お知らせ


こないだ複雑な状況を離れたところから目撃しました。


「お前が座るところじゃ無い、立てよ!」


響き渡る声。


誰もが振り向いたその先には知的障害らしい男性が

優先席に座る若い女性に怒鳴り続けていました。


彼女は静かに立ち上がると次の駅で降りました。


誰も何も言わなかったのが気になったものの、

私が近くに居ても言えただろうか、と考えました。


いや、無理だ。


ここにはいろんなバイアスがかかっているようでした。


どうして彼は若い女性だけに怒鳴ったのか?


サラリーマンらしき男性も優先席に座っていたのに。


そして怒鳴った彼は女性が降りるとそこに座ったのだから。


誰がどんなことを出来るのだろうか?


ただ、彼女の心の痛みを誰かが摩ってあげられたら。


彼女には疾患があるのかもしれない、

彼女は妊娠しているのかもしれない、

そんな想像力を働かせられるのはどれだけの人達なんだろう。


ふと昨日、フランスから来日した映画『あのこと』の

オードレイ・ディヴァン監督の言葉をまた思い出しました。


「私は中絶の映画を作りたかったわけじゃない。

男性と女性の平等はまだまだで、仕事を続けたくとも

妊娠で仕事が出来なくなる多くが女性であり、

中絶に関しても国により違うが、

日本は中絶にパートナーの同意書が必要と聞いた。

それは自分の身体は自分のものでは無いってことですよね?」


だから監督は、男性にこの映画を観て、妊娠や中絶の恐怖を

実感して欲しかったと、想像出来ないのならば、

映画で体感して欲しいと。




木村拓哉さんに会った時

この人はスゴイと思ったんです。


会った瞬間に

「伊藤さんよろしくお願いします、木村拓哉です」

と言って来たから。


沢山の人に会うし、覚えなければいけないことがあっても

目の前の人の名前だけは言えるように。


何かのインタビューで後で知ったけれど、スタッフの名前も

言えるように意識しているって書いてありました。


私も色んな現場で沢山の人に会う。


なるべく言えるように、そば耳を立てて覚える。


その理由は、時々、自分が透明人間になる感覚を覚えるから。


MCという仕事をすると、タレントや俳優との打ち合わせで

目の前にいるのに、紹介もされず

名前を呼ばれずにMCとずっと言われながら

進行説明をされることも時々、体験するんです。


きっとその人は無意識に目の前のタレントへの配慮ばかりを意識して

一緒懸命、説明しているんだろうと思うんです。


もう長いこと、映画のMCになったり

ゲスト解説の立場になったりを繰り返すと

人に格差を付けるのは、その人の無意識のバイアスなんだと

考えてしまいます。


名前のない人なんて居ない、大切にしなくて良い人なんて居ない

感謝して生きていきたいけれど

目が行き届かない、覚えきれない。


それでも出来る限り、気づける限り

人に感謝して交流したいと

とても多くの人と出逢うから思うのです。


毎回そんなことに気づかされては

自分の至らなさに反省するのだけど

そんな時、『ミセス・ハリス、パリへ行く』を試写で見て

大好きになりました。


未亡人で家政婦のミセス・ハリスが、幸せな気持ちになれる為に

必要と気づいたのは、仕事先の家で目にした

クリスチャン・ディオールのドレス。


彼女は、一生懸命お金を貯めて

そのドレスを買いにパリへ向かうのです。


生まれも育ちも平民で、ディオールのオートクチュールドレスを買う

貴族のような身分では無いと皆、笑うけれど

働いて一生懸命貯めたお金を手にした彼女に、

高級ドレスを着る権利は無いのでしょうか?


真っ直ぐで、志高く、貪欲でもなく、

ただそのドレスが買いたいだけのミセス・ハリス。


困った人に手を差し伸べ、時にはドレスを譲る心の余裕もある彼女。


格差なんて人が勝手に作り上げた自分を優位に見せたいもの。


誰かを讃えるのに、誰かを落とすのは愚かなこと。


周囲の皆がいなければ、自分は輝けないと思うこと。


ディオールのドレスを作るのは平民のお針子たち。


どんな仕事も、誰かを輝かせる為に多くの人が関わっている。


だから感謝と敬意をはらって生きたい、そう胸に誓います。









10月は映画祭もあり、多くの映画人に会います。


そんな私も映画の仕事しかしない、いわば専門職なので

会う前にもう一度、過去の映画を観たり、新作を観たり

待機作を調べたりするので、更に脳が

容量オーバーになりそうなのが10月。


昨年から関わらせてもらっているトロント日本映画祭in日比谷は

トロントで上映された日本映画を野外上映しつつ

監督を招いてトークショーをするという一週間の企画。


トロント日系文化会館の高畠さんとの年に一度の再会も嬉しく

監督達もたっぷり話してくれたトークショーは

YouTubeでも見られます。 ↓

けれど普段の映画祭や来日舞台挨拶では

通訳という専門職の方のサポートがあって成り立つんです。


私のように来日舞台挨拶の司会や

海外の映画人にインタビューする際に必須の職人の皆さん。


インド映画『RRR』でも、TIFF司会をしていた頃や

『バーフバリ』でも一緒に仕事をした松下由美さんと

ハリウッド映画の来日舞台挨拶でよく仕事をする大倉美子さんで

ラージャマウリ監督もNTR jr.さんやラーム・チャランも

安心して色んな話をしたり、控室でも日本について聞いていたり

まるで言葉の壁を感じない空間作りをしてくれたのでした。



実はこの御三方のインタビューもYouTubeの映画番組でしたんですが

大倉さんが訳す時間の短縮を考えて端的にしてくれたお陰で

通常の英語訳が入るインタビュー時間に出来る質問数より

少し多めに質問が出来ました。


記事ではなく、テレビなので少し捻った質問をしたりと

わりとライトなワイワイした内容に。


字幕をつけている最中で、もう少ししたらYouTubeUP出来ます。


皆さんの笑顔を楽しみにしていてください。


この時期は本当に映画通訳という専門職の人たちに

頭が下がる思いです。


ステージのムードの邪魔にならないよう柔らかい声で

かつ聞き取りやすさを考えて、目立たないようにまで気を使って、

彼らから発せられる映画の専門用語や過去作を

見事に違う言語へと変換していく。


私自身も、映画の記事を書く、映画のインタビューをする

他に映画のことでしか司会をしないのは

(時々、俳優の方とのお付き合いで舞台やドラマ製作発表もしてますが)

映画のことにしか時間を作れず、深く探求出来ないのと

映画のことは語れても、自分はフリーアナウンサーではないから。


昔、映画コメンテーターをしながら、

お付き合いで海外の音楽アーティストの来日記者会見

司会をしましたが

今は、そんなことをよくやっていたものだと我ながら

苦笑いしてしまいます。


若かったあの頃は、欲深かったのかもしれない。


いや、うっかり自信を持ちすぎて自分を見失うというのも

あったんじゃないだろうかと。


そんなことをここで書くのも

ひとつそういった仕事をお断りしてしまったからであり。


専門家とは、そのテーマを突き詰めて学んでいる専門職のこと。


私はそうでありたいと晩年、特に思っています。


とにかく今日はこがけんさんが立つ

映画『アムステルダム』トークショーと

30日は川村元気監督と石川慶監督の対談のお手伝いで

東京国際映画祭での久しぶりなステージ司会。


映画の魅力や映画に関わる人達の魅力を引き出せたらと

思いつつ、映画が好きな人たちとの出会いも楽しみにしています。

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