この前電車で

首からVRをさげて
ファッションを楽しんでいる人がいた。

ふつうにオシャレさんと思った。


デカい携帯を肩からぶら下げ始めた時代から
ガラケーを経てスマホになった。


30年ってすげー。


人はいずれ、どうなりたいのかな。
どんな世界を作りたいと思っているんだろうなー。

わたしはこれからの新時代を
「人として」の因数分解をしていこうと思う。


昔に比べたら
ずいぶん楽ができる時代になった。


その分、生きる醍醐味や喜びっていう部分がちょこっとロスになってる気がするなー。


新元号と一緒に
政府も政治もすべて入れ替わるサプライズとかないのかなー。


資本主義は変わらないままかなー。


平成時代に起きた出来事を全部ひっくるめて
おっきな風呂敷にまるっと納めて新時代を迎えようと思う。


どっかの山の新鮮なお水で
そのまるっと納めた風呂敷をろ過したら
これから大事にすべきことが見えてくるとかいう超感激なサプライズとか、ないのかなー。


今日の昼で平成が終わり新しい時代がやってくる。


ハロー新時代(^o^)

私は基本的に暑苦しい人だ。


見た感じの印象は
話した感じとは全く違うらしい。


どんな風に見えているんだろう?

私をよく知る人や友人には
飛行機って言われたりします。

中身は体育会系で
アスリート気質なんだけどな。


得意分野と興味のある話が聞こえると
耳がダンボになり
ガソリン無しでも口がまわりはじめる。


また熱く語りはじめたよ
話長いよ
それさっきも聞いたよ


これに似た発作が炸裂する。


人は何のために生きるのか
どうして仕事をするのか
自立って何なのか
心ってどうなってるのか


こんなことを話しはじめたら
しばらくは止まらない。


別に
100聞いてほしいわけじゃないし
聞けと強制してるわけじゃない。

耳を傾けてくれる人の中には
聞く耳を持つ人の他に
自分との共通点や批判するポイントを自然と探したりしている。

人は不思議なもので
欲しいとか
不足してるものとか
目を背けたいとか思ってる事って
なぜか自然と聞こえたり見えたりしている。

普段の生活や日常の中に
無意識のうちにそれらが存在している証拠なんだなー。

五感を通して自覚しているという事か。

だから
見て見ぬ振り
というのができるようになる。


なんて器用な生き物なんだ。



本題に戻ろう。
今日やり残した事はあるか。


今日わたしは
100%で終えることができない日だった。

内訳は
仕事としてやり残したタスクがある。
だが
会う人とはみんな笑顔で接してきた。


自分の中では100あげたいけど
こういうところで細かく考えてしまう。


面倒な性格だ。


人は
得た1つの結果から
なろうと思えば良くも悪くもなれる。

その人の向きたい方向次第だなって
いつも思う。



私はいたってプラス思考。
それ以外
もう無いのだ。



明日も
やり残したことがないかどうか
また振りかえろう。






#麗しのオードリー
映画を観ながら美味しいワインが飲みたい。
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選抜の予選がスタートした。

今年も
魂のぶつかり合いから人を学ぶ季節がやってくる。

楽しみで仕方がない。



学びとは何か。

私は昔から勉強が嫌いだ。
大人になって思うが
私はただ、学び方を知らないまま育ってきただけなのかもしれない。

でも
学校で生徒に勉強を教えている先生の姿は
いつ見ても楽しそうには見えなくて
なにを喜びにして生きているのか謎だった。

高校を卒業してすぐに就職。
実家を離れて念願のひとり暮らしはじめた。

18、19歳の頃は
組織の中で上に行くことしか考えていなかった気がする。

何のために?と問われたら
それは他の世界を見たことがないから、まずはここで一番になるほかないと思っていたと答えるだろう。
登りつめた頂では、また新しい景色が見えるかもしれないという期待もあったかもしれない。



おかげさまで
いくつも難はあったが今こうして色んな人に出会い
支えられ、私らしく生きていられるのは
本心に背かない選択をしてきたからと思う事にしよう。


震災があり私の人生観は大きく変わったし
人とは儚いものとよく知った。


短い人生が個々に与えられ
私たちは日々、死に向かって進んでいる。

これはまぎれもない事実だから
全てを受け入れよう。

私は今年で約30年を生きたことになる。

上京して間もなくの頃
周囲から学歴は大切だと言われることが多くなり
本心はそうは思っていなかったのだけど
話の流れ&若気の至りでやってみると言ってしまった。

通信制大学の学費は安いし、自宅からも近くて通いやすい。
幼い頃から興味があった経営や心理を学んでみようという好奇心に似た気持ちもあって当時はおそらく前向きだった。

母校へ出向き卒業証明書をもらいに行ったりもして
当時の私の中ではなかなかの決意のもとで起こした行動だったのだと思う。

スクーリングで出会うそれぞれの講師たちは
生徒と目も合わせず
やっつけ作業のよう。
まるで生気を失っているような
死んだような顔をして私たちに教えを説く。

そもそも
やらされている感覚で人の前に立つことをやめるべきだ。
働くことは生きることなんじゃないのか。


半年もしないうちに辞めてしまった。





私はこの約30年間を、人から学んできた。

勉強が苦手だという意識は
結果や答えが不透明だからに違いない。

答えがわかっているものを解くほど
楽しい事はない。
私は数学の中で唯一得意なのが証明だった。

これがなぜこうなるのかを考えるのは楽しい。
答えに辿り着くまでの過程は
私にしか通れない道を探して探して探しまくりたい。

当時このことに気づけていれば
今頃また違う人生を歩んでいたに違いない。

でも
私はすべてを受け入れて人生を楽しむと決めたから
今も昔もこれからも
自分を心から愛していきたいと思っている。




私は人から学び、人に生かされている。


平成が終わり、はじめての夏。
高校野球から魂のぶつかり合いを通して
人を学ぶ時間だ。


人は、人によって魅力を増し、引き出されていく。
人は間違いなく、縁と出会いで人生が変わる。


私はいつもこんなことを考えている。
楽しい。


これまでもこれからも、それは変わらないし
これが私の生き方なのだと思う。


あなたは、どう生きるか。



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