お知らせ

私は、どうしても引っかかってしまう箇所が存在する映画があると

その感覚を大事にしている。


何故、引っかかるのか、どうしてそう感じたのか、この囚われはなんなのか?


引っかかるものがある作品は、

そこ以外が素晴らしいと感じているものが多く、

引っかかりに悔しさを覚える。


時間をかけて答えを自分なりに見出した時は紹介しない

タイトルを出さないという選択を取る。


その映画を他の人がどう評価しようとその人の感性なのだから

親しい関係で議論しあえる以外は、否定するのは失礼な話。


それでも映画賞の審査となると顔を合わせてとことん議論をする。


そこには年齢も性別も関係ない。


この感覚は大体にして、命に関わること、心的影響面で良くないこと

と思う表現についてが多く、映画賞審査の場合は特に大事にしている。


好き嫌いではなく、話題性でもなく、お手本とすべき映画か?


審査するとはそういうことだと個人的には思っている。


刺激の強い作品は、エッジが効いていると履き違えてはいけない。


ジェンダーバランスも意識出来ているか

テーマも増やしていきたい問題か?


人の心にどう影響を及ぼすかで映画から社会を変えていくことを

信じる作り手や評論家が増えたらと

生意気にも思うんですよね。



「何に緊張してるかってことなんですよ」


昨日、10/7公開の『バッドガイズ』学生限定お悩み相談試写会で

ファーストサマー・ウイカさんが言った言葉のひとつ。


尾上松也さんとウイカさんが

「将来、インタビューやラジオの仕事をしたいのに緊張してしまう」

という学生からの質問に答える一幕がありました。


私は、映画を紹介すると言っても、テレビで紹介する、記事で紹介する

配信で紹介する、映画舞台挨拶の司会で紹介する

インタビューを通して人と映画を紹介する

という仕事をしているのでこの質問は印象に残りました。


「テレビやステージでインタビューで緊張する」

これが初めての場に緊張しやすいのなら

『場所見知り』なわけで、早めに入り、リハーサルなどで

声を出して慣れておくと良いしだろうし

「見られていることに緊張する」なら

明らかに「自分がどう見られるか」という不安なわけです。


これについてはウイカさんは「そこにいる人たちを見る」と話していて

あぁ、なんであんな格好で来たんだろうとか、めやについてるな

とか意識を変えて立つことで、自然と緊張しなくなると語りました。


インタビューも同様なんですが

その人にどう思われるかで緊張するなら

それは「視点が自分」になっているから。


『人に緊張する』というのは

人にどう思われるか気になるという意識下の感情が

表面化したもの。


不思議なもので会話がスムーズに運ぶのは、

視点が自分から相手へと向かった時からになります。


自分のことよりその人への興味。


これはどんなシチュエーションでも言えることで、

相手を感じながら話す方が内容が耳に入りやすいんです。


プレゼンテーションで成果を見せたいなら

カッコよくひとり喋りより、話しかけるように説明すること。


その方が緊張もなくなり、場所と一体化していけます。




話はそれましたが『バッドガイズ』はね、悪いやつが良いやつになる

お話ではなく、悪いやつが自分の良いところを

他者との関わりで見つけて、褒められる喜びを知り

ありのままの自分を受け入れるといったアドラー心理みたいな

映画で興味深いのです。


自分はどうせ嫌われ者だから、ではなく、自分の悪いところも

良いところも心に受け入れて、自分を好きになることで

生きやすくなる、という自己肯定感を増やす映画。


それって案外、誰かの役に立ち

感謝されることで得られるものです。


私って良いやつ、褒められたいやつ、

くらいで自分の幸福度を上げるのも楽しいです。


あとは、自分の良いところも悪いところも全部まとめて好きやでー!

な人の方が堂々としていて魅力的。


『川っぺりムコリッタ』を手伝うことになり、
ドキドキしたシーンも含め、
もう一度観ることにした。

それ以外は全部ステキなのに、
たった一ヶ所のセリフ、
私のトラウマが邪魔をする。

そしてそのシーンを観た時、気づいた。
あらかじめこんなシーンがあると分かっていると大丈夫だった。

ムロさん演じる男が年老いたら父はあんな感じ。
そしてあそこで暮らしたように思える。
もっと偏屈でもっと無礼だろうけど。

死の淵を覗いてしまう人に会ったり話したりした時の
静かな表情を今も思い出す。

映画はそんな黄泉の世界の手前みたいな穏やかな作品。

嘘みたいな話をすると、
死んだ父が夢枕に立って黄泉の国を案内してくれたことがある。

父は大きな門をくぐった入り口付近の平家に住んでいて
がらんとした畳の部屋から現世を眺めているという。
良い行いをした人達はもっと奥の建物に住んでいて、
自分は門の入り口の砂利掃除が仕事だと笑った。
レレレのおじさんみたいな木の箒を見せてくれた。
お寺みたいなところだった。

だから私は死後が怖くない、不思議と。


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