2019年ラストデイ。
こんな日に思いついたことといえば
このタイトル「パーフェクトな善人なんていない」
であります。
映画「二人のローマ教皇」を見た時に
思い浮かんだ言葉でもあるのだけど。
現在、Netflixで見られる
ゴールデングローブ賞ノミネートにも
名を連ねる
名優アンソニー・ホプキンスが
保守派のローマ教皇を演じ
ジョナサン・プライスが
彼の考えに賛同できない
リベラルの枢機卿を演じた
2012年にバチカンで起こった実話の映画化なのです。
監督もこれまた社会に問題提議をする
映画「シティ・オブ・ゴッド」を撮った
フェルナンド・メイレレス監督だもんだから
まぁ、人間の心という摩訶不思議なものを
見事なまでに対話で表現してくれ
見応え充分な社会派ヒューマンドラマでした。
アンソニー・ホプキンス教皇は
同性愛反対派であり、昔ながらの考えを
守ろうとする見た目も行動も威厳がある人。
ジョナサン・プライス枢機卿は
もっとフリーダムな考えで、もっと市民に近く
アルゼンチンという地元を愛する庶民的な人。
宗教も政治と繋がっており
とても興味深いテーマなのだけど
この映画をもっと身近に感じられるのが
本当に聖人は居るのか?
人のリーダーになる
もしくは人に過ちを諭す人は
誰もが聖人なのか?
ということなんです。
今の世の中
誰かが、過ちを犯すと
その人のことや、その出来事を
しっかり調べもせずに
陪審員のようにネットで叩くのが当たり前に
なってきている気がするんですね。
神に仕える人は
生まれて今までずっと善人なのでしょうか?
そうだとしたらスゴイ。
そして、他人の過ちに対して避難する人たちって
自分の人生はずっと善人だったと
言い切れるんだろうか?
自分の人生、懺悔なく生きて来られる人なんて
いるんだろうか?
この映画が本来、伝えようとしているのは
「過ちを犯さない人間なんていない」
ということ。
そしてもうひとつ
「その過ちを悔いているのなら
許す心を持つこと
相手を善人に変えるチャンスを作れるのも
他者の許しだということ」
ちなみに私は無宗教の凡人ですが
善人になりたいと思いながら
懺悔をしてばかりいる人生ですよ。
2020年になる前に
怒りや憎しみを捨て
自分の過ちにも懺悔して
新しい年をクリアな心で
誰もが迎えられますように。
そんなことを祈って
今夜は夢の中に飛び込みます。