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「何に緊張してるかってことなんですよ」


昨日、10/7公開の『バッドガイズ』学生限定お悩み相談試写会で

ファーストサマー・ウイカさんが言った言葉のひとつ。


尾上松也さんとウイカさんが

「将来、インタビューやラジオの仕事をしたいのに緊張してしまう」

という学生からの質問に答える一幕がありました。


私は、映画を紹介すると言っても、テレビで紹介する、記事で紹介する

配信で紹介する、映画舞台挨拶の司会で紹介する

インタビューを通して人と映画を紹介する

という仕事をしているのでこの質問は印象に残りました。


「テレビやステージでインタビューで緊張する」

これが初めての場に緊張しやすいのなら

『場所見知り』なわけで、早めに入り、リハーサルなどで

声を出して慣れておくと良いしだろうし

「見られていることに緊張する」なら

明らかに「自分がどう見られるか」という不安なわけです。


これについてはウイカさんは「そこにいる人たちを見る」と話していて

あぁ、なんであんな格好で来たんだろうとか、めやについてるな

とか意識を変えて立つことで、自然と緊張しなくなると語りました。


インタビューも同様なんですが

その人にどう思われるかで緊張するなら

それは「視点が自分」になっているから。


『人に緊張する』というのは

人にどう思われるか気になるという意識下の感情が

表面化したもの。


不思議なもので会話がスムーズに運ぶのは、

視点が自分から相手へと向かった時からになります。


自分のことよりその人への興味。


これはどんなシチュエーションでも言えることで、

相手を感じながら話す方が内容が耳に入りやすいんです。


プレゼンテーションで成果を見せたいなら

カッコよくひとり喋りより、話しかけるように説明すること。


その方が緊張もなくなり、場所と一体化していけます。




話はそれましたが『バッドガイズ』はね、悪いやつが良いやつになる

お話ではなく、悪いやつが自分の良いところを

他者との関わりで見つけて、褒められる喜びを知り

ありのままの自分を受け入れるといったアドラー心理みたいな

映画で興味深いのです。


自分はどうせ嫌われ者だから、ではなく、自分の悪いところも

良いところも心に受け入れて、自分を好きになることで

生きやすくなる、という自己肯定感を増やす映画。


それって案外、誰かの役に立ち

感謝されることで得られるものです。


私って良いやつ、褒められたいやつ、

くらいで自分の幸福度を上げるのも楽しいです。


あとは、自分の良いところも悪いところも全部まとめて好きやでー!

な人の方が堂々としていて魅力的。


『川っぺりムコリッタ』を手伝うことになり、
ドキドキしたシーンも含め、
もう一度観ることにした。

それ以外は全部ステキなのに、
たった一ヶ所のセリフ、
私のトラウマが邪魔をする。

そしてそのシーンを観た時、気づいた。
あらかじめこんなシーンがあると分かっていると大丈夫だった。

ムロさん演じる男が年老いたら父はあんな感じ。
そしてあそこで暮らしたように思える。
もっと偏屈でもっと無礼だろうけど。

死の淵を覗いてしまう人に会ったり話したりした時の
静かな表情を今も思い出す。

映画はそんな黄泉の世界の手前みたいな穏やかな作品。

嘘みたいな話をすると、
死んだ父が夢枕に立って黄泉の国を案内してくれたことがある。

父は大きな門をくぐった入り口付近の平家に住んでいて
がらんとした畳の部屋から現世を眺めているという。
良い行いをした人達はもっと奥の建物に住んでいて、
自分は門の入り口の砂利掃除が仕事だと笑った。
レレレのおじさんみたいな木の箒を見せてくれた。
お寺みたいなところだった。

だから私は死後が怖くない、不思議と。



ルポライター杉山春さんと

ポレポレ東中野で上映中の『ほどけそうな、息』でご挨拶が出来た。


以前、講演に参加して、その内容が興味深く、本を読んでいたので

児童相談所の方や杉山さんのような現場取材者の

トークショー付きの上映は嬉しかった。


記事を書いたのでこちら是非↓

それからまだ読んでいなかった書籍

「児童虐待から考える」を手にして読み終えた。


これを読むと

社会からこぼれ落ち、助けを求められない特徴を持った人達が、

事件を起こしてしまうことが多いと気付かされる。


先のことが考えられない、

こうなったらどうなるかという予測がつかない、

子育てが分からないから自己流でやったら命が消えた。


自分がネグレクトを受けて、暴力を受けて生き延びたから

自分の子どもも大丈夫だと思った。


お手本が間違えるとどんどん連鎖は起こる。

悪意がないことだってある。


それを安易に善悪で簡単に割り振りしてはいけない。


加害者が被害者だったことは実は多いのだから。


日本でもそんな映画をどんどん作って欲しい。


その時は、自傷シーンも暴力シーンも、

刺激を求めて再現を的確になんて考えないで欲しい。

大切なのはそこではないのだし、

人によってはフラッシュバックが起こることを予想し。


その場合、監督や脚本家なりの救済方法を描いて欲しい。


救済を描く、命の大切さに気付かされる、映画を生み出して欲しい。


そう考えると『プロミシング・ヤング・ウーマン』って上手い。


強姦シーンも自死シーンも暴力シーンも映されない。

でもちゃんと観客に伝わるんだから。


強姦や自死が引き起こす人生を描く映画のお手本な気がした。



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