FINDERSでの「新型コロナと戦うミニシアター」
緊急連載を読んでいただきありがとうございます。
とにかく早く記事アップしなければという思いで
企画会議をリモートでして
その次の日には濱口竜介監督に
ZOOMインタビューして
その次の日の午前中に
ユーロスペースの北條支配人と電話インタビュー
その後すぐに
ポレポレ東中野、下北沢トリウッドの大槻支配人と
ZOOMインタビューをして
その日のうちに文字起こし、原稿を書いて
翌週には、編集者の方が構成をしてくれ
皆さん、文字チェックもすぐに返してくれるという
驚く速さで記事3回分を連続アップしてくれたことが
とても嬉しかったのです。
いつもは普通にユーロスペースに映画を観に行ったり
舞台挨拶の司会をしたりで
お話している北條支配人の言葉は
ミニシアター全体を危惧していて
愛に溢れていて
泣けてしまい、泣けてしまい。
ポレポレ東中野は昔、監督とのトークショーで
お邪魔したり、映画も観に行っていて
大槻支配人は、大変な状況なのに
スタッフを心配させないように
お金の工面に走り回りながら前向きで。
『赤目四十八瀧心中未遂』の荒戸監督の話は
私も東京国際映画祭で司会をしていたので
思い出深くて、気付けば40分も話してしまい。
4/26の今日18時に特集記事の最後となる
大槻支配人のインタビューが第三回目として
FINDERSで配信となります。
読んで欲しいです。
https://finders.me/articles.php?id=1903
正直、コロナ禍によって
映画の舞台挨拶やインタビュー番組が
ほぼメインだったので、仕事が随分無くなり
家で過ごしながら
「自分にとって映画とは?」を考えていたんですよ。
そもそも、小学生の時からテレビで見ていた
ロードショーでの
淀川長治さんの映画解説が好きで
あぁやって、映画を観たいと思わせる
魅力的な喋り方が出来る人間になりたい
からがスタートだったのだけど。
ひとり部屋も無くて
狭い家の中でTVの権利も無いまま
唯一、父親との趣味が一致して
TVで楽しみにしていたのが映画で
映画に救われて育っていって
高校生の時に、
有楽町スバル座でタダで映画を見せてもらえるから
隣の喫茶店でバイトをして
家を飛び出して
20歳の一人暮らしでは毎晩毎晩
レンタル屋で映画を借りてきて
現実逃避サイコー!と思って
心の支えだった気がするのです。
あぁ、こう書いてると根暗ですなw
東京生まれだから
映画やエンタメが身近で
ネットが無くても
映画雑誌のある本屋や、映画館や、名画座や
ミニシアターや、レンタルビデオ屋が
すぐそこにあって
私の居場所は、至るところに広がっていって
ひとりの家に帰るのが寂しくても
立ち寄る楽しみがあったのだから。
今、コロナで出歩けなくなり
家の中のDVDや、ネット配信で映画を気軽に
見られたり
人ともネット上で気軽に話せたりする
世の中になって
皆の映画レビューや映画の評論を読みながら
自分が映画の為に役立っているのかなぁ?
と考えていたんです。
「伊藤さとりと映画な仲間たち」
を始めた理由だって
新作映画の紹介と、その映画に出ている人たちが
好きな旧作映画について話してくれたら
きっと、もっといっぱいの人が映画に興味を持つに違いない
と、そんな理由なんですよ。
ただの映画好きが大人になって
唯一の趣味のお陰で
グレずに、しかも大学に行ってなくとも
好きなことを仕事に出来た
映画への恩返しをしたいだけなのかもしれない。
だから、映画館が無くなってはいけないんです。
だって、淀川長治さんとは違う形だけれど
映画館でマイクを持って
映画を紹介する仕事につけていたのだし
映画好きな仲間たちと
監督や俳優たちからトリビアな話を聞ける
特権まで貰えたのだから。
私にとって、映画とは
育ててくれた大好きな恩師なのだ、
とやっと気付いたってところでしょうか。
だから、偉そうなことは言えないんだなw