お互いの家族が高島屋の写真屋さんで大集合して、もう20歳か〜あっという間だったね〜なんて話をした。100均のつけまつげとアイテープで、ギャルメイクごっこした時もあった。楽しかったね。

やがてRちゃんは今の旦那さんと出会って、恋をして、どんどん綺麗になっていった。バイト先のロッカーで、おすすめのCDを借りたんだ、っていうから見せてもらったら、私の好みとドンピシャで、なんだかすごく嬉しかった。ちなみにRちゃんの旦那さんは、もちろんめちゃめちゃ素敵な人である。柔らかい雰囲氣で、話しやすくて、Rちゃんととっても似ている。まだ二人が夫婦ではなく恋人だった大学生の時に紹介してくれて、そのあとも、旦那さんのご両親がわざわざ私のライブに来てくれたこともあった。そしてその度に、本当に嬉しかった。世界で一番大好きな友達の周りに、素敵な人がどんどん増えていくのが。

とにかく、Rちゃんは私にとって、一番大切な友達なのである。たった一人の親友なのである。

体脂肪率が38%あった小学生時代の私とも、森ガールが行きすぎて生成りオバケと化していた私とも、とんがって髪の毛ブリーチして眉毛がほとんどなかった私とも、ずっと変わらずどうでも良い話をして笑ってくれた。中身も外見もブレブレな私だけど、Rちゃんといる時はいつも素の自分でいられたし、誰よりも大切な友達だって思っていることだけは、ずっと変わらないです。

そんな親友の子供が生まれたのだ。そりゃ貢ぎたくもなるだろう。もう、なんでも買ってあげたい。つらい。あと、とにかくなんかちっこいものを見ると、赤ちゃんを思い出して胸が苦しくなる。可愛い、尊い、ありがたい、眺めていたい、ってなる。

だからですかね。なんか気づいたら買ってたんですよ。本当に、気づいたら。

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ちっこいサイズの混ぜ混ぜするやつ。

全然使い方わからない。

一応サイズの比較対象としてマッキーと撮ったver.も。

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とても伝わりづらい。

でもこれでさえ可愛い。尊い。ありがたい。でも貢ぎ物としてはまだ早いかな。もっと赤ちゃんが使いやすそうなやつちゃんとあげるからね。

Rちゃん、旦那さん、赤ちゃん、本当におめでとう!ご家族の皆さんも、おめでとうございます!

いつか、あの歌ってる人、お母さんの親友なんだよって自慢できるように、私も頑張るね!

夏休みの少年達が、大好きなのである。

八月になり、夏休み真っ只中と思われる彼らが、昼間から街中に出没するようになった。私は彼らを見かけるたびに、どうにもこうにも涙が出そうになる。ああ、なんて美しいんだ! と。なんて尊いんだ! と。

まだ他の色を知らない髪の毛に、お気に入りの球団のキャップ、裾が絞れるタイプの半ズボンに、マジックテープのスニーカー。変に小洒落てなくて良い、少し大きめのスーパーの二階で売っていそうな服装が良い。そこに小さなリュックなんて背負われたらもう、胸がただただキュッと締め付けられる。大人になって忘れてしまったなにか、忘れてはいけないなにかが、そこにすべて詰まっている気がするのだ。そのリュックの中に、その無駄にパンパンなポケットの中に、それぞれの小さなトムソーヤがいる、そんな気がするのだ。

そんな彼らをみていると、心身ともに夏バテしてしまっている自分が情けなくなる。しかし決してネガティブな感情ではない。私も負けていられないぞ、と思うのだ。

この時期私は、電車はなるべく先頭車両に乗るようにしている。そこには決まって彼らがいて、窓の外を眺めている。ラムネ瓶の中のビー玉みたいな瞳で、小さな手のひらを窓にくっつけて、一体なにを目に焼き付けて、なにを思っているのだろう。同じ景色だとしても、きっと私よりもすべてが青々と見えているに違いない。なにかを取り戻すような気持ちで、私も真似をして窓の外を眺めてみる。すると、毎日通っている道なのに、映画の世界のように見えてくる。

大人になると、色々なしがらみやめんどくささが先に立って、好奇心やら感受性やらに自分で蓋をしてしまうことがある。そんな時に彼らを見かけると、ハッとする。意味もなく俯いたり見下したりするのはやめて、背伸びをして、よじ登って、世界を眺めてみよう、と思うのだ。

彼らこそ、夏休みそのものである。今にも消えてしまいそうだけど、何にも代え難い、強いキラキラを放っている。それは一瞬かもしれないけれど、きっとこの先も、電車の窓の向こうに、それぞれの胸の奥に、永遠に残り続けるキラキラである。

あんまりぼーっとしていると、夏休みはどこかへ行ってしまう。見かけたら、都度都度しっぽを捕まえておこう。いつかそれが、歌のはじっこにひょっこり現れてくれるかもしれない。

暑いのである。

ほんの少し前まで、なんだかんだまだまだ肌寒いなあ、などと話していたはずなのに、ここ数日は寝苦しい夜が続いている。

何をしていなくても汗をかき、どこを触ってもベタつくような季節になって来ると、サラッとした爽やかなものが欲しくなる。洋服ならば白いものが着たくなるし、食べるものも、茶色いもの(揚げ物やカレー、肉など)信者のこの私でさえ、冷たいものや白いものばかり食べたくなる。主にアイスとかアイスとかアイスとかだが、それ以外で言うと、私は昔からそうめんが大好きなのである。

ただでさえ暑いのだから、この時期はなるべく料理で火を使いたくない。その点そうめんは茹で時間も2分くらいで済むし、見た目も涼しげだし、まさにうってつけの食べ物なのである。先日も、昼ごはんにそうめんを茹でて食べた。その時、私はあることを思い出した。

そういえば小さい頃に一度だけ、流しそうめんをしたことがある。

たしか、夏休みにどこかへ遊びに行った時に、近くで流しそうめん大会があるらしいという噂を聞きつけ、行きたいと兄と共に駄々をこね、連れて行ってもらったのだった。

会場に着くと、SASUKEのセットが組めそうな広大な空き地に、かなり大がかりな流しそうめん台(もはやコース)が、ドカンと一つ置かれていた。こんなに贅沢な環境で、人生初の流しそうめんを楽しめるなんて。胸が踊った。

そうこうしているうちに、雨が降って来た。その勢いはどんどんひどくなり、流しそうめんと私たちに襲いかかった。ウォータースライダーのような速度で流れて来るそうめん達。流しそうめんってこんなんだったっけ、思ってたのと違うぞ、そんなことを考える暇もなく、そうめん達はどんどん流れてきた。うだうだしてはいられない。我々がすくいあげてやらなくては、彼らはゴミになってしまうかもしれない。支給される雨具。薄まっていくめんつゆ。豪雨。とりあえず超豪雨。

しかし、それくらいではへこたれたくなかった。せっかく連れてきてもらったのだ、最後までやり遂げねば気が済まない。(何を)

私たちは何かに取り憑かれたように、ただ黙々と、そうめんをすくってはすすり、すくってはすすった。実に無駄のない動き。もはや業者。その間の表情、おそらく完全に「無」。帰り道も無言だったに違いない。

途中で帰っても良かったのかもしれないが、自分たちでもわからない何かがそうさせたのだった。全部夏のせいだ。あるいはそうめんのせいだ。もしくは、ただの食い意地のせいだ。

それ以来、流しそうめんはやったことがない。機会があれば、またリベンジしたいとは思っている。まあ、次はできれば、晴れた日に。

それにしても、夏はヘンテコな出来事が起きやすい気がする。なんなんだろうね。今年も何か起これば良いなあ、と思う。

流しそうめんの衝撃を超える何か、あると良いなあ。

つい先日、私はめでたく今年の「刺されはじめ」を迎えた。

そう、蚊である。

ここ最近は体質が変わってきたのか、刺される回数も減ったし、かゆみが長続きする事もなくなってきたが、子供の頃はとにかく全身蚊に刺されまくりで、血が出るまで何度もひっかいたものである。

そんな様子を見かねた母は、早く良くなるようにと、いつもキンカンを塗ってくれた。しかしこれがかなり強烈で、めちゃくちゃしみるのである。

太い針で肌を貫かれている感じというか、小さな傷口にデカい雷が直撃する感じというか、もうとにかく、思い出すだけで鳥肌が立つ。子供の頃の私は、蚊に刺されることよりも、そのあとに待っているこのキンカン地獄がとにかくイヤだった。もはや恐怖でしかなかった。(そもそもひっかかなければ良いだけの話なのだが)

そんな私だが、大好きな塗り薬が一つだけあった。母方の祖母が塗ってくれた、謎の薬である。

おそらく、手作りの何かだったのだと思う。祖母はそれを使い終わった牛乳瓶の中に入れていて、蚊に刺されたと言うと、指ですくって肌に塗ってくれた。うろ覚えだが、少しザラついていたような気がする。においもなく、しみることもないのに、これを塗ってもらうと一瞬にしてかゆみがとまるのであった。魔法の薬って本当にあるんだ!と本気で思ったのをよく覚えている。

それにしても、あれは一体何だったんだろうか。祖母はもう亡くなってしまったので、答えはわからない。そもそも本当に薬だったのだろうか。

思えば私の「刺されはじめ」は、毎年決まってこの時期である。そしていつも、あの謎の薬のことを思い出す。遠くへ行ってしまった好奇心が、こちらへ少しずつ帰って来る気配がする。もうすぐ夏がやって来るのだ。

蚊は大嫌いだが、この感じは嫌いではない。

梅雨と夏本番のその間、世界中のあらゆる謎がそわそわしはじめる、六月末!


先日、都内某所をウロウロしていた時のことである。

その日私は、19時頃から友人と晩御飯を食べる約束をしていたのだが、思いのほか仕事が早く終わり、30分ほど早く目的の駅に着いてしまっていた。

ただぼんやり待つにしては長すぎるし、喫茶店に入ったり買い物をしたりするには短すぎるし、どうやってこの微妙な時間をつぶそうかなあと考えた末、とりあえず駅ビルへ向かうことにした。ちょうど買いたい化粧品があったことを思い出したのだ。

目的の店へ向かおうとエスカレーターに乗っていると、背後から急に声をかけられた。

「ウシロカラミテルト、コレ、スゴイメダツー!」

私はその日ギターを背負っていた。声の主の方を振り返ると、赤毛の外国人イケメン男性が立っていた。

大事なことだからもう一度言おう。

赤毛の外国人イケメン男性が立っていたのだ。


何なの

かっこいいんですけど


「ナニガ、ハイッテイルノ?」


と聞かれたので、オドオドしながらも、ギターだよ、アコースティックギターが入っているんだよと言うと、

「ホントニ?オッキイピストル、ハイッテルノカトオモッタヨ!」

と明るい笑顔で返された。


何なの

神のお恵みなの


「イマカラドコヘイクノ?」

と聞かれたので、化粧品売り場へ行くんだよと言うと、

「ソウナンダネ、ボクモニホンダイスキ!」

と彼は言った。

ダイスキいただきました

ありがてぇ(合掌

私の行きたい店は最上階にあったため、いくつもエスカレーターを乗り継がなければならなかったのだが、彼は人懐っこい子犬のように、そのあともずっと私についてきた。

「ナニジンニ、ミエル?」

と聞かれたので、ヨーロッパなのは間違いなさそうだが、どこの国だろう…と考えていると、

「コノイロ、ミテ、ワカラナイ?」

と彼は自分の髪の毛を指差ながら、

「バイキングッテ、シッテル?」

と言うので、バイキングか、わかるよ!と答えると、

「ボクノセンゾ、バイキング、ナンダ!!




…ト、オモイタイ。」


と言った。


何その希望的観測

超かわいいんですけど


そんな話をしているうちに、目的の店に到着してしまった。化粧品を選ぶのに少し時間がかかりそうだったため、ありがとね、私はこれから買い物するから、またいつかね!と手を振りバイバイをした。


…つもりだった。


約15分後、会計を済ませて店の外へ出た私は驚いた。

さきほどの彼が立っているではないか。待っていてくれたのだ。

何なの

ダイスキかよ


「ホシイノ、カエター?」

と瞳を覗いてくる彼。その青さに吸い込まれそうになりつつ、おかげさまで買えたよ!と返すと、

「ヨカッタネ、ボクモニホンダイスキ!」

と、再びのダイスキを繰り出してきた。

何その無邪気さ

尊い(合掌

しかし浮かれてばかりはいられない。時計を見ると、もうそろそろ友人との待ち合わせ時間ではないか。上がったテンションとは裏腹に、エスカレーターでぐんぐん下っていく私たち。運命とは残酷なものね。そして彼はポツリと言った。

「ニホンダイスキ、ダカラ、モットイタインダケド、ビザガナイ」

捨てられた子犬のようだった。しかし私にはどうすることもできない。うーん、日本で仕事を見つけて働いたりしてみるとか?と言うと、彼はまっすぐ私の瞳を見てこう言った。

「ハタラキタクハナイ」

いや何その迷いのなさ

「デモ、ビザホシイ」

いや何その実に無駄のない言葉選び

「キミトケッコンシタラ、ビザ、カンタンナンダケドナ」







やられた


まさかのビザ目的


嘘だ




…ト、オモイタイ。



いや、しかしよく考えたらわかることである。誰が好んで私なんかに声をかけようか。

ギターというわかりやすい話のとっかかりアイテム、いかにも疲れていて癒しを求めてますというオーラ、あとなんだ、ぼーっとしたマヌケ面、おまけに猫背。色々とひっかかってくれそうな要素が、たまたま私から溢れ出ていたのだろう。

浮かれた私が馬鹿だった。自分が恥ずかしい。穴があったら入りたい。

…だけど、だけど。

これだけは、教えてほしかった。

じゃあ私、待ち合わせてるからバイバイね!と、できる限りの笑顔で手を振りながら、私は彼に最後の質問をした。

そういえば名前は、何?と。

すると彼は、少し考えてからこう言った。


「……ヨハン!」


いや何その微妙な間


絶対いま考えたろ


もう、私は何も信じられなかった。

でも、彼はきっとヨハンなのだろう。

いや、ヨハンだ。



…ト、オモイタイ。



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