「好きである」ということは、必ずしも「愛している」ということではありません。「好き」というのは、自分にとって好ましいかどうかという関係にかかっていますが、「愛する」ということは、自分の好き嫌いとかかわりなく、対象を「価値あるもの」と見なすことなのです。

愛と励ましの言葉366日 5月3日の渡辺和子さんの言葉です。

愛とはとっても尊いものですね。

好きとか嫌いのレベルのものではないというこが「愛」なのですね。

愛することができるような人になるためには自分の心の状況をしっかりと認識できるような人間でなければならない気がします。

今日の論語はこれでした~。

子曰わく(しのたまわく)……其の人と為りや(そのひととなりや)、憤を発しては食を忘れ(ふんをはっしてはしょくをわすれ)、楽しんでは以て憂を忘れ(たのしんではもってうれいをわすれ)、老の将に至らんとするを知らざるにみと(おいのまさにいたらんとするをしらざるのみと)。(述而第七)

先師が言われた。
「……その人柄は、道を求めて得られないときは自分に対して憤りを起こして食事を忘れ、道を会得しては楽しんで心配事も忘れ、そこまで老が迫っているのも気づかない人だ、とね」

う~ん。論語コンプリートにはこうありました。

孔子様の人柄は、勉強が好きすぎてごはん食べるのも忘れちゃって、勉強がうまく進むと悩み事も忘れちゃって、もう年だと気づかないような人。

自分の心の状況で、う~んとなったり、はっと気づきがあったり一日一話を考えることも、また楽しいことです。

今日も一日がんばります。