むしゃくしゃして夜に摂取する甘いものが、コンビニで買った添加物まみれのシュークリームとかじゃなくて、クイーンズ伊勢丹で買った赤肉メロンとかになった。23歳。
夜っていってもまだ8時台だった。おとなになったのかなってないのか。おとなというか、のために、守ることは守れるようになった。なんだろう、全部、日々を、こなしている感覚。

漫画を2巻まで読めた。すばらしかった。
ヤマシタトモコさんの「違国日記」。
こんなにすばらしい漫画なのに、読めた。という感覚。
ここ最近はなんだかふしぎなくらい余裕がなくて、ずっと積読がふえていくばかりで、途中まで読んでたはずだけどまた最初から読み返した。
記憶がもどってくると、2ヶ月前のわたしは1巻の半分までしか読んでなかったらしい。たぶん。

すばらしかった。
わたしも、絶対に踏みにじらない、と言ってくれればそれでいいな。それだけでいいと思った。
愛せるかわからなくても。

私のきっと誰にも読まれないいつかの日記と、おなじことを言っていて、それが台詞でも、言ってくれるひとがいること、救いだった。
そしてはじめて、いつか、読んでもらえたらいいね、と思った。



「日記をつけ始めるといいかもしれない
この先 誰があなたに何を言って
誰が何を言わなかったか
あなたが今 何を感じて何を感じないのか

たとえ二度と開かなくても
いつか悲しくなったとき
それがあなたの灯台になる」




















ひさしぶりです。
現像しました近影くらかったよ。
おやすみー。








23歳になりました🌸

23歳って、すっかり大人だと思ってたけど、
この歳になっても、一生変わらないと思っていた根っこの部分がぽきっと折れてしまったり、
不思議なところから新しい芽が出てきたりして、落ち着くことなく変化しているのがおもしろいなーと思います。

変化をおそれずにしなやかに、でもどんなに変わっても、根っこの真ん中の、純粋な芯だけは大切に守りながら、太い幹で、地に根を張れるようになりたいです。

いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




こちらを見つめているおばあちゃんの瞳を見て、わあ、綺麗だなあ、と驚いたのを鮮明に覚えてる。

記憶や思い出、何も分からなくなっても、それでもおばあちゃんの目は、あまりにも澄んでいて、そのたった2つだけが、病室のたくさんの中で、どれよりも綺麗だった。
それは本当に、驚くほどだった。

涙がこみ上げてくるほど、綺麗な瞳だった。

私の目はおばあちゃん譲りかなあと、そのときに思った。
ただの遺伝。先天的な。
わたしとおばあちゃんは全然違う。
おばあちゃんみたいに美しくない。
されど遺伝。


何年も前のはなしですが。
大好きな映画を作る人に、何度目かに会いに行ったときのこと。
覚えてないだろうなと思ったら、
「覚えてるよ。ダイヤモンドの瞳の桜子ちゃん」
と言われたことがあった。

驚いた。
息をするように詩的な言葉を吐くひとだったけど、それにしてもあたりにも不意打ちで、喉元まで出てきたのは、
いいえ、わたしのなんて偽物です。
そんなに綺麗なものじゃないんです。
みたいな言葉だったけど、もちろん言えなかった。


瞳の綺麗なひと。
綺麗だなあと思う。

「おめめちゃんきれいよ。」

"綿の国星"という漫画の、この台詞がかわいくて、好きで、きれいなおめめちゃんを見ると、まねして言いたくなってしまう。

おめめちゃんきれいよ〜


ふとした、何気ない瞬間に、遠くを眼差すその瞳や、もっと奥まで、見つめようとする瞳。
その瞳には何をうつしているの。うつしてきたの。

この間、おじいちゃんの瞳を見て、ふと、綺麗だなあと思った。
動物の赤ちゃんみたいに、濁りなく澄んでいて、きらきらしていた。
おばあちゃんを思い出した。




見つめようとすればするほど、反射してきらめく。





2020.5


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