月別アーカイブ / 2022年07月

歩き方と人間の格①

人間いつまでも、ああいうふうに歩いているようでは駄目ですね。(この時、授業時間にもかかわらず、廊下をペタペタと、スリッパを引きずってゆく生徒の足音が、騒々しく聞こえてくる)。内でこう言われているとも知らないで、ご本人は平気でいるんです。ああいう調子で、いくら剣道をやっているといっても、たいした物にはないれないでしょう。いわんや教師となって、一かどの人物になるはずがありません。【458】

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一つ一つの動作にも気を付けなければいけないことがたくさんあります。

姿勢にしても根本的に気を許せば悪くなるものです。

特に私の場合は猫背になりやすく嫁に注意されます。

歩き方も靴を見れば一目瞭然で内側だけが減っている始末です。

一かどの人物になるというのはこういう所作一つひとつにも気を張っている人のことでしょうね。

私には何が出来るのでしょうか。

せめて何かを実践して人に誇れるものをもつくらいの気概は必要な気がします。

一番の問題は眠気ですがこれの克服さえ出来れば時間の充実はあると思うのでした。

まず、眠いです。

友情

友情の最も深く感ぜられるのは、何と言っても道を同じくし、師を共にする同門の友との間柄でしょう。というのも、その時そこで語り合う問題は、決して単なる世間話ではなくて、常に人生の問題であり、道の問題だからであります。【72】

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道を共にする友を一番大切にすべきということでしょうね。

自分の師をもつとういうことは大事ですねそれも若いうちに。

私にとっての師と呼べるような人はあんまりいないような気がしますが共感できる人ならいます。

やはりそういう人を自分から求めていくことが人生をより豊かにするのでしょうかね。

同じことをしいてもまったく考えの違う人というのもこれまた味わい深いもので、それもまたいいような気がしますが、師や友にはならないのでしょうかね。

人生二度なしなのですから、自分と価値の合う人から学ぶのが人生も後半戦となると大事かもしれません。

そうなると論語や教授で共感できる人がいいんでしょうね。

道の上の友

友人関係において、真に尊敬するに足る友人とは、結局は道の上の友ということでしょう。したがって道の上の友ということになると、結局は師を共にする場合が多いと言えましょう。つまり同門の友というわけです。【71】

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「尚友」というものは簡単には得られるものではないような気もします。

同じ道を歩むということはを考えるとどうでしょうか。

しかし、自分の考えというものがしっかりと確立していて初めて同じ道だとも言えます。

まずは、自分がこう生きると定め、そこに師匠を見出しさらにはその同門の人を友にする。

こういう関係が尚友というようです。

なかなかです。

まずは、修身教授録が好きという人でないと(笑)

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