月別アーカイブ / 2016年06月



最近観た中で

この映画は

映画の枠を越えておりました。


気付かないうちに授業を受けている気分になっているというか。


「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」


8/6 公開よ。


実話が元になったフランス映画でして

俗にいう落ちこぼれ生徒たちのクラスを受けおうことになったアンヌ先生が

これまたサイコーな先生なのです。


どんな悪態にも屈しない。


「私は教えることが大好き。でもつまらない授業はしないわ」


と言い切れるかっこよさ。


この映画を観た時

人の才能を伸ばすということは

その人のことを決して諦めず、見放さず、信じ続けるという力。


そして、興味を持たせ、調べたいと思わせる導き方なのだと。


観て良かった。


伝えたい映画と心から思う映画って

こういった観る人も学びがあり

知らなければいけない歴史もあり

未来を担う子供たちと、どう大人が対峙していくのがベストなのか

ヒントをくれる映画。


そういった意味では

「暗殺教室」の殺センセーも

生徒を楽しませながら、生徒たちに仲間と一丸になることや

情熱を注ぐことの素晴らしさを教えてくれる良い先生。



そして

何度も観た

学びたくなる先生のひとりには

「陽のあたる教室」

ホランド先生こと、リチャード・ドレイファス先生がいた。



音楽を通して

学生たちと心を通わせ

教えることで自分も成長していった先生。


「人が何と言おうと、したいと思うことをするんだ」


人からどう思われるかより、自分の心に忠実であれ!


ですよ、響いたなー当時。


続いて

私の大好きな先生

キーティング先生ことロビン・ウィリアムズ先生の

「いまを生きる」


「今を生きろ、若者たちよ。

   素晴らしい人生をつかむのだ」


破天荒な先生から学ぶ言葉の数々。


後ろばかりを見ずに前を見て、今を大事に生きたら、それは未来に繋がってるよ。

という教え。


私はこの映画から

今を大事に、今出来ることを大切にコツコツやるぞー!

と分かりやすく影響された乙女時代でありました。


どーなんだろう?


やりたいことをやって

随分とポジティブに生きてきたけれど

この先って

確かに

どんどん気付けば歳をとり

いつの間にか先人になり

出会った映画の楽しさ素晴らしさを伝えていけたらと思うし

沢山の素晴らしい映画人を紹介出来る小森のおばちゃまのような映画の小部屋を持つ

さとりおばちゃまになれたらとふと思う。


若者たちが憧れる背中を持ったおばちゃまになりたい。


何より

娘が誇れる母の背中でありたい。


その為には

一生楽しみながら学ぶことなんだと思う。


助言をくれる人々に感謝と柔軟な頭を持ち続けることなんだろう、と。


そんなことを思う6月最後の日

初めて

ママの立場で七夕の短冊を書いた夜だった。



ご無沙汰です。


ブログをなかなか書けなかったのは

なかなか喉の調子が治らず

そそくさと寝ていたからという(苦笑)


写真は

日テレで後編一挙放送となっていた

「ハリー・ポッター」の最後放送。


「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」


LINELIVE 実況放送番組での一枚。


リアルタイムで「ハリー・ポッター」来日舞台挨拶やイベントの司会をしてきて

「ハリー・ポッター」は自然と身体に染み付いた存在であったものの

生放送で、解説しながら進行ともなると

自分の知識なんか飛び越えた人たちのLINEの書き込みがあるだろうし

と全編見直し、原作を全巻愛読していた姉から本を再び借り

「あたしはポッタリアンじゃないから」

と謙遜しながら

どんな質問にも答えられてしまう

隠れポッタリアンな姉とネタ合わせ(質問=解答)とかしちゃうまして

挑んだ本番でした。


愛すべき私にとってのスネイプ先生。


いや、あの助言と風格はダンブルドア校長か?


相棒というなら、賢いハーマイオニーか?


ありがとう、姉よ。


でも

さすがにスピードワゴンの2人に突然、質問され、名前をド忘れしたりした時とか

ポッタリアンさんがLINEに書き込んで助けてくれたりと

LIVEでファンの多いシリーズものの解説の大変さと

ファンが多いからこそ同時に体感出来る感動や

顔の見えない視聴者の人たちと繋がってる面白さに気付かされた夜でありました。


とても勉強になった夜だった。


見てくれた皆さん、ありがとうございました。


そして

ダンブルドア校長が、ハリー達より昔、気に入っていた生徒、幻の動物を愛したニュート・スキャマンダーの物語

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」


11/23の公開が楽しみでならない。



予告編でニュートのカバンの中に

マフラーが入っていて、そこから

魔法魔術学校ではハッフルパフ寮生だったことも分かり。


1929年のニューヨークが舞台というのも公表されている。


益々、楽しみが膨らんでくる。



魔法ね。


魔法を使って何がしたい?


こないだ

元読者モデルの友達がこんな相談をしてきまして。

「老いていくことが怖い。どんどん若い子が仕事場に増えて来て、自信がなくなって存在価値もわからなくなったの」

と。


彼女は私より1つ上なのだけど

今でもとても美しく、見た目だって40代には見えない働くママ。


どうしてそんなことに悩むんだろうと聞いていたら

外見ばかりを評価され、生きてきたからでした。


話しも面白くって、面倒見もよく、仕事も出来る。

気遣いの達人過ぎて疲れるんじゃないか? と心配になるくらい。


美人にも美人なりの悩みはある。


こないだ鈴木おさむさんとお仕事した時

「ブスはブスと言われたことをすべて覚えている」

しかり

人をその人から見た外見だけで決め付け、口にすると

後にその人の人生を左右してしまうかも〜っ(-。-;


怖いですねー、だから、簡単に口にしちゃならん。


だけどね


「老いる=美しくなくなる」


の定義が摩訶不思議。



土曜日に

「ふきげんな過去」

初日舞台挨拶でご一緒してた小泉今日子さんは

年齢の重ね方が美しく、それは外見にも現れていたのよ。


ナチュラルに年齢を受け止め、それを楽しみ

自分が今やれることを大いに楽しんでいる感じというか。


舞台、映画、ドラマ、エッセイ。


無理に若作りせず、似合う髪型、似合う服装、シワだってチャーミング。


このお仕事をしていますと、顔を色々やられている方にも遭遇するのですが

やり過ぎてしまうと表情さえ、引きつってしまう。


今、公開中の「64」の撮影カメラマンさんの手腕は

男のシワひとつひとつを物語に溶け込ませ、彼らの感情を見事に映し出し

佐藤浩市さん、永瀬正敏さん、緒形直人さん、三浦友和さん、奥田瑛二さん

皆、たまらなくカッコいい!


美しさやかっこよさは、若さではなく生き様が顔に出ている人。


知識や考え方を言えることこそが魅力的だよー!


若さで判断するような人は、その人こそ幼稚なんだ!


と友達に断言していた次第です。


とはいえ、、、


顔が垂れないように

毎晩、カッサでマッサージしたり

シャワーだけになる日は、マッサージマシーンに脚を入れたりと

浮腫まないようにしている努力がなんとか報われますように。


と毎日願ってる(笑)



映画「葛城事件」の葛城親子は実はこんなにチャーミングであり

自身の劇団 THE SHAMPOO HATの舞台から映画へと更に進化させた

赤堀雅秋監督は、この映画を「希望のある物語」と言う

面白い才能の持ち主で、興味深い監督さんであります。


舞台では

三浦友和さん演じるモンスターペアレンツと言える父

葛城清を赤堀監督自身が演じ

若葉竜也さん演じる通り魔殺人事件を起こす次男を

映画で長男を演じた新井浩文さんが演じました。


新井浩文初舞台。


殺人を犯してしまった少年の家族は果たしてどんな家庭だったのか?


そして、どうやって崩壊していったのか?


内容だけ聞いても、とても見たかった。


大盛況の舞台という噂で、当時、見に行くのを諦めたことを思い出す。


そして

赤堀監督の映画監督1作目「その夜の侍」がとても好きだった。


司会をしながら

話を聞くのが楽しくて楽しくて

決して楽しい映画ではなく。


復讐に執着した男の話なのだけど、堺雅人さん演じる主人公しかり

山田孝之くん演じるとんでもなくイヤな男しかり

それに流されてしまう谷村美月ちゃん演じる女性しかり

その人たちの行動から、考えていることを知りたくて知りたくて仕方がない

魔力を持つ映画だったから。 


この赤堀雅秋監督の才能を舞台の頃から目をつけ

「その夜の侍」で映画監督デビューへと導いた

藤村プロデューサー。


そして藤村プロデューサーによる

赤堀監督の映画2作目

「葛城事件」初日の今日。


何故、次男の稔は、無差別通り魔殺人事件を犯したのか?


何故、父・清は、あそこまで絶対政権を振りかざし、偉大な父として君臨しようとしていたのか?


何故、母・伸子(南果歩さん)は、そんな夫と別れずにずっと黙ってそこに佇んでいたのか?


ひとつの仕草、その時の口調だけで、興味が湧く、その脚本と演技力。


長男の保が、家族に何も言えないのは、きっと父親に何を言っても無駄だと悟って

諦めてしまっているから、反発することさえ許されずに育ったから

人との真正面からの対話や戦い方が、分からなかったんだと思う。


そして

稔に獄中結婚を申し出た星野順子(田中麗奈さん)は

何故、そこまで見ず知らずの稔に、光を見ようと執着したのか?


通常では

理解出来ない人々の心理なのだけれど

何故か、何処かで「分かりそう」な自分に突然、気付かされた映画だった。


人の心の細やかな動きからどうやって人が感じ、そこから行動していくのか?


こんな丁寧に、愛を持って、一人一人を描き出した脚本。


役者もそれは演じがいある難役で、惹かれるに違いなく。


田中麗奈さんの今日の舞台挨拶での言葉がそれを意味していた。

「葛城清は、どこか憎めない。それは、根底には家族への愛があるからだと思う」


「夏の暑い中、短期間の撮影だし、色々、大変だなと一度お断りしたんです。

でも後になって、私がやらなかったら他にあの人がやるだろうな?と数人の俳優の人の顔が浮かんで。

そう思ったら、絶対(清を)やりたいと思い直したんですよ」


三浦友和さんは舞台挨拶でそう口にしていた。


まったく自分とは関係のない家族の話し。


果たしてそうなのかな?


時々、見かけるこんな家族。


何処からいつから道を踏み外したか?


見終わったら、そのことが気になって仕方がなくて。


気付いたら自分ごとのように考えている映画だったのですよ。

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