トゥールーズ=ロートレック
1864 (11/24〜1901 9/9)
南仏アルビで生誕 伯爵家の嫡男
8歳の時母とパリへ。 13歳の時に大腿骨を骨折して脚の発育が不良となり、上半身は普通だが身長は大人になっても150センチメートルちょっとだった。
ゴッホより十一歳年下だがコルモン画塾のアトリエで知り合い、パリでのよい画家仲間となった。
印象派の画家ではなく印象派と交流を持ちながらも同時代のパリを独自に描いた。
ゴッホがレストラン・シャレで仲間の展覧会を開催した時にはベルナールやロートレックの絵も飾っている。
雑誌『パリ・イリュストレ』に掲載されたミシュレの文章の挿絵四点はロートレックの作だがゴッホは「見事なものだ」と褒めている。
また手紙の中でもロートレックの名はしばしば出てくるが女性音楽家の肖像をはじめいずれも「驚くばかりの見事さで感動して眺めたよ」とテオ宛に書いている。
またゴッホにアルル行きを勧めた。
ロートレックはゴッホの人柄を愛し彼の肖像画をパステルで描いている。
二人は互いに画家仲間として尊敬し、筆使いや色の使い方を学びあった。
友情は長く続きアルルでゴッホが発作を起こした後も厚い友情を示している。
ムーラン・ルージュのポスターはポスターを芸術の域にまで高め 「小さな芸術家」「偉大なる芸術家」と呼ばれるようになった。
(いずれもインターネットからの画像)
ロートレックは踊り子や娼婦、ゴッホは農婦や炭鉱夫等いずれも社会的マイナーな人々に目が注がれていて、彼等に対する愛情が絵の題材に選ばれていたのも二人が共感するところだったように思う。
またゴッホは炭鉱での生活時代を忘れることなく靴の絵も描いている。
ロートレックは自転車や疾走する馬の絵を描いている。
個人的見解だがゴッホには恋愛や炭鉱での布教活動の挫折、ロートレックには伯爵の嫡男であったにもかかわらず病の為にそれが叶わなかった苦渋の思いが二人を惹きつけあっていたのかもしれない。
題材の靴と馬にもそれが表れているように思う。
ロートレックはアプサン(アルコール)中毒に、ゴッホは絵を描きながら心のバランスを崩した。
二人が酒場でどんな話しをしていたのか?絵画の技法や色彩について、浮世絵なども……。
失恋や女性の不可思議さについて……。
時代の流れについて……。
「あー、生きていくのはなんて難しいことか」と共感していたのか?
話しは尽きなかったことだろう!!!
#ハンナのゴッホ