月別アーカイブ / 2018年01月
(映画評ではない)コーチングで夢を叶える「グレイテスト・ショーマン」
大雪の東京で
満足感と相まって
ここまで私的な気分で
ギュッギュッと雪を鳴らしながら
静まり返った渋谷の裏道を
歩いて帰るとは思わなかった。
ヒュー・ジャックマンが
実在した伝説の興行師P.T.バーナムを演じ
歌とダンスで魅了する
「グレイテスト・ショーマン」
貧乏育ちのバーナムは
生きる為に
アイデアで自分の世界を変え
家族の為に稼ごうと
誰も思いつかなかった
奇抜な発想で
夢を叶え
人を笑顔にしたエンターテナー。
目もくらむ美術と衣装
激しいダンスと力強い歌により
特異なスタイルの人々が
見事なショーを見せ
興奮と感動をスクリーンの中の観客に
プレゼントするどころか
スクリーンの外の私たちにまで
届けてくれる。
この映画には沢山のテーマが詰まっていたし
見る人によって
響くポイントが違うのかもしれない。
その1「夢でお金を手にしたい人へ」
バーナムは貧しかったから
生きる為にはお金が必要で
自分でお金を生むためには
発明(アイデア)が大事、と言っていて
沢山のアイデアを取り敢えず形にし
信頼できる子供のアドバイスを取り入れ
バージョンアップしながら
「人が楽しいと思うこと」
を作り上げていった。
その2「自分プロデュースに悩んでいる人へ」
バーナムは
人からどう見られるかを
当初意識せず
誹謗中傷さえも
帽子にその言葉を着けてかぶるくらい
自分のキャラクターにしてしまう
強さがあった。
発言する強さ、自分がどう見られているかも
それも一つだと、笑顔で受け入れられる強さ。
他者の評価も自分なんだと受け入れ
なにより味方である妻や子供の言葉を信じた。
その3「もう一皮向けたい人へ」
そんな時
バーナムは自分に持っていないものを持つ
パートナーを探した。
断られても断られても
ラブコールを送り、交渉を続けたことで
サーカスの新しい手法を見つけ出した。
その4「結婚について親になることに不安な人へ」
そもそも結婚はお金がかかる
そもそも子供を持つということはお金がかかる
そう思ってもし躊躇しているならば
バーナムから面白い夫婦論子育て論を学べる。
バーナムは貧乏だから
家族を養う為に
頭でお金が稼げる方法を生み出していた。
時には妻や子供に手伝ってもらい
体験してもらうことで
家族も自分ごとになり
夢を一緒に叶える喜びを味わってもらった。
その5「特異な境遇、風貌に苦しんでいる人へ」
このテーマはとてもセンシティブ。
だから私なりの経験からバーナムに教わった
ことを書き留める。
うちの父は偏見の塊と言っていいほど
酷い偏見の持ち主だった。
在日の友達を持つ母に
「友達になんてなるな、みっともない」
と言い
左利きの私に
「女が左利きだなんて、恥ずかしい。かたわみたいなものだから治せ」
と言い
「女は黙って、ただ、ハイ、ハイ
と言えばいいんだ。
お前は質問ばかりでうるさい」
と言われた。
そのくせ、平均的な家庭より貧しかったから
狭いアパートに皆で川の字に寝ていて
「友達を絶対家に呼ぶな」
と言い放っていた。
そんな私の小学校の友達は
通常のサイズより頭が大きな女の子で
想像通り
クラスでは
酷いあだ名をつけられ、誰も話さず
寄り付かないというイジメにあっていた。
仲良くするだけで
クラス中から無視されたけれど
そんなバカな子供たちと仲良くしなくて
すんだから楽だった。
何故、人は自分と違う境遇、風貌の人に対して
攻撃するのか?
父を見て、クラスのイジメっ子を見て
「この人は弱いのだ」
「この人は何処かで虐げられてるのかも」
そう気付いた小学時代。
私は彼女がとても優しいのを知っている。
彼女の家では私に沢山の本を見せてくれ
オモチャをくれたことも覚えている。
そして自分の風貌に彼ら彼女ら以上に悩み
外では帽子をかぶり、下ばかりみていたことを
今でも覚えている。
そして今
それは外見だけではなく
生き方に対することまで及び
人それぞれの考えから相手に放つ
些細な言葉から
どれだけ偏見に溢れているかも実感する。
「大学出てないと良い仕事にはつけない」
「バイリンガルじゃなければラジオの仕事は出来ない」
「仕事をバリバリしている女の人は家庭を守れない」
「40過ぎた貴女は子供が産めるか分からないし
子供は健常者であってほしいから結婚は無理」
「離婚なんて子供が可哀想。
そんな人には仕事をお願いしたくない」
「子供が騒ぐのはしつけがなってないから。
落ち着きない子は外食には出さないで欲しい。
あんなに落ち着きがないから
将来、その子が心配だ」
大人になっても
色んな言葉が耳を通り過ぎた。
それぞれの考えは
私にとっては
偏見であり
その人にとっては事実なんだと思う。
「グレイテスト・ショーマン」
には
沢山の社会の弱者と言われる人々が
声を大にして内に秘めた想いを
歌い上げる。
それは全て
偏見という物差しで
人を判断する人たちへ
負けそうになる自分に向けて
自分自身の強さを唱える言葉。
まるでコーチングのように
人に負けない、自分に負けない
自分に向けての応援歌のような映画。
自分の人生を非難する権利は
当事者以外の誰も持てない。
大切なのは
「なんのために生きているのか?」
劇中のバーナムのこの言葉が今でも
心に刻まれている。
映画から学ぶ人類学
公開を前に
多くの人から称賛の声が上がる
「ぼくの名前はズッキーニ」
ただ単に
以前からストップモーションアニメーションが
好きであり
子供たちが主人公というだけで
心踊り
最終試写へ。
66分の映画の物語を少しでも語るのは
野暮な気がしながら
この映画がいかに
「人として生まれて」
という原点から
「生きる意味」について教えてくれるかを
伝えたくてブログを書くことにした次第です。
冒頭の少年ズッキーニの虚ろな目から
この子がどうやって育ってきているか
さりげない写真立て、散らかった部屋から
この家の家庭環境が見えてくる。
これをマペットアニメーションで表現する
凄さに驚かされ
そのうち
そんな技術的なことはどうでもよくなるほど
ズッキーニ少年の今後が気になり
物語に入り込んでいった。
映画とは
そもそも、そういう事なんだよな。
技術面や役者が誰かや、演技なんて
どうでもよくなるくらいの映画が
結果的に胸を震わせ
自分の心に手を当てて考えてしまったなら
生涯忘れられない作品になる。
まもなく公開される
「デトロイト」だってそう。
キャスリン・ビグロー監督が描く
過去、デトロイトで起こった黒人差別からの
悲惨な事件をベースにした映画だって
有名な俳優は少なく
気付けば
この事件の発端となる
人種差別や
命の軽視について綴っているのであって
気持ち良くなる映画ではない。
昔
東京国際映画祭の司会をしていた時のこと。
上映後のティーチインで
ひとりの初老の男性が
監督に向かって
「私は、映画には娯楽を求めている。なぜ、こんな気分が暗くなる作品を作ったのか?」
と尋ねてきたことがあったのですよ。
その監督は微笑むとこう言い放った。
「あなたにとって映画は楽しいもの、と思うのはそれでいいと思いますが、私にとっては、そうではない。悲喜交々が人生であり、辛いことも時には人々の心に何かを訴える力になるのです」
人類の危機を宇宙人到来で描くのも映画。
けれど
上記の異なる2作のように
人類の危機を、そこに居る人々で描くのも映画。
「ぼくの名前はズッキーニ」のように
子供を育てる人の誰もが愛情を持っているとは限らないけれど
血の繋がらない人や友達がその子に愛を注ぐことで
その子の人生は明るくなり
未来を担う彼らが世界を変えること
そして
命の尊さを学ぶことを教えてくれるのも映画。
「デトロイト」のように
自分とは違う姿形の人に対する偏見こそが
凶器であり
浅はかで陳腐な考えが集団や権力を持つと
正しいと思え、人を殺してしまうという警告を
描くのも映画。
良い人、心無い人を描き
その中で
自分がどう感じ
どう行動すればいいか考えた時
忘れられない作品になり
あなたにとっての名作になるんじゃないかと
私は思う。