こないだ複雑な状況を離れたところから目撃しました。
「お前が座るところじゃ無い、立てよ!」
響き渡る声。
誰もが振り向いたその先には知的障害らしい男性が
優先席に座る若い女性に怒鳴り続けていました。
彼女は静かに立ち上がると次の駅で降りました。
誰も何も言わなかったのが気になったものの、
私が近くに居ても言えただろうか、と考えました。
いや、無理だ。
ここにはいろんなバイアスがかかっているようでした。
どうして彼は若い女性だけに怒鳴ったのか?
サラリーマンらしき男性も優先席に座っていたのに。
そして怒鳴った彼は女性が降りるとそこに座ったのだから。
誰がどんなことを出来るのだろうか?
ただ、彼女の心の痛みを誰かが摩ってあげられたら。
彼女には疾患があるのかもしれない、
彼女は妊娠しているのかもしれない、
そんな想像力を働かせられるのはどれだけの人達なんだろう。
ふと昨日、フランスから来日した映画『あのこと』の
オードレイ・ディヴァン監督の言葉をまた思い出しました。
「私は中絶の映画を作りたかったわけじゃない。
男性と女性の平等はまだまだで、仕事を続けたくとも
妊娠で仕事が出来なくなる多くが女性であり、
中絶に関しても国により違うが、
日本は中絶にパートナーの同意書が必要と聞いた。
それは自分の身体は自分のものでは無いってことですよね?」
だから監督は、男性にこの映画を観て、妊娠や中絶の恐怖を
実感して欲しかったと、想像出来ないのならば、
映画で体感して欲しいと。
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当事者ではありません。日常のポジティブではない出来事ってなかなか目にすることはないから。きれいなこと。楽しいこと。美味しいこと。そういったものもいいけれど。想像をして心を寄せてもらえることって力になると思います。