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ロワイエ下宿屋の娘さんウージェーヌです。共働きの多いロンドンで母娘で託児所を営む。

ゴッホ   1873年6月  ロンドン勤務。

当時の英国はヴィクトリア朝。産業革命により繁栄の時代。  一方で庶民にとっては過酷な時代であり主婦や少年・少女は低賃金で働きに出ていた。

この様子はディケンズ の『デーヴイド・コパフィールド』にも描かれている。  一方で女性たちは(牧師や中産階級のある程度教育が受けられた女性)富裕階級の家に家庭教師と就職。  この様子もブロンテ三姉妹やJ・オースティン、エリオット等の小説にその生活や心理などが詳しく描かれています。

大陸では普仏戦争・パリコンミューン・第一インターナショナルの結成と崩壊等激動の時代でした。


ゴッホはどうだったのでしょうか?
後にあれだけ底辺の人間に寄り添い数多くのデッサンを描いていたにもかかわらず社会的関心はあまりなかったようです。

ゴッホは『フランス革命史』の著者ミシュレを愛読していましたがそれはミシュレのエッセイ『愛』です。
託児所で生き生きと働くロワイエ母子はゴッホにとって理想の女性たちに見えました。
ミシュレはそのエッセイで英国女性は「……純潔で、孤独な夢想者、家庭的かつ貞淑で、節操があり、優しく、理想的な伴侶」と書いています。

ゴッホの耐性のない心にこの言葉は男女観・恋愛観に毒をふきこまれたようなものです。
テオ宛の手紙に
<……ミシュレの本は僕たちに教えてくれるのだ。愛というものには、人々がありきたりに想像する以上に多くのものが含まれている、……>
<女が男とはまったく異なる存在だということ。……男と女とは一つになれるということ。すなわち完全な一つにであって半分のものが合わさるという意味ではないということ……>
人が恋に落ちれば相手も恋に落ちる。   この身勝手な恋の理解がゴッホの報われない苦しい片思い生活の始まりです。

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未亡人の従姉妹ケー
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娼婦シーン
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ウージェーヌには婚約者がいました。
後に未亡人の従姉妹ケーへの片思い、娼婦シーンとの同棲生活にもゴッホの思い描いたような愛は得られませんでした。

キリスト教には神の絶対的愛として「アガペー」という言葉があります。   一方で「フィレオー」という愛し愛されるという愛のあり方・愛の交流を持つ概念があります。
       簡単に書きましたがこの概念を巡ってキリスト教
       有史以来何万冊もの本が書かれています。

変調をきたしたゴッホは1874年に伯父の配慮によりパリ支店に呼び戻されますが翌年四月に解雇されます。

ゴッホの愛はアガペーよりだったのかもしれません。
失恋の後絵画への愛着を持ちながらも宗教心に芽生え伝道師の道を目指すようになります。

長い文章に最後までお付き合いいただきありがとうございますm(._.)m
簡潔に書きたいと思いますが出来ていないようです(*≧∀≦*)
ご質問、疑念の個所がありましたらコメントしてください。   時間はかかるかもしれませんができる範囲でお答えしたいと思います。

どうぞ楽しい盆休みをお送りください( ◠‿◠ )
この期間もお仕事の方も多いかと思います。  まだ暑い日が続きます!  お身体を大切にしてください。

被災者のみなさんのご健康を祈ります!
被災地の早期な復興を‼️



#ゴッホ