この二日間
いや
去年の秋から今年まで
マーティン・スコセッシ監督が来日するたびに
司会をする中で、話しを聞いて、考えさせられていた
映画「沈黙 ーサイレンスー」
28年前にスコセッシ監督が遠藤周作さんの原作と出会い
そこからずっと映画化を考えながら
なかなか脚本を書けずじまいで
再婚して娘が生まれた辺りで
自分自身も成熟して
脚本を書き始めた
と監督は、昨日の会見で話していました。
ちょうど昨日の会見に
出演者の塚本晋也さんもいらしてて
今日の
「沈黙 ーサイレンスー」ジャパンプレミア
舞台挨拶前に昨日の会見のことを話したのだけれど
やっぱり
マーティン・スコセッシ監督の
「未来の若者への不安」
が心に響いたようでした。
窪塚洋介さん演じるキチジローのような
弱者が生きられる場所は果たしてあるのか?
スコセッシ監督はこんなことを言っていました。
現代社会は
益々、強者が、全てエライ、正しい、と思わせてしまう状況になり
弱者は排除されてしまっている。
これは大人やメディアのカラクリでもあるのに
未来を担う若者たちは信じてしまいかねない。
弱者だって、いつから変化する場合もあるし、弱者が悪いなんてことはない。
だからこそ
弱者を受け入れ、抱き締めるような人間になってほしい。
日本で、隠れキリシタンが弾圧されていた時代が舞台であり
恐ろしい処刑の中で、彼らと神父が、信仰とはなんなのか? 神は存在するのか?
と自分自身に問う心の旅であるから
宗教的な映画なのはたしか。
けれど
それを飛び越え
マーティン・スコセッシ監督が描きたかったテーマこそが
人は平等であり、誰も人を罰するほど偉くはなく
真実は全て自分の中にそれぞれが持っている
ということだと
映画を観て、話しを聞いて思ったことでした。
日本を代表する俳優陣が、皆、オーディションで役を勝ち取り
心も身体もスコセッシ監督に委ね
精神的にも肉体的にも過酷な役を、演じきり、今、この笑顔なのだから
スコセッシ監督の魅力というのは
歴代の作品だけではないのですよね。
「サンキュ」という言葉が舞台挨拶で監督から何度も出て
「ありがとうございました」という言葉が俳優陣からも何度も出てた。
「タクシードライバー」
などの狂気に満ちたものでもなく
「ヒューゴの不思議な発明」
のように温かな愛に溢れているでもなく
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」
のギラギラした感情でもなく
愛すべきギャング映画たちが放つ、カッコいい男たちの生き様でもなく
ただただ
苦しく、哀しく、虚しく
それでも
神を信じ、愛を信じ
空を仰ぎながら神の姿を探す人々。
権力を持った人の絶対的な発言がもたらす、恐ろしい問いに
自分だったらどう答えを出すのか。
裸で十字架に貼り付けられ
激しい波に
何度も何度も全身を叩かれるシーンこそが
今でも目に焼き付いている。
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今の時代が、「沈黙と同じような時代になってしまっていると作りながら、スコセッシ監督は感じたのかも?
映画館で確かめたいです。
高校生の私には
マーティン・スコセッシ監督の『いま』の言葉は
凄く興味深いです。
何にせよ
作り手の気持ちは
汲み取りたいと思っています。