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『MOTHER マザー』


7/3公開を前に試写で見て

どうしてもモヤモヤが残り続けてしまい

ここに記すことにします。


『新聞記者』で藤本賞を受賞した

スターサンズの河村プロデューサーによる

17歳の少年がおこした祖父母殺害事件から

着想を得たオリジナル脚本の本作。


『タロウのバカ』でも社会問題に目を向けた

大森立嗣監督の次なる新作です。


冒頭、幼い息子に対して

元気に声をかけ

笑いながら

自転車を漕いで走る秋子の後ろを

必死に追いかける周平。


まるで母性を持ち合わせていないような

主人公の女性が

どんな思いで息子を育て

どんな思いで生きていたのか。


ここが理解出来ずに

ずっと心に引っかかっていました。


けれど秋子に共感するところがあるほうが

心が折れている証になってしまうと

気付いた時に

「共依存」という言葉が浮き上がりました。


これは、簡単に言ってしまうと

自分の存在価値を

相手ありきで考えてしまう依存であり

「私が居なければこの人はダメになってしまう」

「こんな人でも私を必要としてくれる」

と言った自己犠牲をしてしまう人のことであり

この映画では息子の周平が

早くから母親へ共依存になってしまうのです。


では秋子自身はどうなのか?


映画では彼女の幼少期は登場せず

立ち振る舞い、家族構成から

想像するしかないものの

会話で浮き上がってくるのは

両親はそこまで強く叱らず

面倒なことには目を背け

途中、娘の性格に対して諦めてしまい

お金を手渡していたのかもしれない。


もちろん、実家の居心地が良くない秋子にとって

居場所は家ではなく

自分に優しくしてくれる男性となり

彼らに依存することで

「楽に生きられる」ことを

知ってしまったのだとしたら。


秋子自身も男性に依存していると考えると

劇中に登場する男たちへの対応も

合点がいくのです。


そんな秋子が出会い、内縁の夫となる

遼はいったいどんな男なのか?


昼間からゲームセンターで遊び

気さくで、一見、明るくみえるこの男性は

ホストをしながらお金にもルーズ

面倒なことから逃げて

考え方も楽な方へと行ってしまう弱者であり

実は秋子と似ているように思えるのです。


生き方、考え方が、鏡のように合致するから

結局は互いに依存し合い

それでも楽な方を選んでしまう2人に育てられ

彼らの犠牲者になってしまう周平。


この映画のラストのほうで

「私は舐めるように息子を育てた」

という台詞があります。


その伏線となる行為として

冒頭の辺りで幼い周平の膝を母親の秋子は

舐めるのですが

このシーンは大森立嗣監督が

撮影中に思い付いて加えたと言っていました。


彼女は決して舐めるように溺愛して

育てたのではない。


ただ、本能的に動物のように生み育てたのかもしれない。


現に、遼と家族団欒の食事のシーンでは

秋子は幼い娘の横にも、周平の横にも座らず

遼の隣に座るのだから。


けれど、幼い息子にとっては

この経験は刺激的なもので

この世界に生まれ落ちて最初に出会う

母親という異性に

「相手に必要とされることが愛だ」

と教えられてしまったのだから。


人は出会い、気付くことで成長するというけれど

ある時、その化学反応から快感を得てしまい

人をモンスター化させてしまうこともある。


映画はあくまでフィクション。


けれど、人は時に楽な方へと

生きてしまいがちなのかもしれない。


果たして自分は

誰かに、何かに、依存していないか?


何かに依存して

自分自身を見ることから逃げていないか?


今一度、考えてしまうのです。