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以前のこと。


江原啓之さんと映画トークイベントでお会いして

「あなたは、小さい時から

子供が見なくていい世界を見て

人が見なくていい世界を見てきたから

人の心の痛みを癒す仕事をするんですね」


と言われたことが

最近、頭に引っかかり始めました。


あの時、名刺の肩書きに

映画パーソナリティ、心理テストカウンセラー

と書いていて

「人の心を癒せるから

うん、将来はもっとこの「心理カウンター」に

寄っていくんですね」

と言われた時には

いやいや、癒せないし、映画の仕事好きだし

と心の中で争っておりました。


正直、小さい頃から映画をずっと見ていたのは

映画しかテレビで許してもらえなかったのと

現実が辛すぎて、映画に逃げていたからで

夜寝る前に映画を見て

世界を旅する夢が見たかったから。


毎晩毎晩、ずっと夢を見て生きてきて

現実と過去?のような世界を見て

頭がおかしいんじゃないか?

と思いながら大きくなっていきました。


高尚な言葉より

分かりやすい言葉を選ぶのは

私が理解できる、人が理解出来るように

多くを理解してもらいたいから。


都会の真ん中に暮らしていると

見えてくる

自分ごとというオーラをまとった人たちを見て

昔は私もそうだったのかもしれないと

気付かされた。


忙しさがまとわりつくと

人のために何かをするということに

忖度を考えるのかもしれない。


小学生の私は、たしかに

幽霊が見えたり、大人社会の揉め事を見たり

友達のいじめを見たり、いじめられたりして

暗黒時代といえば、その通りで

感情なんか無かった気がする。


忖度やら友達やらどうでもよく

皆から無視されるのもすでに幼稚園で

経験してたからか、怖くなくて

いじめられっ子にも話しかけていたお陰で

先生から彼女の友達認定を受けた。


あの時

友達というものは、人が決めるものなのか

不思議だったし

そもそも陰口を叩いたり

見て見ないふりをする子たちと

仲良くなりたいとも思っていなかったから

まあ、それもありかと納得して

昼ごはんの時間になると彼女と席をくっつけて

給食を食べ

食べきれない彼女を見た先生が

「食べ終わるまで帰しません、居残りです」

と言って

放課後、2人っきりになった教室で

彼女の減らない給食のトレーを眺めていたのを

今でも覚えている。


押し黙ったまま、ポロポロ泣いていた彼女。


その時、私はあの先生が嫌いになった。


初めて人を嫌いと思ったのが

大人だった。


自分で作り上げたルールで

人を傷付けたり、排除する感覚が

理解出来なかった。


そんな私が大人になり

肩書きに縛られたり

肩書きで人からの見え方も変わると

誰かに言われ

捻くれた感情から

「映画パーソナリティ」とか

わけのわからん肩書きを思い付き

「心理テストカウンセラー」とか

ワンクッションある肩書きを思い付いた。


映画評論家という肩書きを

着ける人を非難はしないし

とても勇気があると思うのです。


私はただ、自分の意思で

「何者にでもなれる人」になりたかった。


弱虫という言葉もきっと当てはまる。


だって、人を自分なりの物差しでジャッジする

映画を自分なりの正論でジャッジするなんて

私としては恐ろしいことだから。


知識人といえるほど、社会を知らず

世界を知らない。


自分の経験や人生から生まれた感情による

好みか、そうじゃなかったくらいが

丁度良い。


だから、確かに映画賞の審査員をやることに

なっても、リスペクトだけは忘れずに

自分の心が揺れたところを思い出しながら

今の時代との映画のテーマも合わせて

審査会議に参加する。


映画や芸術を自由に

表現したりするのを止めたら

芸術やエンタテイメントは消えてしまう。


自由に言葉を紡げなくなったら

人自体、必要なくなり、愛もなくなり

AIの世界になってしまう。


昔のいじめられっ子だって

成績良くなくたって、大学に行かなくたって

なりたい自分になれる。


未来、何者になりたいか?


ふと、昔の自分のような

人に流されず、自分で道を選ぶ

強さを取り戻したいと思った。


感情は、しっかり輝かせながら。